ケアドの戦い

 いきなり路地裏から男が飛び出してきたことに、人々は関心を引かれる。


「な、何だ何だ……?」


「男? ギルドか……?」


 そこで普通に住んでいたら目撃できない出来事。何らかの異常であるにも関わらず、人々はケアドを凝視する。

 だが、空から聞こえてきたハーピーの金切り声によって、人々は命の危機を感じて逃げていく。


 みぞおちの激痛が収まらず、咳き込みながら吐き気を催すケアド。だが、彼に休む時間などない。

 ケアドを殺そうと、一気に間合いを詰めていくハーピー。その速さは、衝撃で二階の窓より吊るされて干されていた白のシーツをはためかせて落としてしまうほどだった。その速度で繰り出される爪がケアドの眼前に迫っていく。

 ケアドはそれを避けるため、地面に尻もちをついている状態で足を振り上げる。その勢いでバク転を行い、地面へ足をつけることができた。

 ハーピーの爪は地面の道路を壊し、その下にあった土を掘り起こしていた。


「当たったら死ぬぞこれ……!!」


 ケアドの感想を聞いているハーピーではない。ハーピーはただケアドという獲物を追い、殺す。

 先程までの打ち合いに負けたことから、ケアドは受け止めるよりも回避することに念頭に置いて行動を始める。


「くっ! どうすれば……!」


 ハーピーの攻撃を回避するケアド。だが、それだけでは勝てない。

 アリアの体調が回復するまでこの行動を繰り返すか? ケアドは一つの作戦だとも考えたが、ハーピーが自分の動きを学習してしまえば、今の回避行動も終わってしまう。

 その前に決着をつけなければ、ケアドは殺されてしまう。

 その時、白色がケアドの視界に入った。それは先程のハーピーが空から攻撃した時に落ちてしまったシーツだった。

 相変わらず地面を刳り、長年日の目を見なかった土を掘り起こすハーピー。

 ケアドは機を見ながら、シーツの元へとハーピーをおびき寄せる。


「――よし!」


 全ての状況が整った。

 ケアドはシーツを手に持ち、ハーピーと自分の間へシーツをはためかせた。


 ハーピーの視界が、突然真っ白になる。一瞬だけ起こる脳の思考停止。

 しかし、すぐにハーピーはシーツを切り裂く。その奥にいるケアドという目標を殺すため。

 だが、ケアドはいなかった。そこにあったのは抉った土に突き刺さった短剣のみ。何故短剣が刺さっているのか。またしても思考が止まる。

 余計な情報が視界に入ってしまえば、脳はそれを考える必要が出てくる。

 そして、ケアドの行方に遅すぎる結論がついたのは、自分を覆う影が大きくなったことと同時だった。


 ケアドが両手で長剣を持ち、ハーピーの頭を目掛けて突き刺す。

 一瞬の判断が遅れたハーピーの負けだった。長剣はハーピーの頭を貫いて、切っ先は地面と激突して金属音を奏でていた。


「ハァ……ハァ……」


 賭けだった。ハーピーが戦い慣れをしていれば、ケアドの作戦は早期に打ち破られ、逆に殺されていただろう。空中戦が得意なハーピーに敢えて空からの奇襲を仕掛けることは、自殺行為だった。

 だが、ケアドは賭けに勝った。


 そんな彼を祝福するかの如く、またしても乾いた拍手が鳴り響く。

 アリアとケアドが追っている相手、ダエトンだった。


「……素晴らしいですな。周囲の状況を注視し、その状況下で最適解を見出す。カルホハン帝国が再興されれば、まさに雑兵の一人として申し分ない」


「――ダエトンか」


「いかがですかな? 雑兵のその上を目指してみる……というのは?」


「要領を得ないな。何が言いたい」


「あなたにはその資格があると言っているんですなあ。ギルドリーダーとアリア嬢には呪いでも、あなたには力となる」


「実験体の素質あり、ってことか」


「実験体なんてとんでもない。あなたは協力者ですな。今のように、あなたは状況判断能力が優れている。それは雑兵にしておくには惜しい。もう少し、後少しだけ力が強ければ、あなたはこの世界でも群を抜いての英雄となれる。その好機を、私は無駄にはしたくありませんなあ」


 ダエトンの目が細くなる。それは口元が歪んでいることから、微笑んでいるのだとケアドは感じた。

 目の前の敵は自分を誘っている。ケアド自身も、力がないことを悔やむ日はあった。力さえあれば、まだここまで不幸になることはなかったとも考えていた。

 だが、ケアドの思いは変わらない。彼の結論は簡単には覆らない。


「言いたいことはそれだけか?」


 ケアドはハーピーの頭を突き刺していた長剣を引き抜き、今度はダエトンへと向ける。

 剣の先端をダエトンの左目に合わせ、殺意を明確に表す。


「いやあ、もったいないですなあ。あなたなら必ず『使いこなせる』というのに……」


 酷く落胆した様子のダエトン。彼の表情はごく自然なものだったが、それが全て演技だということをケアドは知っていた。


「俺はお前に全てを壊された……そんな出任せに乗ってたまるかよ」


「壊した? はて……私は生み出したことはあれど、破壊したことなど、記憶にありませんなあ」


 剣を握る手が震える。血管が浮き出るくらいまで、彼は力強く握っていた。

 だが、それを直接ダエトンにぶつけることはしない。対策もなく、力の差も歴然である今、こちらから仕掛けてしまえば命を無駄に散らすことに他ならない。

 ケアドは怒りの感情を抱えながらも、あくまで冷静に事態を飲み込んでいた。


「どうして表に出てきた。お前なら隠れていくらでも暗躍できるだろう」


「これは実験体アリア嬢への実験に過ぎません。どうやら、感情が重要だとソニルで分かりましたからな。これから彼女が選択を行うたび、どのような反応を示せるか」


 ダエトンの発言の後、ケアドの地面に巨大な魔法陣が出現する。

 その魔法陣から、無数の鎖がケアドに向かって襲いかかってきた。


「クッ!」


 二回ほどはケアドも鎖を弾くことができた。しかし、それ以上の数の鎖が、ケアドを雁字搦めに捕縛した。


「準備は整いました。後はアリア嬢が元気になるのを待つばかりですな」


 指を弾いたダエトン。すると、ケアドの隣に同じく捕縛されたソニルが魔法陣より出現した。地面に倒れた彼女はまだ気を失っていた。

 嫌な予感がケアドの脳内に広がっていく。これはアリアに選択をさせるものだ。どちらか一人を犠牲にすることで、一人開放させる。

 ダエトンの力ほどなら、ケアドを始末することは簡単だった。それはケアド自身も感じていた。

 だが、ダエトンは実験のため、己の欲望のためにケアドとソニルを利用している。

 様々な方向に動いて鎖を引きちぎろうとしたケアドだったが、それは徒労へと終わってしまう。


「その程度の動きで破られては、鎖の意味がありませんな」


「黙れ……! お前の思い通りにはさせないからな」


 ケアドが激しく鎖を動かす音がうるさかったのか、ソニルはようやく目を覚ました。

 ボーッとする頭で辺りの状況を伺うソニルだが、開けた広場にいること以外、今の彼女に把握はできない。


「お目覚めですかな、実験体」


「……こ、ここは」


「とある国です。今からアリア嬢に素晴らしい反応実験を行うところなんですなあ」


「――アリアッ?」


 彼女の名前を聞いた瞬間に、目を見開くソニル。

 体を動かしてアリアを探そうとするが、そこで自分が鎖で縛られていることに気がついた。


「さーて……アリア嬢はあなたを選ぶんでしょうかなあ?」


 地面にしゃがみ、耳元でソニルにささやくダエトン。

 彼の嫌らしい笑いと共に、ソニルは自分の置かれた状況をようやく理解できた。


「くっ! 離して……!」


「離すかどうか、それはアリア嬢が決めることですな」

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