あっという間の結婚式


 さすが宰相閣下の手腕……なのか、悪名のせいなのか。

 フィリップとの婚約解消はスムーズに運んだ、はずだ。


 ……ちなみに、レオン様がすぐに手紙を出すように、お父様に指示していた。


『憂いは早めに払いたい。すぐに先方に婚約解消を取り付けてくれるとありがたいのだが。私も一筆書いたのでこれも一緒に届けて欲しい』


 にっこり笑ったレオン様の圧に、お父様は顔面蒼白で何度も首を縦に振り、何よりも優先して手紙を書いたようだ。


 言われるままに、レオン様が帰った直後に我が家からフィリップの家に、婚約を白紙に戻す手紙を送付。

 もちろん私のお相手の名前も記載され、レオン様からの手紙も同時に送られ、その日の夜にはフィリップの家から了承の手紙が届いた。……早馬で。


 お相手が『鬼の宰相パトリック』では、了承するしかなかったのだろう。

 その日だけで──すべてが終わった。


 レオン様の手紙には、一体何が書かれていたのか聞いてみたが『ただの挨拶だ』と言ったあと『まぁ……一刻も早く一緒になりたいため、手続きを急いでくれるとありがたい、とは書いたが』とわざとらしく白い歯を見せた。


 それは……人によっては脅しにしか聞こえないのでは? と思ったが、まあいいだろう。

 早く解消されるに越したことはない。

 フィリップにとっても同じことだろう。彼もそれを望んでいたはずだ。



 ──迎えた卒業式当日。

 フィリップからは何も言われなかった。

 そもそも話す機会もなかった……が、すごい勢いでフィリップからは睨まれていた。



「クリスティーヌ……なんかすごく睨まれてるわよ? あなたに未練があるんじゃないの?」

「カレナ。あれはそんなんじゃないの。先を越された嫉妬よ」



『なぜお前が先に解消するんだ!』という目線だと思う。

 自信過剰な人だったから、恋愛結婚するなら自分が先だとでも思っていたのだろう。


 まぁあながち間違ってないかもしれない。私とレオン様は実際に恋愛しているわけではないのだから。


 私とフィリップの間には、愛だの恋だのは皆無だった。

 フィリップは小柄でふくよかで優しく従順な子が好みであり、長身でスレンダーな上、学院首席であり事あるごとに意見を違える私は元より眼中になかったようだし、私も同じ年のフィリップは子供に感じ、魅力を感じたことは一度もない。


 相思相愛ではなく、相思相嫌と言ったところだ。

 よくここまでこの婚約関係が維持できていたと思うが、途中で気づいてお互い関わらなくなったからだろう。





 卒業してしばらくすると、あっという間に結婚となった。

 準備などほぼ何もしていないが、全て完璧に整っていた結婚式。


 ドレスは超一流のオーダーメイド。

 昨今の流行りや厳かさもすべて詰め込んだ、非の打ちどころのない結婚式となった。



「クリスティーヌ! すっごくキレイだわ!」

「ありがとう、カレナ」

「あの宰相閣下とだなんて驚いたけど……あなたを見つめる瞳が優しそうだったから、ギリギリ許してあげる!」

「ふふっ! 誰に対して許してるの? 私?」

「もちろん宰相閣下よ? 私の親友を妻にするのだから、それなりの人じゃないとね?」



 したり顔のカレナに、私はついプハッと笑ってしまった。

 天下の『鬼のパトリック』も親友からすればようやく及第点の、それなりの人、らしい。



「カレナに許してもらえて嬉しいわ」

「……でも、文官として働くのでしょ? 大丈夫?」



 親友にだけは、身分を隠して文官として働くことは打ち明けていた。

 カレナは私だけに聞こえるように、小声で囁く。



「うん、今から楽しみよ!」

「……ふふ! それなら良いわ! がんばってね」



 私たちは両手を自分たちの胸の前で握り、握った手と額をコツンと合わせた。

 私たちの『幸運を祈る』というおまじない。


 涙をにじませ喜んでくれているカレナに、実はこの結婚が契約婚であることに、少しだけ罪悪感が湧いた。


 カレナは私が本当に運命の愛を見つけたのだと思っているから。


 フィリップの姿も見かけた。

 婚約破棄など珍しいことではなく、長年付き合いがあった相手なのだからと結婚式に元婚約者を招待するのが通例。

 レオン様が先にフィリップに気づいたようで、私の耳元で囁いた。


「あそこにいる彼、きみの元婚約者だろう? もしかして私たちの関係を疑っているのかもしれないな。仲睦まじいところを見せておかないと……な?」

 

 わざわざ長身を曲げ、顔を寄せた低い声がくすぐったい。

 腰に回されている手に力が込められた。

 こんなことをされることがないので、免疫のない私の顔が多少赤くなるのは当然と思ってほしい。


「ほら、彼に向けて笑って手を振って」

「は、はい」


 目がぐるぐるとなりそうなまま、私はフィリップに手を振り微笑んだ。

 レオン様が私の頭に顔を寄せたのが分かった。


 ……こ、これが仲睦まじい演技というものなのね。


 思わず照れてしまうけれど、そのまま微笑んでいたら「なんて美しくて初々しい新婦かしら」と言われていたのでよしとする。

 フィリップはなんだか変な顔をしていたが、やはり私が先に結婚することが悔しいのだろう。


 王族も出席する大規模なものだったが、私はほとんど喋る必要などなく微笑んでいるだけで終わる。


 誰かが私に話しかけようとすると、レオン様が眼光鋭く睨みつつ笑顔で「クリスティーヌは私のですから、話しかけないでください」と慇懃無礼にも言い放っていたから、私は隣で頬を染め微笑むしかなかった。


 きっと、私が余計な仕事をしなくて良いようにという、彼なりの気遣いなのだと思う。

 殿下にもこの調子だったため、一瞬目眩がしたが。


 この結婚式により「鬼のパトリック宰相は嫁を溺愛しているらしい」という噂がしっかりと広まっていったという。

 さすが、というべきかなんなのか。





「ここが今日からきみが住む東棟だ。私は基本的に王宮にいるためなかなか会うこともないと思うが、なにか不自由があればいつでも執事に言ってくれ。もちろん本邸への出入りも自由だし、そちらに住みたいようならその旨執事に伝えてくれれば手配する」

「分かりました」

「では……仕事がかなり溜まっているため執務に戻らせてもらう。ではクリスティーヌ。自由に楽しくやってくれ」



 私の頬に軽くキスをして足早に去っていったレオン様は、この結婚のための準備でさぞ忙しくしていたのだろう。

 馬車に乗り早々と出発してしまった。


 一人取り残された私は先ほどキスされた頬に手をやり、その場に立ち尽くしていた。

 契約婚だから、こういうのは一切ないかと思っていたから……じわじわと頬が熱くなっていく感覚と、羞恥心に苛まれている。


 ──な、なるほど。

 名目上の夫婦でもこの程度はするのか……。


 恋愛ごとを嫌悪してきたために、恋愛小説すら読んだ事がない私は、こういったことに全く免疫がない。

 ……レオン様のその時の顔と唇の感触が、鮮明に思い出される。

 恥ずかしくてたまらず、慌てて頭を振った。



 私に用意されたのは、バスティーユ公爵家の敷地内にある別棟……と言っても、回廊で繋がってはいるのだが。


 レオン様は私が知っていた広大な領地以外にも小領地を所有していて、ここはその一つで王都のすぐそば。

 王都まで馬車で四十分程度だろうか。

 彼は職場である王宮にも部屋をもらっているため、ほとんど帰ることがないらしいが。


 前公爵夫妻は5年前に事故で亡くなっているため、そこのお付き合いもない。



 そして──私たちの完全なる敷地内別居婚生活がスタートしたのだった。







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