その少女、アリア

 朝、一人の少女が入口の門から中へと一歩踏み出した。入国が許可されたその少女は周りの様子に目もくれず、目的地へと歩き始める。

 左右をテールに縛っても有り余る、腰まで伸びている澄んだ空色の髪。それをなびかせて歩く姿はすれ違う人々の注目を集める。

 そして、彼女の澄んだ笑顔が人々へ癒やしを与えていく。

 彼女の個性を象徴した薄桃色のブラウスの上に着込むサロペット、落ち着きのある色のフリルスカートも相まって、彼女の人となりを想像させるに難くない。

 さながら、彼女は他国の令嬢と思われてもおかしくない身なりだった。しかし、彼女の両隣には彼女を守るための兵士は存在しない。令嬢であれば、兵士が横について護衛するのが普通である。だが、彼女はそのような格好をしながらも一人で歩いていたのだ。

 そんな彼女が向かう先。それは誰もが想像できない場所だった。

 とある場所へと立ち止まる少女。そこは重苦しい空気を醸し出している砦の建物だった。

 少女は小さな紙を広げながら、そこに書かれている名前を探す。

 目を泳がせて、その名前を見つける少女。フッと顔をほころばせ、彼女は砦の門を叩いた。


「御免下さい」


 扉を開けて、彼女は中へと入る。

 その瞬間、一斉に彼女を見る目、目、目。

 獲物を見定めるような目つき。屈強な男たちが装備を整えながら少女を睨みつけてくる。

 お前が来ていい場所ではない。

 そう発言しなくても理解できる『殺気』を、男たちは一斉に放っていた。

 そんな中でも、少女は屈せず屈託のない笑顔を見せる。


「あの、つかぬことを伺いますが……受付はどこでしょう?」


 ピリピリした雰囲気が張り詰めた中でも冷静な者はいる。

 不審に思いながらも哀れな彼女のために受付の場所を指差した男はその一人だ。

 そこはカウンター越しに女性が書類整理を行っている場所だった。

 少女は深々とお辞儀をし、受付へと向かった。


「恐れ入ります。ここが受付でしょうか?」


「はいはい……って、え? 女?」


 書類にサインをしながら、声色に怠惰を乗せていた受付が顔を上げる。

 目を細めて退屈を満喫していた受付は、一瞬にして目を見開いた。


「女ですけど……いかがなさいました? あなたも女性でしょう?」


「私は関係ないだろ。……ここには何の用で?」


「もちろん、モンスター退治の依頼を受けに、ですよ」


 当然の如く少女は言う。ウインクもしながら、彼女は受付に対して邪な目的がないことを暗に伝えている。

 頭がおかしいのか、それとも酔っぱらいか。少女を流し目に、受付はそう思った。しかし、目の前の女にアルコール特有の刺激臭はなかった。むしろ、ちゃんと香水をまぶして身だしなみに気を遣っている。

 受付は首を傾げつつも、名を聞くため雑がみに手を伸ばし、ペンを手に取った。


「……なら、名前は?」


「私はアリアと申します」


「アリア? アリア……」


 いるわけがない。ここに所属するのは一輪の花じゃない。一振の剣だ。

 名前を聞きながら馬鹿にしたようなため息をつく受付。人を殺すことも可能なほど分厚い紙束を広げ、慣れた手付きで紙を捲りあげていく。


「バカじゃないの? ほら、アンタの名前なんて……は?」


 一枚の紙で受付は手を止める。

 確かに存在していた。『アリア』の名は。

 そこに描かれていた似顔絵とも比べてみるが、そっくり、いや、同一人物だった。


「あのー……ありましたか?」


「――っ、あ、あったよ。確かにね……」


「良かったぁ。もし、更新されていなかったらどうしようかと思ってましたから!」


 ホッとした表情を浮かべる少女――アリア――を無視し、受付はアリアの情報を見る。

 失敗が多いが、目をみはるのは生還率だった。戦っているのは凶悪なモンスター。いわば、失敗すれば死に繋がる。

 そのような仕事でアリアは『数百もの』依頼に挑戦し、『傷一つなく』生き残り、受付の視線に笑顔を返している。

 また、近年ではそれなりにモンスターに勝利し、成果を残していることは紙の情報から分かる。

 しかし、受付はまだ納得できていない。目の前の幼気な少女がモンスターを退治していることなど。

 体つきが特別たくましいわけではない。女性的な部分は全く失われていない。

 腕付きも余計な贅肉がなく、健康的な華奢さを見せつけている。

 だが、ここに記載されている以上、無視するわけにはいかない。資格ある人間に依頼を渡す。それが受付の仕事なのだから。


「……じゃ、今選べる依頼はこんくらいだよ」


「わぁ。結構あるんですね! ありがとうございます!」


 受付から紙束を受け取るアリア。受付から翻して空いているテーブルへと向かう。

 彼女の毛髪から発せられるほのかな柑橘系の香りが、受付の疑惑をまたしても深まらせてしまっていた。


「さて、今日はどこを片付けていきましょうか……」


 ウキウキしながら、アリアはテーブルに先程の紙束を広げ、モンスターの品定めを行う。


「討伐するなら、脅威度の高いモンスターがいいですよね~。でも、まずは……」


 呑気な彼女の声が、立ち込めていた殺気という空気を朗らかにしていく。

 その時、アリアの後ろからテーブルが乱暴に倒れる音がした。


「……あら?」


 気になったアリアは後ろを伺う。そこには、鉄と鉛の鎧を身にまとった男が、彼女へ敵意を向けていた。

 ただ鎧を着けているだけではない。肉体もそこそこに鍛え上げ、力に自信を持っている男だ。


「大丈夫ですか? 突然テーブルが倒れるなんてびっくりしましたよ」


 煽っているのか、はたまた天然なのか、とにかくアリアは慈悲深い表情を浮かべて男を見つめる。

 アリアにその意思がないとしても、男には『煽り』と受け取られる。

 男は舌打ちをして、アリアへとまっすぐ向かってきた。


「テメェ……何様のつもりだ?」


「始めまして。私はアリア。モンスター退治を生業にしているギルドの一員です。皆さんと同じ仲間ですよ」


「ふざけるなっ!!」


 男はアリアの首根っこ掴み、持ち上げる。


「わぁ凄い! 力持ちなんですね」


「お前のようなところが来る場所じゃねえんだよ……! このギルドって場所はな!」


「でも、ちゃんとギルドに登録されているんですよ? ほら、さっきの。受付にも確認済みです」


 受付に向かってウインクをするアリア。

 受付は目を合わせず、書類整理に躍起になる……フリをしてこの場から逃れる。

 フッと嘲笑する男。彼女の言葉も、バッサリと切り捨てていく。


「そりゃあ、大層出来損ないのクズが登録を決めちまったんだろう。お前がギルドに入れるはずがない」


「その根拠は?」


「ここは命を懸ける場所だ。モンスターと戦い、明日死ぬかもしれない。そんな場所で、テメェのようなアホはいらねぇんだ」


「私だって、命を懸ける覚悟はありますよ?」


「そんな装備で? 何が出来るってんだ。ピクニックに行くわけじゃあねえんだぞ!」


「えー? そうですか? この服、結構気に入ってるんですけど……」


「じゃあ分からせてやるよ! ここには不釣り合いだってことをな!!」


 男はアリアを持ち上げたまま、空いている手の方で拳を作り、彼女の顔へと突き出していく。

 鍛え上げられた腕から放たれるパンチは、空を切るスピードでアリアへと向かってくる。

 だが、アリアはそのパンチを右手でいとも簡単に受け止めた。


「あら、暴力はダメですよ?」


「な、何だと!?」


 男には、心なしかアリアの右手が大きく見えるような錯覚を起こっていた。

 それは彼女の余裕から生まれてくる男の焦りか。それとも、男の幻覚か。

 とにかく、アリアは困った表情で男を窘めていく。


「ここがどんな場所か私も分かっています。私はこの方法で生きていくしかないんです……」


 そう言いながら、アリアは右手に力を込めていく。

 男の顔が歪む。それはアリアに握られている手に圧力がかかってくるからだ。


「大抵の国に存在するギルドの依頼を受け、モンスターを倒してお金を手に入れる。様々な国を巡りたい私が生計を立てるにはギルドが必要なんです。分かっていただけましたか?」


「ぐっ……クソッ!」


 首根っこを掴んでいた男は乱暴にアリアを離す。

 彼女は優雅に着地し、傷一つつかなかった。

 ざわめく群衆。あの男はここではちょっと名の通ったギルドの一員だったのだろう。その男が少女に力負けした。

 もちろん、そんなこと意に介さないアリアは再び紙束に目を移したのだった。

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