宿屋探し

 ケアドの案内により、数日の旅を経て、アリアはようやく目的の国に到着することができた。

 金銭面的には少し切り詰めれば問題なく、道中の商人との売買により、食料は問題なく調達することができていた。

 しかし、日々の疲労は溜まっており、二人はタイル状の地面を踏みしめると、大きな安堵をついていた。

 アリアのこともあり、入国を断られることもケアドの考えに含まれていたが、ギルドの身分証がケアドとアリアを証明してくれたため、杞憂に終わる。

 そしてそれは、アリアが『殺人犯』である可能性も否定するものだった。もしくは、まだ『証拠』を掴みきれていないのかもしれない。

 少なくとも、この国は憶測や証拠が不十分の状態で捕まえることをしない『話せる国』であることも、ケアドはこの時点ですでに見抜いていた。

 だが油断はできない。ギルドの身分で入国できる期間には限りがある。この短期間で本当の犯人を捕まえなければならない。


「いやあ……やっぱり疲れるもんだな。国の移動ってのは」


「ふぅー……ようやく辿り着きましたね」


 ケアドとアリアが出会った国とはまた違った趣が感じられる国。

 国民のことを考えているのだろう。人々が歩く場所はどこもタイルが敷き詰められており、鬱憤とした感情を起こさせない仕組みを作っている。

 また、建物についてもレンガを豊富に使われており、そこで暮らしている人々の朗らかな表情を見ても、平均的な国民の暮らしは高いように見える。

 しかし、そんな平和的な国民がアリアやケアドを見た瞬間にそそくさと立ち去っていく光景を、まだ二人は気づいていない。


 建物の壁に寄りかかり、アリアは苦笑しながら己の息を整える。

 彼女が空を見上げると、雲の比率が多く、若干暗くなっている。

 一雨来そうだ。アリアはそう思うと、ケアドに提案することにした。


「ねえケアド、今日はもう休みませんか? 空もほら……」


「ん? ああ。確かにそうだな。適当に安い場所で寝るとするか」


 彼女の提案を否定しないケアド。彼も疲れており、休みたいと思っていたところだった。

 そして、アリアの危惧は恐らく当たるだろうと、彼は思った。

 村で暮らしていた時、村人は天気の微妙な具合を、繊細に感じ取ることができた。それはケアドも同じだ。

 雨がやって来る特有の匂いが、彼には感じられている。

 疲労もピークに達していた二人が出した結論は、共に休むことであった。


 お金に糸目を付けず、とりあえず休みたいという意思を強い二人は、近くの宿屋に足を運ぶことにする。

 印象派なステンドグラスが彩られた、格式高い扉を開けて、二人は中へと入っていく。

 そうして、フロントを見つけたアリアは真っ先にそこへと向かった。


「申し訳ございません。私、アリアと申します。恐れ入りますが、本日二人、泊まらせてもらえますか?」


「――っ!? あ、あの……!」


 フロントに立っていた受付はまだ幼い男の子であった。大人の基準で作られている机からひょっこり現れるその男の子は、アリアの姿を見て慌てふためく。

 まるで、彼女と会話してはいけないとでも言うように。


「……どうしたのですか?」


 明らかに不審な表情で戸惑っている男の子に、アリアも首を傾げて疑問を示す。

 もちろん、男の子は慌てるだけで理由を話すことはなかった。

 そんな男の子に理由を聞くため、ケアドもフロントへと近づいた。


「なあ君、もう満室なのか?」


「い、いえ……あっ」


 ケアドは、男の子が慌ててしまう理由を考え、一番有り得そうな解答を示して助け舟を出していた。

 しかし、男の子はその助け舟を拒否し、いや、純粋さから正直に話してしまった。

 そうなると、ケアドが考えられる残りの解答は、やはりアリアの『殺人』に関することになった。

 それはアリアも同じようで、バツの悪い表情を浮かべながらも、微笑みを絶やさないようにしながら幼い男の子に手をふる。


「そう……ですか。それならしょうがないですよね。分かりました。ここは諦めます」


「あの……ごめんなさい」


 男の子としては泊めたかったのだろう。しかし、彼の雇い主は拒否の方針を示していた。

 雇い主の要望を無視することはできない。


「君、一応言っておくが、アリアは殺人なんてしない。俺たちはこれからその謂れなき罪を晴らすためにここに来たんだ」


 男の子は不安そうな表情をしながらもコクリと頷き、ケアドの言葉を飲み込んでいた。


「しょうがない。別の場所を探そうか」


「……そうですね。色々歩いてみましょうか」


 宿屋から出た二人。新たな宿を探すために、宛もなく歩くしかない。

 先程の男の子の態度でこの国の立ち位置を理解できたのか、二人はようやく周りの目に気づくことができた。

 人々は二人を見るだけで恐れ慄き、目を合わせないように離れていく。

 次々と宿屋を探すが、そのどれもがアリアを名乗った瞬間、拒否をしてしまっていた。

 中には頭を使って『満室』などと言う宿屋もあったが、二人が離れた後、新たな客を迎え入れていたのは言うまでもない。

 恐らく、歩いて行ける距離での宿屋は全て周ったが、返答は全て否定だった。

 ある理由で宿泊を断られることもあったが、今回のは別の原因があることを、アリアは薄々と感じている。

 そして、ここまで拒絶された経験は、アリアにはない。

 ギルドであっても、実力を示せば『一応は』認めてくれる人間も少なからず存在していた。

 だが、今は自分に似た存在が犯した犯罪により、自分が拒絶されている。

 いや、もしかしたら自分がやってしまったのかもしれない。そんな無茶な考えが浮かんでしまうほど、アリアの精神は疲弊してしまっていた。


「私、もしかして本当に人を殺してしまっていたんでしょうか。無意識に人を殺せる……そんなことが、私には出来てしまう……」


「アリア……」


「えへへ、ここまで嫌がられるのは、やっぱり寂しいですね」


 ケアドに向かって、寂しそうな笑顔を浮かべるアリア。

 無自覚に人を殺す? それも、あの彼女が?

 『アリア』という名前が原因ならば、いっそ名前を隠せばどうだろうか。ケアドは一瞬だけそう思案した。しかし、結局、身分を証明する際には、ギルドより発行された証明書を使用することになる。

 その証明書にはアリアの名前が間違いなく記載されている。偽装などもってのほか。今は切り抜けられたとしても、何れ偽装が発覚してしまえば、その後のギルドの仕事に大いに影響がある。

 何より、ケアドはアリアの潔白を信じている。そこまで彼女をすっかり信頼しきっていることから、アリアが自覚なしに殺人を行うことはできない。そう、ケアドは確信している。

 だからこそ、彼は彼女の言葉を明確に否定することができた。あらゆる場所でアリアが兵士に監視されていようとも。


「――そんなことない」


「え?」


「君が……人を殺すなんてできない。まして、無意識に殺す? 有り得ない」


「ケアド……」


 明確に自分の言葉を否定してくれる。それだけで、アリアは救われた気持ちになる。

 もしも、一人でこの街に来ていたら、アリアは民衆からの視線・重圧に潰れてしまっていただろう。

 それを救ってくれたのは、何よりケアドだったのだ。


「探そう。少しでも手がかりがほしい」


「そうですね。ここで手をこまねいている場合じゃありませんよね?」


 頷く二人。少しずつ、空から雫も降りてきている。宿屋が無く、外で野ざらしになったとしても、二人はこの街から離れない。

 手がかりを見つけるまでは。アリアが殺人を行っていない証拠を見つけるまでは……。


「――あのっ」


 そんな決意を固めた二人の後ろから、声をかけた人物がいた。

 恐る恐ると言わんばかりの震えた声。若く、まだ幼い少年のような高い声。その声の人物を見るため、アリアとケアドは後ろを振り返る。


「あなたは、宿屋にいたお子さん……?」


 何故こんなところに?

 当然、アリアは疑問を持って首を傾げる。アリアが近づいては怖がってしまうだろうと判断したケアドが、少年の話を聞こうと前へ出る。


「どうした? 俺たち、何か忘れ物でもしたか?」


 少年は懸命に首を横に振る。そうして、自分の言葉を確かめながら、ゆっくりと要件を伝える。


「……泊まる場所、見つかってないんですよね?」


「ああ。残念ながら、な」


「僕のところ……泊まってもいいですよ」


「……いいのか? ありがたいことだが、この街の雰囲気を見る限り、そんなことしたら、ひんしゅくを買われないか? 俺たちは嬉しいけど……」


「いいんです。僕は……お姉さんを信じます」


 少年は力強い目でアリアを見る。


「あの時に見たお姉さんの笑顔……人を殺せるような人間じゃないって思ったから」


 その言葉を聞き、アリアはようやくこの街で安堵できる場所を手に入れたと思った。

 そして同時に、自分は人殺しではないという自覚もできるようになっていた。


 部屋に案内される二人。

 少年が先導し、二人はその後ろをついていく。

 鍵を開けた少年は、背伸びをしてドアを開け放った。

 一流の宿屋……とまではいかないが、必要な設備は全て揃っている。泊まるだけであれば、何の問題もない部屋だった。


「一応、雇い主に配慮して、ケアドさん一人分で取ってます。でも、安心して下さい。ほらっ」


 少年がベッドメイクを始める様を見る二人。

 そこには確かにベッドが二棟存在している。


「男性だけ、女性だけだったら一つでもいいかなと思ったんですけど、さすがに別姓だったら分けた方がいいかなと思いまして……」


「なんか悪いな」


「いえいえ。僕にできるのはこれくらいですから」


 少年は話しながら、慣れた手付きでベッドメイクを完了させる。

 手をはたきつつ、少年は二人にベッドに座るよう案内した。

 二人はお礼をいいながら、思い思いのベッドへと腰掛ける。

 現地で出来た数少ない協力者。ケアドは彼から情報を聞き出すことにする。

 例え少年であっても、宿屋で一人前に働いている。そんなしっかりとした彼であれば、正しい情報を提供してくれると考えたためだった。


「なあ、協力のついでに少し情報を教えてくれ」


「はい。何でも聞いて下さい」


「ここの街……兵士をちらほら見かけたが、アリアを監視していた。さすがに逮捕まではされなかったが……この国は証拠がないのに彼女を犯罪者扱いしてるのか?」


「逮捕しないのは、多くの犠牲者が出ているのに、明確な証拠がないからなんです。だけど、この国はお姉さんを恐れてる。……記事に書かれてた特徴がお姉さんとそっくりだったから」


 少年は懐に忍ばせた新聞記事を二人に見せる。


「確かに……髪の色がそっくりかもしれないですね。でも……」


 アリア本人が言うのも無理はない。

 暗がりに紛れるために深いベレー帽を被っているが、そこから覗き見せる髪の色はくすんだ青色をしていた。

 アリアは妙な既視感を覚えた。ベレー帽の奥に見せた顔つき。彼女のことを知らないアリアだが、どこかで会い、そして話をした記憶が蘇ってきたのだ。

 だが、記憶から掘り出された相手の姿が黒く塗りつぶされている。

 相手が男だったのか女だったのか。自分との年齢に差があったのか。全てが忘却の彼方へと追いやられてしまっている。

 アリアが脳内で繰り広げた思考は長時間だったが、現実の時間に換算すれば一瞬だった。


 ケアドはアリアの言葉に間髪入れずに反論していた。


「こんな表情の見えない似顔絵じゃあ、本人かどうかなんて分からないだろ? 髪の長さは時間が関係してるかもしれんが、髪の色が似てるってだけで、犯人扱いされちゃ溜まったもんじゃない」


「ケアド……」


 ぱあっと明るくなるアリアだが、その後ろに後付でケアドが申し訳無さそうに話してしまう。


「――まあ、俺も……最初は君だと確信してたんだが、な」


「むぅ……ひどいです、ケアド」


「確かにケアドさんの言う通り、これだけの情報だけで断定する人は少ないでしょう。けど……」


「ああ。俺が信じてしまった理由はまだあるんだ」


 少年は息を飲んで、落ち着きながら言葉を紡ぐ。


「――その似顔絵の人物は自らを『アリア』と名乗っていたようなんです」


「えっ?」


 アリアに衝撃が走る。確かに似顔絵だけであれば否定する人もいるだろう。

 しかし、その人物が自分の名前を言っている。騙っているのか、はたまた無意識の自分が名乗ったのか。


「そう名乗られちゃ、俺も最初は信じるしかなかった。これが記事の捏造ではない限りは」


「……この国にアリアと名のついた人が入ってきたという情報は、瞬く間に広がってしまいました。だから、みんな恐れたんです。お姉さんを」


「そうだったんですか。一体、誰が私の名を騙って……」


 思い詰めるアリアに向けて、ケアドがゆっくりと頷く。


「だから真実を探そう。真犯人が分かれば、この街の人々だってきっとアリアのことを気に入るはずさ」


「……ありがとう、ケアド」


 ケアドにだけ向ける、アリアの安堵しきった表情。今の彼女は、完全にケアドが心の支えとなっている。

 それまでの生活は想像に難くないだろう。支えのない彼女がどれほどの絶望を受け入れ、ゆっくりと確実に前へ一歩ずつ進んでいたのかを。

 張り詰めた緊張を緩ませることなく、彼女は毎日を送っていた。それだけは事実であった。

 おもむろに、少年は部屋の窓を開け放った。


「襲われている場所は路地裏です。だから、もし犯人を捕まえるなら路地裏で待っていればきっと来ます」


「最近は事件、起こってないのか?」


「はい。さすがに夜の外出を控えるよう伝えられていますから」


「それじゃあ、早速今日の夜から張り込みましょう」


 やる気満々のアリア。もちろん、ケアドも異論はなかった。

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