三 私と家族
その後。私は結婚した。
野島さんが小林になった。野島さんは私を佳子さんと呼んだ。私は野島さんを幸二さんと呼んだが、野島さんと呼ぶことが多かった。
私たちに子どもはできなかった。野島さんのせいではない。私の体質だった。私の父も母も子どもができにくい体質で、母が四十歳の高齢になってやっと私が生まれた。私は母と父の体質を受け継いでいた。
「不妊治療もありますが、子どもは天からの授かりものです。
できないときは、養子を探しましょう。佳子さんの遠縁から探すんです。いなかったら、その後は、僕の遠縁から・・・」
野島さんはそう言って私を抱きしめ、居間から庭の樹木を見ていた。
庭の樹木は私たち夫婦と父母のそうした悩みを癒やすように青々と茂っていた。
私が結婚してまもなく、父は不動産会社を退職して、あの父と野島さんが設計した集合住宅の管理人になった。野島さんは時間があるたびに父の元を訪ね、地主を交えて集合住宅の樹木を観察し管理した。父は六十代半ば、地主は七十代前半、野島さんは三十半ば。三人は歳を越えた良き同胞だった。我家の庭の樹木と同様に、同胞に見守られた集合住宅の樹木は青々と元気が良かった。
それから、二十年。父も母も元気だった。父と野島さんの同胞の地主も年齢を思わせぬ健康を維持していた。
樹木の芽吹きの頃。
「こうして元気でいられるのは、ここの樹木のおかげだ。樹木から元気の源を貰ってる。
そして、樹木をこのように守ってくれた、お二人のおかげだ!
お二人には感謝の言葉がありません!
集合住宅の入居者も、樹木に理解ある人たちばかりでうれしい限りです!」
日頃に無く地主は穏やかに感謝の言葉を口にした。
父も野島さんも、地主に喜んで貰えてとても喜んでいた。入居者も集合住宅に樹木があることを喜び、率先して樹木の手入れを行なっていた。
それからまもない初夏。
地主がぽっくり亡くなった。九十代だったが年齢より二十歳は若く見えた。集合住宅の樹木を共に手入れしていた入居者は、地主の年齢を聞いて皆、呆然としていた。
地主の他界後、父と母は居間の床に座って、庭の樹木を眺めながらボンヤリする時間が増えた。落ちこんではいなかったが、何かをやり遂げた、そんな雰囲気が二人から漂っていた。
「良い森になりましたねえ・・・」
「周りの住人はいろいろ言うが、交通のじゃまになる枝や、電線に架かりそうな枝は、役所が処分してるから、今後も、佳子たちが困ることは無いね・・・」
母の言葉に、父は庭の樹木に関して万事整えてある、と告げていた。あの地主の集合住宅を建てて以来、父と野島さんの親子は、樹木の管理者として役所にも近隣にも名が売れていた。
父も母も、私たちの跡継ぎについて何も話さなかった。
私と野島さんは、父と母がいるこの家の生活が、あのオオタカの巣が有り続けるように、ずっと続くと信じて疑わなかった。そんな事はありえないのに・・・。
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