恋愛至上主義へのささやかな反逆②


「結婚と言っても、完全な契約。偽装結婚だよ」

「偽装結婚……?」

「そう。結婚したらさすがに同じ敷地に住まないと怪しまれるけど、別棟をまるっとあげよう。夫婦の社交もなし。最初の結婚式だけで、あとは自由」



 それはつまり……『結婚』と言う名のステータスだけもらうと言うことだ。



「その代わり、お互い相手に誠実でいること。裏切ったりしないこと。つまり、好きな相手ができたからと言って離縁するのはナシだ。

 もし好きな相手が出来たのなら、とにかく私にも周囲にもバレないように気をつけてくれ」



 さらっと喋るレオン様に、すっかり酔いが引いてしまった。

 万が一好きな相手ができたとしてもそれは私にであり、自分には絶対あり得ない、という口調。



「……そんなの、レオン様にはなんのメリットもないのでは?」

「いや、私も昨今の恋愛至上主義には辟易していてね。周りを騙せればそれで良い。私は非常に多忙なため夫婦揃っての社交は当分不可能だし必要ない。不自由しない生活を約束するよ」



 私は無言のまま彼をじっと見つめていると、少し困った顔をして微笑んだ。



「そうだな……恋愛結婚のフリをした政略結婚、と思って貰えば良い。その相手は多忙すぎてほとんど帰って来れないから顔を合わせる機会もないだろうけど……浮気は絶対しない」

「……なぜ、私なのですか? レオン様なら引く手数多でしょうに」



 この顔なら、かなりの人が釣れるはず。

 しかも仕事が忙しいと言うことは、それなりの仕事についていると言うことだ。



「そうだね……一番は、恋愛と結婚についての価値観が同じだったこと。はっきり言って滅多にいないからね。本当にしっかりとした政略なら相手を接待せねばならないだろう? きみ相手ならそれは必要なさそうだし。それに……最初にきみが誘っただろう?」

「誘う?」

「シェリーを頼んだじゃないか」



 ニヤリと笑う彼の言った言葉の意味が分からず、首を傾げる。

 すると彼は私の髪をひとすくい持ち上げ、そこに口付けをした。



「シェリーを頼むのは『今夜はあなたに全てを捧げます』っていう意味だよ」

「……えっ!? そ、そそそんなの存じませんしっ!?」



 一気に顔に熱が集まり、完全に赤くなったのが分かる。

 我が家の家訓要素『毅然』と『自信』はガラガラと崩れ去り、動揺しまくっている。



「ハハハっ! そうだろうとは思ったけどね。まぁきっかけなど些細なことだ。これで煩わしいことから解放されると思えば……ね?」



 こういうからには、彼はきっと誠実でいてくれるのだろう。顔は合わせないらしいが。


 つまりここでいう『誠実』とは『あなたを愛します』ではなく、お互い結婚というステータスをもらって、可能な限り『恋愛とは無縁でいよう』ということだろう。



「異性関係じゃなければ好きなことをして構わない。家でゆっくりしていようが外で仕事をしようが、危険なことじゃなければ私は何も干渉しない」

「……仕事をしても!?」

「構わないよ。やりたいことがあるならやるべきだ。仕事がしたいのか?」

「──はい。ずっと……自分の力で働くことに憧れていたのです」



 職業婦人も少なくはないが、まだそれを許さない家も多い。

 我が家もそのような家の一つであり、そこまで勉学に励む必要はないと言われてきたが──口に出してしまえば、これが自分の本当の願いなのだと実感する。

 ずっと自分の力だけで、バリバリと働いてみたかったのだ。


 レオン様と結婚すれば、それが可能……?

 でも身元はちゃんと確認しなくちゃ。



「レオン様は……どちらのご家門の方でいらっしゃるのですか?」

「バスティーユ公爵家の系列だよ。仕事は王宮で文官をしている。西のクラノーブルの方に大きくはないけど領地もある。でも管理はちゃんとした者に任せているから何もする必要はない」



 バスティーユ公爵家の家門といえば、末端まで裕福であり数多くの文官を輩出してきた名門。

 西のクラノーブルは穀倉地帯。そこの近くに小さめの領地があるということは、それなりに安定した収入もあるということだ。


 しかも文官最高峰の王宮文官!

 私が一番なりたい職業ではないか!


 もちろん帰ってから、彼の身元は貴族名鑑で確認するけれど。

 ──これは、断る理由がないのではないだろうか。



 私自身恋愛がしたいわけではない。けれど、結婚はしないと今後も色々言われるのが目に見えている。

 彼と偽装結婚をすれば、結婚した後にまで運命の愛だなんだと言われて、わずらわされることもない。


 結婚後に顔を合わせることがなかろうとも、肩書だけもらうと考えればなにも問題はない。


 私の顔色を見て、了承の方向に傾いていると気付いているのだろう。

 ニヤリと微笑んだレオン様は、それは美しく。



「卒業前日にクリスティーヌの家に挨拶に行こうかと思う。卒業したら本格的に結婚準備か、なんて思われているんだろう? それならその直前でぶち壊した方が──刺激が強くて面白そうだ」

「……ふふっ! 確かに! 分かりました。レオン様のお話、お受けいたします! よろしくお願いいたします!」



 私たちはがっちりと握手を交わし、それまではこの話は秘密にすることを誓い合った。






 学院卒業までの半年で、家族には内緒で文官の試験を受け、見事合格。

 受験時の名前は若干偽装。自分のミドルネームである『シャルロット』と、母方の姓の『ミュラー』を使わせてもらった。


 母方の祖父であるミュラー伯爵は、運命の愛だと言って出て行った母を許しはせず勘当したが、私たち孫のことはその後も大変かわいがってくれた。

 相談したら快諾してくれ、すべての書類関係は祖父の元に届くように手配。


 受験したことが家族に知られれば、「職業婦人など……」という考えの父に確実に反対されることが目に見えていたから。


 レオン様とはこれまでにも何度か手紙をやりとりしていた。

 それによりあの時の話が嘘ではないのだと信じることができ、突き進めたというものだ。




 ──そして半年後の卒業式前夜。


 ついにレオン様が我が家に来ることになり、会わせたい人がいる、と家族の予定を空けておいてもらった。



「クリスティーヌ、そのレオンとは一体?」

「ふふふっ! 実は私……レオン様と恋に落ちてしまったの!」

「なっなっなんとっ!? いつの間に!?」

「運命的な出会いだったのよ! 一目で恋に落ちてしまったの! レオン様も!」



 この会話はシナリオ通りだ。

 事前に自分の話を軽くしておくように、と。


 そしてタイミングよく来客の合図があり、いきなりの娘からの話で動揺する父と兄を応接室で待たせ、私は玄関まで出迎えに出た。



 玄関にいたのは、礼服に身を包み麗しいほどに輝いているレオン様。


 彼は私を見て、目を細めた。


 彼のそばに近寄り、「この日を心よりお待ちしておりました」と使用人に聞こえるように優雅な笑みを浮かべる。


 お父様はどんな顔をするだろうか。

 考えるだけで楽しい。



「私もこの日を心待ちにしていたよ、クリスティーヌ」


 私の腰を抱き寄せ、他の人に聞こえないよう耳元で囁く。


「二度目まして……だな」


 そう。私たちは手紙のやり取りはしていたが、あの日以来の再会だ。

 恋人っぽい振る舞いは自分に任せておけとレオン様の即興演技中。

 家訓を思い出し、背筋を伸ばしつつも仲睦まじげに家族の待つ応接室の扉を開け、満面の笑みで言った。



「私の恋人、レオン様です。私、彼と結婚します!」



 私の言葉に、一同驚愕の面持ちでこちらを見ている。

 もうこれ以上は目が開かないだろうというくらい、父も兄ももう目がとびでそう。


 なんて気持ちが良いのだろう!

 内心、してやった! という気持ちでいっぱい。


 …………いっぱいだったのだが。

 徐々に、あまりの家族の驚きように疑問が湧いてくる。


 恋愛至上主義なのだからこんなことはよくあることなのに、なぜそこまで驚くのか。


 というよりも、二人がだんだん青褪めていっている気がしてならない。

 お父様が冷や汗すら掻き出している気がする。

 魚のようにパクパクと口を開閉しているが、声になっていない。

 ようやく口にした言葉は。



「………………さ、宰相閣下っ!!」



 平伏でもするかのようにお父様が頭を下げた直後に、お兄様も頭を下げた。

 私はキョトンとレオン様を見上げ、なんの話? と首を傾げると、彼は妖艶なまでに私に微笑みかけた。


 そのなにか企む顔で……ようやく私は気付いた。


 ──彼が私に本名を告げていなかったことに。



「紹介せずとも……と言ったところかもしれないが、改めて。パトリック・レオン・バスティーユだ。このたびクリスティーヌと恋仲になったため婚姻の承諾を得るために来た。異論は……ないな?」



 私は家訓を守り、毅然と自信を持ってこの場で微笑み続けている。


 さも、もちろんこの人が宰相ってこと知ってましたよ? 当たり前じゃないですか? とでも言うように。



 ──知らない。

 もちろんレオン様が宰相閣下だなんて知らない。


 彼は自分のことを、バスティーユ公爵家の系列と言った。

 ……系列といえば系列だ。一番トップの公爵様なだけで。


 レオンという名も嘘ではない。

 私が文官の受験時に『シャルロット』を使用したように、昨今ではほぼ名乗ることのない、ミドルネーム。

 この根拠のなさそうな契約婚も『レオン・バスティーユ』という名が実際に貴族名鑑に載っていたからこそ、信じていたのだ。

 だが、想定していたその人物が、同じ家門の別人だということが今なら分かる。

 レオン様は『パトリック・バスティーユ』という名で記載されているはずだから。

 ……誘導されたのは確実にしろ、勝手に末端のその人物だと勘違いしたのは私。

 秘密裡に進めていたから、誰にも聞かなかったことも原因の一つ。


 文官なのも……文官といえば文官……なのか?

 もうその域を逸脱しすぎているけれど、大まかに括れば文官なのだろう。

 宰相という、頂点に君臨しているだけで。


 西のクラノーブルの方に大きくはないけど領地もあると言っていた。

 まぁそうだろう……穀倉地帯クラノーブル自体がバスティーユ公爵家の領地だ。そこの近くの小さな領地ではなく、そこ本体が領地なだけで。

 そして、大きくはないけど……という大小は主観の問題だから。この国で一番大きい領地だけど。



 ────してやられた。



 宰相閣下の名前は知らないはずがない。


 『鬼の宰相パトリック』。

 3年前に史上最年少26歳で宰相に抜擢され、数々の不正を暴き出し、効率を重視し不要な役職も不要な人間もどんどん減らすというのは有名な話。

 彼がこの3年で成したことと言えば、もう語り尽くすことは出来ないだろう。

 福祉から公共事業、税制の改正、貿易販路の拡大やらなんやら。


 パトリックの名が有名すぎて、レオン様とは全く結びついていなかった。



 我が家族が鬼のパトリック宰相に異論など……唱えられるはずもない。



 そして私は……



「騙しましたね?」

「いや、なにも嘘は伝えていない。少しばかり伝えそびれたこともあるかもしれないが」



 帰りがけの二人きりの会話である。

 ニヤリと微笑むレオン様にため息をつく。


 どうりで彼の結婚がややこしく煩わしいはずだ。


 公爵であり宰相なのだから、それの政略のお相手ともなれば王族か他国の公爵家。

 自国の侯爵家や伯爵家もありだろうけれど、恋愛結婚がこれだけもてはやされていると、『鬼』と名高い宰相閣下に嫁ぎたいという若い女性は少ないだろう。


 ……まぁこの際構わない。



「約束は守ってくださいね?」

「もちろんだ。きみこそ、な?」



 私たちは互いに利があって契約婚をするのだ。



 ──すべては……恋愛至上主義からの解放のために。




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