二者択一

 ようやく痺れも引き、自由に動けるようになったアリア。

 彼女は壁に手を付けながら、よろよろと立ち上がる。

 ハーピーとケアドの戦いは終わったのだろうか。彼女はケアドの安否が気がかりだった。

 数十分前は聞こえていた騒音。瓦礫が壊れ、人々の逃げ惑う声。

 それらが今は静まり返っている。自分の耳がおかしくなったのか。それとも、ケアドの身に不幸が起こったのか……。


「……そんなこと、あるはずないです」


 二つの意味を否定したアリアの声は、確かに自分の耳へと届いた。

 そう。ケアドが負けるはずがない。アリアはそう信じている。

 彼女はケアドに会うため、前へと進む。暗がりの路地裏から、明るい広場へと近づいていく。

 その間、アリアはケアドが一向に自分の元に来ない理由を脳内からかき消していた。

 その考え自体、彼女にとっては一つの結論に紐付けられてしまう。

 だから、ありもしない妄想に浸り、自分の心を守っていた。


「そう……美味しいものを買ってきてくれてるんです……私のために……そうに……決まって――」


 だが、アリアの無意識が考えていた最悪の事態を超える出来事が、彼女の目の前で繰り広げられていた。

 アリアの目前にいたのはダエトン。そして彼の両隣にソニルとケアド。

 ソニルとケアドは鎖に囚われ、身動きできないでいる。


「ど……どういう……」


「おやおや? 数日ぶりですなあ、アリア嬢」


「ダエトン? これは一体……!」


「説明が必要ですかな? これは実験ですな。アリア嬢の反応を伺う、大変面白い実験です」


 ニヤリと笑うダエトン。彼の憎たらしい表情に怒る気力も、今のアリアにはない。

 彼女は目の前の状況を精一杯飲み込むことしかできない。


「さあ、ソニルかケアド。あなたはどちらを選びますかな? アリア嬢が選んだ相手のみを、開放させましょう」


「かい……ほう……?」


「そうです。あなたの昔からの親友か、それとも最近出会った理解者か。あなたにとってはどちらの方が重要ですかなあ?」


 アリアはようやく、二人がダエトンの人質になっており、その開放を自分の選択に委ねられていることを理解する。

 ケアドとソニルを交互に見つめるアリア。どちらを選ぼうとも、アリアには辛い選択となっている。

 仮にケアドを助けても、昔の親友だったソニルを結果的には見殺しにしてしまう。それは、ようやく意識を取り戻したソニルへの最大の惨劇と言える。

 ソニルを助けた場合、ようやく巡り会えた自分の理解者を失うことになる。ケアドと出会ってから今までの中で、徐々に彼に惹かれていたアリア。彼がいなくなった後、自分は普段どおりの生活を送ることができるのか。呪いを解くための旅を再開させられるのか。

 両者ともに、アリアにとってはかけがえのない存在。彼女が選べるわけがなかった。


 それでもアリアの選択の助けになるため、ケアドは彼女に叫ぶ。


「アリア。俺を犠牲にしろ。キミはソニルと一緒に生きていくんだ」


「そんなっ! そんなこと出来ません!! ケアドを犠牲になんて――」


「ほう。なら、ソニルを犠牲にするということですな?」


 ケアドとアリアの会話に割って入るダエトン。

 彼は魔法で生成された槍を地面に突っ伏したソニルに向けた。


「ちっ! 違います!! そんなんじゃ――」


「では、こっちの男ですかな?」


 アリアを翻弄するダエトン。

 彼が持つ槍の切っ先はケアドに向けられる。

 大事な存在の命が、最も許せない人間の手によってもて遊ばれている。

 耐えられなくなったアリアは、膝から崩れ落ちてその場に座り込んでしまった。


「お願い……します……二人を助けて……」


「ほう。なら、アリア嬢が犠牲になると?」


「……はい。私が……私の犠牲で……二人が救われるのなら」


「面白いですな。この結果でガントレットがどう変化するのか」


 アリアに近づくダエトン。

 ダエトンはすでにアリアへと標的を変更していた。

 槍を振り回し、アリアを痛めつけるための準備を始める。


「フフフ……。さて、この魔法で生成した槍。アリア嬢はどのくらい耐えられるのでしょうかな? この槍は特別製でしてな? 魔力という毒素を含んでいるので貫かれた相手は例え『呪い』であっても治りが遅いんですなあ」


「アリア……」


 ダエトンに良いようにされているこの現実。

 ケアドは自分自身の無力さをこれほど痛感した瞬間はなかった。自分が出来ることは何もないのか。

 彼は必死に考える。過去の経験。これからの予測。全ての記憶を用いて、この場を巻き返す最善手を引き寄せる。

 ――鎖によって自分の体は動かない。もし、動けたとしても自分ではダエトンに敵わない。

 ――なら、自分が出来ることは……。

 ――口がある。言葉がある。伝えられる。誰かを焚き付けられる。

 ――全てがお前の思い通りに行くと思うな。俺たちは否定する。お前の存在を、お前の未来を。


「――ソニル!! お前このままでいいのかよ!?」


「え……?」


「ジジイに良いようにされて、お前はそれで満足なのかって聞いてるんだ!」


 ソニルがケアドを見上げる。

 彼女はまさか、彼が自分に呼びかけてくるとは思わなかった。

 だから、彼の言葉はより強くソニルへと突き刺さった。


「お前はもう殺人鬼じゃないんだろ!? アリアの親友のソニルなんだろうっ!? 目の前でアリアが泣いてんだっ! それを……黙って見過ごすのかよ!!」


 体を必死に動かしながら、ケアドは叫ぶ。

 それがソニルに届くと信じて。彼だって諦めていない。鎖を引きちぎれるはずだと信じ、力を込めている。


「俺は最後の最期まで諦めない! この鎖を引きちぎって……アリアを助ける!!」


「何をしても、無駄なことです。諦めることも大事な要素ですな」


 ダエトンの準備運動が終わる。槍はアリアに向けられた。

 アリアの命の灯が消えようとしている。彼女の犠牲により、ケアドとソニルが救われる。

 ダエトンがその約束を守るかどうかも不明。だが、今、アリアが犠牲にならなければケアドとソニルの二人が救われない。その可能性が少しでもある限り、アリアは槍に貫かれてしまう。


「――たくない」


 声がした。アリアの声ではない。それは、運命に立ち向かうための準備を思わせる声だった。

 自分の命を諦めたアリアが、その声の方向へ顔を向けた。


「――諦めたくないよ……私だって!!」


「ソ……ニル」


 声の主はソニルだった。

 彼女が声を上げる。全ての力を消費するほどの大声が、広場に響き渡る。

 彼女の力が発現する。魔力が彼女の体を駆け巡り、鎖を脆くさせていく。

 魔力で出来ている鎖は、より強力な魔力で打ち消すことが可能だった。それをソニルが知っていたわけではない。

 しかし、今の彼女はアリアを救うため、自分に出来る最大限の力を込めていた。


 ダエトンはすでに槍をアリアに向け、突き刺そうと体を動かす。


「さあ、何回で意識を失いますかな?」


「――アリアッ!」


 地面に崩れ落ちているアリア。それに目掛けて直進する槍。

 その間に割って入る、ソニルがいた。

 彼女はアリアを守りたかった。それはダエトンを殺そうとする意思よりも固く、強かった。

 長考すれば明らかに悪手だと思える行動でも、一瞬の判断では最善手と思えてしまう。彼女の取った行動は明らかに悪手だが、アリアを守ることには確実に成功していた。

 アリアに背を向け、ダエトンに視線を合わせるソニル。

 ソニルはダエトンへ鋭い目を向け、抵抗する意思を示したが、衝撃によって苦痛に悶える表情へと変わってしまった。

 槍はソニルの腹部を貫いており、薄汚いサロペットに、彩りの強い赤が印象的に映える。

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