嫌な予感

 驚異は去った。アリアから説明を受け、理解した兵士たちは彼女とケアドに感謝をした。

 兵士たちは彼女を疑っていたことを再度謝罪していた。もちろん、アリアは笑って全て許していた。

 そして、驚異が持ち込まれた国への移動手段として馬車を貸してくれたのだった。


 基本的に、結託を疑われないように、国同士の協力はご法度となっている。国で起こった問題は国で解決する。それが今の常識である。

 かつて栄華を極めたカルホハン帝国も、最初は国同士の協力であったと、歴史の生き証人は語る。だが、いつしか巨大な帝国へと成り上がり、そうして様々な近隣諸国を侵略によって支配していった。

 それまで各国が培ってきた歴史や空気、風俗習慣全てがカルホハン帝国へと成り代わる。それは侵略される側にとってはまさに恐怖でしかなかった。

 いつまた第二のカルホハン帝国が現れるか分からない。その恐れから、国が国を監視し合い、貿易を除いて、決して協力させない体制が作られていた。

 この体制は誰が決めたものではない。それは世界の無意識によって作られた決め事だった。

 だからこそ、アリアとケアドに贈られる最高の礼というのが、馬車の提供だったのだ。

 兵士という戦力は期待できない。期待できるとすれば、あのギルドリーダーが存在していたギルド、つまり国が持っている戦力のみ。

 馬車のままで国の内部に入ることが出来た二人は、ダエトンを探すために早速行動を開始する。

 商人や旅人、日常での移動で馬を使う人間は多い。だから、馬を止める場所――駐馬場――は、各国では必ず設置されていた。

 数日分の料金を払い、アリアとケアドは馬を預けて町中へと繰り出した。


「まさか、またここに戻ってくることになるとはな……」


 二度と踏むことのないだろう土地に再び足を踏み入れたケアド。

 感慨深く、街の様子を眺め、人々の中に不安という感情が無いことに安堵する。

 すれ違う親子は今日の夕飯について真剣に討論し、店を構えている商人は少しでも売上を伸ばすため今日も声を張り上げている。

 ダエトンがすでに行動を起こしていたら、このような光景は見れるわけがない。まだ間に合うはずだ。ケアドは心の中でそう確信した。


「どうしましょうケアド……。まずはギルドに行くべきでしょうか」


「そうだな。怪しい人間についての是非はギルドのならず者に聞くのが一番だろうが……」


 お互い顔を見合わせ、そして苦笑する。


「えっへへ。ここのギルドじゃあ……」


「俺たちが怪しい人間扱いされちまうよなあ」


 二人とも考えていることが同じだったことを確認し終えると、アリアは真剣な眼差しでケアドを見つめる。

 そこに危険があったとしても、進むしかない。歩みを止めてしまえば、ダエトンを殺すことはおろか、ソニルを救うことさえできない。


「――行きましょう。何としても、手がかりを見つけないといけませんから」


 二人が目指す場所は、この国のギルドの本部。相変わらず重苦しい雰囲気で彩られている砦の建物だった。

 目的地へと足を進める間、アリアとケアドの二人は周りの観察も続けていた。ダエトンと同じ性質を持つ怪しい人物が町中に潜んでいないか。平和を保ち続けながらも、内部にダエトンという異物が持ち込まれているこの国は、すでに暗躍の片棒を担がされてしまっている。


 アリアは空を見上げた。

 日の差していない天気のせいで、住民の中にどんよりとした感情が渦巻いている。まるでこの国の未来を占うように、空の上の太陽は地面を照らそうとしても雲に隠れてしまう。

 その雲を払えるのは、自分たちだけなのかもしれないと、彼女の心は感じていた。


「どうした? アリア」


「いえ、今日は天気が悪いなって思いまして」


「確かに嫌な天気だな」


 アリアに続いて、ケアドも天気の様子を伺う。

 奇妙にも、天気の調子がその日の調子に左右されることも少なくない。

 彼が村にいた時の、曇りよりも晴れの方が仕事も捗っていた記憶が思い起こされる。

 なら、今日はダエトンを見つけられないのか?

 ケアドは気のせいだと決めつけ、先程の考えを頭の中から消すために首を横に振る。


「あの……お姉ちゃんたち」


「――ん?」


 アリアに話しかけるのは少女。あどけない容姿から、年はまだ十年も生きていないであろう。

 街中を走り回って風を感じていたいのだろう。ノースリーブのワンピースは少女の活発さに説得力を与えている。

 だが、そんなあどけない少女でもおしゃれの概念はあるようだ。少女からは甘いお菓子を連想させてしまいそうな香水の匂いが鼻をくすぐる。

 ただし、付け方に問題があるのか、濃厚すぎる匂いは刺激臭へと変わりそうなほどではあるが。


 少しでも大人に近づきたい。そんな少女の背伸びが可愛らしいと思いながら、アリアは屈んで彼女と同じ目線に立った。


「どうしましたか? 何か、お困りごとでもありましたか?」


「んとね……一緒に路地裏に来てほしいの」


「どうして?」


「ボールがね……あっちに行っちゃった。取りたいけど、怖くて……」


 少女が指差す方向に、アリアの目線も動く。

 体の小さな少女なら簡単に飲み込まれてしまいそうな空虚に満ちている細い路地裏。

 建物によって陽の光が入らず、陰険な雰囲気が立ち込めてしまっている。さらに、今日の天気も相まって、その雰囲気はさらに重苦しいものとなっていた。

 アリアは少女を安心させるために、彼女の頭に左手を乗せる。


「分かりました。私と一緒に行きましょう。確かに、怖いですもんね!」


「ありがとう……!」


 やっと自分の手元にボールが戻ってくる。目の前のアリアの快諾に、少女はぱあっと顔を輝かせて感謝を述べた。


「俺は行かなくても大丈夫か?」


「ボールを取ってくるだけです。ケアドはここで待ってて下さい」


「早く行こう! お姉ちゃん!」


 少女はアリアの手を引っ張り、急かす。

 立ち上がりつつ、アリアは少女の手に引っ張られて、路地裏へと足を進めるのだった。

 自分が子どもの時も、このような感じだったか。

 昔と少女を重ね合わせ、アリアは少しだけ輝いていた昔の記憶の思い出に浸る。

 こうして、自分も誰かを困らせていたかもしれない。だが、迷惑ではない。

 アリアの感情も、目の前の少女が鬱陶しいと感じず、ただただ微笑ましいと思ってしまうのだから。


 傍目から見ていたアリアの予想通り、路地裏は不穏な空気に包まれていた。

 足を踏み入れたアリアの周りにまとわりつく負の感情を纏った空気。心臓を締め付けられそうな苦しさを無意識に感じた彼女は、思わず胸に手を当てていた。


「あっ、あそこだよお姉ちゃん」


「ああ、あれがあなたのボールなんですね」


 手をつないでいる少女が指差す先。

 そこには確かにボールが転がっていた。少女くらいの体だと、両手いっぱいに抱えなければならないほど大きなボール。


「じゃ、お姉さんが取ってきますから、あなたはここで待ってて下さいね」


「うんっ! 楽しみにしてるっ!」


 ボールを取るくらい、なんてこと無い。

 アリアは空気の淀みを感じつつも、路地裏の奥へ奥へと進んでいく。

 そして、ボールが転がっている行き止まりの場所まで足を進むことができた。

 ボールに右手を伸ばすアリア。何の問題もない。単純な人助けだ。

 その幻想はアリアの指がボールに触れた瞬間、終わりを告げる。


「――なっ!?」


 人の指が触れた瞬間、ボールが破裂する。ボールの中には無数の針。

 それらが無造作に外へと弾き飛ばされる。小さな針はアリアの手や体に突き刺さり、少なくない血液を流してしまう。


「くっ! これは一体……!?」


 少女の方向へ体をひねるアリア。

 当の少女はすでにアリアの眼前にまで近づいてきていた。その目は見開かれ、口元は歪に歪んでしまっている。


「ひ……ひひひっ……かかった……カカッタァ」


「ど、どういうことですか? こんな酷いこと――」


 その時、アリアは自分の右手に違和感を覚えた。ピクリと動かない。それだけではない。先程針が刺さった箇所が上手く機能しないのだ。

 右手を伸ばしたことから、右腕が針が多く刺さった場所だった。その右腕は、自分の意思が働かない。

 思考停止しているように、アリアの言うことを全く聞かないのだ。


「あなた……まさかモンスター……!?」


 命の危機を持ったからだろうか。アリアはそこで少女の匂いに異常があることに気がついた。

 少女の匂いが、人間のものではなかったのだ。以前、カルホハン帝国で暮らしていた幼少期に叩き込まれた知識。

 人間に化けさせる魔法があっても、見分けがつく方法。それは、人間からその魔法独特の刺激臭がすれば、変化の魔法を使っている可能性が高い。

 まさに今、彼女の知識が有効に活用できた瞬間だったが、目の前の少女はそれを強すぎる香水で誤魔化していた。だから見極めが遅れ、危機に陥ってしまった。


「今なら、殺せるよね……?」


 いつしか、ナイフを手に持っている少女。

 助けを呼びたい。だが、右腕に刺さった針の影響が体を駆け巡っているのか、アリアの口元さえも、上手く動かなくなっていた。


「じゃあね」


 躊躇なく、少女はナイフをアリアの頭上へと振り下ろされていく。


「――っ!?」


 しかし、少女のナイフはアリアの顔を傷つけることなく、少女の手から離れていった。

 金属音がかち合い、少女のナイフと短剣が地面に転がる。

 アリアは少女の後ろにいるケアドに声をかけようとしたが、口がうまく回らない。


 ケアドは少女の胸ぐらを掴み、壁に叩きつけた。


「何の真似だ? お前」


「……くっ、カンのいいヤツ……! ヒヒヒッ!!」


 少女の化けの皮が剥がれる。それは少女でなく、ハーピーというモンスターだった。

 人間に変身する魔法をモンスターは持ち合わせていない。モンスターにはモンスターなりの矜持があり、宗教がある。一時的に別の種族になることはモンスターであっても嫌悪の方が強い。

 そんなモンスターが変身する理由があるとすればただ一つ。

 人間がモンスターへ強制的に魔法をかけている。それ以外の理由はない。

 知識と感情が元に戻ったのか、人間の言葉を忘れ、ハーピーは好戦的となってケアドに襲いかかる。

 濁った羽を羽ばたかせ、ケアドを退けた。


「くっ!」


 壁に背中を打ち付けるケアド。その間にも彼は辺りの様子を観察する。

 先程彼が投げつけた剣が地面に転がっている。しかし、普通に取ったのではハーピーのいい的となる。

 先に仕掛けてきたのはハーピーだった。ハーピーは自身の誇る爪でケアドに襲いかかる。

 それをギリギリの瀬戸際で回避したケアドは、そのまま地面へと倒れていく。もちろん、短剣を入手するためだ。だが、ハーピーに反撃の隙は与えない。彼は短剣を取ったと同時にハーピーに向かって振り上げたのだ。

 当たれば、間違いなくハーピーに致命傷を与えることができた。しかし、ハーピーは空高く舞い上がってそれを回避してしまう。


「くそっ! 空なんて飛びやがって」


 ケアドはすぐに立ち上がり、二つの剣を構える。

 そのケアドを仕留めるため、ハーピーは高い位置から急降下してその鋭い爪を前に突き出す。

 まず、ハーピーの右手で短剣が弾かれた。そして、ケアドが体勢を立て直す前にハーピーの左手の爪は長剣も弾いた。

 一瞬の間、ケアドの胸元は無防備となってしまった。その空間に、ハーピーは蹴りを入れた。

 ケアドのみぞおちに嵌ったハーピーの蹴りは、彼を路地の外へと吹き飛ばすほどの威力を誇っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る