第5話 状況回復

      ◆


 グッ! と胸が圧迫されて嘔吐の気配に目が覚めた。

 しかし目眩が酷いし、頭痛がする。嘔吐しそうになるのを必死でこらえた理由はなんだったか。本能的にまずいと思ったからかもしれない。

 何故、本能はそんなことを訴えてくるのか。

 私が星系警察の機動隊の一員で、エクスに乗っていることが多いからだ。

 記憶がなかなか繋がらないし、視野がぼやけすぎていて何も輪郭がはっきりしない。ただ、無重力に近い状態で体に負担がないのはわかる。ベルトをきつく締めているので漂ったりはしない。

 なら、何で私はふわふわしているのかが問題だ。いや、気分が、ではなく、身体がだ。

 何があったのだろう。目を擦ろうとして操縦桿から手を離した時、指に痺れるような痛みが走った。

 エクスは人間を模して作られているけれど、その中でも指の造形はある種の芸術だ。大抵のモデルが左右の手に五指を再現していて、しかもその中で一本の指はさらに五本に分割することができる。

 この指がかなり細かな作業を実現するのだが、問題がある。

 操縦士は機械の指を操るために、操縦桿を握るときに、十本の指をリング状の装置に通すのだ。このリングが操縦士の繊細な指の動きをエクスの指へ反映させる。

 悪くない操作システムに思えるが、この十個のリングが指を固定してしまうのが問題だ。

 仮にエクスが不規則な、そして強烈な衝撃などを不意打ちで受けると、操縦士はコクピットの中で翻弄されることになる。安全装置は組み込まれているが、全くの安全などありえない。

 というわけで、リングに指を通したままで体がでたらめに動くとどうなるか。

 指を痛める。それどころか、場合によっては指が切断されてしまう。

 メーカーは改善を図っているようだが、現実にはなっていない。

 私は操縦桿から離したばかりの指をグローブ越しにさすった。大丈夫だ。ちゃんとくっついているし、冷静になればさほど痛まない。

 今度こそ目元を擦ろうとしたが、ヘルメットが邪魔をした。くそ。

 いや、もう視野ははっきりしている。コクピット内は最低限の明かりしか灯っていない。システムはダウンしているようだ。

 そのことを理解した時、やっと来るべき不安がやってきた。

 私はたった今も宇宙空間を明後日の方向へすっ飛んでいるのか?

 ありえない。体感的にありえないとわかる。私の乗っているエクスは静止しているようだ。それはそれで自然に起こることではないからありえないことだが、もしかしたら誰かが救助してくれたのかもしれない。

 よし、冷静になってきた。システムを再起動しよう。

 指先でコンソールに差し込まれたままのキーを押し込んでやる。もしこれが大昔の自動車ならエンジンの始動で車体が震えたかもしれないが、エクスにはそんなことは起こらない。

 何も起こらなかった。

 もう一度、キーを押し込む。

 目の前で何かが瞬いた。メインスクリーンが瞬いたようだ。じっと見つめると、かすかにノイズのような小さな光が瞬く。次に何か起こるかと期待したけれど、何も起こらない。

 手元のパネルに視線を移動させても起動していない。電気系統が死んでいるようではない。演算装置がクラッシュしたのかもしれない。

 やれやれ、と言いたいところだけど、嘆いている暇はない。

 非常事態の手段に移ろう。

 シートに体を固定していたベルトを外し、少し深呼吸してから、シートから離れて身を乗り出してメインパネルの下に手を伸ばす。外装パネルは簡単に外れる。電子回路が見えるようになったけれど、回路とそれに付随する部品の大半はどうしようもない。

 それでも、こういう時に備えて大昔からの伝統で存在する有線の導線が何本かある。

 訓練を思い出して、導線を何本か引き抜き、それはとりあえずは待機させて、電子回路の奥に隠されている別の導線を引っ張り出す。その導線と、待機させていた導線を触れ合わせる。

 小さな火花が散った。どうやらコクピットには酸素があるらしい。かといってヘルメットを外す気にはなれない。

 導線同士の接触でシステムが再起動しなければどうなるか、と少し考えたが、それは杞憂だった。

 メインスクリーンに複雑な模様が一瞬、浮かび上がったかと思うと、次には「再起動中」の表示が出た。

 ただ、すぐに「メインセンサー反応なし」という表示と「推進剤残量微量」の赤い警告が出た。酸素残量に関する表示が出なかっただけ、良しとしよう。

 シートへずり上がるようにして戻り、メインパネルの下はそのままに手元にコンソールを引っ張り出して、まずはメインセンサーは無視するように入力した。人工知能がセーフモードで起動しているようで、人間らしい返答はないが、機械らしく「メインセンサーをカット」と返事があった。メインスクリーンのメインセンサーに関する表示も消える。

 さらに確認していくと、推進剤はほとんどなく、もう自力での航行は不可能だと思うしかない。ついでに通信装置も反応がない。遠距離、近距離、どちらもダメだ。救難ビーコンさえ破壊されているようだった。

 生存は絶望的、だろうか。

 その時、やっとシステムの再起動が終わった。

 メインスクリーンが復旧する。サブカメラの映像が合成されて表示された。

「えっ!」

 思わず声が漏れてしまったのは、メインスクリーンに明らかな人工物がいっぱいに映ったからだ。

 人工物、というより、エクスだった。

 ただ、なんというか、だいぶ古びている。モデルも古いが、装甲パネルは最低限なのに傷だらけで塗装もところどころ剥げている。

 ただ、そのエクスが私のエクスに組み付いていて、それが意味するところは。

 私を助けてくれたのか!

 通信できないのがまどろっこしい。直接に機体同士が触れているから、接触通信ならできるかもしれない。

 滅多に使うことがないので、コンソールに入力していくのに手間取ってしまった。

 唐突に音声が耳元で響いた。

『へい、聞こえるか? システムが復旧したようだが』

 男性の声だが、ノイズが酷い。何重にもフィルターがかかったようにぼやけても聞こえる。

 しかし、自分を助けてくれた相手だ。

「聞こえます。あの、ご迷惑をおかけしてすみません。こちら、μ星系警察機動隊です」

『俺の目が見えていないと思っているのか? 機体にエンブレムがあるから分かっている』

 向こうはムッとしたようだが、私もムッとしていた。エンブレムを見れば分かる、ね。それはそうでしょうよ。丁寧に名乗っただけじゃないか。

「では、私をどこか、警察とランデブー可能な領域へ曳航していただけますか? 推進剤がないようなので」

『推進剤がないのは知っている。ついでに言うとそれはこちらも同じだ。誰かさんを助けるために推進剤が必要だった』

 さすがに私も相手の人格に疑いを持ち始めた。なんでこんなに攻撃的なんだ? 警察に何か恨みがあるのだろうか。前に検挙されて罰金を払わされたとか。

 そのことは、今は考えないでおこう。

「では、一緒にどこかのステーションに同行させてください。星系警察から謝礼をお支払いします」

『それは当たり前だ。とにかく、こちらのフォローシップへ引っ張るからじっとしていてくれ。出来れば全関節をロックして欲しい。出来るか?』

 基礎の基礎じゃないか。

「わかりました」

 こうなっては警官としての愛想など無意味だと思い、わざと素っ気無く答えたが、返事はなかった。向こうも怒ったのだろうか。しかし自業自得だ。

 私はコンソールを操作して、いくつかの設定を操作することでエクスの全部の関節を言われた通りに固定した。気を利かせて現状の位置でロックさせたけれど、ありがとうの一言もなかった。

 そして合図もなしに不意に機体に衝撃が伝わってきた。

 私を確保したエクスが推進剤で向きを変えようとしている。私はコンソールをさらに操作して、サブカメラを切り替えて周囲の状況をチェックした。

 遠くに恒星μが見える。そして惑星「ホプリア」も見える。こちらはかなり近いと言える。

 そして、一隻のフォローシップが近づいてくるのが見えた。

 私の生殺与奪の権を握っているエクス同様、かなりボロボロの老朽船だ。ついでに小さいモデルだ。コンテナを開放しているようだけど、二機のエクスをすっぽり入れるのは無理なのではないか。

 そのことを確認しようとした時、また通信が入った。

『お客さんのエクスを入れる場所がない。ステーションまでは曳航するが、船には外から入ってくれ』

「外?」

『エアロックから、ということだ』

 この無礼な男は自分の機体はコンテナに入れ、自分はコンテナから船内に入ると言っているのだ。私のエクスは外に括り付けられて、私は宇宙遊泳でエアロックから入れと。

『機動隊なんだ、船外活動の経験も十分だろう』

 ええ、とだけ答えてやったが、返事は「オーケー」だけだった。こちらの嫌味が全く通じていない。

 そんなやり取りをしている間にも、フォローシップはぐんぐん近づいてきて、ロボットアームを伸ばしてくる。

 どうやら宇宙をどこまでも漂流して餓死する、という最悪な死に方は免れたようだ。

 不服ではあるが、私を救ったエクスの操縦士には頭を下げなくてはなるまい。

 いったい、どんな奴だろう?



(続く)

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