第6話 交差点

     ◆


 エアロックの前で俺はガイドバーに片手を引っ掛けて、与圧が進むのを眺めていた。

 旧式のランプはそろそろ赤の点滅から緑の点灯に変わるだろう。

 これといって懸念はないが、一応、ベルトには無反動拳銃を突っ込んである。相手はほぼ確実に警官だ。問題が起こる前から無線を傍受していたし、回収したエクスも警察のエンブレムが入っていたのだから、これで相手が警官ではなかったら驚きの展開だ。

 相手が警官だとしても、武装しないのは宇宙生活者の流儀に反する、といったところでもある。宇宙ではありとあらゆることが生命に関わる。酸素、水、電気、推進剤、そして宇宙船。場合によっては何もかもが奪い合いの対象になる。

 奪い合いに参加するにせよ、それを収めるにせよ、拳銃は役に立つ。

 ランプの色が緑に変わった。俺はガイドバーを離れて、床に足を下ろした。まだ「ミリオン号」は軌道遷移を始めていないが、船体がゆっくりと回転しているためにかすかな重力が生じている。

 わずかに空気が流れた後、円形のハッチが自動で開いた。

 そこからゆっくりとした歩調で進み出てきたのは、予想以上に小柄な人物だ。エクス同士を接触させて通信した時、声からして女性だと思っていたが、そこは予想通りだ。

 何かこちらから言うべきかな、と思ったが、黙っていることにした。どうせ喋らないわけにいかないのだ。相手から何か言うだろう。

 μ星系警察機動隊のエンブレムの入ったパイロットスーツの女は、しばらく斜めに立ったまま動かなかった。ヘルメットの奥の顔は見えないが、眼光の鋭さが錯覚される気がする。

 眼光程度で威圧される俺でもないが、さりげなく彼女の武装をチェックした。ベルトに無反動拳銃がある。警察の支給品だ。さほどの脅威ではない、としておこう。

 やっと目の前に女がヘルメットとスーツの合わせ目、首の辺りに手をやって、すぐにヘルメットを外した。

「助けていただき、感謝します」

 言葉も刺々しければ、眼光も射殺さんばかりだ。

 ただ、俺は別のことを考えていた。

 女の瞳の色、肌の色はかなり珍しいように見えた。肌が抜けるように白い、白すぎるほど白いのは宇宙生活者に起こりうることだとしても、銀色の瞳は特殊だ。

「エルフィン星系人は久し振りに見る」

 思わず言葉にすると、女の目元の険が二割増しになった。

「どこ星系の人間でも、今はμ星系警察です」

「違いない。元気そうだから、負傷はしていないらしいな。それともやせ我慢しているかな」

「お陰様で、怪我らしい怪我はありません」

 どうもこのお嬢さんは真剣に腹を立てているらしい。

 ちょっと嫌がらせをしすぎたか。

「あまりくつろぐ場所もないが、俺はこれから「ホプリア」方面に向かう。そこで降りたければ降りてくれ」

 女はちょっとだけ表情をやわらげたか、まだ険しい顔つきだ。

「ここから「ホプリア」までどれくらいですか? 先に通信機をお借りしたいのですが、可能ですか?」

「「ホプリア」までは巡航速度で半日だな。通信機は悪いが遠慮してもらおう。「ホプリア」に着けば星系警察のどこへでも連絡は取れる」

 また女の目つきが鋭くなった。小柄なくせに、気迫だけはある。

「もしかしてあなた、犯罪者? 宇宙海賊?」

「こんなボロ船の宇宙海賊はいないだろうな。連中は意外に羽振りがいい」

 かもね、と女は肩をすくめるような動作をして、どうやら俺の事情に深入りするのはやめたようだ。ここで俺を説得して通信機を借りたとして、星系警察の船を呼び寄せるのは合理的じゃない。惑星「ホプリア」のどこかへたどり着けば警察船はすぐに手配できるのだから、その方がシンプルというものだ。

「改めて、助けていただいて感謝します。私は、マーガレット・カリア巡査長です。あなたは?」

 女、マーガレットはそんなことを言いながら、握手をしようと手を差し出したりはしない。むしろ、彼女の視線の動きを観察すると、俺の腰の拳銃を気にしているようだ。俺はといえば、当然、彼女の手が拳銃に向かわないようにやっぱり注意している。

「俺は、ダカール・ブリッジス。職業は、何でも屋のようなものだ」

「何でも屋ね。遭難者の救助も仕事のうち?」

「かもな」

 またマーガレットは睨み付けてくるが、俺は正面から受け止めつつ、表情を崩してはぐらかしてやった。彼女も素人ではないのだから、俺が都合よく彼女を救助したのは都合が良すぎる、と思っているはずだ。俺が彼女の思考を予想するのも前提に、俺が何をどこまで知っているのか、喋らせようとしている眼差し、ということだが、そう簡単に腹の中は見せない。

「いいでしょう」マーガレットがまた肩をすくめるような動作をした。癖なのかもしれない。

「とにかく、「ホプリア」まで連れて行ってください。謝礼はその時に」

「オーケイ。リビングはないんでね、操縦室にシートがあるからそこで寛いでくれ。こっちだ」

 ちょっとだけ彼女の目の光が変わった。たまにこの船に客を乗せるが、俺がリビングルームがないということを伝えると、みんな似たような顔をする。リビングがないなど信じられない、という価値観は、人類の大概が共有している価値観と言える。

 案の定、彼女は俺の想像通りの言葉を口にした。

「リビングルームがない? 不躾な質問ですが、あなたはどこで生活しているのですか?」

「操縦室だよ。意外に快適だ」

「他の乗組員の方がいるでしょう。その方はどちらで?」

「俺以外に乗組員はいない」

 いよいよ銀色の瞳には疑念の色が濃くなっている。

「他に乗組員がいない?」

「そうだよ。人工知能が操船と機能維持を受け持っている。だから俺しかいない」

 信じられない、という顔になったマーガレットだが、言葉にはしなかった。なんとか堪えた、というところだろう。俺もこの話は時折、誰かにしなくてはいけないが大抵の相手は笑いながら確認するか、不審げな顔で黙るかする。

 そういう意味では、マーガレットは結構、お上品だ。感情をそのままに言葉にしたり、態度に見せたりしない。

「わかりました。短い間ですが、よろしくお願いします、ブリッジス船長」

「船長と呼べるほどの船じゃないがね。操縦室はこちらだ」

 俺は彼女に背中を向けて、通路を進み始めた。小さな足音がついてくる。もう彼女は拳銃を抜かないだろうが、俺は振り返る前に視線をエアロックのすぐそばにあるカメラに向けてメイに合図していた。

 マーガレットを見張っとけ、という視線の意味を了解したのだろう、エアロックのハッチにあるランプが緑に二度、点滅したのを確認している。このランプはマーガレットからは完全に視界の外にあったので、見えていないのは確実だ。

 いつでも反応できるように進んだが、マーガレットは不審な行動を取らなかったようだ。二人で操縦室に入る。片付ける以前にものが少なので、殺風景である。俺にとっては居心地の良い環境だが、それもやはり一般的な価値観とは齟齬があるとも理解している。

「副操縦士の席を使ってくれ。メイ、お客さんだぞ」

 マーガレットに声をかけてからメイに呼びかけると、操縦室にかすかなノイズが流れた。その次には軋むような雑音混じりの人工音声が続く。

『マーガレット・カリア様。ようこそ、「ミリオン号」へ。私は船を預かるメイと申します』

「よろしく、メイ。船長同様に、個性的ね」

 そうでしょうか、とメイはすっとぼけている。

 このシチュエーションで人工知能の冗談に微笑んでいるマーガレットはなかなか肝が太そうだ。

 それは脇に置いておいて、まずは「ホプリア」へ向かわないといけない。

「メイ、軌道遷移に必要な計算は終了しているかな」

『もちろんです。マーガレット様のエクスの固定も完了していますし、それによる質量の変化に対する補正計算も完了しています』

「オーケー、バディ。じゃ、マーガレットさん、シートについてくれ。加速を始めるぞ」

 はい、と返事の後、彼女は素直に副操縦士席に腰掛けてベルトを調整している。俺は操縦士シートに落ち着いて、すぐにベルトを締めた。

「準備は?」

「いつでもどうぞ」

「じゃ、行くとしよう。メイ、出発だ」

 了解です、ブリッジス船長、とメイが答える。くだらない冗句だがマーガレットには理解できるわけもないし、俺も笑わなかったので少しだけ白けた空気になった。

 その空気を振り払うように、コンソールの表示が勝手に切り替わった途端、軽く体がシートに押し付けられた。船の加速が体感できる。

 俺の視線は「ミリオン号」の周囲の概観図に向いていた。船は「ホプリア」へ向かって緩やかな弧を描いて落ちていく。位置的に「ホプリア」が公転軌道に沿ってこちらへ近づいてくるので、少しは推進剤を節約できる。

 その推進剤の残量をチェックするが、一目見ただけでは「ホプリア」に着いた時の残量はきわどそうだ。それでもメイがすでに概算を終えているだろう。不規則な事態も想定して。

 俺はシートを少し倒し、体から力を抜いた。

 マーガレットは何も言わない。静かだが、やや気まずいか。

『何か音楽か海賊放送でも流しましょうか?』

 不意にメイが声をかけてくるが、俺は身振りでそれを拒否して目を閉じた。マーガレットはじっとしているようだ。

 さて、このお上品な警官の口を軽くさせるには、何が必要だろうか。

 とりあえずは、彼女のエクスを破壊した相手について、喋ってもらわなくては。



(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る