第9話 「ジュビリー」の男
◆
急に声をかけてきた男性を私はじっと見つめた。
どこかで見た顔ではない。間違いなく初対面だ。バーのようなところで知らない男性に声をかけらえたこともないではないが、ここは普通の店ではない。
違法薬物である「ソルト」が平然と出てくる店だ。
ひとくくりに「ソルト」と言っても合法のものも含まれる。それでも医者の診察が必要で、よほどのことがない限り処方されない。ダカールは高純度の「ソルト」と口にしたから、間違いなく違法薬物だ。ついでにバーテンダーというべき初老の男性は、何も聞かず、何も言わずに高純度の「ソルト」を出してきた。
何もかもが異常な店で、そこに普通にいる客もまともとは思えない。
「別に体に悪いものでもないですよ、副作用がないレベルの純度です」
私が黙っていると、ダカールが代わりに答えた。
「彼女は潔癖性でね、薬物と聞くとアレルギーが出るんですよ」
「それはそれは。この時代にアレルギーとは、古風ですな」
「その辺は、エルフィン星系人の関係者らしいから、古風なんでしょう」
勝手にダカールと男性が話を進めている。アレルギーなんて現代医学ではほとんど全て克服されているし、エルフィン星系人のように環境に適合するために遺伝子操作したとしても、外見に露骨に変化が起こるような遺伝子操作も行われることは少なくなった。
「初めてお会いしたと思いますが、どちらから?」
男性の問いかけに、ダカールは全く動じずに答えた。私が黙っていたのは、答え方が咄嗟にわからなかったからだ。ダカールにはそういう逡巡はないらしい。
「μ星系を右へ行ったり左へ行ったりですよ」
「そうですか。私も同様ですよ。ここが数少ない落ち着ける場所です」
「同感ですね」
男性とダカールが笑みを交わしている。呼吸を読んだようにバーテンダーが近くへ来たので、二人がそれぞれおかわりを注文した。「ソルト」ではなくアルコールをだ。もしここで「ソルト」がさらにでてくるようならこの店を放っておく理由はない。
しかしさすがに一人でここを摘発することはできない。警官隊を連れてきて、周囲を固めておかないと無理だろう。
アルコールが出てきて、ダカールと男性がグラスを掲げるそぶりをした。
「初対面で無礼だとは思うが」
唐突にダカールの方から男性に声をかけた。
「その指は義指に見える。エクス乗りか?」
おや、と男性はちょっと目を見開き、それから苦笑いを浮かべた。
「よく気づきましたね。これでも操作は自然なつもりでしたが」
「どうして気づいたか、察しはついているんじゃないかな」
もちろん、と男性が頷いている。私はといえばフレッシュジュースの入ったグラスを無視して、男性の指を乏しい明かりの中で凝視していた。
指が義指というところからエクス乗りを連想することは可能だけど、男性の指はとても義指には見えない。継ぎ目も見えなければ、動きも自然すぎる。
どうしてダカールは気付いたのだろう?
男性はグラスを揺らしながら、わずかに首を傾げた。
「あなたの指も私には義指に見える。だから私の義指にも気づけた。こういうのを、同じ穴の狢、とでも言うのかな?」
「どうだか。しかし俺の指も自然なはずだがね」
二人はやっぱり笑いあっているが、私には驚きしかない。ダカールの指が義指? まったく気づかなかった。エクスに乗っている時に事故にあったのだろうか。ダカールと知り合ってから短い時間しか経っていないし、世間話でするような話でもないか。
男性が酒を一口飲んでから、視線を私に移動させた。
「お嬢さんは普通の指のようだ。まだルーキーということかな」
「え、ええ、まぁ、そんなところです」
なんとかそう答えるが、男性は気を悪くしたようではない。心がおおらかな人なのかもしれない。
「あのお仕事は何を?」
会話が続かないのが気まずいので、なんとなく訊ねてしまっていた。
果たして男性はちょっと視線を斜め上に向け、わずかに黙った。
「運送業、ですかね。他にも色々と」
曖昧な答えだな、と思ったけど、「ソルト」が自然に出るような店だ、個人情報をペラペラしゃべるわけにはいかないし、そんな質問をするのも場にそぐわなかっただろう。
謝罪しようとしたが、それより先に男性が言った。
「お嬢さんの職業は、公務員のように見えますね。デスクワークという感じではなく、現場の人間のような」
不意打ちだったので、はぐらかすこともできず、私は男性に視線を向けるしかなかった。男性は穏やかな視線で私の視線を正面から受け止めている。
「「ソルト」を使わないあたり、意外に警官だったりするのかな」
この瞬間、心臓が止まった気がした。呼吸さえも乱れたし、店が静寂に包まれた気もした。それはほんの短い時間だっただろうけど、私にはかなり長い時間に感じられた。
「警官を」
ダカールが口を開いた。
「ここに連れてきたら、俺は立つ瀬がないな」
冗談めかした口調に、男性が小さく声を上げて笑った。
「そうですね。失礼しました。さて、私はそろそろ仕事に行かなくては」
「次の仕事はどちらで?」
「別の星系ですよ。μ星系から荷物を運ぶ仕事の途中です」
「そうか。旅の無事の祈っている」
「ありがとう。そちらもどうか、ご無事で」
男性は席を立ち、バーテンダーに携帯端末を見せて会計した。そのまま確かな足取りで店を出て行き、扉が閉まったところで私は少し気が楽になった。いなくなってみると、男性からは不思議な迫力が発散させれていたとわかる。
ダカールの方を見ると、彼は何故か難しそうな顔をしていた。
「わ、私、余計なことを言いましたか?」
さすがに私自身にも失敗した自覚がある。職業の話などする必要はなかった。警官ではないかと言われた時も、対応は酷いものだった。
青い液体が少しだけ残っているグラスを揺らしながら、ダカールは何も答えない。視線は手元のグラスに注がれたままだ。
返事を待っていたが、ダカールは不意にグラスの中身を飲み干すとバーテンダーに「お会計」と短く言った。私は慌ててグラスの中のフレッシュジュースを飲み干し、自分の料金を払おうとしたけれど、既にダカールがまとめて支払った後だった。
さっさとダカールが店を出て行ってしまうので、私は後を追った。バーテンダーの「またのご来店をお待ちしております」という声は扉が閉まった時に途絶えた。
「ちょっと、ちょっと、ブリッジス船長、待ってください」
ずんずんとダカールが進んで行ってしまうが、彼は携帯端末に何かを入力している。何かあったのだろうか。まずいことだろうか。
通路を次々と折れて、来た時とは別の道を進んでいるけれど、気づくとメインストリートへ戻り、すぐに格納庫が近いという看板も見えた。船に戻るつもりらしい。
「マーガレット」
いきなりダカールがこちらに背中を向けたまま言ったので、小走りになって横に並ぶ。
「なんですか? トラブルですか?」
「さあな。まだはっきりとは言えない。船を出すから、整備工場からエクスを取ってきてくれ。待機宙域で「ミリオン号」に載せよう」
「え? 例の所属不明船のことが分かったのですか?」
「空振りかもしれないから、はっきりとは言えない。ともかく、船に乗る。急げよ。整備工場はあの角をまっすぐだ。十四番ブースにある。行け」
命令口調なのは気に食わないけれど、事態が動くのはありがたい。
「先に機動隊に連絡を取っていいですか? 増援を手配できます」
「スピード勝負なんだ。さっさとエクスを取って来い。そうしなければ話にならん」
カチンときたので、私は強い口調で言い返していた。
「あなたがどういう人かはよく知りませんけど、私はこれでも警官ですよ。趣味でエクスを飛ばしたり、「ソルト」を楽しむような人種じゃないんです!」
ダカールは全く動じなかった。
「例の船を逃したくないんだろう。一刻一秒を争う。お前もその場にいたいなら、行け。遠くから眺めていたいなら、お友達に相談すればいい。じゃあな」
歩き続けていたので、既に整備工場に向かう十字路に差し掛かっていた。ダカールはまっすぐ格納庫の方へ向かっている。
私は少し躊躇い、ため息を吐いて角を折れた。小走りに先へ進むのは、怒りに任せた行動だった。それでも頭の冷静な部分が機動隊の増援を要求する必要を訴えていた。携帯端末を取り出し、μ星系警察機動隊の本部に連絡を取ろうとする。あまりにも遠方にあるので回線はすぐに確保されても呼び出しにすぐ出るようではない。
早く早く、と思っているうちに整備工場の入り口のエアロックに辿りついていた。エアロックは緊急時のためで平時は解放されているし、整備工場は与圧されている。
携帯端末が機動隊本部を呼び出し続けるのに舌打ちして、私は整備工場へ踏み込んだ。
(続く)
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