第9話
あれから、数日。
優秀になったイブリースの噂で、学園はもちきりだ。
学園だけでなく、各学生の家にまで、噂は広がっているようで。イブリースをおだてて問取り入ろうとする学生が後をたたない。
それも穏やかな笑顔で躱され、相手にされていないようだ。
「王太子様、お茶の時間だよ」
これまでアンジュが付き従っていた席は、レシャによって埋められた。
指導役をおろされたアンジュは、なぜかイブリースから遠ざけられている。
面会を申し込んでも断られ、教室で話しかけても、穏やかな笑顔と共に拒絶されている。
「ありがとう。もらおうか」
レシャに注がれた紅茶を飲む姿は、まるで二人が『真実の愛』を語らっているときのようだ。
紅茶からほのかに香ってくる香辛料の香りが鼻につく。
イブリースから遠ざけられていることは、ラベー家にも話が行っている。レシャが、王妃のはからいで婚約者候補になっていることもだ。
イブリースがしでかした『真実の愛』事件で、評判の落ちた王家に機会を与えるために、アンジュが婚約者に戻るための条件を出したはずだ。
にもかかわらず、アンジュの対抗馬としてもってきたことに怒りを表明している。
ラベー家が出した条件を達成するため、また、一度壊れた仲をとりもつためにと、アンジュをイブリースの指導役にしていたにもかかわらず、イブリースの一存で外されたことにも怒っていた。
ラベー家が軽んじられたことに遺憾の意を表明した地位親kら、このまま婚約者候補から降りてもいいと言われたが、降りたところで待っているのは好きでもない相手との婚約だ。
一度、様子を見たいから。と父親を説得し、現状維持に努めている。
紅茶が香る教室から出て、公爵家へ向かう馬車へ急ぐ。
教室からは、再びイブリースがレシャを寵愛し始めた。と思った女子生徒たちからの嘲笑が漏れていたが、鼻で笑って立ち去った。
「お嬢様、調査のご報告に参りました」
公爵邸の自室。数日前から、屋敷の者に頼んでいた調査の結果が出たようだ。侍女のアンが、紅茶とともに現れる。
「ありがとう、アン。香りだけで探すのは大変だったでしょう」
数日前、王妃に回収された香水瓶。
あれの中身を、素早くハンカチに含ませ保管していたのだ。
ハンカチに含ませた香水を持ち帰り、アンに頼み、成分と香水を取り扱っている商店を探させていた。
「いいえ。これもお嬢様のためですから」
眼鏡の奥に切れ長な目を隠し、控え目な笑顔を浮かべるアンに紅茶を淹れてもらいながら、報告を聞く。
「降霊術ですって……?」
「はい。儀式の際に、この香りのする薬が使われていたようです」
昨今、庶民や下級貴族の間ではオカルト趣味が流行している。
催眠術や、死者と会話することができる降霊術が主な内容で、趣味を同じくする者同志、集まっては怪しげな儀式を行い、楽しんでいるらしい。
薬は魔女の秘薬と呼ばれ、降霊を行う魔女が用いていると淡々と報告がなされる。
「魔女……?」
「はい、数年前に男爵家に現れ、降霊術を生業にしているとか」
この国では、魔女という存在は珍しい。
たいていは、森の奥深くに住まい、人里を避けて暮らしている。
かつて、魔女の力を欲した人間が、彼女たちを乱獲したことにより、人間に利用されることを厭うている。
とはいえ、それもおとぎ話のような遠い時代の話で、降霊術を行っている人物が箔付けのために魔女の名前を語っているのだろう。
「どうして、フォーコネ男爵令嬢が魔女の秘薬なんていうものを持っていたのかしら……」
「儀式の参加者の証言によると、儀式はフォーコネ男爵が取り仕切っていたそうです。恐らく、そのルートから入手しているのではないかと」
アンの報告によると、催しの際は仮面を被り、怪しげな香を炊いた部屋に通されるそうだ。
部屋の中には、魔女と呼ばれている女と、死者の霊を降ろされる人間が一人。
死者の霊を降ろし、生者の魂と一体化させるためにこの香りの薬が使われている。
「そして、こちらが降霊会の参加者リストでございます」
アンは、男爵家の従僕を抱きこみ手に入れさせたリストをアンジュに手渡す。
中を確認したアンジュは、目を見開いた。
「アン……男爵家に乗り込む準備をなさい」
「お嬢様がこのようなことをする必要などなかったのですよ」
お忍び用の紋章を入れていない馬車に、アンジュを乗せたアンは、自らも乗り込みながら苦言を呈する。
「真実はこの目で見なければおさまらないたちなの。頼りにしてますわよ、アン」
蜂蜜色の髪をアップにし、黒のビロードにダイヤモンドを散りばめたドレスを身にまとったアンジュは、普段よりもキツメの化粧を施していて、よく見なければラベー家の公爵令嬢だとは分からない出来だ。
アンも、ダイヤモンドこそ散りばめていないが、美しい光沢の黒いドレスに身を包み、同じ色をした髪を美しく結い上げている。
それもそのはず、アンジュとアンは、これから行われるフォーコネ男爵家での降霊会に潜入するのだ。
「今から、わたくしのことは、ランスルー子爵夫人もしくは、奥様とお呼びなさい」
「かしこまりました、奥様」
夜道は暗い。特に今夜は、月が出ていないのでひときわ暗かった。
馬車が都市内にあるフォーコネ男爵邸前で止まる。
公爵邸よりもこぢんまりしているが、派手な装飾で飾られた邸宅前では、仮面をつけた侍従が出迎えている。
アンジュとアンも、羽飾りと花をあしらった仮面を付け、侍従にエスコートされて馬車を降りた。
「ようこそ、ランスルー子爵夫人。この会への参加は初めてでしたな」
通された屋敷内では、白い仮面をつけた恰幅の良い小男が二人を出迎える。
「あら、この会では、名は伏せるのではなくて? フォーコネ男爵」
「これはこれは、失礼いたしました。お美しい方々を見て、つい気持ちが先走りまして」
絹のロング手袋で包んだアンジュの手をとり、男爵が唇を落とす。
全身に鳥肌がたったが、顔には出さないようにする。後ろでアンが怒っている気配がする。
「あら、お上手ですこと。わたくしよりも美しい方々がいらしているでしょうに」
「いえ、そんなことはございません。お連れ様も本当にお美しい。いや、こたびの会の参加者は僥倖ですな」
はははと腹を揺らして笑う男爵に合わせて共に笑う。
全ての指に金の指輪をはめている男爵を見るに、資金回りは良さそうだ。
降霊会の参加費は、金貨二十枚。それなりに高額だ。
降霊会は、男爵家の資金源になっているのだろう。
「わたくしも、降霊会なんて恐ろしいと思っておりましたが、高貴な方もご参加されているとうかがったもので」
「ほう」
じろじろと胸元を覗き込んできた男爵は、服についているダイヤモンドの輝きに舌なめずりをしそうな勢いだ。
アンジュのことを、金回りのよさそうな相手だと認識したのだろう。
そっと手を口元にやり、秘密の話をする合図をした。歪められた分厚い唇に鳥肌がたったが、耳を近付ける。
「わたくしどもの会には、確かに高貴な血筋のお方が通っておられます。今宵の会にはいらっしゃいませんでしたが、何度も参加していただければ、あるいわ」
にいっと笑った男爵は、アンジュの手をすっと取り、両手でさする。
「まあ。楽しみですわ」
男爵の手をさりげなく外し、笑顔を向けると、だらしない笑みが返ってくる。
「それで、降霊会はまだですか?」
男爵の態度にじれたアンが、冷ややかな声を出す。
「これはこれは、美しい方々に囲まれ失念しておりました。どうぞ、こちらへ」
案内された場所は、男爵家の地下だ。
深紅の絨毯で覆われたロビーの隅にある、きらきらしい屋敷に不釣り合いな鉄製の重そうな扉を従僕が開ける。
蝋燭を手にした男爵を筆頭に、石造りの階段を一歩一歩降りてゆく。
下に進むにしたがって、不思議な香りが漂ってくる。
事前調査で書かれていた、薬草の香りだろう。
参加者の判断力を鈍らせる働きがあると聞いた二人は、事前に解毒剤を飲んできている。
階段が終わりに近付いて、入った時と同じような扉を男爵が開く。
すると、香の煙が一斉にアンジュたちに向かってきた。
むせかえる香りに迎え入れられながら、一歩、黒い絨毯を敷き詰めた薄暗い部屋に入る。中央のテーブルを囲むように、仮面をつけた男女が座っている。
アンジュたちが入ると、好奇の視線が一斉にとんだ。
視線を気にすることなく、男爵に案内されるまま木製の椅子に座った。
「あなたは、どなたを呼び出してもらうおつもりですの?」
隣の席の、黒い羽根を飾った老女が、アンジュに話しかけてきた。
曖昧な笑顔で返すと、老女はいいように解釈してくれたようだ。
「きっとあなたも、親しいだれかを亡くしているのかしらね。安心して、ここは、ほとんどの人が同じ思いを胸に秘めているの」
人好きのする笑顔の老女は、周囲に座る面々を見渡す。老女の問いかけに答えたことで、周囲の空気が和らいだ。
「フォーコネ男爵はね、わたくしたちにもう一度、家族と会えるチャンスをくださったの。ここに通うようになってから、わたくしね、本当に元気になったのよ」
誰かを思い出しているような顔で、優しく微笑む老女に、アンジュもにこりと笑う。仮面吹越から見える老女の瞳は、香のせいか虚ろだ。
「楽しみですわね」
話している間に準備が整ったようだ。
黒いフードを目深に被り、仮面で顔の全面を覆った女と、異国風の白い装束を来た男が中央の席に着く。周囲の男女が、魔女様だ。と囁き合っていた。
テーブルの上には、薬瓶とティーセット。
魔女の隣に座ったフォーコネ男爵は、にたりと笑いながら宣言した。
「では、これより降霊会を始めましょう。最初に呼び出したい方は誰ですかな?」
一斉に手が上がる。
参加費以外にも金貨が必要らしい。
オークション形式で、手で数字を現している。
「金貨百枚! 本日、第一回目は、そちらの奥様に決まりました」
周囲から落胆の声が落ちる中、隣の老女が嬉しそうに立ち上がった。
「魔女様、息子を呼んでくださいな。また話がしたくてたまらなかったの」
仮面の魔女は、小さく頷く。
前にあるティーカップの中に、瓶の薬を注ぎ、お茶を淹れ軽く揺すると白装束の男に飲ませた。
緊張感が高まる中、魔女は、低い声で呪文を唱えていく。
すると、ぼうっとテーブルの周辺から光が立ち上り始めた。
おお、と感嘆の声が周囲から漏れる。
白装束の男が、魔女の呪文が進むに従い虚ろな瞳になっていき、ガクンと頭をもたげる。
呪文が止まり、しんと周囲が沈黙に包まれた。
「母様……」
男から甲高い少年のような声が漏れる。
「ああ、サフェール。元気だった? 母様、また会いに来たのよ」
「嬉しいよ、母様」
少年のように微笑んだ男の元に駆け寄った老女は、男を抱きとめ、とめどなく話しかける。
その都度、嬉しそうに老女と語らう男の姿を、周囲は食い入るように見ていた。
むせかえるような香の香りに、高ぶった周囲の熱気で、気分が悪くなりそうだ。
「この香の作用で、幻惑されているようですね」
小声でささやくアンに同意し、男を抱きしめむせび泣く老女を眺める。
しばらく会話を繰り広げていた老女だが、時間を告げられ、名残惜し気に会話をやめた。
霊を降ろされた男は、魔女が再度呪文を唱えると、口から白い息を吐き出し、ふっと前に倒れ込む。
その光景に周囲が好奇でどよめいた。
「さあ、次の降霊はどなたがなさいますか?」
我先にと指で金額を示し手を上げる参加者と共に、アンジュも優雅に手を上げる。
「金貨百枚! 黒いドレスのご婦人に決まりました」
落札しそびれた参加者たちの落胆の声と共に、アンジュの出した金額への感嘆の声も漏れる。
「さあ、どなたをお呼びいたしましょう」
配られていたカードに呼びたい霊の名前を書き、伏せて差し出す。
カードをめくり、中を見た男爵は、にっと笑い、中央に座っている魔女に耳打ちする。
魔女は、倒れ伏していた男を起こし、再び薬を紅茶に入れて飲ませた。
そして、前回と同じようにこちらには聞こえない声で呪文を唱える。
今回は、霊を降ろすことに苦戦しているようで、男の頭が幾度もぐらぐら揺れている。
「わたしは……どうして、ここに?」
男の体が地に伏し、しばらく沈黙が続いた後、涼やかな声が伏した男の体から漏れ出た。
周囲の空気がざわりと動く。
「あなたは亡くなられたのよ。今日は、あなたに話を聞きたくて来ましたの」
男爵に無言で促され話しかけると、男はゆるりと起き上がり、両手を口元にあてた。
「ああ……。そんな……愛しいあの方の側にわたしはもういないのね」
老女の息子を降霊していたときとは打って変わった愛らしい仕草で動揺を表す。
「あなたとわたくしの夫が強い絆で結ばれていたことは存じております。今宵は、その秘訣をお教え願いたいの」
笑顔をつくり、問い掛ける。
ランスルー子爵は、存在していない。
かつて存在していたが、断絶した家の名前を借り、それと分からぬように情報操作してフォーコネ男爵に近付いた。
なので、前夫人が亡くなった。といっても、それは四半世紀前に亡くなったランスルー子爵夫人のことになるだろう。
ランスルー子爵夫人を呼び出した、と言っているが、本当に彼女当人なのかは、誰も知る由がない。
アンジュは、亡くなったランスルー前夫人の話し方や好み、仕草や家政の取り仕切り方まで聞いてゆく。
だが、それらの質問に男が答えることはなく、ランスルー子爵への愛のみを語らっていた。会場は、亡くなってもなお夫を愛し続ける貞淑な妻の存在に、感嘆の声が漏れていた。
アンジュの質問に試されていると思ったのだろう。不機嫌そうな雰囲気が魔女の方から漏れていた。
その空気を感じ取った男爵が、時間よりも早く降霊を切り上げる。
「お時間ですので、次の方へ」
男爵がそう言ったとたん、男の体がくんと前に倒れ伏す。
「あら、もっと伺いたいことがあったのだけど」
これ以上質問するなというように笑顔の奥に圧力をかける男爵からそっと目をそらし、青い瞳に涙を浮かべる。
「ああ、わたくしが前夫人のようでしたら、夫にも愛されたでしょうに。あの方のようになりたいですわ」
はらはらと涙を流すアンジュに、隣の老婦人が気の毒そうな顔でハンカチを差し出す。老婦人に小さな声で礼を言い、ハンカチを断ってバッグから自身のハンカチを取り出して目元をぬぐう。
「申し訳ございません。取り乱しましたわ」
落ち着いたアンジュの声に、周囲がほっと息をつく。
「事情がありまして、前夫人のことを少しでも多く知りたかったのです。試すように感じられていたら、ごめんなさいね」
肩を落とすアンジュを、男爵が舐めるような視線を送っていた。
「わたくしのせいで、降霊会が中断しましたわね。さあ、続けてくださいな」
「さあさあ、お次は誰になさいましょう!」
ハンカチをバッグにしまい、笑顔を見せたアンジュの言葉に、男爵がパンパンと両手を打って空気を変える。
周囲は待っていたとばかりに、片手を上げて、降霊のチャンスを落札にかかった。
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