私の運命を歪めた存在、許さない
路地の奥よりゆっくりと近づいてくる人物。薄汚いフードを身にまとい、体格や顔つきは分からない。
だが、低い身長としわがれ声の特徴から、老人だと二人は直感した。
明らかに嫌悪した表情で、ケアドはその老人を牽制する。
「何だ。お前は」
唯一見える特徴である老人の口が歪む。ケアドにとってそれは、嬉しさを我慢できず、喜びが口から漏れ出てしまっているような笑いに見えた。
老人は両手を広げて、敵意がないことを二人に示す。だが、二人は決して今持っている感情を解くことはしなかった。
「いやいや、私も困っていたんですよ。心の弱さが招いたのか、この実験体はどうにも出来が悪く……十数年、まさに今日に至るまで、元素との不完全な融合によって暴走していたんですなぁ。この実験体はすでに研究し尽くし、残るはこの不安定な暴走を止める方法だったのですが……」
老人の頭が少しだけ動く。それはアリアへ視線を移しているためである。
アリアも自分に視線が映ったことを理解し、険しい顔をより一層厳しくさせた。
「いやはや、あなたが生きててくれて良かった。これで実験体ソニルの行程は全て終了。私は新たな段階へと足を踏み入れることができる」
挨拶とでも言うのか。老人は頭のフードを払い、二人に自分の顔を見せる。
声と同じくしわがれた顔。シワが奇妙な線を作り、老人の顔を気味の悪いものにしている。すでに眉の色は白く退色し、死期が近い印象を与えた。
アリアはその老人を知っている。だから、彼女は名前を叫んだ。
「――ダエトン!」
ようやく、と言ったような、やや呆れた表情でアリアとの再会を喜ぶ老人――ダエトン――。
ダエトンは嫌味ったらしく、紳士のようにアリアに向けて手を添えながらお辞儀をした。
「おやおや、これはこれはアリア嬢。お久しぶりですなあ。お変わりありませんでしたか? いや、結構変わられましたな。昔の――」
「あなた! ソニルまで巻き込んで……!! そんなにこの実験が大事なんですか!?」
「ん? ああ。大事ですな。これはカルホハン帝国の王直々に頼まれたのです。新たな力を生み出す方法を研究してほしいと」
アリアが強い口調になるのは当然だった。彼女はこの老人のせいで、呪いを植え付けられ、親友であるソニルまでその犠牲になったのだ。
だが、ここで話を紡いだのはアリアではなくケアドだった。
彼も当然の如く、ダエトンを敵視している。それも、アリアよりも強く。
「もうカルホハン帝国は滅びた。だったら必要ないはずだ。これ以上の犠牲者は」
「すでにこれは私のライフワークとなっているんですな。それに犠牲者ではありません。実験体であるアリア・ソニル以外は研究の参加者ですな。強制はしてません。全て参加への確認を取っていますよ? その結果が幸か不幸かを選ぶのはその参加者自身ですな」
「狂ってる……!」
意に介さないダエトンの言葉に、ケアドは一言しか言えない。
怒りが脳内を支配していく。それは彼を一つの行動に誘導していく。
その誘導を確かなものにしたのは、次に発した老人の言葉だった。
「それは意味もなく殺人を犯す下衆に使う言葉ですな。私は違う。意味のあることを成し遂げようとしているのですからな」
「だったら――死ねっ!」
ついにケアドが動いた。短剣はソニルによって弾き飛ばされたが、彼の手にはまだ長剣が残っている。
高く飛び上がるケアド。両手持ちで、彼はダエトンに向かって勢いよく、自分の感情を乗せて長剣を叩きつける。
「――私が魔法を使える存在でなければ、あなた方とこうして優雅に会話などできませんな」
だが、ケアドの剣はダエトンが生み出した謎の壁によって遮られてしまった。
その壁は透明で、ダエトンの彼を見下す表情もケアドの目に入ってくる。それがケアドの怒りをさらに燃え上がらせる。
「ケアド!」
意外な行動と感じたのはアリアだった。
まさか、ケアドが自分とソニルのためにここまで怒りを募らせてダエトンに立ち向かうとは。
だが、彼女はもう一つの可能性に気づきかける。それは、彼の周りにも犠牲者がいるのではないか……?
だから、彼は自分に接触してきた? その疑問を考える時間は今はない。
ダエトンの頭上まで剣が届いているにも関わらず、その先へ進むことができない。
自分とダエトンの決定的な差を見せつけられたようで、ケアドは歯ぎしりをしながら限界まで力を込める。
「お前だったのか……! お前が全ての元凶だったんだな……!!」
「元凶? いいえ、道具を使うのはいつだって人間の理性に左右されるもの。私はこの世界に新しいきっかけを与えたに過ぎないんですなあ。それは『凶』ではなく『吉』と言えますな」
「ふざけるな!」
「あなたには、この程度で十分ですな」
ダエトンが手をかざす。すると、彼の手から衝撃波が発せられた。それもダエトンの魔法なのだろう。
ケアドはその衝撃波をまともに喰らい、吹き飛ばされ、壁へと打ち付けられてしまう。
力なく地面へと落ちていくケアドを、アリアが受け止める。
「く……くそっ……! アイツを……!!」
「ケアド……」
アリアには、ケアドの怪我は大きいが死ぬほどではないように見えた。だが、それ以上に彼の心に大きな傷がついていると感じた。
ケアドはその鞭打った体で、再度ダエトンに立ち向かおうと立ち上がる。
だが、彼の体は彼の心の言うことを聞かず、その場に膝をついてしまう。
「ダエトン……ここであなたを殺します」
ダエトンに振り返って、怒りを表現するアリア。
彼女はケアドの意思を継ぎ、ダエトンに右手を向けた。
「ふむぅ。やはり、そのような行動にでますな。アリア嬢は」
「だったら何だと言うんです?」
「すでに手は打ってある。そう言いたいんですなあ」
ダエトンは気絶しているソニルの首根っこを掴む。
そして、彼の前にソニルを立たせた。意識のない彼女は、もはやダエトンの操り人形と化している。
「古典的な方法で何の捻りもありませんが……これであなたは私を攻撃できませんな」
「――だったら、その上を行くまでです!」
アリアは右手から火炎弾を発射する。
今まで何度もモンスターと戦い、そして勝ってきた。辛い戦いばかりで、彼女の心は日々すり減っていくばかりだった。
だが、今日まで戦い続けられたのは彼女の戦闘能力が向上し、心の負担が徐々に和らいできたからだった。
発射した炎の軌道を操ることなど、アリアには造作もないことだった。
炎はアリアの意思に応じてソニルがいない左右、そして上へと移動する。
そして、それらは全てダエトンを標的に動いている。彼に逃げ場はない。
「――なるほど。その力、使いこなしているようですな」
だが、ダエトンはアリアのその上を行っていた。
ソニルを自分の後ろへと投げ捨てて、手のひらで小さな光を生み出す。
そして、アリアの炎を全てその手で受け止めてみせたのだった。
「なっ!?」
「私は魔法のスペシャリスト。伊達にカルホハン帝国に属していたわけでは、ないんですなあ」
「だったらもう一度!」
「いいえ、その時間は必要ありませんな」
「何ですって!?」
「これも全て『転移魔法』の実行のため。あれは執行まで時間がかかるので少々面倒な『劇』を演じなければなりませんからなあ」
ソニルが倒れた箇所から光が漏れ始める。
ダエトンも同じ場所へと移動し、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「さて、これから私が転移する場所、どこか分かりますかな?」
「そんなの、分かるわけ――」
「最近、ギルドリーダーが殺された国は……はて、どこでしたかな? アリア嬢、『殺した』あなたなら詳しいのでは?」
「まさか……!?」
「そこで待っていますよ。素敵な催し物も用意していますからな」
「っ――待ちなさい!」
間に合わないと思いながらも、アリアは無意識に炎をダエトンに発射していた。
……が、彼女の想像通り、炎がダエトンに触れる前に、彼の体が光に包まれる。
それと同時に意識が回復したソニル。疲労が体を支配している中、彼女は力を振り絞って目をこじ開け、状況を見る。
いつの間にか、自分の近くには『あの』ダエトンが居座り、アリアは哀しげに唇を噛み締めこちらを見ている。
もう、ダエトンの側には居たくない。ソニルが『自分』を保っていた最後の記憶は子どもの頃、ダエトンによって呪いを植え付けられた時だった。
その時から、ソニルの感情は『自分』から離れ、意思が消えた。
また、繰り返されるのか。
「アリ……ア」
ソニルは、自分でもおかしいとは感じていた。恐ろしい記憶の数々、それに耐えられないからアリアに殺される道を選んだはずだったのに。
だが今、彼女はアリアへ手をのばす。それは助けてを求める感情が表れたから。生きたいから。またはアリアの手を掴むことで、自分の意識が失われずに済むと感じたから。
届かないことは分かっていた。だが、アリアは助けを求めたソニルに向けて手を伸ばす。決して彼女を見捨てるわけじゃない。その思いだけを伝えたくて。
「ソニルッ!」
しかし、転移魔法が発動する。ダエトンと地面に倒れたソニルは一瞬にして、この場から消滅した。
「ちくしょう!! アイツを……殺せるチャンスだったのに……!」
まだ膝が上がらないケアドは、自分の怒りのやり場を地面に向けるしかなかった。
拳を地面に叩きつけ、声を圧し殺すケアド。
そんな彼の悲痛な表情に、アリアは申し訳無さそうな表情を浮かべるしか無い。
今まで助けられてばっかりだったケアドの力になってあげられなかった。その事実は、アリアの心に小さな穴を開ける。
彼に少しずつ惹かれていたのに、距離が離れてしまったのではないか。そんな感情がアリアの中で揺れ動いていた。
「ごめんなさい、ケアド。私がちゃんと仕留められなかったから……」
「…………」
ケアドは叩きつけた拳を震わせ、沈黙を保つ。だが、すぐにアリアに向けて頭を横に振った。
理性が効かない人間なら、ここでアリアに八つ当たりすることもあっただろう。だが、ケアドはそんな野生の人間ではなかった。
怒りをぶつける相手というのを、ケアドは認知している。大人の感情を持っている彼の対応は、彼自身の感情を鎮静させる効果も担っていた。
「アリアのせいじゃない。俺が力不足だっただけだ。それに、キミだってソニルを連れて行かれただろう。悔しいのはキミだって同じはずだ」
せっかく助け出したと思ったソニルがダエトンによって再び離れ離れとなってしまう。
ダエトンを憎いと思う気持ちはアリアだって持っていた。
だが、それ以上に激昂するケアドに、アリアはやや気圧されていた。
彼の怒りの原因は何なのか。それは彼の過去に触れてしまうこと。
必要以上に過去に触れることはしない。彼は自分の味方だ。だから、余計な詮索はお互いの信頼関係を傷つけてしまう。
アリアはケアドを介抱するため、彼に肩を貸した。
「立てますか?」
「悪い……後少ししたら、自由に動けるはずだ」
「分かりました。なら、折角ですし、明朝にここを出発しましょう。兵士さんには私から説明しておきます」
アリアに対して、罰の悪い顔を浮かべるケアド。
何も言わず手を貸してくれるアリアは、自分について深く聞いてくることはない。
ケアドは、彼女と出会ってから、彼女のことを事あるごとに質問していた。だが、当の本人は逆の立場になった時に何も聞いてこない。
元々、彼女を利用するために近づいたケアドは、その気遣いが妙にくすぐったく、そしてもどかしいと感じた。
「――聞かないのか?」
「え? 何を……です?」
ケアドの質問に、きょとんとした顔つきでのどかに聞き返すアリア。
表面ではとぼけてみせるアリアだが、本心では分かっていた。ケアドが言いたいことを。何故、自分のことを聞かないのか、ということを。
だが、彼女の心は変わらない。彼が自分の仲間でいてくれる。一緒に戦ってくれる。
それ以外の理由は必要ないのだ。それに、ケアドならいつか理由を話してくれる。だからこっちから聞き出す必要はない。
その彼への信頼感が、アリアの決意を強固なものにしている。
そんな彼女の心意気を受け、ケアドは心を打たれた。
「……ありがとう」
「礼なんてとんでもないです。言いたいのは私の方ですよ」
「アリア……?」
「ケアドがいなかったら……私……ここで死んでました。でも、あなたのおかげで、私はこうして生きて、そしてソニルまで救うことができてます」
照れ隠しか、はにかんだ顔で「連れ去られちゃいましたけどね」と付け加えるアリア。
満足に歩けない彼を引きずりながら、彼女は宿屋へと向かう。明日からの新たな目的のために。
「行きましょう。今度こそ、ダエトンを殺します。絶対に」
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