ソニルの想い

 ソニルは宿泊施設のベッドで眠っていた。

 最初の頃はしきりに苦痛に顔を歪ませていたが、それもケアドの手当により、一命をとりとめることはできた。

 自分の意思を取り戻した結果というべきか、髪の脱色が始まった。

 痛々しさを感じる染められた青は日を経るごとに鳴りを潜めていく。

 しかし、幼少時の若草のような薄緑色の髪には戻らない。日に日に現れる髪色は白く、新雪のような別の輝きを持っていた。


 ケアドはとにかく、ソニルを休ませるために費用に目もくれず適当に探し当てた。

 二階建ての小さな宿泊場所。だが、ソニルが横になれるのならどんな場所だろうと問題はない。

 ただ、怪我人を認めるかどうかは、宿泊先が決めることだが。

 国の現状が功を奏したのか、ソニルが泊まることを快諾してくれたのは、二人にとって幸運だった。


 本来は病院に連れていくべきだった。ケアドも最初は病院を目指していた。しかし、今、病院はすでに満室だった。

 国に侵攻したモンスターとの戦いで疲弊したギルドの人間でごった返しているのだ。

 ソニルも重傷者ということを、ケアドは必死に伝えた。だが、病院は首を横に振って拒否を示すだけだった。

 ギルドの人間でもなく、この国の生まれでもない人間を治療する暇など、この国にはない。少なくとも、今は。

 この状況は、ダエトンを殺すことができたあの戦いから数日間経った今も続いている。


「すまない。こんなことしかできなくて……」


 止血はしたが、ケアドが出来るのはあくまで応急処置のみ。

 怪我を治せるという高度な魔法はおろか、医療知識すら彼は持ち合わせていない。

 後は、アリアのように呪いの力によって回復するのを待つしか彼にはできなかった。


「……大丈夫。ありがとう……私のために……」


 天井を見ていたソニル。彼女はケアドの方向を向いて、控えめに微笑んだ。

 殺人鬼の時に見せた笑顔とは違う、彼女の本来の優しさがにじみ出た笑顔だった。


「ただいまです。ケアド、ソニル」


 買い物から帰ってきたアリアが入ってくる。彼女はいつも通りに笑顔で二人に買い物袋を見せつける。


「今日はちょっと遠出して美味しいパンを買ってきましたよー」


 机にパンを広げて楽しそうにするアリア。

 丁寧にパンを置きながら、各々の感想を述べていく。

 確かにパンの形状はどれも独特で目移りしてしまうものだった。この国の名所を再現しているのか、建物や人物、動植物の形をして食べる者の気持ちに楽しさを与えてくれる。


 ここ一日二日でソニルの傷も回復したのだろう。

 彼女もベッドから起き上がってアリアの感想に反応しながら様々な形に一喜一憂する。

 だが、このままではいけないと、ソニルは感じていた。

 彼女はアリアと離れたいわけではない。一緒に居たい気持ちが強い。

 彼女は迷っていた。何の咎もなくアリアと一緒に居てもいいのか。殺人を犯した身でありながら、幸せになってもいいのか。

 だから、彼女は意を決してアリアに話した。


「ねえ、アリア……」


「ん? 何ですか? このお城のパンが食べたいんですか? それともこっちのうさぎさん?」


「……私ね、教会に行こうと思ってる」


 教会。人々が救いを求めてたどり着く最後の砦。

 どのような罪人であっても話を聞き、神の法に乗っ取り判決を下す。

 通常であれば、兵士やギルドの人間に捕らわれて教会に連れて行かれ、どのような処罰が課せられるのかを聞く。

 ソニルは今日までに自分の罪に対して処罰が下されることがなかった。この国で犯罪を犯していないから、捕まることはない。

 ……が、それをソニルは我慢がならなかった。例え意思なき殺人であっても、ソニルは咎を受けるのは自分でなければならないと考えていた。


「……も、もういいじゃないですか! 今のソニルに人なんて殺せませんよ! だから、罪も無し!! ……そう言うのは、やっぱりズルいですか?」


 アリアは自分で言ってから後悔する。一番辛いソニルが教会に行くと言っているのに、罪滅ぼしを行いたいと言っているのに、当のアリアがそれを否定するのだ。

 親友の頼みも聞けないのか。露骨な嫌悪感がアリアを襲う。


 しかし、アリアの気持ちも十二分に把握していたソニルは怒りの感情もない。

 ただ淡々と事実を言うに至った。


「うん。ズルいと思う。確かにあの私は私じゃなかった。でも……だからと言って、罪は消えないと思う」


「でも、ソニル……」


 自分の身を案じてくれるアリアに対して、ソニルは彼女の頭に手を載せ、優しく撫でた。


「大丈夫。死ぬって決まったわけじゃないよ。だから、安心して」


「そんなの……安心できるわけ……」


 泣きじゃくるアリア。


 成長していても、幼少時と変わらない部分があることを、ソニルは嬉しく思う。

 彼女は、自分に泣きつくアリアに生きる希望を与えることにした。ソニルの想いを、アリアが継いでくれるように。


「ねえアリア。お願いがあるんだ」


「……何です?」


「アリアは先に進んで。私のせいでアリアが立ち止まるなんて……嫌だ」


 この数日間、アリアの口から次の旅について語られることは一切なかった。

 それは、自分を案じてくれているのだとソニルは分かっていた。しかし、彼女はそれが嫌だった。

 確かにアリアとの生活は幸せなものだった。数日間という少ない時間だったが、ソニルはとても満たされた気持ちになっていた。

 だが、それとは逆に自分のせいでアリアが進めないことに嫌悪を抱いていた。

 聞けば、アリアは今までカルホハン帝国の残党を殺しながら呪いについて調べてきたという。

 ソニルにとっても、カルホハン帝国は許されない存在であり、呪いだって関係がある。

 その二つは、これからも様々な人間に関わり、不幸を届けるだろう。それを防ごうと行動しているアリアを、ソニルは感動していた。

 自分とは違って呪いに飲み込まれず、力を使いこなし、目的を持って行動している。

 だからこそ、アリアがその任務を投げ出して自分と一緒にいることが許せなかった。

 何とかアリアを前に進ませたい。その思いがソニルにはある。


「私は教会に行って前に進む。だからアリアも進もう。アリアにしかできないこと、あるはずだから」


「ソニル……」


「私のことが大事だってのは分かったから。だから、次の国に移動して」


 こんなことは言いたくない。

 せっかく会えた親友。もっと居たい。出来れば、命の尽きる時まで共に行動したい。

 だが、それには罪が重すぎる。ソニルはそう考えている。

 せめて教会に行って自分の罪を滅ぼしてからでなければ、彼女と一緒に行動はできない。


「……分かりました」


 引き留めようと色々な言葉を考えたアリア。

 しかし、ソニルが放つ表情に迷いは見えない。彼女の意思は強固で、そして心が通っている。

 アリアは涙を拭き、ソニルに対してフッと微笑んだ。


 ――それなら、こんな湿っぽい感情は捨てよう。再会した親友との別れは笑顔に終わりたい。


「次の国に着いたら、手紙送ります。絶対に読んで下さいよ!」


「うん。絶対に読むよ。返事もすぐに送るから」


 固く握手するアリアとソニル。

 彼女たちの心は再び繋がる。そして、それは決して離れることはない。


 すっかり次の旅の準備に頭を切り替えたアリア。

 彼女はあれこれと考えながら、荷物の中を調べていく。


「うーん……色々足りないものがありますね。ケアド! 私、これから買い物に行ってきます!」


「ああ……って、さっき行ったばっかりだろう? 俺が行こうか?」


「大丈夫です! それに旅のコツは私の方に一日の長があるんですよ? 任せて下さい!」


「そっか。なら、気をつけてな」


 荷物を入れる麻袋を手に取り、アリアは駆けていくように部屋から出ていった。


 少しの沈黙が部屋を支配する。

 だが、それを破ったのはソニルのため息だった。


「……アリアに悪いこと、しちゃったかな」


「いや、アリアには止まれない理由があったはずだ。それをソニルの言葉で気づかせてくれた。彼女の決意がまた固まっただろうな」


「そう言ってくれると助かるよ」


「なあ、ソニル」


「ん? 何?」


 言おうかどうか迷っているケアド。

 ソニルの意思を無下にさせてしまうかもしれない。彼はそう思いながらも、口を出さずにはいられなかった。親友のために死のうとしていたアリアの、その悲痛な涙を間近で見ていた彼は。


「……人を殺したこと、あまり気を負いすぎるなよ」


 死ぬな。遠回しに伝えたかったケアドの言葉だった。


 その返答を沈黙とするソニル。

 瞳を見られたら全てを把握されてしまうからだろうか。ソニルはケアドと視線を合わそうとしない。


「アリアも言ってたが、今のソニルはもう自分を取り戻した。呪いのせいで暴走してた時とは違うんだよ」


「うん。とっても嬉しい言葉だよ。でも、私自身はそれで満足しちゃダメなんだと思うんだ」


 この殺伐とした世界では、人を殺すことが必ずしも罪になるわけではない。戦争の英雄は仰々しく祭り上げられ、無法者を殺して国を守る兵士は国民から尊敬や畏敬の眼差しが贈られる。

 だが、無関係な人々を殺してしまった罪はソニルの中に確かに存在する。

 誰かを守るため、暮らしを守るために殺したのと、望んで人を殺したのでは、意味が違う。

 ソニルが行った行為は明らかに後者だった。

 自分の意思が無くとも、ソニルの体は人を殺していた。


「今のソニルの人となりを見れば、教会の人間も寛大な措置を取ってくれるはずさ」


 アリアから聞いていたソニルの性格、雰囲気。そして、呪いの影響。

 それを知っているから、ケアドはソニルを気の毒に見てしまう。

 だが、知らない人から見たソニルはどうか。彼女は単なる頭のおかしい犯罪者にしか見えない。それが真実なのだ。


「……そうだね」


 そのことが分かっているソニルは、ケアドのせめてもの言葉に対して、他人事のような同意しかできなかった。

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