少しだけ前に進めた、私の物語

 数日後、準備は整った。

 アリアは預けていた馬を受け取って、門の前へと来ていた。

 国の出口、そこは常に人の行き交う姿を観察できる。

 この国で成り上がろうと意気揚々と入国する人や、何かの罪を晴らすために国を出ていく表情が死んだ人間。馬を何頭も従えて食料や資材を運ぶ商人の旅団。

 それはまるで呼吸のように、絶え間なく続いている。その一つ一つに、人の心の物語が存在する。

 アリアもその呼吸の中の一つに過ぎない。だが、彼女にも確かな物語がある。


「うーん! ようやく終わりましたーっ!」


 荷物を積み終わり、大きく背伸びするアリア。

 アリアの旅はまだまだ続く。カルホハン帝国の残党を滅ぼし、自分やソニルに植え付けられた呪いを解くその日まで。

 だが、その旅の仲間に、ケアドを含もうという考えはアリアになかった。

 自分の復讐と都合に、彼を振り回してはいけない。

 数週間前の、この国を襲わんとしていた残党を蹴散らした時の、あの気持ちにアリアは恐怖している。

 そして、ケアドに対して好意を抱いていたのなら、尚更だった。


「もう、行くんだね」


 ソニルは、そんな面持ちで旅立とうとするアリアを見送るため、一緒に積荷の手伝いを行っていた。

 彼女はアリアの浮かない表情をしている理由に察しがついている。それだけに、不器用な親友だと思っていた。


「はい。ソニルもお手伝い、ありがとうございました!」


 アリアは辺りを見回し、キョロキョロとする。

 もしかしたらと、お見送りに来てくれるかもしれない。

 その気持ちが少しでもあったアリアは目的の人物を探したが、その人物は結局来ることはなかった。


 ――やっぱり、その方がいいですよね……。


 数日前、彼に言った一言。自分は一人で旅を続ける、という言葉。

 それにケアドは肯定も否定もしなかった。ただ彼女の言葉を飲み込み、理解しているだけだった。

 自分が選んだ結末。それなのに、彼女の気分は晴れない。


 ――そうだ。きっと、最後の別れにって何か送ってくれるのかもしれません。結局、間に合いませんでしたけど……。ま、まあ、それも運命とかいうやつです……うん……。


 いつものように、ありもしない理想を妄想するアリアでも、今の気持ちに嘘をつくことはできない。

 結局、晴れない気持ちにモヤモヤしながら、彼女はソニルとのお別れをする。


「ソニル……。私、ソニルとまた会えて嬉しかったです」


 ソニルはアリアの手を握り、微笑む。

 会えただけでなく、彼女は自分を取り戻すことができた。


「私もそうだよ。それに、助けてくれて感謝してる」


 アリアの気がかりはケアドだけではない。

 ソニルの未来も、アリアの心に不安を残していた。教会で罪を裁いた後、ソニルはどうなるのか。

 ソニルの雰囲気は、全てを諦めているようにアリアには見える。

 あれから、アリアはソニルが死ぬことに対して必死に彼女を肯定しようした。だが、それは出来なかった。

 罪を認め、監禁されるのには納得した。だが、ソニルが死ぬ。それだけはどうしても受け入れ難い感情がアリアの中に渦巻いていた。

 親友の頼みも聞けない嫌な人間。アリアはそう考えたこともあるが、彼女は別の考えを持った。

 間違ったことをしようしている親友を止めるのも、自分の役割だと。

 だから、彼女はソニルに生きるよう訴え続けた。心配になる度に、アリアはソニルに問いかけ続けた。

 しかし、肝心のソニルはアリアへの返答を取り繕うばかりである。

 それは、このお別れの時でも同じだった。


「ねえソニル。教会に行った後、私の後を付いてきて下さいね……?」


「うん。分かってるって。だから……安心して旅を続けて!」


「……絶対、絶対ですよ?」


 うるうるした目でソニルを見つめるアリア。

 ソニルはそんな彼女を慰めるべく頭を撫でる。

 それでも、ソニルの気持ちは変わらないのだろう。彼女の意思は誰にも流されることなく強固だった。

 そのアリアの訴えを流し目に見るソニル。だからこそ、ソニルは気づけたのだ。

 門のちょうど出入り口に立っている人影に。

 いたずらっ子のような表情で、ソニルはアリアへそれを気づかせる。


「絶対。約束する。――それより、アリアはあっちの方が気になるんじゃないの? んー?」


「えっ?」


 ソニルが指出す方向へ体を向けるアリア。

 門の外は広大な景色が広がっている。緑一面の草原に、砂利で舗装された道路。

 点々とする木々に止まろうとする小鳥たち。

 だが、その景色はどれも彼女の目に入らない。彼女の視線は一点に集中していた。


「ケアド……」


 アリアの心がすうっと軽くなる。

 彼の笑顔を見るだけで、アリアはとても満たされた気分になるのだ。

 それはもう彼女が心の底から彼を欲しているのと同じ意味になる。

 もう、アリアは彼なしには生きられないのかもしれない。


「よう、アリア。もう準備はいいのか?」


 逸る鼓動。心臓の音が耳に響く。待て。落ち着け。アリアは自分に言い聞かせる。

 あくまで彼は自分を見送りに来ただけだと。最後に一目見ておこうと思っただけなのだ。

 平常心を心がけるが、もう、彼女にはできない。結果として、恥ずかしさと嬉しさに歪んだ笑顔でケアドと会話してしまう。


「……あ、あのっ! 見送りに来てくれたんですか!?」


「見送り?」


「そうです! ま、まあ私とケアドは短いながらも長いような付き合いでしたし、私としてもほんのちょっとだけ嬉しいかなと思ってたり思わなかったり……」


「その付き合い、まだ続かないのか?」


「へっ?」


「俺はアリアと行こうと思ってたんだぞ?」


「う……嘘、ですよね?」


「どうして嘘になるんだよ」


「私はぜ……全然……嬉しくなんて――」


「――じゃあ、その顔はなんなんだ? その顔で、どうして嬉しくないなんて言えるんだよ。それこそ嘘だろ?」


 その時、アリアは自分が涙を流していたことを実感した。

 ケアドに対して、努めて笑顔で接していたはずなのに。

 目元に指で触れて、その液体に触れる。これはあの時とは違う。喜悦な雫だった。


「まだまだ、俺はアリアと旅を続けたいって思ってる。キミの本当の気持ち、教えてくれないか?」


「私……私は……」


 アリアの肩にそっと左手を触れさせるソニル。

 ――大丈夫。

 彼女の一言は、アリアの言葉を後押ししていく。


「――もちろん、一緒に居たいです!」


 ぱあっと笑顔を弾けさせるアリア。

 それは、先程までの繕ったものとは比べ物にならない、甘く温かい、人々の心を動かす笑顔だった。


「じゃあ、改めてよろしくな。アリア」


「はいっ! よろしくおねがいします。これからも一緒に――」


「――告白……かな?」


 ニヤニヤしながら、耳元でささやくソニル。


「――っ!?」


 その瞬間、アリアの顔が一気に赤面する。

 彼女は顔の温度が上がったまま、ソニルに対して懸命に否定の意思を見せる。


「ち、違います! そんなんじゃなくて! 一緒に旅をする仲間としての最低限の礼という常識の範囲の中での心構えというかそういう感じの簡単な挨拶を……」


 あくせくし過ぎて、アリアは自分でも何をソニルに伝えようとしているのか分からなくなる。


 ――本当に、もう大丈夫だね。

 気持ちが高ぶったアリアの様子を見て、ソニルは確信する。

 もし、自分がいなくなってしまっても、ケアドが居れば彼女は乗り越えていける。

 ソニルはアリアの背中を押し、前へと進ませる。


「ほら、これからも頑張って」


「うぅ……ソニルゥ……」


 ケアドと目を合わせられないアリア。

 恥ずかしそうにケアドに近づこうとした彼女だったが、とあることを思い出し、再びソニルに向き合った。


「そうだ! ソニル、これを渡しておきます」


「これ……何?」


 アリアは布製の小さな袋をソニルに手渡す。

 袋の中には大量の何かが入っているようで、袋が重力にならって垂れていることから、相当な重さであることも目視できる。

 ソニルはそれを両手で受け止める。同時に袋の中でかち合う金属音。ソニルはその中身を開けずとも理解できた。


「アリア……! これ……お金じゃあ……!!」


「だって、教会に行った後は私たちと一緒に旅をするんですよ? お金がないと旅に出れないじゃないですか!」


「で、でもこんなの悪い――」


 さっきまでアリアをからかっていたのに、今はソニルの方が事態を飲み込めず慌ててしまっている。


 一つ思いついたケアド。彼はソニルへ一つの願いを託した。


「悪いと思うなら、一つ頼まれごとを聞いてはくれないか?」


「頼まれごと?」


「それはもうソニルのお金だ。自由に使ってくれていい。けど、どうしても使えないってなら、ここのギルドの受付に返してやってくれ。そのお金」


「ギルドの受付? どうして……?」


「ま、借りがあってな」


「……分かったよ。ありがとうね、ケアド」


 アリアは必ずソニルが自分たちと合流するものだと確信している。だから、彼女が困らないように現在持っているお金を全てソニルに与えたのだった。

 しかし、ケアドは逃げ道をソニルに与えた。それは、アリアとは違う彼なりの気遣いだった。

 ソニルは彼の真意に気がついた。自分に選択肢を与えてくれたことを、ささやかに感謝するのだった。


 ジーッとソニルを見つめるアリア。

 その意味が分かったのか、ソニルは彼女にも同じ言葉を紡いだ。


「アリアもありがとう。大事に使うよ、このお金」


「はい!」


 馬車に乗る二人。そして、馬車はゆっくりとしかし確実に門を出ていく。

 それを見送るソニル。アリアとケアドの思いが詰まった小袋を胸元に大事に抱え、彼女は手を振る。

 ソニルは馬車が見えなくなるその時まで、見送り続けた。

 同時に、これからの二人に幸多からんことを願って。


 ――二人ともありがとう。……うん、決めた。




 馬車は草原を駆けていく。

 燦々と輝く太陽の熱を受けながら、テンポのいい蹄の音と草原のささやきに耳を癒やされる。

 そして、心地の良い風を受けながら、アリアはこう思った。


 ――復讐を繰り返している私も、きっとソニルのように咎を受ける時が来る。


 ――でも、今だけ……少しだけでいい。幸せを感じてもいいよね?


 ――だって、こんな嬉しい気持ちで旅に出たの初めてだから。


「どうするアリア? 無一文になってしまったが」


「そうですね。まずはギルドのある国に向かいましょう。お金、稼がなきゃですから」


「そうだなあ。まあ、それも俺とアリアなら簡単に手に入るだろうな」


「もちろんです! だから、一日二日空腹でも何の問題もないです!」


「え? ……食料もないのか?」


「ないですっ。全部ソニルに渡してきました!」


 アリアは自信満々に伝える。

 必要最低限のものを除いて、彼女はソニルが眠るであろう宿泊施設に全て置いてきたのだ。


「まったく……それで俺たちが行き倒れたらソニルに再会できなくなるだろ?」


「大丈夫です。昔、一ヶ月は食事なしの時だってありました。あの時に比べれば、大したことないです!」


「いや、さすがに死ぬだろ。それは」


「でも、私は平気でしたよ?」


「それ、体の傷が治るやつと同じ効果だったりしないのか?」


「え? そ、そうなんでしょうか……。じゃあ、ケアドが!? ど、どうしましょう! ケアドが餓死してしまいます!!」


「――しょうがない。道中で野生動物でも狩るか」


 アリアの天然な部分が見れたからか、ケアドはフッと微笑む。


 アリアの求める次の目的地へ、馬車は行く。

 立ち止まっていたアリアがようやく踏み出した最初の一歩。

 それが今、始まった。

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