ゴブリン退治の仕事

「さて、最初は簡単なところから始めていきましょうか」


 国の敷地からほど近い場所で一人、アリアはいた。

 彼女の意気込みを買うかのように、空は彼女の髪色のように晴れ渡り、澄み切っていた。

 しかし、敷地を離れれば、そこはすでに獰猛な獣たちの通行帯である。各地を転々とする行商人でさえも、この世界では常に護衛を付けなければならない。

 アリアのような、ブラウスにフリルスカートといったおおよそ育ちの良い令嬢という服装は似つかわしくない。

 彼女の受けた依頼。それは国の敷地を狙う数十体のゴブリンの討伐だった。最近、この国の周りでは国を狙うモンスターが増えつつある。それが野生の無意識なのか、野生を取りまとめる「何か」がいるのか。

 国も調査を行っているが、その詳細は掴めないでいる。

 ふぅと息を吐いたアリア。意気込みはバッチリだということを自覚し、再び依頼の場所へと歩き出す。

 その後ろで、物陰に隠れながらアリアの様子を伺う存在に気づかずに……。


「申し訳ございませーん。ゴブリンさん、いらっしゃいますかー?」


 依頼されていた場所へとたどり着いたアリア。その第一声が至って丁寧な発言だったことは、やはりゴブリンを驚かせた。

 平均して小さな体をさらに縮こまらせ、草むらに隠れているゴブリン。

 しかし、アリアの丁重な言葉さえ、ゴブリンの警戒を解くには至らない。

 アリアは首を傾げつつも、草むらを歩き回ることにする。


「あら? ここはもう討伐されてしまったのでしょうか……」


 踏んだ時の、若草の軽くはつらつな音を鳴らしながら、彼女はゴブリンの姿を捜索する。

 彼女も伊達にモンスター退治を行ってきたわけじゃない。ゴブリンの姿は容易に発見することができた。

 ゴブリンと目が合うアリア。彼女は屈託のない笑顔をよりによって敵に向けている。


「おはよう御座います。ゴブリンさん」


「ギ……?」


「あの、申し訳ございません。ここから先は私たち人間の領地なのです。最近、この国を襲っているそうですが……何故そのようなことを?」


「ギギッ」


 第一声と同じような言葉のゴブリン。通常の人間では言葉を理解することすら不可能だろう。

 しかし、アリアは理解できる。彼女は敵の言葉を聞き、そして驚きをみせた。


「えっ? でも、数百年間、このままで平和に暮らしてきたではないですか。どうして領地を広げようとするのですか?」


「ギッ」


 襲いかかるゴブリン。彼の爪は鋭く尖っており、一突きすれば常人には致命傷となる。

 その致命傷をなるべく避ける目的で、モンスターと戦う人々は鉄製の装備を身に纏うことが多かった。

 ギルドを本気で仕事にしている人間は、モンスターと戦えなくなった時に自分の存在意義を失う。自分が長い間、仕事に関われるように保険をかけておくのはもっともらしい理由だった。

 ……アリアは纏っていないのだが。


「あらっ」


 サッと回避するアリア。笑顔は少しだけ鳴りを潜め、代わりに困惑の表情が出てくる。


「私は別にゴブリンさんを根絶やしにしたいわけではないんです。ただ……平和に解決できるなら解決したい」


 ゴブリンは構わずアリアへ攻撃を続ける。そして草むらから出てくる数十体のゴブリン。

 これだけの数ならば、目の前の女一人くらい容易い。何より、目の前の女の装備は貧弱だ。

 そう考えているゴブリン。彼らはすでに勝利の算段がついている。


「誰かに脅されてとか、仕方なくとか……そういった理由ではないのですね? これはあなたたちの意思。強い意思の元に領地を奪い取ろうとしているということで……よろしいんですね?」


 ゴブリンが一斉に声を上げる。それはアリアの言葉を肯定していた。


「そう……ですか。なら……戦うしかありませんね」


 覚悟を決めるアリア。その瞬間から、彼女の脳内は戦いに関することで満たされる。

 懐から取り出したのは魔術の本。彼女は主にこの本を使用して戦いを挑んでいた。

 ページを開き、とある箇所で捲り止める。


「後悔は……しないでしょうね。自らの意思に沿って戦い、死ぬなら……きっと本望でしょう」


 ゴブリンは波状的に攻撃をしていく。一体であれば『隙』ができるが、数十体いることでその弱点をカバーできる。

 絶え間なく続けられる爪の攻撃を紙一重で回避しながら、アリアは魔術本に記載されている呪文を読み上げていく。

 それは人語では言語化できない。書くとすれば、一つの単語でなく、一つの線のような音程に上下のない一定のテンポと一定の音階で奏でられている。

 唱え終わったアリア。左手で持っている光を帯びた魔術本から赤い球体が放たれ、右手に吸い込まれる。

 右手が光を握りつぶし、光は炎となって右手を覆う。温度を感じないのだろう。そのような状態になってもアリアの表情に変わりはない。

 むしろ、ゴブリンたちを睨みつけていた。


「ですが、せめて、痛いと思わせないように一撃で仕留めます」


 アリアは握っている右拳をゴブリンに向けて突き出しながら即座に開け放つ。

 すると、右拳から無数の炎の弾丸が発射された。とてつもないスピードを誇ったその弾丸はゴブリンたちをあっさりと捉えていく。

 逃げる時間さえも無いゴブリンたちは為す術もなく炎の弾丸を撃ち込まれていく。

 全てのゴブリンが、死ぬ瞬間を『意識』できなかっただろう。それほどまで、ゴブリンの死に顔は苦痛に悶える表情すらしていなかった。


「……ふぅ。良かった。撃ち漏らしたゴブリンはいないようですね」


 青々しく生い茂っていた草にも少し被害が出てしまい、小さな炎が燃え盛っている。

 しかし、アリアがもう一度拳を握ると、その炎は瞬間にかき消えてしまった。

 魔術本を閉じ、再び懐へと忍ばせるアリア。依頼は達成した。後はこの残状を報告すれば問題ない。

 アリアは背伸びをしてリラックスすると、国へ戻るために後ろを振り向いた。


「――よお」


 刹那、物陰に隠れていた何者かがアリアへと問いかけた。

 アリアは辺りを見回しながら、その声の主を探そうとする。

 声色から男性とアリアは推理するが、それ以上のことはさすがの彼女でも分からない。


「どなたですか?」


「おっと、そのままでお願いするぜ」


 アリアの力を警戒しているのか、声の主はアリアに動かないように命令する。

 一歩踏み出そうとしていた彼女は、取り敢えずその声に従うように立ち止まった。


「何が目的なんですか?」


「単刀直入に言おう。手を組まないか?」


「手を? こうですか?」


 アリアは能天気にも自身の手を網掛けのように組む。

 即座に困惑が入り混じったツッコミの声が入ってくる。


「いやいや違うだろ。一緒に行動しないかってことだ」


「……あ。あぁ! わ、私としたことが! 申し訳ございません。その単語は始めて聞いたもので……」


 言葉の意味を理解したアリア。彼女は顔を赤らめながらすぐに組んでいた手を解いた。


「ったく……。本当に今のゴブリンを殺した奴と同じなのかよ……」


「同じですよ? 後ろで見ていたんですよね?」


「ああ。それは……そうだが……」


「何はともあれ、一緒に行動するのなら、私は別に構いませんよ」


「……一応、問題はなさそうだな」


 声の主は物陰から表へと出てくる。アリアにその姿を見せるために。

 紺色を基調としたジャケットに、ポケットが多い機能的なカーゴパンツ。そして、ショートカットの髪型。

 そんな出で立ちをしていた声の主は男性だった。

 彼が動けば、左耳についたイヤリングが動き、その存在感を増していく。

 これもファッションの一つだろうか。アリアは最初にそのイヤリングに注目していた。


「やっぱり、男性でしたか」


「誰でも構わず襲いかかるってわけでもなさそうだな」


「私がそんな風に見えます?」


 自ら協力を持ち込んできた男だが、警戒は解かない。

 彼からすれば、異様な人物、多数のモンスターにも苦戦することなく勝利する手練。

 そのような相手に話しかけているのだから、その人物の人格によっては即殺されることも想定済みだった。


「警戒しただけだ。あんな数のゴブリンを即座に殺す奴だからな。何考えてんのか見極める必要がある」


「うーん……手練なら普通だと思いますけど……」


 男の異常な警戒心に、アリアは少しだけ口を一文字にして不満を表現する。

 実際、アリアよりも強いギルドの人間ならば、ゴブリンと会話するまでもなく瞬殺していくことだろう。

 下手に警戒している男に対して、アリアは警戒心を抱かない。逆に寄り添うように会話を続けた。


「それに、これから一緒に行動する仲間なら、少しは信頼していただきたいですよ」


「それもそうだな。……じゃあ自己紹介しようか。俺はケアド。お前と同じギルドの一員だ」


「そうなんですか! なら私は――」


「アリア、だろ?」


 きょとんとするアリア。それもそのはず、まだ彼女は自己紹介をしていない。


「どうして私の名を?」


 ケアドはアリアを見て自傷気味に笑ってみせる。


「あんだけ派手に暴れたんだ。嫌でも名前を覚えるさ」


 アリアはすぐに合点がいく。今日の出来事。ギルドのところで巨漢に襲われた時のことだ。

 あの時にアリアは自分の名前を名乗っていた。


「あ! あの時いらっしゃったんですね?」


「しっかし、よくアイツを黙らせたもんだな」


 関心したようにケアドが口を開く。


「アイツはここら一帯の防衛を任されている偉い奴なんだ。責任感とかも重くてな。それをアリア、アンタがノシてしまったってわけだ」


「そうですか。ちょっと悪いことをしてしまったかもしれません。後で会ったら謝っておかないと」


「火に油を注ぐようなもんだと思うがな……」


 彼女の能天気な印象は変わらず、ケアドは少々呆れ気味になっている。

 彼の気持ちはいざしらず、アリアは今度会った時にどのような謝罪をすればいいか、考え始めていた。

 王国へと戻るアリアとケアド。その間にも、会話は弾んでいく。


「それにしても」


「ん? なんでしょうか?」


「ギルドの肩を持つわけじゃないが、異常だぜ。アンタは」


「どうしてでしょうか?」


「そもそも、女性がギルドの一員ってのがだ。こんな危険なことしなくても仕事はいくらでもあるだろうに。そして、おおよそ戦いに行く格好でないのに、ゴブリンをあっさりと殺しちまったことだ」


「一つ目の疑問は、そうするに値する理由が私にはあるからです。二つ目の疑問は……やっぱりこの服装はいけませんか?」


 しょんぼりするアリア。

 自慢のフリルスカートを広げて可憐さをアピールするが、ケアドには刺さらない。

 フォローするわけではないが、ケアドも彼女に対して性的な意識をしていないわけではない。

 しかし、現在の彼女に気を許すわけにはいかないと、彼は本能的に思考していた。


「ま、世界は広いからな。お前みたいな奴も二、三人はいるだろう。だが……やはりその戦闘力。昔どこかで兵士として部隊に所属していたことは?」


「え? いいえ、ありませんよ。この力は私の独学です」


「……そうか。いや、もし、まだ『カルホハン帝国』が残っていたら主戦力となって引き抜かれていただろうなあと思ってな」


 アリアはある単語を聞き、歩みを止める。

 今まで能天気な印象が強かった彼女が見せた、始めての憂いだった。

 後ろ頭に手に組んでリラックスしていたケアドは、立ち止まったアリアを気にして振り返る。


「どうした?」


「カルホハン帝国が残っていても、そんなところに私は入りません」


 アリアの否定。不審に思ったケアドは彼女の否定を深堀りしていく。


「どうして? 昔存在したカルホハン帝国は軍事力が高く、実力主義。力のある者が権力を握り、弱いものは蹂躙される。そんな腕っぷしが物言う国が、アンタにはお似合いだと思ったんだがな」


 カルホハン帝国。今は滅亡したが、かつては世界を牛耳る力を持っていたほど強大な帝国だった。

 力が全てを支配する政治であり、多くの兵士を従え、武力を持つ軍事国家だった。

 他の国へ攻め込み、暴虐の限りを尽くし、国を乗っ取る。そうして領土を広げていたが、ある時期に一気に滅亡まで進んでいってしまった。

 その諸行無常の栄光と繁栄を称賛する者もいれば、自業自得と悪罵する者もいる。


「――私は争い事が好きというわけでは。モンスターを殺しているのも生きるためですし」


「……そうか」


「あんな帝国、滅んで当然ですよ」


 関わりたくない。彼女の強い言葉からそれを聞き取れる。

 アリアはその後、帝国の話をすることなく歩くことを再開する。

 ケアドも特に会話することなく、二人は無言でギルドの建物へと歩いていくのだった。

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