第2話 後輩との共闘~俺様自販機の日常~
大抵人は吹く風の冷たさや日差しの高さ、木々の色の移り変わりで季節を感じるらしいが、俺は違う。体の中に入れられた飲料の「つめたーい」か、「あったかーい」の配分の比で旬を先取りしている。
「あったかーい」飲料が増え始めたこの日から、こいつとの闘いはすでに始まっている。
こいつとは隣に居座る紙コップ型飲料の自動販売機のことだ。飲み物の糖度から、濃さ、ミルクの量まで変えられて、出来上がりのときには自動的に扉が開く。お客様、お待たせいたしました、といった立ち居振舞いが好感度を上げている。
俺はというと客が頭を下げて商品を取るわけだから確かに接客という意味では奴に劣る。でもお前にペットボトルや缶は売れないだろう、そう考えて奮起する。缶コーヒーなんて寒い日にはカイロの代わりだ。手だけじゃなくて懐だって暖めることができるし、温度が下がったときは激しく振ってみてほしい。もう一度缶がほんのり温かくなる。ペットボトルなんて蓋があるからしばらくしても飲めるし、持ち運びにも便利だ。と思ったら隣で最近ちゃっかりプラスチックの蓋を用意してやがる。こいつ、なかなかやるな…。
そんなこんなで俺がほぼ一方的に隣をライバル視していたある日、疲れきった様子で事務職の柳瀬がやってきた。柳瀬は俺と同じ一階にいる職員で、眼鏡も分厚く、若干横に大きな体型のため一般的に言ってモテそうにない男だ。俺がそんな男を買っているのは他でもない。この男はけっして隣で飲料を購入しない。俺を専属の販売機と見なしている。ものの良し悪しのよく解る良い男だ。
と、急に大きな溜め息をして目の前の椅子にどっしりと腰を掛けた。相当に疲れが溜まっているものと見える。飲み物を買いもせずに座り込むなんてどうしたのか。いつもは味つきの甘い飲料水か、缶コーヒーを買うなり、そそくさと仕事に戻るというのに。
「柳瀬さん!また新たにコロナ陽性者が。お部屋どうしましょう!明日入居の立花さん延期してもらいます?」
呼ばれて、彼は何も買わないままに席を立った。
なんだか大変なことになりそうだ。
それにしても立花、聞き覚えのある名前だ。
と入れ替わるようにして黒いキャップに、黒の制服の、これまた俺専属のメンテナンス職員がやってくる。
売り上げを確認しては補充。売り上げを集金。それだけのことに思われるが、なかなか売り上げを伸ばすのにはコツがいるらしい。この男が担当になってから、俺の集客力は若干上がっているのだ。
と、隣から
「あの、熱くなるのやめてもらっていいっスか。こっちは初めから競う気とかないんで」
紙コップの二枚目気取り野郎が話し掛けてくる。
「お客さんが俺を選ぶ度に苛つかれても困るんスよね。もとから闘ってる土俵が違うんで」
こいつ、俺に喧嘩を吹っ掛けているのか。
青二才のくせに態度だけは一人前だ。
俺は敢えて無視してメンテナンスの職員を凝視した。
「聞いてるんスか?あーあ、隣がもっと可愛い自販機だったら良かったなー」
うるさい。人のことをどうこう言う前にお前はその日本語を何とかしろ。
心の中だけで叫んで冷静になるため、目の前の青年の作業に集中していると、彼の胸に「立花大夢(たちばなひろむ)」と書かれているのに気付いた。
そうか、こいつの名前も立花だった。だから聞き覚えがあったのか。
と、急に
「あれえ、今は買っちゃ駄目かね」
嗄れた声。背の曲がった年配の男性が俺のほうを覗き見ている。
「ああ、ごめんなさい。今商品を補充しているのでもう少ししたら買えます」
立花が答えている。
「斉田さん、隣の自動販売機で買ったら?」
職員の声かけに
「駄目だよ。隣のは溢しちゃったら困るし、わしはゆっくり飲みたいけ」
頑なに俺を選ぶおじいさんに 隣から舌打ちが聞こえた。
「ねえ、勝負しましょうよ。そっちでしか商品を買わないあの柳瀬とかいうおっさんが、俺から商品買ったら俺の勝ち。俺からしか商品を買わない事務の高森さんがそっちから買ったら、あなたの勝ち。どうです?」
「高森?」
俺は初めて声を発した。
「眼鏡かけたポニーテールの女性ですよ」
確かにそんな社員もいた気はするが。
「そんな無意味な勝負はやめておけ。俺とは闘ってる土俵が違うんだろ」
「何スか、もう負けを認めちゃうんスね」
「馬鹿言うな。それだけ言うならのってやる。ただし俺が買ったらそのふざけたしゃべり方を何とかしろ。性根から叩き直してやる」
「はいはい」
かくして俺は自ら放った「意味のない闘い」を繰り広げるはめとなった。ただし、このサービス高齢者向け住宅で発生したコロナ騒動のおかげで、二人がこちらに寄ることはなく、騒動がおさまるまでこの闘いはお預けとなったのだった。
どうやらこの建物の中の感染症も終息したようで、今日は久しぶりに柳瀬の顔色も良い。
良かったな、良かった、柳瀬。
相手には聞こえないが精一杯の労いの言葉を掛ける。と、後ろから柳瀬の後を小走りで女性職員が追いかけてきた。こちらも眼鏡をかけていて、きりりと髪を結んでいる。
「柳瀬さん、お疲れさまです」
「ああ、お疲れさま」
また、感染症事件じゃないだろうな、とはらはらして見ていると、
「本当高森さんのお陰で助かったよ」
これが例の高森事務員らしい。
「私は何も」
「いや、本当色々と気づいてくれて」
言う柳瀬の顔がほんのり桃色に染まっている。
これは、もしかすると、そういう展開か。
見ているこっちが恥ずかしいから、余所でやってくれ。と思っていると、柳瀬が急に
「何飲む?」
と小銭を出して、あろうことか隣の紙コップ野郎のコイン入れに挿入した。
なぜだ、柳瀬。俺はこれほどお前を買っていたのに、この期に及んで俺を裏切るのか。当然のこと、俺の質問に柳瀬が答えるわけもなく会話は続けられる。
「あのさ、もし良かったら今度の休みに一緒に博物館にでも行かないかな?」
この男にしては精一杯の誘い文句なのだろう。うむ、人生最大のパートナーとして俺を選ばなかったのは許しがたいが、今までご贔屓にしてくれた男だ。応援してやらなくもない。
頑張れ、柳瀬。
「あ、もし、良かったらでいいんだけど。確か生命に関する展示があって、色んな動物の標本も見られるらしいんだ」
何を言っているんだ、柳瀬。デートの相場はお花畑か、遊園地、動物園としたものだろう。標本を見に行く、大丈夫なのか、そのプランは!
ほら見ろ、相手が困っているぞ。今からでも遅くない、動物園と言い直すんだ。
念力を送っていると、隣の女性が唇に手を当てながら、
「博物館なら、私歴史博物館がいいです!」
目をキラキラさせている。
「最近できた私立博物館、昭和のレトロなものがいっぱいあるらしいですよ」
「へえ、それもいいね」
「でしょう?」
彼女はそのまま隣の自販機のミルクティーのボタンを押した。それからすぐに自分の財布から俺にコインを入れて、柳瀬お気に入りの炭酸水を購入する。
二人は互いに購入し合った飲料を両手に持って仲良く事務所へ帰っていく。
残された俺たち自販機はどちらともなく
「良かった」
と呟いた。
「高森さんが幸せになってくれたなら、勝負に負けたのは癪だけど、仕方ないな」
何だ、こいつ。案外良いやつなんじゃないか。
「負けたのは俺だよ。高森さんが遠慮なくそっちでミルクティー買わなかったら、こういう展開にはならなかっただろ」
俺たちの間に見えない絆みたいなものが芽生えた気がする。
「先輩、俺、先輩目指して精進するっス」
「だからお前はその言葉遣いを何とかしろよ」
今日も俺たちの前に列ができる。
そして物語が紡がれていくのだ。
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