第11話


 貧しいけれど、楽しく暮らしていた。


 母親は「魔女」と呼ばれていて、村はずれの森の中に二人暮らしだ。


 時折訪れる村人に、薬草から調合した薬を売ることで生計を立てていた。


 母を早く手伝いたくて、薬草を一緒に採りに行っては、少しづつ知識を教えてもらっていた。


 降霊の魔女の能力が、幼くして発揮した日、母は喜んでくれた。


死者の魂を呼び覚まし、会話できる能力は、一部の村人には気味悪がられたが、物珍しさからかしばらくすると人の口に上るようになり、街からも死者と語りたいという者が来るようになった。


 母の薬の知識と、魔女の降霊術で、家は多少は潤った。


 父親はいなかったが、それ以上に母親から愛情をもらっていた。


 今思えば、あの頃の生活が「幸せ」というものだったのかもしれない。




「もっとラスールの魂を定着させる方法はないかしら」



 趣味の良い調度品に囲まれた王妃部屋で、レシャは紅茶を啜っていた。


 本来は紅茶は啜るものではないと、王家からつけられたマナー講師に口を酸っぱくするように言われていたが、改善するつもりはない。


 そもそも、生まれ平民なのだ。


 平民の自分が、貴族。ましてや王族に名を連ねようだなんて、バカげたことを考えたことすらない。


 周囲に強制され、この場にいるだけだ。


 せめてもの抵抗として、貴族の礼儀作法を覚えることを拒否していた。


 しかし、さすがに国の妃の前ではつたなくとも敬語を使わないわけにはいかず、いつもよりはよそ行きの言葉遣いを心がけていた。



「今の段階では、これが限界ですね。通常量よりも多く薬を投与してますし、これ以上飲めば、精神に異常をきたし体が壊れるかもしれませんよ」



 第一王子を亡くしてからの王妃は、喪失感からか、理性を失ったとのもっぱらの評判だ。もっとも、そのおかげで降霊術を行っているフォーコネ男爵が王妃の覚えめでたいわけだが。



「そう。ラスールの器が壊れてしまうのは、避けたいわね……」



 降霊術の噂を聞いて、フォーコネ男爵家を訪れた王妃は、始めの頃は、単なる降霊だけで満足していた。


 喪ったラスールの魂を依り代になる男に移し、会話する王妃は、慈愛に満ちた母親に見えた。


 すっかり降霊にはまった王妃は、離宮に男爵を呼び出すようになる。


 王妃は、男爵にとって、よい顧客だったのだ。


 しかし、王妃の要求は次第にエスカレートしていった。


 死者の魂を常に呼び出し、この世に定着させることを求められたのだ。


 実質、死者の甦りである。


 降霊の魔女は、そんなことはできないとつっぱねたが、王妃の圧力と報酬に目のくらんだ男爵の折檻により折れた。


 魔女は、不眠不休で魂を常に定着しておく方法を見つけ出した。


 だが、それは、体内に別の魂を宿した人間の精神を蝕むものだった。


 しかし、魂を別の体に定着させられると分かった時の王妃の喜びは、大きかった。


 初めの内は、実験として用意された奴隷の少年にラスールの魂を定着させた。


しかし、ほんの数か月で、少年は精神に異常をきたすことになった。


 ほんの数か月であっても、喪った息子が常に自身の側にいるという感覚が忘れられなかった王妃は、別の少年を用意し、魔女に同じことを要求した。


次は、精神に異常をきたさないように。と厳命して。


 魔女は、生き延びるために必死になって研究した。


 その結果、長きにわたって魂を定着させる術を見出した。


 それは、亡くなった魂とより近い肉体を持った者に魂を定着させる。という方法だった。


 研究結果を知った王妃は、何の迷いもなく、イブリースの体を使うことを提案した。


 次代の王を害することはできないと拒否した魔女に、王妃が取引を持ちかける。


 ラスールの魂を定着させたら、王太子妃の座をあげようと。


 それに目のくらんだ男爵は、魔女に命じてイブリースに近付き、薬を盛るように命じたのだった。



「それでも……ラスールは、もっとわたくしを尊重していたと思うのよ。なぜ、最近はわたくしの元に来ないのかしら?」



 王太子に薬を盛るという危ない橋を渡り、手に入れた今の地位だが、それも吹けば飛ぶようなものだ。


 そもそも、魔女には、王家に連なりたいという欲はない。


 ただ、父親であるフォーコネ男爵に、命じられて動いているだけだ。


 イブリースに近付き、アンジュへの秘めた想いを利用した。


 アンジュを妬かせるためだと言って、手作りの薬入りのカップケーキを食べさせた。薬には常用性がある。


いずれ、イブリースはこの薬を求めるようになるだろう。と計算してのことだ。


 うまくいくかは、賭けだったが、結果として、うまくいった。



「さあ……」



 ラスールの魂がイブリースに定着するようになってから、王妃はみるみる元気を取り戻した。数年ぶりに喪服を脱ぎ、黒一色だった離宮に色が戻った。


 イブリースの体を使うラスールを側に呼び、楽しそうに菓子を食べさせる姿は、慈愛に満ちた母親そのものだ。


 しかし、最近、ラスールは死んでいる間、遅れてしまった学問を取り戻したい。と王妃の誘いに応じなくなっていた。


 そのことに業を煮やした王妃は、こうして魔女を呼び出している。



「あなたをとりたてているのは、あなたの能力のおかげだということをよく考えてね」



「はい」



 王太子妃候補の立場など本当はくそくらえだ。と脳裏で考えながらも、父である男爵がその地位を欲している以上王妃に逆らうこともできず、愛想笑いを浮かべながら返事する。


 魔女の返事に鷹揚に頷いた王妃は、魔女を解放した。



「……くそばばあ」



 離宮の与えられた部屋に戻った魔女は、侍女たちが去ったのを見届けて小声で悪態をつく。


 テーブルには、フォーコネ男爵からの手紙。


開いてみると、今日の夜に降霊の客が来たので帰るようにとの連絡だった。



「いつまで人で稼ぐつもりだ……。もう、うんざりだよ」



 男爵からの手紙を乱暴に破り、暖炉に放り投げた魔女は、人が二人は眠れそうなベッドにドレスごと飛び込む。


 幼いころ、魔女の森に暮らしていた魔女と母親は、男爵によって見つけだされ、保護という名の元男爵家に連れていかれた。


 魔女の力を欲した男爵が、若かりし頃の魔女の母親を妾として囲っていたのだが、子が生まれた時、力を利用されることを恐れた母親が逃げ出していたのだ。


 そんなことを知らなかった魔女は、本当の父親と暮らせる。と無邪気に喜んだのも束の間。二人の扱いは酷いものだった。


 魔女の力が顕現するまで、厩の側の小さな小屋で、一日一食パンとスープだけを貰って育った。


 足りない食事は、男爵家の残飯を漁って母と共に食べた。


 時折、男爵夫人が小屋に訪れ、母親を鞭打つ時もあった。


平民である母に男爵の子が生まれ、彼女には生まれなかったことが逆鱗に触れていたようだ。


 幾度も母に、逃げてあの森の家に帰ろうと提案したが、過酷な男爵家での生活で病を得た母は逃げる気力すら失っていた。


 母のために薬を、と男爵に額づいて頼んだ時、魔女の力を顕現させたら母親を丁重に扱おうと約束してくれた。


 そうして、昼は男爵家を抜け出し母のための薬草を探し、夜は魔導書を漁り、独学で魔法を学んだ。


 そうして得たのが降霊術だ。


 魔女の降霊術を見た男爵は、魔女を正式に娘として扱うようになり、母親にも毎日薬が届くようになった。


 魔女が降霊術を披露するたび、母親が生きることができる。


 降霊術は、魔女にとって生きるための術だった。



「ああ……王太子妃候補だなんて、なるもんじゃないね」



 ベッドに飛び込んだ魔女は、嫌そうに頭を掻きむしった後、勢いよく起きて、クローゼットに隠してあったローブと仮面を身につけ、栗色の瞳と髪を隠した。





 呼び出されたランスルー子爵邸で、魔女は降霊の儀式を行う。


 子爵夫人に、前の妻の魂を降ろすことが今回の仕事だ。


 魔女が、王妃の無理難題に応えられるようになってから、フォーコネ男爵が類似の依頼をもってくるようになった。休憩時間もなく酷使されてふらふらだ。


 魔女が想像していたよりも、亡くした者の魂を側に置きたいという者は多かった。自身の体内に他者の魂を入れたいと思う者もだ。


 ランスルー子爵夫人は、子爵に、前妻と比較され続けていると聞いている。


 魔女のような身分の定かではないものに対して顔を晒したくないのだろう。


子爵と子爵夫人は、仮面をつけてフォーコネ男爵と魔女を出迎えた。


 子爵夫人のように、誰かから比較され、別のだれかであることを求められ、心のバランスを崩した者が、助けを求めるように魔女の元を訪れる。顔を隠して現れる者も少なくない。


 前の人間の影を求められ、自分自身でいられなくなった者は哀れだ。


 腹の中では、胸糞悪い。と思いながらも、男爵からの命令には逆らえず、降霊術を施していた。



「それでは、降霊の儀を始めましょうか」



 案内された応接室では、ランスルー夫妻と侍女が控えている。


カーテンを閉めきった部屋は暗く、蝋燭の光が降霊の儀式の雰囲気を作っていた。


 ンスルー子爵夫人に事前に渡していた薬を飲んでもらい、ソファに座らせる。


 仮面とローブを身につけた魔女は、男爵に促されるまま、声を押さえて呪文を唱える。 魔女が素顔と髪を隠しているのは、男爵の命令だ。


 自分の身内に怪しげな術を扱う者がいることを知られたくない。


ましてや魔女のように怪しいものがいることを嫌った。


けれど、魔女の稼ぐ金は欲っした男爵による見栄だ。


 魂があるべき場所から、求められている魂を呼び出し、生きている人間に憑依させる。子どものころに発揮した能力だ。


 忙しい合間に採取してきた薬草から作った香を炊きしめ、呪文を唱える。


 魔女が呪文を唱える都度、隙間もないのに風が吹き込み、周囲の気温が下がっていく。



「…………っ」



 集中して唱えていた呪文が弾かれる。


 衝撃で倒れた魔女の前に、男爵が立ちふさがった。



「何をしている。子爵夫妻を待たせるな。申し訳ございません、すぐに前夫人の魂を呼び出させます」



 小声で脅され、痛む頭をおさえながら体を起こした魔女は、信じられないものを見る。



「それには及びませんわ、フォーコネ男爵」



 聞き覚えのある涼やかな声が、部屋中に響く。


 仮面を外したランスルー子爵夫人の顔に見覚えがあった。



「あなた方が王太子殿下の体を蝕む術を施していることは調べがついていますわ。神妙にお縄におつきなさい!」



 仮面の下から現れたのは、アンジュ——ラベー公爵令嬢——の声と共に、バンと扉が開き、ラベー家の紋章を胸にした騎士たちがなだれ込んできた。



「アンジュ、男爵は捕まえたよ」



 ランスルー子爵に扮したジルベールが、男爵に覆いかぶさり腕を固めている。


 ハメられたとさとった魔女は無言でローブをひるがえし窓に向かって走り出した。



「逃がしませんわ!」



 アンジュの投げた扇子が、魔女の足首に当たり転倒した。そこにすかさず侍女が飛びかかり押さえつけた。


 これはどういうことか、とわめいている男爵をよそに、靴音を立てながら魔女に近付いたアンジュは、顔全体を覆う仮面をはぎとった。



「フォーコネ男爵令嬢……あなたが降霊の魔女でしたのね……」



 栗色の髪と瞳を持つ魔女は、高いところから自分を見下ろす高貴な令嬢を睨みつけた。


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