第8話 第五ステーション
◆
どうなっているんですか、と後ろで低い声が聞こえるが、黙っておいた。
マーガレットを連れて「ミリオン号」で「ホプリア」方面へ進出したものの、問題の所属不明船を捕捉することはできなかった。「ホプリア」の接近するどこかで推進剤を吹かしたと思われるが、パッシブなセンサーの探知範囲外だし、仮にアクティブに調べたところで手遅れだっただろう。かなり早い段階で、軌道を変えたと見るべきだ。おそらく、俺がマーガレットを救助している隙に実行したのだろう。
こちらの追跡ができないと見て即座に軌道修正したのなら、こちらのパッシブなセンサーの探知範囲の境界を推測していたわけで、なら、あの船の誰かは俺がこっそりと追跡してる間や、マーガレットの救助に乗り出すまでの間に、こちらを逆に監視していたとも思えた。
逆説的に考えれば、俺がマーガレット救出に動いた場面は、俺が所属不明船の危険性を無視できると判断した場面ということで、それは所属不明船が引き返せないと判断したのと同時に、もはや両者が探知が不可能な位置関係でもあるとも言える。
しかし所属不明船にはこちらが見えたのかもしれない。俺が対応を捻っていけば探知可能でも探知できないように動く偽装を選択することもありえたが、そこは俺に工夫がなかったか。
ともかく、推測された軌道を追っていっても、それらしい船は探知できず、どこかのステーションに入るしかなかった。
惑星「ホプリア」は鉱物資源の採掘が行われていて、地上に何箇所か採掘施設がある。地下ではアリの巣のように坑道が巡らされているそうだ。その地上施設から軌道エレベータが伸びて、軌道ステーションが存在する。そのステーションから鉱物を満載したコンテナがいくつもの星系へ向けて送り出されるのだった。
軌道ステーションは全部で六つあり、鉱物を発送するだけの施設ではなく、宇宙船への推進剤の補給や整備も行われる。当然、宇宙船の乗組員が過ごすスペースもあれば、彼らに対する様々なサービスも提供される。
ステーションには一番から六番までの番号が振られているが、目当ての船が入港した可能性はどれにもあった。確率は六分の一だ。
結局、俺は半分は勘に従って、五番ステーションに「ミリオン号」を入れさせた。操船は最後までメイが行った。俺も免許は持っているが、面倒なので人工知能に任せている。
格納庫に「ミリオン号」を置いておく間に、船とエクスに推進剤を補充してもらうように依頼したが、問題は別にあった。船にくくりつけてある警察仕様のエクスだ。マーガレットは何も気にしていないようだが、大きくペイントされたエンブレムはもちろん、白と紺の警察を象徴する塗装も目立ちすぎた。格納庫に入れただけでも幸運だ。
五番ステーションを選んだ理由の半分は、馴染みの整備業者がいるからだった。到着前に連絡しておいたので、格納庫ではマーガレットのエクスを搬出する作業車が待っていた。
マーガレットはかなり抵抗したが、俺は適当に「整備しなきゃ使えんだろう」で押し通して、エクスを業者に引き渡した。メインセンサーを用意して、さらに喪失している片足を適当にフォローするように頼んだのと、エンブレムを消して、全体の塗装も警察と一目でわからないように塗り替えるように頼んだので、かなりの物入りになった。
謝礼とやらに期待するしかない。
そうしてやっと俺は最初の面倒を切り抜けたが、何も先に進んでいない。ステーションで情報収集して今後の方針を決めることになるが、マーガレットは自由にしておけないので、連れ歩くしかないのは、これはこれでかなり面倒だ。
ちなみに彼女は警察仕様のパイロットスーツしかなかったので、俺の適当な服を貸しておいた。露骨に嫌そうな顔をしていたが、まさかパイロットスーツでステーションの中を歩くわけにはいかないのは理解したのだろう、黙って着替えてきた。
やっとステーションの通路を進んでいるわけだが、後ろを黙ってついてきたいマーガレットも、いよいよ我慢の限界と見える。
「聞こえてますか、ブリッジス船長」
「聞こえているよ。ちょっと黙っていろ。考えているんだから」
五番ステーションは俺には馴染み深い。情報もある程度は集まる。ただ、相手も同程度の人脈は持っているかもしれない。あるいはもっと強い後ろ盾があるか。
そう想像する理由は、警察ともめ事を起こして、しかしすぐそばの「ホプリア」に逃げ込む道理はないも同然だからだ。
唯一、あり得るのは推進剤の不足である。あの船がどこから来たかは知らないが、推進剤は無限ではないし、不規則などこかの船とのランデブーや警察との攻防で想定以上に推進剤を消費した可能性がある。
どうせ適当な船籍をでっち上げているだろうし、それが通用すれば推進剤の補給は受けられるのは間違いない。ついでに生活と生命維持に必要な物資も積み込む展開もあるが、そちらは俺の願望だ。ちょっとでも滞在時間が伸びれは捕捉できる可能性が上がる。
ともかく、一番から六番のステーションのどこかに例の船はいる。
どうやって探せるだろうか。
「例の船の認識番号は知っているんだよな」
振り返らずに問いかけると、もちろん、と返事がある。船を降りてエクスを業者に引き渡す前にマーガレットは機体からデータを携帯端末へ吸い上げていた。俺はさりげなくそれをメイと共有させようとしたら、彼女は憮然として、しかしすぐにデータリンクを許可した。
あの時は物分りがいいと思ったが、彼女にとって最後の譲歩だったかもしれない。
「認識番号でどうなるんですか?」
「「ホプリア」の航宙記録と照らし合わせる。民間で航宙記録をコピーして公開している奴らがいる。警察も利用するだろう?」
「星系警察は民間の組織なんて使わずに、自力で航宙記録にアクセスできますけどね」
こいつはアホか、と思ったが、指摘しないでおいた。確かに星系警察は航路記録に直接に当たることができる。しかしそんなことをすれば、警察が探っている、ということが丸わかりだ。警察の動向を血眼になって追っている連中がいるとは、マーガレットは想像もしないようだ。
「航宙記録についてはメイに当たらせよう。十分もすれば情報は返ってくる」
「私たちはそれまで何を?」
「ゆっくりするさ。ここだ」
俺たちはステーションのメインストリートを進んでいたが、俺は脇道へ滑るこむ。少し行き過ぎそうになりながら、マーガレットが追ってきた。通路の左右は商店だが、飲食店が多い。そういう区画なのである。
「食事でもしようってこと?」
「奢ってくれとは言わんよ。口を閉じてついて来い」
さらに二度ばかり通路を折れて奥まった場所に入ると、ほとんど人気はない。
壁にある一枚のドアの前で俺は足を止めた。横に立ったマーガレットがささやかな看板を見上げ、苦々しげな声で言った。
「「ジュビリー」? どういう店かは、聞かなくてもわかるわね」
「どういう店だと思う?」
「密造酒や「ソルト」が普通に出る店。警官が一番嫌いなところ」
「よくわかってるじゃないか」
俺は扉を開けて中に入った。嫌悪感むき出し、という態度だったマーガレットだが何も言わずに入ってきた。
この店、「ジュビリー」は狭い店だ。カウンターに六席と、二人が向かい合えるだけの小さなテーブルが三つしかない。店のものも一人きりで、初老の落ち着いた男性である。この男性がジュビリーという名前かと思わせるが、違う。
俺がこの店の存在を知ったのは二年ほど前で、来るのは五回目か六回目だった。店の存在を教えてくれたのは病院で知り合ったエクス乗りの男で、最初は一緒に飲んだが、それ以来、会ってはいない。
カウンターの向こうの男性は俺を見ると微笑みを浮かべ、空いている席を身振りだけで示した。テーブルで二人の男性が静かに飲んでいる他は、カウンターに一人客らしい男性がいるだけだ。
俺とマーガレットはカウンターに並んで腰掛けた。
「ブルーアイをくれ。ダブルで」
俺がそう言うと、すぐ横でマーガレットが白い目で俺を見てから「フレッシュなジュースを適当に」と注文した。仕事中は飲まない、という古い価値観の持ち主らしい。
しばらく二人で無言で席についていたが、飲み物はそれほど待たずにやってきた。
真っ青な酒の入ったグラスを掲げて乾杯の動作をしてやったが、マーガレットは完全に無視した。
一人で持ち上げたグラスを口元へ運び、一口味わうと少し気持ちが楽になる。アルコールは特別に好きではないし船にも積んでいないが、たまに飲むと美味さがよくわかる。マーガレットもいつかその趣味がわかるか、どうか。警官をやっている限りはわからないのかもな、と思ったりした。
少し酒を飲んでいるうちに、カウンターの上に小さな皿が差し出された。
乗っているのは小さな白い立方体で、一見すると角砂糖に見える。
だがこれは角砂糖ではない。
え……、と隣でマーガレットが絶句しているが、誰も他には動揺していない。
どうも、と俺は礼を言って白い塊を口に放り込んだ。
首筋から頭の先へ電流が走ったかと思うと、今度はそれが手足の先へ突き抜けていく。細く吐いた息は震えている。椅子から滑り落ちないように注意しながら、姿勢を取り直した。四肢にかすかな痙攣があり、力が入りづらい。
「ちょ、ちょっと!」
マーガレットが俺の腕を掴んでくるが、びっくりしたように手を離す。俺の腕が弛緩しすぎていて驚いたのだろう。
「大丈夫だ……」俺の声は掠れている。「これで良いんだ……」
マーガレットはカウンターの中の男性を見て、次に他の客を見たが、誰も気にしていないようで平然としているのに恐怖のようなものを感じたようだ。
俺は体から痺れが抜けるのを感じて、カウンターに置いていたグラスを手にして液体を煽った。アルコールが今までとは少し違った感覚を喉に残す。
「ちょっと、あなた、これは……」
小声で、マーガレットが囁いてくるのに、俺は軽く頷く。
「これは高純度の「ソルト」だよ」
俺の言葉で確信したのだろう、マーガレットの目尻がつり上がった。
「麻薬中毒者だったとは!」
「中毒者じゃない。たまに使うだけだ。少量の「ソルト」は体調の維持に効果がある」
「エセ医者の出鱈目だわ」
「やってみればわかる」
嫌悪感そのものの顔に、俺は指摘してやる。
「眠れていないだろう。誤魔化しのようなものだが、気力は戻る」
ハッとした顔に変わったマーガレットを一瞥して俺はもう一口、青い酒を飲んだ。
マーガレットが置かれている状況はわかる。エクスで漂流した後遺症のようなものだ。時間をかけて治療を受ければ完治するだろうが、即座に体調が戻ることはない。
「あなた、気づいていたの……? 私が眠れていないこと……」
「俺は満足に眠れる時なんてずっと無いんでね、「ソルト」の手助けが必要なんだ」
「そんな……」
俺の言葉にマーガレットは何か言い返そうとしたようだが、言葉は口から出なかった。彼女の手はグラスを掴むでもなく、微かに震えながらカウンターに置かれていた。
「初めてのお客さんなのかな」
不意な声にそちらを見ると、カウンターにいる男性客が俺とマーガレットを見ていた。店内は照明が暗く設定されているので、表情をはっきりと読むのは難しい。しかし口調には明るいものがある。
マーガレットが俺の顔を見るので、彼女の癖を真似て肩をすくめてやった。
(続く)
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