第11話 使命

       ◆


 私はエクスのコクピットで、メインスクリーンに表示される略図を見ていた。

 ダカールが「ミリオン号」を離れて、すでに一時間以上が経過している。

 三十分ほど前から動きがあった。ダカールに動きがあったわけではなく、彼はほとんど直線に見える軌道でαに向かっている。

 動きがあったのは、そのαからエクスらしい存在が発進したことだ。

 それもαの進行方向からまるで逆方向へ、という異常な展開だった。これではこのエクスはαに帰還することが事実上、できない。αとエクスは時間とともに離れてしまい、それでは減速しただけでは足りず、どちらかが逆進しながらもう一方が静止するか、両方が逆進しないとランデブーはありえない。

 ありえないことだが、事実だし、少し考えれば可能性は絞られる。

 私が見ているのはエクスに見えるが別の何かの可能性がまず一つあり得る。例えばエクスに偽装した機雷ということだ。センサーに見えないだけで、あるいは破壊性能の高い機雷でもおかしくはない。

 そうでなければ、エクスはαを完全に離れ、独力でどこかに潜んでいる別のフォローシップに向かっているということもありえた。ただ、今の時点では周囲にそれらしい影はセンサーは探知していない。

 ほとんどありえない可能性だが、エクスはαを離れたが、αに帰還する方法がある、ということもあるだろうか。どんな離れ技かは知らないが、工夫ができる余地があるのかもしれない。

 しばらく見ているうちに、αを離れたエクスと、ダカールのエクスが接触する時間が近づき始めた。αと敵性エクスの相対速度と両者の距離を私は確認した。

 思ったより両者は勢いよく離れていないのはこれまでと一緒だ。「ミリオン号」がダカールのエクスを電磁カタパルトで加速させたのに対して、αはエクスをほぼ加速させなかったのだ。

 両者の距離も離れてはいるが、感覚的にはるかに離れているわけではない気がしてきた。

 やっぱりαに帰還する何かがあるのではないか。

「メイ。ブリッジス船長を呼び出せる?」

『不可能です。無線封鎖していますから』

 そう、としか言えなかった。

 じれったい時間が続き、ついに二機のエクスが戦闘距離に入った。

 だが、ダカールのエクスは直進を続けているし、敵性エクスも軌道に変化はない。

 両者が推進剤による軌道修正を行わないのは、セオリー通り、宇宙戦闘の鉄則そのものだ。

 エクス同士の戦闘は交差する一瞬に全てが決まる。軌道が交差する瞬間に攻防があり、あとはすれ違って距離を取るのだ。なので推進剤で極端な軌道を取って機体を振り回すことは熟練者の間でも次善の手段となる。

 といって、私は安心できなかった。ダカールの腕は信用できなくもないが、相手のパイロットが私が戦ったエクスのパイロットと同じなら、間違いなく一流の腕前だし、胆力も普通ではない。

 じっと略図を見ているうちに、二機のエクスはついにすれ違った。

 短い警告音が鳴った。

 ダカールのエクスの軌道が横に逸れ、そのまま不規則に乱れ始めた。それに青い点で表示されていたのが、赤い表示になった。

 私が何も言えないのに対し、メイはいかにも機械らしく冷静だった。

『マーガレット様、第二段階です。あなたをαの前方に射出します。αの足を止めてください』

「ぶ、ブリッジス船長は、その、どうなったの……?」

 ここに至っても人工知能は平静そのものだった。

『ダカールは敵のエクスに撃破されました。マーガレット様、申し訳ないのですが、私はダカールを助けに行こうと思います。この先は独力で使命を果たしてください』

「使命……?」

 そうです、とメイは答えたが、すでに「ミリオン号」は軌道修正を開始しているのが体にかかる負荷でわかった。

『マーガレット様は警官です。αを摘発するべきです。私にはダカールを助けるという使命の方が優先されます』

 私の機体が激しく揺れたと思ったが、メインスクリーンをメインセンサーに切り替えると「ミリオン号」のロボットアームが私を乗せたエクスを電磁カタパルトへ運んでいるようだ。

 出来ません、と口から言葉が漏れそうになったが、ぐっと堪えた。

 私は警官だった。

 そしてこの状況は、ダカールが危険を引き受けて作り出した状況だった。

『時間がありません。思ったよりもαと敵性エクスの相対距離が縮まるのが早い』

 私は手元の操作で略図を小さく表示させた。

 いつの間にかαと敵性エクスの距離がほとんど変わらなくなっているどころか、じわじわと両者は近づきつつある。αが減速しているのもあるが、エクスが逆進を始めている。

 どうやって速度を殺したのか。推進剤を大量に使ったのか。しかし、推進剤が尽きてしまえばやはりαとは接触できないのだ。

 いや、そのことはいい。

 私が考えたり迷っている暇はなかった。

「メイ、私を予定通りにαへ打ち出して」

『了解しました。ところでマーガレット様、ダカールから言伝があります』

 え? と声が漏れたが、メイは気にも留めないようだった。

『上着のポケットの中を見ろ、とのことでした』ガクン、と機体が揺れる。電磁カタパルトに固定されたのだ。『それではマーガレット様、ご武運を』

 反論する間どころか、カウントダウンさえなかった。

 強烈な反動が私をシートに押し付ける。メイが勝手に私のエクスに最適姿勢をとらせたので、機体は理想的に射出され、想定通りの軌道を飛び始めた。略図の上の予想軌道では、敵のエクスがαにたどり着く前に、私がαに到達する。

 強烈な加速に耐えながら、重い手で上着のポケットを確認した。

 右は空だったが、左に感触があった。

「これは」

 取り出したものを見て、私はそれ以上は何も言えなかった。

 そこにあるのは白い立方体。まるで角砂糖のようだが、違う。

 高純度の「ソルト」だった。あのバー、「ジュビリー」で出されたものを、ダカールは私のポケットに押し込んだのだろう。

 これをどうしろというのか。メイに確認したいが、無線封鎖されていて質問はできない。

 私は「ソルト」をポケットに戻そうとした。

 その時、ぐらりと体が揺れた。

 揺れたわけではない、平衡感覚が不意に乱れたのだ。エクスの軌道がブレたのかとも思ったが、機体は順調に突き進んでいる。

 しかし揺れ、目眩は治らない。

 夢を思い出した。

 宇宙空間にパイロットスーツで漂う私。

 どうしようもない、焦りの激流。

 このままでは死んでしまう、という漠然とした、しかしはっきりと迫ってくる圧迫感。

 歯を食いしばっても、体が頼りなく感じる。

 片手で操縦桿を握っても、それさえも不確かに思えた。

 私は一方の手に握ったままの「ソルト」を意識した。

 飲めば楽になれるだろうか。

 しかし。

 しかし……。

 私は思い切って、「ソルト」を口の放り込んでいた。

 飲みくだした瞬間に、効果があった。ガツンと頭を殴られたような錯覚の後、体の隅々まで明確な感覚が行き渡る気がした。目覚めに似ているが、まるで生まれ直したようだった。

 不安や焦燥感は消え、冷静さ、程よい覚醒状態が体を満たした。

 私は手元のパネルでαとの予想接触時間を確認して、目を閉じた。

 時間の流れが速くなった気がした。瞼の裏、思考の中で様々なものが交錯し、流れ去っていった。

 一時間近い時間が、数分のようだった。

 短い電子音が私を呼ぶ。

 瞼を上げると、αと接触まで三分だ。メインセンサーを起動し、最大望遠で確認すると確かにフォローシップがそこを飛んでいる。ダカールが手配してくれたメインセンサーは悪くない性能だ。

 相対速度はかなり速い。すれ違うのは一瞬になる。

 武装はレーザー銃も破砕弾もない。ネイルのみである。それで推進剤タンクを破壊する必要がある。ネイルは四本が装備されている。

 それだけあれば十分だと何故か確信できた。

 警告音が鳴る。αから照準波を受けているという警告。それでも私は落ち着いていた。

 外観からしてレーザー砲は装備していないようだし、ミサイル攻撃はマニュアル操縦で十分に対応できる。ミサイルは一度かわせばそれで終わりだ。追尾しようにも、私はミサイル以上の速度で飛んでいる。

 そう思った時に、αで微かなガスのようなものが動いた。船を推進剤で退避させつつ、ミサイルを発射したのだと一目でわかった。

 私は操縦桿を握り直し、ペダルの上で軽く足を動かし、ミサイルを十分に引きつけてから、同時にαの動きを先読みしてエクスを機動させた。

 ミサイルがすぐそばを走り抜けていく。最低限の推進剤の噴射で軌道をひねった私の機体のすぐそばで弾頭が炸裂するが、破砕片のほとんど全てがエクスに影響を与えない。いくつかがかすめたようだが、機体を管理するシステムにエラーは出なかった。

 αはもう目の前だった。

 両腕に装備されたネイルを照準し、停滞なく引き金を引いた。

 メインスクリーンに一瞬だけガスが広がり、ネイルは肉眼では見えない速度で宙を走った。

 αと交差し、私は機体をそのまま進ませつつ、サブカメラで背後を確認した。

 果たして、αは不規則に横にずれるような運動をして、推進剤の尾を引いていた。

 ネイルは命中したのだ。

 高揚感はなかった。達成感もなかった。

 ただこのままでは終わらないと思い、私は推進剤を節約しながらゆっくりと弧を描いてαへの軌道を取った。その間にも手元では無線封鎖を解除し、星系警察機動隊に通報しようとした。だがそれは予想外の電波妨害が酷く、無理だった。αが妨害しているのだろう。

 αは穴の空いた推進剤タンクを切り離し、安定した挙動を取り戻したようだった。それでも私は今ならαを停船させることができる。エクスが描く軌道を変更し、αへ反転させる。

 その時、電子音が鳴った。

 機動隊に通信が繋がったのかと思ったが、違う。

 接近するものがある。メインセンサーで追尾させる。

 エクスだった。かなりの高速で向かってくる。

 しかし、どこから来た?

 答えは自明だ。

 ダカールを撃破したエクスが戻ってきたのだ。

 戦闘に備えようとしたが、私のエクスはすでにネイルを撃ち尽くしている。

 武装がない。

 不意に混乱が私を打ちのめした。戦う術がないどころか、私のエクスはαに近づくために速度を殺しているから、逃げる術もない。相手からすれば私は静止しているとしか見えない。

 混乱は酷くなり、私は操縦桿を引くことも、ペダルを踏むこともできなかった。

 それが「ソルト」の副作用だとわかってもどうしようもない。何より、敵性エクスはもう私を戦闘距離に捉えている。

 メインセンサーがその機体を映す。最新モデルではないが、無傷のエクスがそこにあり、たった今も私めがけて向かってくる。

 観念した、というのはこういうことを言うのだろう。

 私はそのエクスが腕に装備したネイルをこちらに向けるのを見ていた。

 激しい既視感。

 前は助かったが、今度はどうだろう。

 目を閉じなかったのは、自分の運命が気になったからか。

『よくやった』

 不意な声が聞こえた。

 誰の声だ?

 目の前のエクスがネイルを発射したのはわかった。

 激しい震え。

 私のいるコクピットには強烈な警告音が響き、突き上げるような衝撃が襲いかかってきた。体が左右に揺れ、首が痛む。パイロットスーツを着ていないせいで、本来なら耐えられるはずが無理だった。

 機体が勝手に挙動するのを感じた次の新たな反動で、私の意識は一瞬で刈り取られていた。



(続く)

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