第10話 虚空へ

      ◆


 俺はエクスのコクピットのシートに伸びて、かすかに感じる「ソルト」の効果の残滓を追っていた。

 高純度の「ソルト」は瞬間的に疲労感を吹き飛ばし、感覚を鋭敏にさせる。それなりの額がするが、これ以上の薬はない。

 既に「ミリオン号」は五番ステーションを離れて待機宙域と呼ばれる宇宙船がひしめくスペースへ向かっている。加速度は規制さえているのでそれほどではない。ベルトでシートに固定しないと体が浮くかもしれない。

『ダカール』

 メイからの通信が入るが、俺は黙っていた。相棒は勝手に報告を始める。

『言われた計算は完了しました。結果はダカールの想像通りです』

「わかった。マーガレットはどうだ?」

『予想通りです。こちらへ向かっていて、そろそろ無線を入れてくるでしょう』

 その言葉が終わらないうちに、電子音が鳴る。通信回線を開くことを求める音だ。俺はパネルを見て、相手がマーガレットのエクスだとわかり、通信をオンにする。同時に「ミリオン号」のカメラ映像を引用するとメイがサポートして、こちらへ向かってくるエクスをメインスクリーンに映してくれる。

 他と不釣り合いに古いメインセンサーと、片足が簡単なフレームしかないのでかなり目立つ。塗装は元の白と紺のツートンから、薄い灰色一色に変わっていた。エンブレムも塗りつぶされている。

 ノイズの後、マーガレットの声が響いた。

『ちょっと! これはあんまりじゃないのっ?』

「そんなに都合よく、最新モデルの代わりのパーツが手に入るかよ。バランスは調整されているはずだから、普通に機動できるだろう。どこかに問題はあるか?」

『ちゃんと操縦できなかったら整備士は間抜けだわ』

 操縦士がポンコツということもある、と言ってやろうかと思ったが、やめておいた。

 俺が慎ましい態度を選んでいるのをよそに、マーガレットの苦情は止まらない。

『私の機体が装備していた破砕弾のランチャーがないんだけど、どうしたわけ?』

「あれは下取りに出した。脚のためにな」

『警察の備品だってわからないの? ああ、もう、始末書で済むといいのだけど……』

「整備士と打ち合わせて、漂流する前にどこかにすっ飛んだことにしておいてやったから気にするな」

 ため息混じりに、ありえない、とマーガレットは呟いている。その間にも彼女はエクスを「ミリオン号」に近づけているあたり、意外に冷静なのかもしれない。

『一応、確認しておきたいんだけど、私、パイロットスーツを着てないんだけど』

「俺も着ていない。今から着替える暇もない」

 そう答えたところで、微かな振動が伝わってきた。メイが『マーガレット様のエクスを固定しました』と報告してくる。

「行くとしよう。マーガレット、振り落とされないように注意しろよ」

『注意しろも何も、二本のロボットアームで固定されているだけじゃない』

「形式だけの警告だよ。メイ、やってくれ」

 了解です、という人工知能の後、はっきりと加速度が感じられた。

『それで、どこへ向かうの? 例の船を見つけたってこと?』

「それらしい船を追う、というだけのことだ。まだ詳細は不明だ。ある程度まで接近して、メイに解析させる」

『誤認だったら?』

「謝罪して終わりだ」

 ため息の後、どうやって見つけたの? とマーガレットは問いかけてきた。

『警官として、経緯は知っておきたい。あなたは違法行為も気にしないようだから』

「方法は合法だよ」

 俺はざっくりと説明した。

 まずここ三十分以内に五番ステーションから出航した船をリストアップした。次にここ数時間の航宙記録で五番ステーションに入った船のリストと照らし合わせた。ここで残った候補に、念のために「ミリオン号」が持っている所属不明船の航路の情報を照らし合わせた。

 それでも三隻ほどが残ったが、そのうちの二隻は民間の短距離輸送船で、追う必要はない。

 都合よく一隻が残ったのは、幸運と言える。誰の幸運かは知らないが。

『それを全部、メイがやったわけ?』

「俺がやったら一日かけても無理だろうな」

『で、本当に例の船なの?』

「さっきも言った通り、解析しなくちゃわからん。あまり焦るな。ただ、こちらから仕掛けるのが手っ取り早い」

 は? と驚きそのままの声をマーガレットが漏らした。

『仕掛けるって、何をするの?』

「エクスで襲撃する」

『ば、バカなこと言わないで! あなたは民間人で相手だって一般人かもしれない。それにエクスをけしかけるなんて、海賊行為だわ。犯罪に問われてもおかしくない』

「やってみればわかる。ついでに言うと、そちらが尻込みするだろうと思ったから、最初に行くのは俺だ」

 返事はすぐに来なかった。

『最初に、って何よ。私にも犯罪の片棒を担げって言いたいの?』

「もしそちらさんの危惧が現実になれば、犯罪の片棒を担ぐことにはならない。俺が海賊まがいの勝手なことをした、それだけのことだろ? それとも俺を必死に止めて、チャンスをフイにするか?」

 マーガレットは言葉に詰まったようだった。俺は勝手に話を進めていく。ここでささやかな問題と大きな収穫のどちらを取るかは、議論するまでもない。

「狙っている船をαとしよう。まず「ミリオン号」は急加速してその後を追うか、まっすぐに追っても気づかれるし、こちらより推力がないなんてことはないだろう。そうとなれば、先回りするだけだ。ただ、足止めしないとそれも厳しい。そこで、俺のエクスを射出して、第一弾の攻撃として注意をひく」

『……もし相手が例の船だったら?』

「ほぼ間違いなく俺を攻撃してくる。船だけは先へ進ませるかもしれないが、エクスを出してくるだろう。相手がエクスを出せば、それを回収するためにどこかしらの段階で船を減速させることになる。そこで警官としてやりたいようにやればいい」

 返事はない。考えている、といったところだろうが、俺の安全とかを考えているかは微妙だ。

 どうせ援軍、出動する星系警察機動隊のことを考えているのだろう。

 メイの声が割り込んできた。

『ダカール、予定の軌道に乗りました。計画通りの加速で問題ないですか?』

「問題ない。やってくれ」

『了解です。加速開始』

 ぐっとシートに強く体が押さえつけられた。

 俺はメインスクリーンに周辺の概略図を表示させる。

 惑星「ホプリア」の重力圏を脱出する必要があるが、それはαも同様だったはずで条件は互角だ。向こうは恒星μの方へ突き進んでいる。おそらくそのまま強力な引力を加速に利用し、際どいところで星系を横断するような航路を取ると予想できる。

 厳密な計算が必要な航路だし、些細なトラブルでも修正が必要になるやり方だ。

 それだけ焦っている、のならいいが、追跡する以上は同じような航路を選ばざるをえないこちらも危険である。

 チキンレース、ってわけだ。

 俺は黙って表示される図を見ていた。目まぐるしく変化するような図ではない。一分経っても、二分経っても、微動だにしない。五分が過ぎ、十分が過ぎて、やっと違いがはっきりと見える。

 一本だった航路が枝分かれして二本の曲線に変わってきた。αと「ミリオン号」の軌道はずれていき、さらに時間が過ぎれば、「ミリオン号」が迂回するようにしてαの前へ出ようとしているのがわかる。

 ただ、彼我の速度を比べれば、長距離を移動している「ミリオン号」はわずかずつ引き離されていると言えるので、先まわりは現状ではありえない。

 メイが計算した俺の乗るエクスを射出するタイミングを何度か確かめた。悪くないタイミングだ。奇策ではないが、堅実である。いかにも人工知能らしい。

 三十分が過ぎ、俺はまんじりともせずに一時間をさらに過ごした。マーガレットは珍しく黙っている。緊張しているわけではないだろうが、彼女が下手を打つと俺が困る。かといって声をかけてやるのも違うか。

『ダカール、射出時間まで十分です。用意を』

「用意はとっくに済んでいる」

『コンテナを開放します』

 すぐに機体が揺れ始め、メインスクリーンをメインセンサーからの映像に切り替えるとエクスが船の外へせり出していくのがわかる。完全に外へ出ると、無理やりに固定されているマーガレットのエクスが見えた。メインセンサーがこちらを見ている。

「マーガレット、あとは任せた」

 返事はやっぱりすぐになかった。

『幸運を』

 返事をするのもバカらしくなり、俺はエクスを操作して敬礼のような動作をして見せてやった。彼女の視界でも見えただろう。

 メイがカウントダウンを始め、あっという間に俺の機体は電磁カタパルトで「ミリオン号」を離れた。

 エクス単独で、どこまでも続く宇宙をひたすら進んでいく。かなりの高速なので、シートに体が沈み込みそうだ。

 しかしこんなことは慣れている。

 ずっと宇宙で暮らしてきたのだ。

 広大すぎる空間にたった一人きりになるのも、日常の一部だった。

 俺は目を閉じて、航法システムが予定座標に到達するのを知らせるのを待った。

 長い長い待機時間も、終わる時が来ると思えば耐えられる。

 そう、全てがいつか終わると思えば、何にだって耐えれる。

 そのはずだ。



(続く)

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