幼なじみとの再会

 深夜。人々の暮らしが止まり、ほとんどの人が自身の体を休めている時間帯。

 そんな時間帯で、今まで事件は起こっていた。

 犯人はアリアの名を騙り、路地裏にいた人間を惨殺しているという。

 そして、アリアとケアドはその路地裏で身を小さくして隠れていた。その犯人を捕まえるために。

 一見、危険な時間帯、危険な場所にいるように思えるが、二人にはどうしてもここで待機をしなければならない事情がある。

 曇りで淀んだ空気中の冷気が呼吸によって取り込まれる。いつ犯人が現れるか分からない状況で、二人の緊張は一層増していく。

 大きな酒樽を盾に、路地裏を監視していることに気づかれないように見張っている二人。


「中々、姿を見せませんね」


「もしかすると、誰かが歩かなきゃダメなのかもしれない」


「――ダメですよ、ケアド。自分が囮になろうだなんて」


 言うが早いか、アリアはすぐにケアドを否定する。

 面食らいつつも、アリアに自分の考えが見通されてたことに苦笑しつつ、すぐに謝るのだった。


「……悪かったよ」


「相手は大人三人を瞬殺できてしまうほどの力を持っています。ケアドであっても、殺されるかもしれないんです。油断はできません」


「ありがとうな。俺を心配してくれて」


「なっ……!? あ、当たり前です! ケアドは……ケアドは私の冤罪を晴らしてくれる人なんですから」


 この時、アリアが顔を赤らめつつケアドから背けたのは、肝心の彼には気づいてもらえなかった。

 当然、この状況でケアドが意識しているのは犯人の姿だったためだ。

 しかし、一向に犯人が出てくることはない。日々の疲れも溜まっており、時間が経つにつれて、二人はあくびが多くなっていた。

 潮時はもう過ぎたかもしれない。明日もある。今日はお開きにしよう。

 そうケアドが提案しようと口を開いた瞬間、後ろから呼びかける声があった。


「お前達。ここで何をしている?」


 アリアが後ろを振り向くと、そこにはこの国の兵士が一人、立っていた。

 まだ甲冑を着慣れていない新兵なのか、兵士は体に似合わない装備を身にまといつつ、二人に槍を向けた。


「私たちは路地裏で人を殺す殺人鬼を捕まえるためにここにいるんです」


 首を兵士の方へ傾けて答えるアリア。

 彼女の風貌に少しだけ気後れした兵士だが、彼は警戒を止めない。

 暗がりでアリアの顔を認識できないのは幸いだった。


「一般人は早く家に戻るんだ。我々がこうして夜な夜な見回りを行っている」


「なるほど。それで、成果はあったのか?」


 興味を示したケアド。立ち上がって兵士と向き合う。

 兵士はケアドの質問に苦虫を噛み潰したような顔で悔しさを滲ませていた。


「……ない。残念ながらな」


「じゃあ、最近は犠牲者なしってことか」


「ああ。ここ数週間は、な」


 数週間。これもケアドとアリアが出会った時期と重なってしまう。

 本当にアリアが殺人鬼であれば、この数週間の沈黙はいとも簡単な『証拠』となってしまう。

 それにアリアが気づいたのだろう。彼女は地面を見つめ、兵士に顔を見せないようにしていた。


「俺たちはその犯罪者を捕まえないと気がすまないんだよ。悪いが、見逃してくれ」


「そうはいくか。市民を守るのが、兵士の仕事――」


 その時、深夜にも、日中にも似つかわしくない声が聞こえた。

 黄色い声、生命の危機を訴える声が、路地裏の先から聞こえてきたのだ。

 尋常ではない雰囲気。兵士は誰よりも先行して走り出す。その声の元へ。

 アリアとケアドも顔を合わせ、現場へ向かうことを決意する。


 殺人鬼は、路地裏の先の広場で一人の少女を惨殺していた。

 人々の夜の外出を規制したせいだろうか。路地裏に獲物がないことに憤ったのか。とうとう殺人鬼は表でも行動を開始してしまった。

 アリアと同じく、右手がガントレットで拘束されている。その右手で、少女の体をいとも簡単に貫いていた。

 少女の血液が水しぶきのように勢いよく噴出している。それは若さからくる身体的特徴なのか、それとも人体として普通の反応なのか。

 しかし、どちらにしても、兵士にとっては精神的苦痛を訴えるに十分な衝撃だった。


「な……な……」


 声にならない声を発声しながら、兵士は怖気づいて前へと進むことができない。

 その小さな声を認識した殺人鬼は、動かなくなったおもちゃを無造作に投げ捨て、兵士へと目を合わせた。

 高い場所から熟れたトマトを落とした時のような音と、息絶えた血まみれの少女が地面に落とされた音が似ていることを、今日、兵士は初めて理解した。


「……遊んでくれるの?」


 ニタァっと気味の悪い笑顔を浮かべる殺人鬼。

 頭をすっぽりと被せられるベレー帽からちらりと見え隠れする髪。

 それはアリアと同じような青色をしているが、彼女よりくすんでおり、不健康を思わせる。

 ゆらりと不安定に動きながら、殺人鬼は右手をふらふら突き出す。

 恐怖。兵士の心を満たしているのはこの感情しかない。それでも戦う意思はあるようで、腰に付けている剣を引き抜く。

 だが、恐れからくる手の震えによって、剣は力なく手から離れ、地面に落ちていく。

 くるくる回転しながら殺人鬼の足元へと転がる剣。殺人鬼は剣を踏みつけながら、兵士に近づく。


「ボクの名前はアリア。ふふ、遊ぼう」


 殺人鬼の右手が兵士の顔面めがけて襲いかかる。兵士はここで死を確信する。

 武器も近くにないことから、反撃もできない。彼の命はここで潰える。

 ……しかし、兵士が心の中で信仰を唱えても、意識が途切れることはなかった。


「ぐ……ぐっ!」


 兵士の目の前にいたのは右手ではなく、アリアだった。

 彼女は兵士を守るため、殺人鬼の手を、同じガントレットである手で防いでいる。


「あなたですね……。私の名を騙って悪さをしていたのは」


「ん? キミは誰だい?」


「私はアリア。……偽物のあなたじゃない。本物のアリアです!」


 アリア。その名前を聞いた瞬間、殺人鬼の目が見開いた。意識がハッキリしたのかもしれない。

 笑顔にも力が入り、明らかに口角が動いているのが、アリアの目にも分かる。

 そして、殺人鬼は恍惚に体を震わせ、声のトーンも上がった。


「……光だ」


「えっ? 何を言って――」


「光だ! やっと見つけた! ボクは闇! だから、キミを殺してボクは光になるっ!」


「くっ!」


 殺人鬼の力が強くなる。

 アリアは意外にも力強い相手に押されつつも、決してそこから下がらない。

 この時、アリアは彼女を殺す覚悟で相手をしていた。無論、自分を偽った相手などに遠慮は不要。

 さらに、死人が多数でているこの状況で、相手を捕まえるという発想は彼女になかった。

 アリアは左手で右腕を抑え、力を込める。そして、やっとの思いで相手の腕を弾き飛ばした。

 バランスを崩す殺人鬼。アリアはその隙を見逃さない。


「そこっ!」


 アリアは右拳で殺人鬼の顔面めがけてパンチをする。

 ……が、相手も戦闘慣れしていた。バランスを崩しているにも関わらず、体を捻り、アリアのパンチを回避したのだ。

 その時、素早く動いた影響で、殺人鬼が被っていたベレー帽が空へと飛ぶ。

 そこで、アリアは初めて殺人鬼の素顔を見ることになる。

 目にクマが出来ており、顔はやつれ、これから殺す相手に対して笑顔で接している。


「――えっ!?」


 見間違いだ。アリアは最初そう思った。だって、髪の色が違う。子供の頃に見た彼女の髪はもっと明るい緑だった。

 だから、追撃を挟まず距離を取って、もう一度殺人鬼の顔を見た。それでも結果は変わらない。

 髪の色が異なっても、顔つきは、やつれていることを除けばあの頃と同じだ。

 その殺人鬼は、アリアが見たことのある顔をしていたのだ。

 恐る恐る、アリアは相手の名前を呼ぶ。願わくは、間違いであってほしいと思いながら。


「……あなた、もしかして……ソニル?」


 ソニルと呼ばれた殺人鬼。彼女は一瞬足を止め、その名前に反応する。

 しかし、すぐにニタァっと笑い、襲いかかってくる。


「光……光……! ボクが殺せば……ボクがアリアになれる! 光になれるんだ!」


「ちょっと待って! ソニル!? ソニルなんでしょう!?」


「死ねっ! 死ねっ!! ボクのために死ぬんだ!」


 話を聞かない殺人鬼。本当に彼女はソニルなのか。

 疑問に思いつつも迎撃を行うが、アリアがソニルの名前を呼んだ影響だろうか。

 殺人鬼は徐々にソニルとしての意識が芽生え始めていた。


「ねぇアリア! どうしてあの日、ボクとの約束を破ったの!?」


「約束――あっ!」


 アリアとソニルは親しい仲だった。約束を破ったことなど一度もない。この瞬間まで、アリアはそう記憶していた。

 だが、一つだけ破ってしまった約束があった。それを思い出し、アリアは目を見開く。

 すぐに弁解をするが、ソニルはすでに聞き入れない。


「ち、違います! あれは破ったんじゃない! どうしても行けなかったんです!」


「嘘だ! ボクのことが嫌いになったんだ! ボクは待ったよ! あの日、ずぅっと待った! でもアリアは来なかった!」


「違う……違うんです……ソニル」


「どうせ、ボクのことなんて惨めな貧乏人だって思ってたんだろ! そうやって見下して、蔑んで! 結局は他の奴らと変わらなかったんだ! アリアは違うと思ってたのに!」


 ソニルの勢いが強く、アリアは彼女に肩を貫かれてしまう。

 だが、アリアは痛みより悲しみが勝っていた。ソニルはアリアの幼少期の中で輝いていた記憶の一つだった。

 人付き合いが少ない自分にとって、ソニルの存在は大きく、アリアはほぼ毎日彼女との交流を欠かさないでいた。

 それがたった一度の約束を破ってしまったことで、彼女は変わってしまった。

 自分のせいだと、アリアは思った。自分があの時、しっかりしていなかったから不幸を呼んでしまった。

 それはソニルにも派生し、巻き込んでしまった。一人にさせてしまった。孤独に追い込んでしまった。

 アリアは自分勝手に、ソニルはどこかで幸せに暮らしているものだと思っていた。

 自分とは違う歴史を生き、自分にはない幸せを掴み、暮らしている。勝手に思い込んでいたからこそ、今までアリアの脳内にソニルの存在がなかった。

 もう自分とは関係のない人間だと仮定し、完結させていた。

 ソニルはやつれた顔を強張らせ、アリアに対して隙のない攻撃を仕掛けてくる

 もちろん、アリアも必死に防御して致命傷を避けるが、常にソニルの存在が頭に浮かび、集中できないのは事実だった。


「あっ――」


 頭から離れない幼き日のソニル。それがアリアの油断を生んでしまう。

 ソニルが攻撃し、アリアが弾く。その次の行動でアリアが出遅れてしまった。

 これ幸いと、ソニルは歯をむき出しにしてアリアの心臓目掛けて右手を突き出していく。

 心臓を取り出し、捧げものとするのだろうか。そうしてソニルは自身が言う光の存在へと昇華するのか。

 ソニルの手がアリアに近づく。今更防御するにも、もうアリアは間に合わない。死ぬしかない。


「アリアッ!」


 その時、彼女の体が抱きしめられながら、地面へと倒れた。

 アリアを守ったのはケアドだった。彼はソニルとアリアの攻防をただ見ていることしかできなかったが、アリアの防御が間に合わない瞬間、足を踏み出していた。

 そうしてアリアの体を抱きしめ、地面に転がったのだった。

 これでアリアは助かったが、ケアドの肩にソニルの右手が掠ってしまう。少し掠っただけにも関わらず、ケアドの肩は鋭利な刃物で斬られたかのように血液を流出させていた。


「ケアド! 大丈夫ですか!?」


「大丈夫だ! それよりもアイツを!」


 アリアが戦うべき相手を指差すケアド。

 アリアは迷いながらも、ソニルへ視線を移す。

 彼女は不気味に笑いながら、ガントレットに付着した血液を舐め、恍惚の表情を浮かべる。


「ソニル……」


 この騒動を聞きつけたのだろう。警備を行っていた兵士が次々と到着する。

 さすがのソニルも、この人数では分が悪いと感じたのか、彼女はあからさまに不快な表情を浮かべる。

 ソニルはベレー帽を手に取り、アリアを見つめる。


「また相手してよ。今度こそ……ボクはアリアになるから」


「ソニル! 待って――」


 跳躍するソニル。彼女は屋根の上に着陸すると、そのまま闇の深淵へと走り去っていった。

 その速さは兵士でも、ましてやアリアでも追いつけない。どこからそのような力が発現するのか、今この場にいる人間には想像がつかなかった。

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