アリアたちへの祝福

 空気も美味しく感じられるほどの青空の下、アリアが楽しそうに野山を登っている。

 軽い体がさらに軽く感じられてしまうほど、彼女の歩みは軽快かつ涼しげであった。

 そんな彼女の後ろについているのはケアド。彼女と違い、彼は辺りを警戒しつつ慎重に歩みを進めている。

 ケアドの歩みが遅いためか、アリアは後ろを振り返って彼を急かす。


「ケアド! もう少し早く歩けないんですか?」


「お前な、ここがどういう場所か分かってるのか?」


 ため息まじりの質問がケアドから発せられる。

 ここは傾斜も緩やかで、青々しい草が生い茂り、風も心地よい落ち着ける空間ではある。モンスターの生息地であることを除いては。

 本来、この場所はデートスポットとして賑わってもおかしくない場所だった。アリアがワクワクしながら軽快なステップを刻むのもそういった理由があるのだ。

 だが、ここはモンスターが出現する場所でもある。人間が心地よいと思う場所には、モンスターも同じく思うのも道理。

 気性は大人しいが危険なモンスターはうろうろしているのが、この場所だった。


「分かってますよ。お金が手に入る場所、ですよね?」


 ニコニコしながらアリアは答えを述べる。

 これはケアドが求めていた回答ではないものの、アリアという女性を把握するのには十分すぎる答えだった。


「……こりゃ言っても無駄か」


「こんな場所はさっさと抜けて、ドラゴンさんを倒す。そうしたら私たち、すぐに別の国に旅立てるんです。それに見て下さい。この青空! 私たちのこれからを祝福してるみたいじゃないですか!?」


「そうかね……」


 ケアドは額の汗を拭って空を俯瞰する。

 確かに、空は清い青に染まっており、のどかな気持ちを起こさせる。

 だが、こんな場所で和んでいてはモンスターの食事にされてしまうのは明白だ。

 ケアドは再びアリアを見合って、注意を促した。


「とにかく気をつけろ。いくらなんでも気を抜きすぎだ」


「はーい。分かりました!」


 手を挙げて同意のポーズを取るアリア。クルッと前を向いて、再び歩き出す。

 機嫌がいいのは間違いなく、時折、彼女の鼻歌がケアドに聞こえてくる。


「やっぱり……普通の女の子、だよな……」


 唯一つ、世間を知らなすぎる、というのを除いて。

 どう考えても、ケアドにとって彼女が危険である可能性が見いだせない。

 一日を共に過ごしただけではまだ時期尚早かもしれないが、ケアドの結論は一つにまとまりつつある。

 だからこそ、自分が入手していた情報と食い違っていることに疑念を抱かずにはいられないのだ。ケアドは、確かにアリアが恐ろしい人間だという情報は掴んである。

 後は、彼女の呪いと共に利用し、時が来れば捨てていいはずだった。


「ねえケアド! あと少しでしょうか?」


 自分に向けられる笑顔。ケアドは目をそらしながらも少しずつ、彼女に惹かれているという自覚を持ち始めていた。

 お姉さまのような外見と、幼気な少女のような明るい内面。アリアの相反する魅力に、彼は取り憑かれている。

 そんな彼女を見ていたからだろう。彼女の背後に潜む何者かに気がつけたのは。


「――アリアッ!」


「え――」


 アリアの首筋に迫る銀色の光。

 ケアドの視点からはそのまばゆい光しか見えないが、彼の経験からして『武器』だと断定した。

 彼は無意識に駆け出していたが、アリアが先行して歩いていたため、その距離は近いようで遠い。二、三歩では近づけない距離であることは確かだった。


「あっ――」


 澄み切った青空に朱色が交わる。

 アリアの首からは血が飛散し、玉となって降り注いでしまう。

 その時、ケアドは見た。アリアを襲った相手を。


「お前……!」


 スローモーションのように倒れていくアリアを見下していたのは、ギルドの人間だった。

 今まで物陰に隠れて気を伺っていたのだろう。重い鎧はカモフラージュのため、薄汚い緑色に塗られていた。

 力なく地面に倒れたアリアは、そのまま山を転がる形で下ってしまう。

 そうして岩にぶつかり、ピクリと動かなくなってしまった。


「ハハハッ! やったぞ! これで俺もギルドリーダーに認められるぜ!」


「テメェ……!」


 ようやくケアドがギルドの人間の下まで近づくことができる。

 ギルドの人間はケアドがいたことに驚きながらも、アリアを『殺した』喜びに震えていた。


「これが俺たちギルドと女の差ってやつさ。ナメた格好でモンスターと戦おうだなんて、終わってんだよなあ」


「何も……何も殺すことはないだろ!」


「んぁ? お前、この女に肩入れしようってのか?」


「当然だ。アイツは……アイツはな……!」


 いざ反論しようにも言葉にならないケアド。

 だが、彼に渦巻いている感情は一つだった。目の前の人間を殺す。彼を突き動かしているのは、その感情だけだ。

 ケアドは懐から剣を二本取り出し、両手でそれぞれ持つ。

 一本は長く、もう一本は短い剣。長い剣の方で敵をいなして、短い剣で懐に忍び込み、殺す。

 彼の戦闘はあくまでも独学であったが、これで数多くのモンスターを退治してきた経験だけはあった。

 そんなケアドが男に襲いかかろうとしたその時、アリアの死体がある方から声が聞こえてきた。


「――痛っ……。一体何が起こったんですか……」


「な、何っ!?」


 驚いたのはギルドの一員の方だった。

 それもそのはず、首筋を斬られ、岩に激突して死んだと思われていたアリアが、目を覚ましているのだ。

 しかも、抑えている斬られた首筋には、かすり傷と思われても仕方のない程度の切り傷しかついていない。

 思っていたよりも軽い傷だと判断できたケアドはホッと安堵していた。そして、勝ち誇ったかのように男へ振り返った。


「おい、どうやら暗殺は失敗したみたいだな!」


 違う。男は口を開けて否定したかった。

 しかし、彼にはちゃんとした感触があった。首筋を斬り、血管を切り落とした感触が。アリアの目に光が無くなり、死ぬ瞬間を。

 その感触を感じているにも関わらず、目下に見えるアリアは平然と立ち上がっている。

 アリアの死を否定をすれば、今の自分を否定することになる。その状況は男に恐怖を感じさせた。


「クッ……そうだ。気の所為だ……気の所為なんだ……! だったら、もう一度殺してやるよ!!」


「やってみろ。俺が絶対にさせないがな!」


 剣を構えるケアド。

 恐れを隠しながらも懸命に剣を振るう男の攻撃を簡単にいなし、ケアドはその懐に小刀を突き刺す。

 いくら鎧に身を固めても、鎧同士の僅かな隙間という弱点が必ず存在する。

 ケアドはその隙に潜り込んで殺すことに長けていた。


「ガァッ!」


 肩と腕の隙間に剣を差し込み、すぐに引き抜くケアド。

 もちろん、男の方は痛みで剣の動きが鈍ってしまう。それがケアドにはチャンスだった。

 距離を取ったケアドは小刀を男の方へ投げつけて長い剣を両手で持った。

 再度接近するケアド。そして彼は、男の持つ剣を長剣で力強く弾いたのだ。

 宙を切る男の剣。それが地面に突き刺さるまでに、勝負は決した。

 長剣は両手持ちに変えれば、いとも簡単に男の体を斬り裂くことができる。それは男の死を意味していた。

 生を終えて、地面にひれ伏す男。びくんと体を震わせながら、斬った箇所から大量の血液が流れ出ている。


「――アリア!」


 剣を捨ててアリアに駆け寄るケアド。

 彼女は頭を抑え、まだ意識が朦朧としているようだが、ケアドの声ははっきりと聞こえている。彼の方を向いて、恥ずかしそうに微笑むのだった。


「ケア……ド?」


「大丈夫か?」


「え、ええ。何とか……。何が起こったんですか?」


「お前の後ろからギルドの人間が襲いかかってきてたんだ。首を斬られたようだが……」


 話しながら、ケアドはアリアの状態を見る。特に、斬られた首筋を観察するが、ほんのかすり傷程度で済んでいた。


「良かったな……。もう少し深く斬られてたら死んでたぞ。お前」


「そ、そうかも……しれないでしたね」


「とにかく、無事で良かった」


 アリアが無事だということでケアドは安堵する。それと同時に、彼の心は決まりつつあった。

 アリアを味方と思い、そして一緒に行動していきたいと思っていると。

 あまり暗い雰囲気になっても、後が苦しいだけ。ケアドはすっくと立ち上がると彼女に微笑みながら手を差し伸べた。


「ほら、行くぞ。お金がアリアを待ってるんだろ?」


「……はい」


 ほほえみ返すアリア。彼女は無抵抗にケアドの手を取った。

 男の力によっていとも簡単に立ち上がることができた彼女。男の子の力強さを肌に感じて、ほんの少しだけケアドから目をそらした。


「あの……ケアド」


「ん? 何だ?」


「その……ありがとうございます。私なんかのために……怒ってくれて」


「……あ、ああ」


 アリアの感謝の気持ちを素直に受け取れないケアド。そう、彼は彼女を利用するために出会ったのだ。恨まれはすれど感謝される謂れはない。

 だが、現に彼はアリアに惹かれている。自分自身の心がまだ不安定な状態で、彼はアリアに対して苦い言葉をかけることしかできなかった。


「? どうしたのですか?」


 はっきりとしない態度を見せたケアドをアリアは疑問に思う。

 彼女にとっては、久々に自分を認めてくれた相手として、お礼を述べただけだ。それなのに、肝心の彼は曖昧な言葉で感謝の言葉を飲み込んでしまっていた。

 だが、彼女はそう気にしない性格であった。人には様々な事情があり、それを無理に暴こうとすれば、結局は自分が痛い目にあう。

 アリアはそれが分かっているからこそ、ケアドの態度を問い詰めることはしなかった。


「いや、なんでもない。それよりも、早く行かないと日が暮れちまうぞ」


「そうですね! 周りに気をつけながら行きましょうか!」


 お互いに疑問点を感じつつも、気が合っていく。


 先程まで先行していたアリアは、襲われた出来事の反省からか、ケアドの横にピッタリとくっついて歩いている。

 草原の雰囲気を含めて、ケアドはちょっとしたデートだと感じてしまう。

 離れて気になっていた彼女は、近くに来すぎても気が気でなくなってしまう。

 妙にぎこちない感じになりながらも、他愛のない話をしながら二人は仲良く歩いていく。

 そして、唐突にアリアがケアドに話題を振った。


「あの……」


「何だ?」


「ちょっとだけでいいんです……手を……握っても……いいですか?」


「え?」


「――あっ! い、嫌ならいいんです!」


 自分に甘えてくるアリアに、ケアドは幼き日の妹の姿を見た。

 不安なことがあった時、彼の妹は必ず甘えて、手を握るようお願いしてきた。

 恐らく、アリアもそうなのだろうと、ケアドは思う。

 だから、彼の答えはシンプルなものだった。


「別に、構わない」


「えっ!? いいんですか?」


「何でアリアが驚いてるんだよ」


「だって……だって、私たちまだ知り合って間もないんですよ?」


「じゃあ、握らなくてもいいのか?」


 手を差し出すケアド。

 はっと息を呑むアリア。彼女もその右手を差し出そうとした。しかし、そこで一旦止め、彼女はケアドの右に回り込んで、代わりに左手を差し出した。


「どうした?」


「こっちの方が……安心するから、です」


 はにかみながら、アリアはケアドの手を握る。

 ここから先、ほんの少しだけ、二人の時間が流れる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る