呪いへの抵抗

 アリアとケアド。二人は昼間は英気を養い、夜へと備えた。

 下手に動くこともせず、ただジッと時が来るのを待つ。

 その間、アリアの元に訪問者がやって来たこともあった。それは国を代表した兵士であり、目的はアリアを疑っていたことへの謝罪だった。

 もちろん、アリアはそれを許す。自分であっても、あの情報を知ってしまえば自分の仕業だと勘違いしてしまうと思ったからだった。

 そして、彼女は自分の目的を兵士に話した。今暴れまわっているのは自分の友であり、捕まえるための説得を許可してほしいと。

 それなりに権限が与えられている兵士のようで、彼はアリアの頼みを条件付きで承諾する。その条件とは、本日中に説得できなかったら、ソニル殺害に協力するというものだった。

 お互いの交渉を進めるため、アリアはそれに従う。だが、彼女はそれに納得しているわけではない。

 彼女は何としても、ソニルを説得する。その気合で満ち足りていた。

 そうして、再び深夜がやって来る。ソニルが動き出し、犠牲者が増えていく。

 それはアリアとケアドが避けなければならない。だから、二人が取った方法はこれしかなかった。


「じゃ、俺が囮になる」


 進んで、ケアドが名乗りあげる。昨日はそんな彼を否定したアリアだったが、すでに覚悟の決まった彼女。そして、本日中に説得できなければ、ソニルを殺さなければならなくなる。

 目立った『獲物』がいなければ、そもそもソニルが姿を現すかも怪しい。

 アリアはケアドの提案を受けるしかない。これは本日でケリをつけなければならないアリアの、一種の賭けだった。


 アリアが目立たない所で潜んでいることを確認しながら、ケアドは周囲を警戒しながらソニルの出現を待つ。

 昨夜、ソニルの動きを観察していたケアド。ギルドで脅威度の高いモンスターを狩る人物ほどの力はなくとも、戦いに関してはそれなりに自信があった彼。そんな彼でも、殺意の高いソニルの攻撃を捌ききれるか、些か不安だった。

 彼女の動きには無駄がない。それこそ、戦うのであれば一瞬の判断で死が決まる。

 怪我をしても、アリアのようにすぐに回復すれば何とかなるかもしれない。だが、ケアドにそのような能力はない。戦いの得意なただの一般人に過ぎない。

 そのことを念頭に置きつつ、ケアドは敢えて暗い路地裏へと足を進める。

 相変わらず、夜に外出することを禁じられているため、人通りは無い。その状態での路地裏はさらに不気味さを増して異様な雰囲気を醸し出していた。

 霧がケアドの足元を隠し、陰湿な空気がケアドの体を包む。

 すでに、ソニルによって首元に刃が突き立てたれているのではと錯覚するほど、ケアドの緊張感は高まっていく。

 その時、彼の頭上で空気が動いた。それを微かな音で聞き取ったケアドはすぐに夜空を見上げる。

 月の光によって照らされている夜空。上空の澄んだ空気が星々の輝きをより一層彩らせる。

 そのような光景に不釣り合いの影が一つ。


「――ソニルかっ」


 影は一気にケアドへと間合いを詰めてくる。その速さは戦闘慣れしていない一般人では動くことすらもままならないだろう。

 だが、ケアドは何とか動くことはできた。同時に剣を引き抜きながら、地面を転がって対象と距離を取る。

 その瞬間、ケアドが先程まで立っていた位置へ、ソニルが拳を叩き込む。ガントレットに束縛された拳は、地面を抉り出し、整理されていたタイルをバラバラに破壊していた。

 粉々になったタイルと砂埃が霧を作り、ソニルの周りに立ち込める。


「今日はキミがボクと遊んでくれるの……?」


 そんな霧もすぐに晴れ、ソニルの醜悪に満ちた表情が露わになった。

 頭だけをケアドに向けるソニル。目を見開き、今まさに目の前の獲物を頂こうと口を開けて不気味に笑う。

 ケアドは、地面にしゃがみながら出来るだけ小さくかがむ。それは、自分が持っている剣で防げる範囲を拡大させ、致命傷を避けようとする作戦だった。


「いや、俺は単なる前座だよ、ソニル」


「ソニル? ――ボクの名前はアリアだよ!!」


 フッとソニルの姿が消える。その瞬間、ケアドの眼前に彼女はいた。

 それを予期していたケアド。彼は彼女の姿が消えた瞬間に、足で地面を蹴り上げ、自分の体を後ろへとずらしていた。

 ガントレットと短剣の撃ち合う音が深夜の路地裏で響く。ソニルの力の方が強く、短剣はケアドの手を離れて建物の壁へと叩きつけられる。

 彼が後ろに下がらなかったら、この後の追撃で死んでいただろう。だが、下がった影響で、ソニルは一歩踏み込んでからでなければ彼を殺すことができなかった。

 それは、アリアがケアドを守るために動く時間には十分の隙だった。


 ソニルが踏み込むと同時に、ケアドの前にアリアが立ちはだかる。そして、右手のガントレットで裏手打ちをソニルの顔に当てた。

 完全に不意打ちだったソニルはその攻撃を喰らい、後ろにのけぞり地面に倒れて引きずられていく。

 久々に痛みを感じたのか、ソニルは表情を険しくしながら攻撃をした人物を睨む。だが、それはすぐに恍惚へと変わった。


「ア……アハ……アリアだ……! 光だぁ……!!」


「そう……私はあなたの光です」


「今日こそ、今日こそ、ボクはアリアになれる!」


「……光だから、私はあなたを説得します」


「必要ないよぉ!! 今からキミを殺すんだから!!」


 ケアドの時よりも早いソニルの動き。

 アリアは自分の周りに炎の壁をまとわせ、彼女の出方を伺う。だが、意思を暴走させているソニルには意味のない行動だった。

 彼女は炎の壁を突き破り、アリアの心臓目掛けて右腕を突き出した。


「――ぐぅっ!?」


 だが、アリアはその攻撃を回避することなく受け止めた。そうすることが、彼女への罪滅ぼしとなると信じて。

 アリアの心臓付近に突き刺さるソニルの右手。血しぶきが彼女の右胸を中心として飛散する。ソニルの不健康な肌にアリアの健康的な血液が付着する。

 それは夢で行われていた惨劇と同じ光景。ソニルは彼女の心臓を捧げ、アリアに成り代わろうとしている。

 今まで大怪我を幾度となく経験してきたアリア。その度に、彼女の体は修復され、健康な体へと戻っていく。だが、心臓を抜き取られ潰された経験はなかった。

 ――多分、死ぬだろうな。

 確かな証拠はなかった。しかし、アリアはそう感じた。夢の通りに、自分が死にたいと思っているなら、これはハッピーエンドだ。

 それなのに、アリアは自分の死を否定する。目の前の彼女を残して、死ねるわけがない。

 自分の心臓がソニルに握られたことを感じたアリア。彼女はこれから命がけの説得を行う覚悟を決めた。


「アハハ……アハハハハ! これで……ボクは……」


「ソニル……。少しだけ……私の話を聞いてはくれませんか?」


 ソニルがアリアの心臓を握りつぶそうとしたその時、アリアの言葉が彼女の行動を鈍らせた。

 それはソニルが奥底へと閉じ込めた過去の記憶。過去のソニルが今の彼女の行動を止めたのか。だが、今を突き動かす執念は、確かに停止した。


「約束……守れなくて申し訳ございませんでした」


「ハ……ハハッ。今さら何だい? ボクにとってそんなこと――」


「けど、これだけは信じて。私は、決してあなたのことを見下してなかった」


「な、何を――」


「私にとってあなたは……かけがえのない親友。だから……そんな親友の約束、絶対に守らなきゃって、あの日は思ってた」


 アリアは心臓目掛けて突き刺しているソニルの右腕に触れた。

 それはガントレットの方ではない、ソニルに自分の温もりを届けるための左手だった。


「アリ……ア?」


「でも……守らなかった。ううん、守れなかった! だって……だってその日は……!!」


 アリアは、ゆっくりと自分の呪いを胸元へと持っていく。その呪いはガントレット。望む望まないに関わらず、アリアに植え付けられた楔。

 それをソニルに見せるアリア。それが彼女の答えだった。


「――実験体にされてしまったのだから……。このガントレットの」


「ウ……ウソだ……」


「嘘じゃないよ。私は、自分自身の愚かな行為でこの実験体に選ばれてしまった。私はその日以降、ソニルに会うことすら……表を歩くことすら許されなかったの。だから……ソニルに謝ることもできなかったの!!」


 狼狽えるソニル。彼女の足は無意識に後ろへと下がり、その影響でアリアの心臓付近を貫いて手は引き抜かれつつあった。

 過去の自分と今の自分のせめぎあい。それがソニルに起こっているのだろうか。

 アリアは無理に引き抜くことはせず、ただ涙を流してソニルの心に訴えかけている。親友なら、それが必ず届くと信じて。


「ごめんなさい……! すぐにでも……あなたを探すべきだった! でも……でも私は自分のことだけ優先して……あなたは幸せな暮らしをしてるんだって勝手に納得してた! 親友なのに……私の中の……光だったのに!」


「光……? ボクが……?」


「光だよ! 私が初めて仲良くなれた相手がソニルなんだから!!」


 完全にアリアの心臓から手を引いたソニル。

 その代わり、彼女は頭を抱えて身を悶させていた。地の底から響いてくるような唸り声。それはソニルが頭痛の痛みを抑えていたからだった。

 膝をついて、頭痛に集中するソニル。今の彼女に相手を殺める余裕はない。

 だが、アリアが駆け寄ることができない。彼女もまた、心臓付近を抉られて怪我を負っているのだ。

 だが、彼女は諦めずにソニルの心を解きほぐしていく。


「ねえ、ソニル。お願い。元のソニルに戻って……! 子どもの時のように、優しくて控えめな笑顔が可愛い姿が、本当のあなたのはず!!」


「グ……グアアア……!」


 その時、ソニルの目に涙がひとしずく、溢れた。何かが壊れた。

 それは悪い意味でなく、ソニルの意思を閉じ込めていた邪悪な殻が、アリアの声という道具によってこじ開けられた。

 ソニルの意識が一気に真っ白になる。今まで自分の心を支配していた『何か』が身を潜め、自分が帰ってきたような感覚。

 そして、それと同時に記憶が濁流のようにソニルの脳内に流れ込んでくる。今までの自分の行動。咎。悔。

 アリアの言う通りの性格をしているなら、ソニルはこれを受け止めることができるのか。否。彼女は、今度は自分の記憶に飲み込まれようとしていた。


「アリア……わ、私……は……」


「ソニル!」


「だ……駄目……来ない……で。私はもう……」


 彼女を狂気に導いている存在。それは呪いなのだろうとアリアは感じた。

 そして、彼女を救う方法も自分が握っていることも。

 アリアの傷は修復を遂げつつある。だからアリアは心の底から声を張り上げて彼女を鼓舞させた。


「ソニル! 呪いに打ち勝って!! そして本当の自分を取り戻すの!!」


「お……お願いアリア……私を……殺して……」


 自分が行っていないにも関わらず行ってしまった『記憶』によって、ソニルの心は再び悪意に飲み込まれそうになる。

 ソニルは自意識があるうちに、唯一の親友であったアリアに助けてほしかった。

 だから、彼女はアリアに自分の死を要求した。そうせざるを得なかった。


「嫌! せっかく会えたのに殺すなんて嫌!! どうして!? これが私への罰なの!? 今までソニルを助けられなかった、私への咎なの!?」


 そんなアリアの叫びに、ソニルはフッと微笑む。それは、アリアが夢の中で見た幼き日のソニルの笑顔と同じだった。

 ごめんね。

 口で伝えなくても、アリアには理解できた。だから、彼女は唯一の親友の望みを叶えるために右手を上げたのだった。

 声にならない慟哭を叫びながら、アリアはその叫びさえも自分を前へ進ませるための方法としてこれから行う行為を正当化させる。

 右手を振り上げ、目の前の親友を救うため、叩き潰すために振り下ろそうとする。

 ソニルが息絶える場面を見たくない。せめてもの救いを求めてか、アリアは目を閉じてその行為を行った。


「――っ!!」


 ……アリアが目を閉じてソニルを殺そうとしたのが功を奏したのだろうか。

 ソニルの頭上でアリアの右手がそれて、ソニルの肩を掠った。


「大丈夫だ。彼女はもう……正気を取り戻したはずだ」


「……ケアド?」


 アリアの右腕を、ケアドが掴んでいた。彼の力によって、直撃は避けられたのだった。

 アリアの決死の行動がショックを与えたのか、ソニルはアリアの手が振り下ろされる瞬間に気を失っていた。


「ソニルの目は……俺を襲った時とはもう違うじゃないか。一時的とは言え、ソニルは自分を取り戻せた。キミの覚悟が彼女を救ったんだ」


「じゃあ……じゃあ、殺す必要はないということですか? 私……ソニルを殺さなくても、いいんですか?」


 アリアは振り返り、ケアドと向き合う。まだ混乱している自分の心を、彼が優しく鎮静させてくれる。

 彼の言葉が、アリアにとって何よりの救いだった。


「後遺症に悩まされるかもしれない。けど、それはアリアの努力で何とかなるさ。俺だって手伝う。ソニルを二人で元に戻そう。なっ?」


 彼の言葉に頷かない彼女ではない。アリアは精一杯の元気で彼に頷いた。


「……はいっ!」


 その時、枯れた拍手が辺りに鳴り響く。それは敢えて両手の中に空気を入れ、虚空な音を奏でていた。

 アリアもケアドも、拍手などしていない。ソニルも気絶している。それは、四人目がこの場に参加したことと同義だった。

 その拍手をしている人物は、歓喜に満ちた声色で発言を始めた。


「素晴らしい……! これが呪いに打ち勝つ方法なのですかぁ!」

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