第8話 シルバーウルフ再び
「一体これはなんなんですか?」
マリーはアークが渡してきた筒を前に突き出し、抗議の声を上げた。
バンプも異常を察し、歩くのをやめ事態の成り行きを見守っている。
「何って水筒だよ。散歩中とか水が飲みたい時に、便利なんだ」
「水筒という言葉は知っています! この水筒はなんなのか? と聞いているんです。明らかに容器の大きさと、流れ出た水の量が合いませんよ!?」
「ああ。そういうことか。それはいわゆる魔道具だよ。聞いたことあるかな?」
「魔道具……過去の遺産ですね」
魔道具とは、現代の知識や技術では作りえないものの総称だ。
そのため魔道具には様々なものが存在し、また、まだ使い方や効果が分からないものも多い。
あくまで作れないだけであり、有用かどうかも様々だ。
歴史学者によれば、少なくともこれまでに複数の文明が興隆し、そのどれもが滅亡しているという。
中には、今の時代とは全く異なる進化を遂げた文明もあったのだとか。
「そんなものをお持ちだったんですね。いわゆる
「多分ね。実は僕もよく分かってないんだ。貰い物だしね。飲み水しか入らないんだよ。見た目よりもいっぱい入るから、その点は重宝してるかな」
まるでどうってことはない、という態度のアークに、マリーは再び驚いた。
この小さな器に飲み水を大量に入れられることがどれほど凄いことにかなど、考えなくても分かる。
確かに一般的な万能鞄ならば水以外のものも入れられるのが普通だが、この水筒も十分に価値の高いものに違いない。
そんな物をなんの気兼ねなしに、昨日会ったばかりのマリーに正体を明かし、一時的にとはいえ渡したのだ。
――私たちをそこまで信用していると言いたいのかしら。それとも、盗みを働かれる不安など一切ないという自信の裏返し?
真意は分からないが、手にした水筒がどういうものか理解した。
相変わらず喉の渇きは続いている。
今度は少しずつゆっくりと水筒を傾け、口を水で潤した。
中は保冷効果もあるのか、飲んだ水は冷たく、美味しかった。
☆
「右」
「次も右だ」
「今度くらいは左行ってみようか」
アークの指示に従うのが当たり前にようになったまま、坑道をひたすら歩いていた。
毎回迷うことなく方向を選択するアークだったが、それまで無言で従っていたバンプが不満をぶつけた。
「おい! さっきから適当に決めてるんじゃないのか!? 一向に出口なんかに辿り着かないじゃないか。このまま三人で仲良く餓死なんて、俺はゴメンだぜ!?」
「ちょっと、バンプ。言い過ぎよ。あなただって、道が分かってるわけじゃないんでしょう?」
「マリーは黙っててくれ。これだけ歩いたって出口に辿り着かないなら、今から元の道に戻ってみるのもありだと、俺は思ってる。もしかしたらこれだけ時間かかればシルバーウルフも興味なくしていなくなってるかもしれないしな」
「シルバーウルフ?」
アークは不思議そうな顔でオウム返しした。
まるで初耳のような表情だ。
「おい。さっきマリーに調査内容のことは知っていると答えていただろ」
「あ、ああ。うん、うん。そうだね。知っているよ。調査内容のことは。ただ、シルバーウルフのことは、ほら。別だからさ」
「シルバーウルフが別? どういうことだ?」
「今回の調査対象とは別ってことさ。君たちも分かるだろう?」
何も分かっていないのはアークの方だった。
完全に口から出まかせだ。
なんなら、シルバーウルフがどういうものかもきちんと理解していなかった。
ウルフというのだから狼みたいな見た目をしているのだろう、くらいのものだ。
マリーとバンプは頭に疑問が沸いていたが、人間は疑問がありすぎると考えるのが嫌になるようだ。
これ以上突っ込んで聞いても無駄だと早々に判断した。
「そんなことよりさ。バンプ。さっきも言ったけど、その甲冑いい加減脱ぎなよ」
「またか。一体この甲冑がなんだというんだ。誇り高き騎士団から支給された甲冑だぞ?」
「でも、騎士団に甲冑はいくつか種類があるよね。思うに、その甲冑が一番まずい」
アークが領主を務めるクライエ子爵家所属の騎士団には、ある程度デザインに統一感を持たせながら、数種類の武具が用意されている。
また、ある程度の実力を示すことができれば、自分に合った武具を用意することも許されている。
全て騎士団長であるエリザが決めたことだ。
そんな中、バンプが身に付けているのは騎士団謹製の重鎧だった。
守りの要として選ぶ者が多く、また、一撃必殺の攻撃を好む者にも選ばれる。
バンプは後者だった。
相手の細かい攻撃など気にすることなく、一撃の元相手を切り伏せる。
豪剣と呼ばれるエリザの剣技に少しでも近付こうと選んだ戦闘スタイルだ。
そもそも甲冑も含め、武具は騎士としての誇りでもある。
それを脱げとは、いくら領主の言葉でも簡単に受け入れられるものではない。
その理由がガチャガチャと音がうるさいから、などと知ったらいくら領主でもタダじゃ済まないかもしれない。
☆☆☆
「なんと言おうと脱ぐ気はない。絶対にだ」
「うーん。そうかぁ。本当に残念だなぁ」
どうも脱いでくれそうにないので、諦めて引き続きガチャガチャ音には我慢することにしよう。
それにしても結構歩いたね。
もう散歩は十分ってくらいは歩いたはずだ。
散歩は好きだけど、あまり歩きすぎると脚が痛くなるから、適度な距離を適度な速度で歩くのがいい。
水分補給もこまめに。
飲み物を取ろうとバッグに手を入れて、さっきマリーに水筒を渡してしまったのを思い出した。
中にはまだまだ水が入っているだろうが、男の僕から回し飲みを提案するのは少し気が引ける。
その辺りの常識は一応持ち合わせてるんだよ、僕は。
そうだ、さっき行く前に飲んだジュースを入れたんだった。
念のためもう一本手付かずのものも持ってきたから、バンプが喉が渇いたと言ったら、これを勧めよう。
味が口に合うかどうか、分からないけれど。
ジュースで喉を潤していると、マリーが驚愕した目で僕を見ていた。
なんだろう。
もしかして、自分には味気ない水しかくれなくて、僕が美味しいジュースを飲んでることがありえないと思ったのかな。
うーん。
バンプに渡す分がなくなっちゃうけど、そんなに欲しいならマリーにあげてもいいかな。
「マリーもこれ飲みたいの?」
「い、いえ!! とてもじゃないですが、私には合いませんよ!」
「そう? 僕は美味しいと思うんだけどね。まぁ、欲しかったら言ってよ。何事も、試してみないと分からないから」
「は、はぁ……」
飲みかけだったのもあって、一本丸々飲み干してしまった。
空き瓶は面倒だけど持って帰らなくちゃいけない。
昔、飲んだ後の空き瓶をそこら辺に投げ捨てて帰ったら、ライラに酷い目に遭わされたからね。
まぁ、正確に言えば酷い目にあったのは僕じゃなく、エリザやランディ、そしてライラ自身なんだけど。
「さて、そこを右に曲がってみよう」
「ここは一本道だよ。右に曲がるには曲がるが……うん?」
右に曲がった途端、バンプが訝しげな声を発し、立ち止まった。
後ろを歩く僕からは何が見えるのか全く分からない。
「ねぇ。何があったの? 魔物?」
「え!?」
驚きのあまり声を上げた僕に、なぜか二人驚きの表情で僕を見る。
だって魔物だよ?
そんな危険なもの、もうこの廃坑にはいないと思ってたのに。
危なかったなぁ。
もし僕一人で廃坑を散歩してたら、魔物に出くわしていたかもしれない。
そうしたら、僕の人生はそこで終わりだったね。
いやぁ、二人と出会って良かった。
「いや……魔物じゃねぇ。何かが壁に埋まっている。危険はなさそうだ。こっち来いよ」
「どれどれ……わぁ。綺麗だねぇ」
「こ、これは……! 魔鉱石床!?」
右に曲がったすぐ先は、広い空間になっていた。
その壁全体に、淡い青白い光を放つ石がたくさん埋まっていた。
「これはなんなんだ? 綺麗だが宝石か何かか? 掘って売れるっていうなら、悪くない発見か?」
「とにかく綺麗だねぇ。ずっと見てられるよ」
「二人とも何言ってるんですか。魔鉱石の鉱床ですよ!? 下手な宝石なんて目じゃないくらいの価値があります。でも、なんで……モルメオン廃坑から魔鉱石が採取されたなんて記録なかったはずなのに……」
なんだかよく分からないけど、マリーの様子を見れば何か凄い発見をしたようだ。
宝石よりも価値があるってことは、もしかしたら財政も潤っちゃうのかな?
そんなことを考えていたら、どこからか唸り声が聞こえてきた。
狼が出すような低く威嚇するような唸り声だ。
そう思っていたら、銀色の艶のある狼が現れた。
ただ、大きさはすごく大きい。
あの口で噛み付かれたら、僕なんか一瞬であの世行きなんじゃないかな。
「シルバーウルフ! くそっ! よりによってこいつかよ!」
「見て! シルバーウルフの後ろ! 月が見えるわ。外よ。あの道が外に繋がってる!」
どうやら運のいいことに適当に歩いたら、出口に無事到着できたみたいだ。
月が見えてるってことは、もうすっかり夜なんだね。
帰りの遅い僕をパメラが心配してるかなぁ。
それよりも、出口から出るためには、このシルバーウルフっていうのを倒さなくちゃいけないみたいだね。
さっき言ってた魔物かぁ……頑張れ二人。
僕は、一切なんの役にも立たないからね。
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