第3話 トラブル
◆
『……ット! マ……ット!』
声が聞こえる。
なんでこんなに遠いのだろう。
私は何をしていた? 仕事中で、エクスに乗っていて……。
そう、長時間の緊張を回避するための鎮静作用のある薬を投与して。
そこまで考えて全てを思い出した。
一瞬で目が覚めると、エクスの操縦席のメインスクリーンには赤い警告表示が一つ出ている。母船からの緊急通信のそれだ。
自分が今、どこにいるのかを確認しながら、通信をオンにする。
「こちらマーガレット、スワン1です。グレイシーさん?」
『何をしていた! 呼び出しが聞こえなかったのか!』
すみません、と答えた時には、私は事態をおおよそ把握していた。
私の乗るエクスはまだ所属不明船、αに接触するには時間がある。しかしαは私が知っている速度よりだいぶ減速していて、予定接触時間は想定よりすぐだ。
一方で、警察船「グレース号」には異変が起きていた。
速度が明らかに出ていないし、予定航路を逸脱しつつある。
その理由は、私のエクスと「グレース号」のデータリンクを活用すればハッキリした。
推進剤が異常な速度で減っている。普通の事故ではありえない。
「攻撃を受けているんですか? でも、どこから?」
『αからに決まっているだろう! 気づいた時には相対距離がなさすぎた』
血の気が引く音が聞こえた気がした。
「グレイシーさん、逃げてください」
『逃げようとしているさ。推進剤が少なすぎるが、しかし、相手は執拗だ。こちらを落とすかもしれない』
そんな……。
「私、そちらに戻ります!」
『こちらはこちらで救難信号を出した。離れていたほうがいい。αの追跡も中止だ。安全な場所で、事態を観察して記録したら、後続へ伝えるんだ』
どうともいえないうちに、スクリーンの表示では「グレース号」の推進剤残量はほぼゼロになった。これで「グレース号」は宇宙空間を彷徨うしかできない。
と、そこでやや不自然な表示がスクリーンに映った。
簡略化された図の上で、「グレース号」が身じろぎするように小さく不規則に動いたのだ。
何が起こったのか、と思った次には「グレース号」が敵性と判定したエクスの反応が高速で「グレース号」を離れ始める。
もちろん、こちらへ向かってくる。
『マーガレット! 離脱しろ! 敵も母艦には帰らなくちゃならないんだ。αから離れ』
グレイシー巡査部長の声は唐突に途絶える。
一瞬、「グレース号」が撃沈されたのかと思った。しかし、もしそんな攻撃力があるのなら推進剤を失わせる行程を踏む訳がない。そのはずだ。
スクリーンの中では「グレース号」との通信は不能になっている。通信装置を破壊されたと考えるしかない。エクスに搭載されているセンサーでは、「グレース号」の座標を精密に調べるのは不可能だった。
わかるのは「グレース号」らしい痕跡が明後日の方向へ進んでいくことと、最後に「グレース号」と共有された情報によってこちらに敵機が向かっていることだ。
逃げるしかない。
私は機体の状態を切り替える。慣性航行状態では、小刻みな軌道変化は不可能だ。
両手の操縦桿を握りなおし、ハンドルに付属のスイッチを順番に押し込んでいく。ぐっと強くペダルを踏むと、機体にかすかな衝撃が走った。シートの位置が微調整され、自動で索敵モードへ切り替わったメインセンサーからの情報がスクリーンに多重に表示される。
エクスが人型なのは、大昔の宇宙飛行士のノウハウをそのまま使えるかららしい。
つまり、手足の延長としてエクスを使えば、無重力空間で活動する要領で巨大なエクスを扱える。
操縦桿とペダルの操作でエクスは両手を広げた上で、推進剤を最低限だけ噴射し、その場でゆっくりと百八十度、方向を転換した。背進するのを推進剤の力で徐々に減速させる。
メインスクリーンに視線を向けるが、「グレース号」の痕跡は見えない。
歯がゆいものを感じながら、退避するべき方向へ向けて推進剤を使ってエクスを飛ばす。
私の方からも救難信号を出したいが、危険だった。敵がすぐそばにいるのにオープン回線の救難信号など出したら、私はここにいますから落としてください、と言っているようなものだ。
私はエクスを飛ばしながら、周囲を索敵し続けた。敵のエクスが気がかりだった。その所在は把握し続けている。目を離していないのだから、当たり前だ。今のところ、私の進路を無視しているように見える。
αはどこにいるだろう?
それを確認した時、私は我が目を疑った。
αは緩慢に航路を変更し、今では私を敵性エクスと挟むような位置に進出しつつある。
つまり。
私が答えを出す前に、変化が起こった。
敵性エクスが急加速し、こちらへ向かってくる。母船であるフォローシップの位置を工夫して、少ない推進剤で私に接触する航路をとったのだ。
まずい。極めてまずい。
私は即座に進路を決定して、推進剤を吹かす。シートに少し体が押さえつけられるが、息がつまるほどではない。
スクリーンの表示を凝視する。αは遷移を継続。まだ私をエクスとはさみ込む位置取りを狙い続けている。
どうして私をそこまで追いかけるのか。
ここで逆に反転したらどうなるか。いや、どうもならないか。αが減速すればいいだけのことだ。
狩る側だったはずの自分が一転、狩られる側になった恐怖は言葉にできない。
敵性エクスがそろそろ光学カメラで捕捉できるはずだ。
私を機体をひねるようにして確認した。
「わっ!」
思わず声が漏れてしまう。
あまりにも近いし、想定以上の高速でこちらへ突っ込んでくる。どうやら敵は推進剤の出し惜しみはしないようだ。
選択肢は二つあった。私も推進剤を限界まで使って加速すること。もう一つは、速度を合わせて反撃すること。
見たところ、相手のエクスは重装備ではないどころか、ネイルと呼ばれる実体弾の発射装置しか装備していない。一方こちらは重装備だ。ネイルはもちろん、広範囲を攻撃できる破砕弾もあるし、小型のレーザー銃さえ装備している。一機のエクスを相手にするには強力すぎる。
少し脅せば、相手も私を見逃すかもしれない。
そうは思ったものの、操縦桿を握る両手のグローブの中は、じっとりと汗で湿っている。
逃げた方がいいのではないか。
死ぬかもしれない。
逃げるべきだ。
でも、「グレース号」の二人は? ミューツェルン警部補とグレイシー巡査部長のことはどうすればいい?
私は二人を見殺しにした?
刹那の間に様々な感情が心の中で暴れて、答えに辿り着けないうちに、敵性エクスは迫ってきている。
あまりにも濃密な思考は、ある一線を越えると破裂したように意味を持たなくなった。
私の両手で操縦桿を操り、レーザー銃を敵性エクスに照準していた。電子兵装のサポート機能で照準は完璧であり、レーザー銃はその性質上、発砲と同時に命中する。
照準は操縦席を外して、まずは脚部。一般的なエクス同様、そこに推進剤タンクが増設されているのは光学映像で見て確認済みだ。
思考は回復せず、ただ本能のままに私は引き金を引いた。
メインスクリーンに一瞬、閃光が走る。一秒にも満たない照射だが、それでもレーザー銃はフォローシップの外装を抜くこともできる。
だから、敵性エクスは脚を吹き飛ばされ。
ていなかった。
目の前に健在であり、接近してくる。
何故? 当たらなかった? ありえない! レーザーは光速で向かってくるんだぞ。
私はもう一度照準し、引き金を引く。
今度ははっきり見えた。私が照準するのとほぼ同時に、敵性エクスは不規則な運動をして照準を外している。
機械のロックオンは絶対と思われがちだが、レーザー銃の場合は絶対ではないのだ。
まず有効な範囲が極端に狭い。私の機体が装備しているレーザー銃の口径はほんの数センチしかない。それでも超高熱で着弾すれば大概のものは破壊できるが、効果範囲は狭い。
さらに、レーザー銃は基本的にほぼ一直線にしか飛ばない。なのでロックオンが機能しても、タイミングさえ合わせられれば照射点を変更するのが間に合わない。
うわあ、と誰かが声をあげていた。
私だった。
レーザー銃の引き金を引き続けるが、敵性エクスは、何もかもを見通しているように、最小限の動作で回避していく。
レーザー銃じゃダメだ。破砕弾!
もう一方の手に装備していた発射管から、小型のミサイルが射出され、目の前で爆散する。
破砕弾は弾頭の中に数百の小型の正八面体を内蔵している。その子機が一帯を面で制圧する兵器である。これは相対速度があればあるほど、威力が強くなる。今なら敵性エクスの加速が大きければ大きいほど、ダメージを負う仕組みだ。
私は戦果を確認した。
敵性エクスがズタズタになるはずだった。
何がが放り出されれなければ。
何だ? と思った時には、それは分離された推進剤タンクだとわかり、そのタンクを遮蔽にして、陰に入ることで敵性エクスは破砕弾の攻撃をいともたやすく無効化した。
実際に目撃する人間からすれば、奇跡というより、悪夢だった。
あのエクスに乗っているのは本当に人間か?
ついに敵性エクスが私を間合いに収めるときがきた。
警報が鳴り響いている。
私はどうすればいいのか、考えられないまま、こちらに向けられるネイル発射装置を見ていた。
ただ、その漆黒の銃口だけを見ていた。
(続く)
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