第3話 廃坑調査
モルメオン廃坑は過去の遺物だ。
クライエ子爵家が興った要因の一つとして、領地内の歴史を
かつてここは鉄鉱石が取れる鉱山だった。
鉄鉱石が取れれば丈夫な武器が作れる。
当時は今よりも文明も魔術も発展しておらず、魔物の脅威は特段に大きかった。
鉄よりも鋭く、あるいは硬い魔物が多いのも事実だが、武器は明確に魔物の脅威を排除するのに役立った。
幸い自領には強い魔物が生息していなかった。
クライエ家は取れた鉄鉱石の多くを近隣に配給した。
鉄鉱石を元に鉄が作られ、武具が鍛えられ、脅威は脅威ではなくなっていく。
クライエ家がもたらした鉄鉱石のおかげで周囲の地は治められ、開拓された。
鉄鉱石でいくらか儲けたが、儲けよりも人助けを、と尽くした初代クライエは子爵を拝し、多くの領地を広げた者たちは侯爵や伯爵を賜った。
「ざっと、これがこの廃坑にまつわる話よ。分かった?」
マリーが不機嫌そうに、隣を歩くバンプに向かって言い放つ。
聞いていたバンプは両肩をすくめる。
「要は初代クライエ子爵はボンクラだったってことだろ? 今の新領主みたいに」
「ちょっと。仮にも自分の主君に対してその発言はどうかと思うわ」
「いいんだよ。俺は。昨日の朝、すでに本人の前で散々言っちまった。今さら誰に聞かれたってどうってことない」
「本人の前って……! 新領主の前で言ったの!?」
「ああ。と言っても、気付いてなかったんだがな。まさか、あんなに平凡な見た目の男が領主だなんて思うかよ。妹のエリザ様を見たことがあればなおさらだ」
バンプはマリーに向かっておどけてみせる。
その表情からは自分の行動を恥じる様子も公開する様子も見られない。
マリーは昨日初めて間近で見た新領主、アークの様子を思い返す。
バンプの言う通り、アークは凡人そのものに見えた。
少なくともマリーが心酔するランディよりも優れたものがあるようには思えなかった。
もっとも、マリーにすれば、ランディよりも優れた男など、この世にいるはずもない。
「それで? 一体どんな罰を受けたの? まさか、この調査の同行が罰だなんてことはないんでしょう?」
「それが、一切何もなかった。本人の前でこき下ろし、あまつさえ不審者と断定し詰所まで連れて行ったんだぞ?」
「は? やったあなたも愚かだけど、そんなことをされて許す貴族がいると思う? もし本気で許したんだとしたら、よほどの馬鹿か、天母神様なみに心が広いかどちらかだわ」
天母神というのは、この国に限らず、大陸中で人気の女神だ。
彼女を主神と崇めるモーリア教では、数多の神の母として、慈愛の象徴として語られる。
「腹の底で何を考えてるのは分からないけどな。とにかくその場では何もなかった。まぁ、心が広いだけなら領主が務まるとは思えない。馬鹿なら、なおさらだ」
「言うわね。あなた。私が帰ってから報告しないと思っているの?」
「言わないね。マリー、だったか? お前もあいつをよく思ってない奴の一人だろう。少なくともこんな任務を突然与えられて、不満なのは間違いない。あいつの考えなしの行動に早速呆れてる。違うか?」
バンプの指摘に、マリーは一旦息を止め、そしてゆっくりと深く吐き出した。
まさにその通りだ。
新領主になった当日に突然呼び出され、対して重要でもないことに駆り出された。
しかもマリーの普段の業務は領民から挙げられた陳情や情報を記録することだ。
あくまで記録者として書類を作った責任者なだけで、廃坑の近くで目撃されたという魔物の対応など専門外だ。
マリーは知識層であり、戦闘を主にする役目ではないのだから。
加えて、なんの根拠も理由も示さなかったが、準備を十分にしていけと命令があった。
何があるか定かではないものの、言われた通りバンプにもそのことを伝え、自分自身も想定できる範囲で準備をせざるを得なかった。
午後に呼ばれて準備をしてから向かうには時間が足りず、結果的に次の日になったわけだが、そのせいで本来の仕事もできずにいる。
二日間分遅れた仕事を巻き返すための労力を考えると、新領主の気まぐれに付き合わされた徒労感がすでに大きい。
「あなたに取り繕っても意味なさそうだし。そうね。正直やってられないわよ。数ヶ月前の話なのよ? 魔物を見たってのは」
「今さら出向いても、無駄足に終わる可能性が高いってことか?」
「そうね。この辺りは領主の私有地だから人が入ることは基本的にないの。魔物を見たのは報告者の子供よ。知らずに迷い込んだ子供が、廃坑の入り口近くで魔物を見たって。見間違いよ。どうせ」
「まぁ、仮にいたとしても俺が叩き切ってやるから安心しろ。適当に見て回って、いなかったらそれで構わないだろ。まさか廃坑の奥底まで探索しろって訳じゃあるまいし」
マリーも実際に中を見たことがあるわけではないが、モルメオン廃坑はご多分に漏れず複雑に入り組んだ構造を持つ。
もし隅々まで調べる必要があるとしたら、二人では到底不可能だ。
マリーとバンプでできることといえば、入り口周辺と廃坑内のごく浅い部分の探索くらいだろう。
それで何か見つかれば良し。
魔物の種類さえ分かれば、さらに調査が必要な対象か、見える範囲で駆除すれば問題ない相手か見当がつく。
もし見つからなくても、好き好んでこの辺りを歩く者などいないのだから、放っておけばいい。
少なくとも報告から数ヶ月の間に問題は起こっていないのだから、今後大きな問題になるとは考えにくい。
「当てにせず、頼りにしてるわ。さぁ、もうすぐ廃坑の入り口よ。適当に回って、戻りましょう。フィールドワークは苦手なのよ」
「あぁ。それは賛成だな。歩き回るだけなどなんの訓練にもならないからな。こんなことをしてるくらいなら、鍛錬をしていた方が百倍マシだ……おい! 見ろ!!」
「何よ。突然。大声出したりなんかして」
バンプの声にマリーは不機嫌な声をあげたが、視線の先にいる生き物を認識すると、思わず口を手で塞いだ。
キョロキョロと辺りを見渡しながら、一匹の魔物が廃坑の入り口へと歩いていた。
ウォーラット。
毛のないネズミに近い見た目をしているが、その大きさは大型犬ほどもある。
口から飛び出したままの長い
バンプが手でマリーに合図を送る。
自分だけが前に出て、マリーはここで待機する。
周囲を見渡し、見える範囲に他の魔物がいないことを確認した後、マリーは首肯した。
バンプは鞘からショートソードを抜き、素早い動きで距離を詰めていく。
ウォーラットに気付かれる前に一撃を与えられるかと様子を窺っていたマリーは目を見開く。
どうやらウォーラットはバンプに気付いてしまったようだ。
耳障りな声をあげ、進行方向を廃坑の入り口からバンプへと変えた。
右前脚を上げ、爪で引き裂くような動作を、バンプは危なげなく躱す。
ウォーラットは想定よりも動作が緩慢で、対処するのはそこまで難しくない。
少なくともバンプが苦戦するような相手ではなかったようだ。
躱した動きから間を置くことなく振り下ろされたショートソードは、ウォーラットの身体を二つの肉塊に変えた。
「やるじゃない。口だけじゃなかったのね」
「大した相手じゃない。しかし、まさか本当にいるとは、な。どうする? この死体を持って帰って終わりにするか?」
「そうしたいのは山々だけど。こんなに簡単に見つかったのなら、他にもいるかもしれないわ。もう少し確認しましょう。ウォーラットは群れる魔物じゃないはずだから、心配はそんなにないと思うけど」
「なんだ? 魔物の生態に詳しいのか?」
「人並みに、よ。これでも書記官なんだから、一通りの知識は持ってるわ」
「そうか。まぁ、この程度の魔物なら、複数出てきても問題ない。エリザ様たちが出払っていて斬り結ぶ相手不足だったんだ。訓練にちょうどいい」
マリーはバンプの腕前を確認した上で、廃坑内の調査継続を選択した。
思っていた以上にバンプの動きは悪くなかった。
彼の言う通りこの先ウォーラットが数匹同時に現れたとしても問題ないだろう。
もっと強力な魔物だとしても。
少なくともこの領地に危険な魔物が現れた記録は、マリーの知る限りではない。
好奇心も少なからずあった。
その好奇心ゆえの選択に後悔することになることを、二人は知るよしもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます