第7話 取引≠駆け引き
◆
惑星「ホプリア」まで九時間、と計器には表示されている。
ここまで二時間と少し、ひたすら沈黙に耐えてきたが、さすがの私も忍耐力の限界だった。それを言ったら隣の席にいる男、ダカール・ブリッジスの忍耐力は尋常ではないと言える。
彼は隣の席に私を座らせたまま、この二時間の間、一言もしゃべらずにじっとシートにもたれているのだ。寝ているようではないが、私のことを全く無視している点では寝ていてもらった方がありがたいかもしれない。寝ているのなら私を無視しているということにはならないからだ。
ともかく、私は沈黙と何も起こらない時間に耐え切れず、口を開いた。
「あの、ブリッジス船長」
すぐに返答がない。やっぱり寝ているのかな、と思った時にやっと返事があった。
「なんだ? トイレは通路を出てすぐのところだ。腹が減ったのならメイが適当なものを出してくれる」
「いえ、トイレでも食事でもなくてですね」
妥当な話題もないが、そうだ、ちょうどいいからどうして私を救助できたか、先に聞いておこう。暇つぶしで質問した形にすれば、改まって切り出す手間も省ける。
「ブリッジス船長は、何故、私を救助できたのですか?」
下手に出てみたが、ダカールは淡々と答えた。
「たまたまそこにいた、という返事で納得するか?」
するわけがない。そんな偶然は人間の一生で一度も起こらない類のものだ。
「いいえ。それじゃあ、ブリッジス船長は警察船を見張っていたのではないですか?」
その理由は不明だが、警察船を見張っていたのなら、私の身に起こったことにも気づけるし、トラブルの後に漂流した私の救出にも即座に動ける。
果たしてダカールは、いや、と答えた。
「警察船を見張っていたわけじゃない。特にこれといって警察に注意する事情はないからな」
そうなのか。てっきりダカールは後ろ黒い仕事をして、警察のパトロールを念入りにかいくぐっているようなイメージを持っていたが、それは勘違いか。
ともかく、警察船を見張っていないのなら、答えはひとつだ。
「所属不明船を追っていたのですね?」
「追っていたわけじゃない。追えると思うか?」
素直に答えてくれればいいのに。追えるから追ってきたんだろうに。
しかし、どこから追ってきたかを考えろ、という意味か。どこから……?
「何もない座標で、船同士が接舷して物資を受け渡したところを見たんですか?」
「そう。偶然だな。漂流するエクスを拾うよりは確率が高いということだ」
嫌味を言うなよ。
「で、ブリッジス船長はその怪しげな船を追跡して、私たちの身に起こったことの一切合財を眺めていたんですか? それで最後に私を救助した? 通報もせずに?」
「あのな」
今までずっと目をつむって喋っていたダカールの瞼が上がり、視線が私に向いた。
「あの場面で無線封鎖しなかったら困ったことになるだろう。正体不明の船を警察船が追いかけて、しかも返り討ちにあったところで俺が通報してみろ。大出力の無線は間違いなく傍受される。俺のそばにいるのは他の警察船ではなく、問題の正体不明の船なんだ。推進剤のことを考えれば放置されただろうが、万が一がある」
「ブリッジス船長は自分が襲撃されることを考えたんですか?」
「誰だって自分の安全を第一に考える。さっさと逃げて我関せずと決め込まなかっただけ、褒めてもらいたいね」
さすがに腹が立ってきたが、彼が逃げ出していれば、私は今も宇宙のどこかを漂流していたかもしれない。彼には逃げ出さないだけの胆力があった、その点は認めざるをえない。
「おかげさまで助かりました」
「言葉での礼はいい。それで、誰を追っていた?」
私はじっと隣の席を見た。ダカールは寝そべった姿勢のまま、首をひねり、こちらを見ている。眼差しは真剣で、何もかもを見透そうとするような色をしている。
「誰って、知りませんよ。それに民間人に教える理由がありません」
「なら、取引しよう」
不意な言葉に、目を瞬いてしまった。
「取引ってなんです?」
「例の船ともう一回、接触させてやる」
「え……? え? 今、なんて言いました?」
ダカールは視線を天井の方へ向けると、右手にグローブをはめた。そしてそれで空をなぞった。
すると天井に大きく図が表示されたので、私は声が漏れそうになる程驚いた。しかし、よくあるシステムだった。
巨大な図は一目見てμ星系の概略図だとわかる。さらにダカールの手が動くと、第四惑星の「ホプリア」の周囲の図になる。そこには幾つかの線が走っていた。一つはバツ印で途絶え、もう一つは別の線と重なってから一本になっている。もう一本、途中から点線になっている線がある。その線は「ホプリア」方面に向かっている。
「バツになっているのはそちらさんの警察船だ。もう後を追っていないが、どこかを漂流しているか、仲間に救助されているだろう。重なっている線の片方はそちらのエクスと、この船だ」
少しずつ分ってきた。この図はここ一日くらいの周囲宙域での船の動きか。
では、「ホプリア」方面へ向かっている線は、途中で点線になっているということは……。
「「ホプリア」方面への線は、例の所属不明船の予想航路?」
「漂流するエクスを回収したこともあって、正確には追えていないがね。おおよその進路は把握している。うまくやれば追いつけるかもしれない」
思わずシートから起き上がろうとして、締めたままのベルトに引っかかった。勝手に咳き込む私に白けた目を向けてくるブリッジスに構わず、言葉が口をついていた。
「追えるなら最初からそう言ってください! 逃すわけにはいきません!」
「どうかな。かなりの強敵だと思うが」
ぐっと変な音が漏れてしまった。返す言葉がない。
しかし警官には警官のやり方がある。
「別にエクスの性能比べをする必要はありません。ステーションにでも降りているところを逮捕すればいいんです。船だってどこかの格納庫にあるはずですし」
「そんな迂闊なことをすると思うか?」
指摘に一言も返せないが、誰だって下手を打つときがある。それはダカールが私を助ける確率よりは高い気がする。
「と、ともかく……、ブリッジス船長、この予想進路に沿ってこの船、えっと、「ミリオン号」を飛ばしてください!」
「なら取引だ」
う、と言葉に詰まっても、今の私はもう心は決まっていた。
相手は人間だ。悪魔ではない。そこまであくどい事を言わないだろう。それにさっき、誰を追っているか教えろと言っていたじゃないか。それくらいの情報のやり取りは、こっそりやっても大丈夫だろう。書類には残せないけれど、重大な展開になるとも思えない。
「所属不明船を追うのと引き換えに、私たちが追っていた所属不明船に関する情報を提供すればいいのですか? 警察船にはいろんなデータが採取されていたと思いますけど、私のエクスには大した情報はないんですが……」
「いや、気が変わった。別のことを教えてくれ」
……今、私が勝手にしゃべるのを待っていなかったか? これも駆け引きのうちだろうか。私がせっかちなだけなのか、冷静さを失っているのかは微妙なところだ。
こっそりと深呼吸してから、確認してみた。ここに至って、自分が失敗したような気がしてきたが、後には引けない。
「私は何をすればいいのですか?」
「アルクに関する情報を教えてくれ」
問いかけの内容を理解しても、すぐには記憶と言葉の示すところが結びつかなかった。
「アルクって……、あのアルクですか? 「ソルト」の密売で有名な?」
「そうだ。「ソルト」の密売人で、運び屋で、ついでに言うと武闘派でもある。なんでもござれの悪党のアルクだ」
はあ、としか言えなかった。どうしてその名前が今、出てきたのかすぐにわからないからだ。ダカールがアルクを追っているのだろうか。そのために警察の情報を欲しがっている? ありそうなことだが、私に向ける問いかけではない。そもそも私がアルクについて知っているなどと、どうしてダカールは考えたんだ……?
どう答えるかを考えながら、ダカールの発想を考えているうちに、ピンときた。
連想が働いてしまえば、簡単なことだ。
「あの所属不明船がアルクの船だって、そうブリッジス船長は言いたいんですか? 警察船を撃破して、私を落としたのがアルクだと?」
かもな、と答えた時のダカールはとても冗談を言っているようには見えなかった。
しかし、まさか……!
「ありえないですよ。アルクがμ星系にいるっていう噂はありましたけど、私たちがあの船に接触したのは偶然です。星系警察の警戒は厳重でしたけど、機動隊はアルクの捕捉のために動いたわけではなくて、通常のパトロール体制でした。アルクがそんな状態の機動隊に捕捉されるなんて、そんな迂闊な……」
そこまで言って、さっきの自分の発想を思い出していた。
悪党が船を降りたところで警官と遭遇するような迂闊なことはかなりな低確率だが、通常配置の機動隊がアルクを偶然に発見する確率は、どれくらいだろう。
どんな悪党も迂闊な行動を取る時がある。
ならアルクにもそんな時があってもおかしくない。
「ま、何も知らないなら、それでいい」
さっと手を振ってダカールが天井の表示を消した。室内が薄暗くなり、その中でもうダカールは私を見ずに目を閉じていた。言葉だけがその口から漏れる。
「別の何かを対価としてもらおう。まずは、「ホプリア」に向かう」
「え? ちょっと、私、今いろいろと喋りましたよね?」
「勝手に喋っただけだろう。信頼関係を作るためのちょっとしたおまけとでもしておいてくれ」
な、何ぃ?
詰め寄ろうかと思ったが、ダカールの寝たふりがあまりに堂に入っているので、何もできなかった。
少し落ち着こう、と自分に言い聞かせながら私も目を閉じた。
かすかな光が錯覚される瞼の裏の暗闇の中で、これからについて考える。
所属不明船を追って、発見したら星系警察に通報する。場合によっては監視して、どこかへ向かうようなら追跡する。
どこまでできるだろう。もしステーションかどこかで接触できなくなって、相手が逃げてしまったら困る。追うために船をどこかで雇う? 民間船を? ありえない。エクスで追うことも短距離ならできるけど、宇宙船の推力とエクスの推力では比較にならない。正確に言えば、推進剤の量に差がありすぎるのと、乗員の安全性が違う。
このまま、この船を使えるだろうか。
そんなことを思って瞼を開いて隣のシートを見るが、ダカールは目を閉じてじっとしている。寝てはいない、と思うけど、声をかけられる雰囲気でもない。
ま、今のところ「ホプリア」へ向かっているし、後で考えればいい。着いてみたら全くの空振りということもある。そうだ、所属不明船は途中で進路を変えたかもしれないじゃないか。
なんとなく開き直った気分になり、楽になったように思えた。
少し休もうと目を閉じて、じっとしていると眠気が来た。
初めての場所でよく知らない相手が隣にいるのに、これじゃいけない。
そうは思っても、眠気には抵抗できなかった。知らないうちに疲れ切っていたらしい。
シートの硬さも変な安心感があり、今はありがたい。
気づくと私は眠りに落ちていた。
夢の中で私は宇宙空間を漂っていた。パイロットスーツを着ているだけでだ。
最初は何も感じなかったが、不安感がこみ上げてきて、手足をばたつかせても何の感触もなく、声が出た。
その声で目が覚めた。いつの間にか汗をかいていて、パイロットスーツの中が不快だった。
それよりも、と隣の席を見るがダカールは微動だにしない。私の声に気づかなかったのだろうか。
もう一度、シートに体を預けてみる。
目を閉じても、さっきまでとはまるで違う。
もう眠気はやってきそうになかった。
(続く)
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