自販機つれづれなるままに
世芳らん
第1話 大好きな男性へ~乙女自販機の日常~
待ちに待った日!
今日は大好きなヒロム君が会いに来てくれる。グレーの制服に帽子、私より少し低めの身長の彼。
「お世話になりまーす」
と周りの人間に声を掛けてから目の前へやってくる。
私にも他の人に見せるみたいな笑顔してくれたらいいのに、本当にいじわるなんだから。
ヒロム君は急に黙りこくって私の体に手を掛ける。
いつもこの瞬間がどきどきする。何だか抱き締められてるみたいで…。
彼はおもむろに私の服を引き剥がし始めた、ではなく、扉を開けた。
私の全てをどうぞご覧ください。
体を明け渡すとヒロム君は何やら機械を取り出して出てくるレシートを確認し始める。高齢者向けデイサービス事業所の片隅、陽の当たらない場所でお客様を待つ私にとって、二週間に一回来てくれるヒロム君との時間はとても貴重なのだ。
一般的に周りの人間は私のことを「自販機」と呼び捨てにする。了解もしていないのに本当に馴れ馴れしい。でもヒロム君は私のことをちゃんと「自販機さん」と呼んでくれる。大事にされてるって感じ。だから私はヒロム君のために頑張って接客する。それなのにヒロム君はたまにしかやって来ない。あまりに会いたくてしょうがないときは、時々お客様の釣り銭を返さないといういたずらをする。そうすればヒロム君は呼び出されてここへやって来るのだ。会社の人に頭を下げるのは可哀想だけど、私を寂しがらせるあなたが悪いのよ。
ヒロム君は真剣な表情で作業を進める。一番よく売れているお茶のペットボトルを補充して扉を閉めた。
きっと彼は今新作のブラックコーヒーが飲みたいに違いない。長年ここに立ち、色んな人に見つめられ続けるとその視線から相手の求めているものが分かってしまう。いつもヒロム君はブラックコーヒーをちらりと見つめてから帰るのだ。きっと今シーズンだけの限定だから余計に気になるに違いない。でも彼が私のボタンを押すのは、時々私が体調不良で誤作動を起こしたときの点検のときだけだ。
私は一番あなたの喉を癒したいのに…。
今日も後ろ姿を見送ることしかできない。
そんな私は最近ヒロム君以外に気になる男性ができてしまった。
そいつはこの会社の中でも目立ち過ぎるくらいの赤茶けた髪をしている。そんな出で立ちだから上の人からよく思われているわけはない。いつもふざけたことばかり言ってへらへらしているのが、通りすがり近くまで聞こえてくる。
そのわりに飲む珈琲がいつも甘々のカフェオレなのだ。何だか格好つけてるわりに苦いものが嫌いなんて少し可愛いじゃない。
最初は私も、調子にのっちゃってまだまだお子ちゃまね、なんて思っていたのよ。
ところが急にやつが、黒髪で真面目な顔して現れたからびっくりしちゃた。全くの別人みたいで。
上司に叱られたのかしら、仕方のない男。
でもそうではないらしいことは他の職員のおしゃべりを聞いていてすぐ分かった。
「最近、原田君は変わったね」
とか
「原田君頑張ってるよな」
とか、私が出した飲料を飲みながら皆が語ってる。
あいつのことが気になり出したのはこのときからだったかもしれない。
今までだったら絶対に見かけないような時間に珈琲を一人買っていく。
ある日、その隣に女性が立っていた。
最近時々やってくるきびきびした印象の女性だ。
「奢るよ、何にする?」
「いいです。自分で買いますから」
「普段のお礼も兼ねてるから遠慮なく言ってよ」
まあ、女性が缶コーヒー一つで落とせるとでも思っているのかしら。あながち外れではないけど。
目の前で数多くの出逢いを見てきた私が言うのだから間違いはない。ただしこれは元々相手に感情がある場合に限るだろうけど。
原田君はいつもとは違うボタンを押してブラックコーヒーを購入した。
やだ、見栄を張っている。しかめっ面で珈琲を飲む姿に笑いを噛み殺すのがやっとだ。と、
「だからやめといたほうがいいって言ったじゃないですか!」
と女性が突っ込んだ。
「だいたい微糖もダメで、カフェオレしか飲めないのに」
「たまには格好つけたっていいだろ」
二人して笑っている。
(え、そういう仲なんだ…)
自分しか知らないと思っていた彼の好みを、この女性は知っている。そのことが妙に苦しく感じた。
あとはよく分からない。
二人は仕事の話とかしていたみたいだけど、気持ちがごちゃごちゃしてしまって前をずっと向いていることがつらくてしかたなかった。
それから何とか忘れよう、忘れようとしているところに原田君がやってきた。嫌でも相手が来たら接客しないわけにはいかないのが、この仕事のつらいところだ。人間だったら仕事を辞めてどこか別の場所に移動できるのに。
原田君はこの間とは違って甘々のカフェオレを注文してきた。ところがお金が足りなかったため、ボタンを押しても商品は出てこない。
「え、値上げしてんのか。今日万札しか入ってないのに」
と、おもむろに彼は私を抱き締めてきた。本当に本当よ、私の妄想とかじゃないから!
「あー、疲れたー!」
きゃー、やめてー!これ以上私の心を乱さないでちょうだい。ほら、通りすがりの人が変な目で見てるから、勘違いされたら大変よ!
分かった、分かったから。
私は一つ規則違反を犯してしまった。
「え、出てきた?」
商品の値段を少しばかり負けてあげたのだ。
まったくしょうがない男ね。あんたくらいよ、私に規律を破らせるのは。
原田君は躊躇いがちに取り出し口に手をやったが、悪いと思ったのか、一旦立ち去るとどこから用意してきたのか十円玉をおつりの取り出し口に置いた。
何やってんの、そんなとこ置いたら別の人に取られるだけでしょうとは思ったけど、彼の誠実さの表現なんだな、と受け取っておいた。
「やっぱ仕事、頑張るしかないよな」
独り呟くその目にうっすら涙が溜まっている。
(振られちゃったのかな)
頑張りなさいよ、またいつでもカフェオレ出してあげるから。ただしふざけたことすると、今度は押したボタンの代わりにブラックコーヒーだすわよ!
後ろ姿を見ながら渇をいれる。
疲れたときに一番に会いたい存在なんて、最強でしょう?私きっと世のどんな女性より癒し系よ。
久しぶりにヒロム君がやって来た。
少しだけ違う男性のことを想ってしまったから、何となく心苦しい。いつものように補充を終えると、彼は近くの職員詰所に立ち寄ったらしく、
「今までありがとうございました」
声が聞こえてきた。
(え、どういうこと?担当が変わるとか、仕事やめるとか、そういうこと?)
電源がショートしそうだ、ショックでくらくらする。
すると
「立花です。立花治郎の孫です」
ヒロム君は言った。
「ああ、治郎さんのお孫さんだったんですか!治郎さんが来られなくなるの皆寂しがってたんですよ」
応じる声は原田君のものだ。
「今までよくしていただいて。良い施設が見つかったので、さすがに独り暮らしの年齢でもないだろうって家族で説得して。なかなか首を縦に振らないから困ってたんです。あの家が良いって聞かなくて」
「治郎さんある場面で急に頑固だから」
「そうなんですよ」
二人は笑い合った。
どうやらこのデイサービスの利用者の立花さんの孫がヒロム君ということらしい。好きな男性同士が会話しているのを横目に見て、ほっと胸を撫で下ろしていると、
「あ、でも僕はまだまだ来ますので」
ヒロム君が急にこちらを振り返った。
(!)
「こいつがいるんで。僕が来ないと寂しがっちゃいますからね」
掲げた左手の親指がピンと立っていて、紛れもなくこちらを指し示している。ドキッとして私はうっかりボタンを押されてもないのに飲料を取り落として排出してしまった。
「え!どっか調子悪いのかな」
慌てた様子で取り出し口に手を入れるヒロム君。
その手に握られていたのが、ブラックコーヒーなのか、カフェオレだったのかは内緒の話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます