呪われし少女たちのアリア

烏丸

とある国で起こった惨殺事件

 濃霧。その日は、陰気な空気が流れているスラム街がより一層陰気になるほどの霧が立ち込めていた。

 深夜、普段は安全と勘違いしている人々が眠りについている時間帯。そんな時間に一人の少女が宛もなく歩いていた。

 頭がすっぽりと収まる大きなベレー帽を深々と被っているため表情は見えないが、少女はふらふらとうなだれるようにして前へ進んでいる。

 上の空なのか、向かってくる男にも気づかず、肩をぶつけてしまう。しかし、それにも気づかない少女は男を無視して歩を進めていた。


「ってぇな……!」


 肩をぶつけられた男はぶつけられた肩を手で抑えながら後ろを振り返る。肩をぶつけた相手がどんな命知らずか確かめるために。

 小柄な見た目。華奢な体。くすんだ青色の髪を見た男はその瞬間、文句を言おうと手を伸ばした。


「おい。待てよ」


 伸ばした手は少女の肩を掴む。

 掴まれた少女はゆっくりと体を回し、男と向き合った。

 彼女の毛先が意識的に揺れるが、相も変わらず表情は見えない。


「ぶつかったのに謝罪も無しってのはどう……なん……だ……?」


 男は強い口調で少女を糾弾する。……が、男から見た少女はとても魅力的に見えてしまった。

 泥で汚れ、傷でボロボロになっているブーツ。健康的には見えないが若くスベスベとした肌を露出させている足。

 黒色のインナーの上からは、深い茶色のサロペットを身にまとっている。

 そして何より、彼女の胸が魅力的に大きいというのが、男の心をくすぐった。

 最後に、さらに男を増長させるアイテムが少女の首にかけられていた。


「それ……奴隷の首輪か? 逃げてきたんだろうが……」


 ちょうど下半身の場所で千切れている首輪の鎖。男の支配欲を駆り立てていく。


「ひひっ。今夜、俺と『遊んで』やれば、さっきのことチャラにしてやるよ」


 さっき肩を掴んだ感触からして、彼女は『当たり』だ。

 奴隷ならこういう『行為』は日常茶飯事だろう。男はいけると踏んだ。

 男はすでに獣と化している。性的なことしか考えられない愚かな存在に下してしまった。

 そんな有頂天の男が冷水をかけられるかの如く戦慄したのは、始めて言葉を発した少女の一言だった。


「――くれるの?」


「あ?」


「遊んで、くれるの?」


 男と会話するために顔を上げた少女。全てに絶望し、破壊を求めている笑顔。そして、クマができている眼差しは男の生殺与奪権を奪い取った。

 関わってはいけない存在と出くわしてしまった。

 男はその瞬間、煩悩が消え去り自分がどうやって生き残るかを考える本能に目覚めた。


「い、いや! やっぱり止めとくよ。……っ」


 後ずさりしながら、少女と距離を取ろうとする男。

 こんな状況下で、少女の名前を聞いていなかったという下らない考えが浮かんでしまうのは、現実逃避したいからか。

 とにかく、男はここから逃げ出したいとこの場から走り去ろうとした。その瞬間。


「わ、悪かっ――グアッ」


 声帯を潰すかのような鈍い声が男の口から発せられる。

 男の生命を司る赤い液体が地面へと溢れていく。

 少女は、この一瞬で男の心臓を右手で貫いていたのだった。


「ボクの名前……知りたい?」


「し……知ら……」


 名前を聞けば離してくれるのか。俺は生き残れるのか。

 男は藁にもすがる思いで少女の名前を聞きたいと願う。


「ボクはね――」


 華奢な体から想像がつかないほど、彼女は男をその右手だけで持ち上げていく。同時に流出する男の血液。

 地面から離れる足をバタつかせながら、男はなんとしても逃げようとする。

 しかし、流れた血が多すぎた。

 男は視線を空へと移して最後の一言……断末魔と言うには呆気ない一言を発した。


「グハッ」


「……つまんない」


 男が動かなくなったことで少女は笑顔を止め、右手で貫いていた物を乱暴に捨てる。

 地面に落ちた男の体。息絶えた男の体からは淀みなく血液が流れていく。血は地面を流れていき、その範囲を広げていく。

 血が少女の靴に侵食する前に、少女は男を見下しながら踵を返して歩みを再開する。

 ……翌日、男が死んだことは町中ではよくある日常の光景として小さなニュースになっていた。

 少女の奇行は誰にも気づかれることなく、話題にもされなかった。

 ……これがただの一度だけであれば。

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