第11話

ー久しぶり。

まさか、また黄牙へ手紙を書くなんて思っていませんでした。

炎くんと桃ちゃんとの関係はどうなっていますか?仲良し、は無理でも一緒にいてくれたら嬉しいです。もう炎くんへの恨みの気持ちはないから安心して下さい。

一時は大事な身体が火傷だらけで治らないのかと心配しました。今の科学の力は凄いですね、綺麗に戻って安心しました。あれから経過はどうですか?手術代も入院費も岡先生が出してくれたんです。本当に頭が上がりません。

改めて、あの日は退院の日に迎えにも行けず、畳み掛けるように離婚の知らせ。申し訳なかったと未だに思って後悔しています。あの後、高橋先生が電話を代わってしまって、高橋先生が面倒を見てくれたと知りびっくりました。

本当にすみませんでした。

お父さんは実はこの私立みなと中学校で研修していて、高橋先生とは交流がありました。研修前に高橋先生は優しいと評判だったのに、いざ接してみると本当に怖くて毎日きつかったです。

岡先生がいてくれなかったら先生になっていなかったと思います。未だに岡先生とはたまに電話のみだけど、やり取りをしていて学校での事を聞いていました。

今、大変なことになっていると聞いて少しお父さん達が離婚した経緯を話します。


……離婚してほしい。

黄牙が炎くんとの喧嘩でまだ入院中の最中に、妻の黄実にそう切り出された。

僕はこの事件がきっかけで地方の中学校へ転勤になったばかりでその準備に追われていた。

「え?何急に。俺の転勤が原因なの?黄牙まだ入院中だよ。その話は退院してからでも…。」

食い気味に離婚届を押し付ける。

「ごめんなさい。どうあの子を育てていいかわからないの。あの子が関わる人はみんな何かしら嫌な目に遭ってるの、努くんわかってるよね?今回は事が大きくて私自身怖いの。炎くんが死んじゃったら、って考えたら怖くて…。」

沈黙が続く。

黄牙の不思議な力には薄々気づいているのか、今まで触れてこなかった。その力のせいでお友達が怪我することが度々あった。

「また関係ない子が…黄牙のせいで怪我しちゃったら…。あの子が怪我する分には…いい…のに…。」

「そんな…急すぎるよ。俺は…。」

荷造りの手を止めて、黄実をなんとか説得できないか考える。せめて退院してからでも。

「努くん、研修時代の学校ってみなと中学校だったんだね。いた?高橋先生。」

黄実の口から知った名前にハッと我に戻った。

「前に…まだ付き合ってる時にアニメの話で盛り上がってよく喋る人いる、って話たよね。それ、高橋くん、あ、先生か。高橋先生だったの。よく喋ってたからよく付き合ってるか間違われて…うざかったな。」

ポツリと呟くがまだ話は続いていた。

「うざかったけど、楽しかったは事実。その時はもう努くんと付き合っていたから、向こうの好意は知っていた。ずっと無視して気付かないフリしてた。私ね、努くんと付き合っていなければきっと高橋くんと…っていうのは今更だけど。子供ができた、って前に追い出された漫研の人から連絡もらって思い出したんだ。」

…そうだったのか。全部知ってたのか。知らないのは自分だけだった。

「先生してるならまた会うかもしれないでしょ。もしまた高橋先生に会う事あったらこれ、渡してほしい。私の裏切りがこんなことで許されるなんて思ってないけど。」

猫の形をしたロボットが描かれた手紙が手渡された。

黄実が悲しい顔で見つめるから、僕も悲しくなって悔しくなってその手紙をくしゃくしゃに握りつぶした。

「ごめんね。もう耐えられない。炎くんにまた会う事があったらごめんって…いつか。」

この子はどうして…。自分の息子が大怪我をして入院しているのに。心配していないのか。黄実は小さなカバンを手にして去って行く。

涙は黄実の姿が見えなくなっても止まらなかった。


きっと今更何を言っても言い訳だし、黄牙に何を言った所でどうしようもないのはわかっています。

ただ、お父さんのせいなのか高橋先生がこのような事態になったことを、少し自分の責任かと思っていたりもします。

自分の事を考え手紙に記して、少し肩の荷が下りました。今は四国の小さな学校で先生をしています。みなと中学校とは違い小学生と中学生が一緒の学校ですが毎日楽しいです。

黄牙に会うのも、高橋先生に会うのも今は怖いです。

無責任な父親でごめんなさい。心の整理がついたらいつか…。他人事に聞こえるかもしれないけれど、幸せになってください。


黄実からの手紙を同封します。高橋先生の気持ちが少しでも晴れる事を祈っています。

                                                河野努ー


一方的な手紙だったが、少しホッとした。

辛い思いのまま一緒に居られるよりはマシだと思ったし真実を知って安心した。

「二人とも、一緒に手紙読んでくれてありがとう。一人だったら辛かったかも…。決心ついた。」

手紙を手に持ったまま何かを決意したのか、黄牙はベッドから降りると立ち上がり炎と桃を見つめる。

「高橋先生を救いたい。二人に力を貸してほしい。」

二人は顔を見合わせ黄牙に「もちろん。」と言う。3人は保健室を出て別棟に向かって行く。

まだ身体中痛む。歩くたびに痛むけれど、高橋先生の痛みに比べたらどうって事なかった。


この学校に来てから、気が休まる日は無かった。

高橋先生に出会ってしまったのが原因だと思う。あの時電話に出たのが高橋先生じゃなかったら。

高橋先生の言われた通り、男女関係なく誘惑して5組の嫌な噂をその子たちに流してもらった。最初に僕に「好きだ」と純粋に告白してくれた子には悪い事しちゃったな、と今でも思う。

身体を使って色目を使うとみんな言う事聞いてくれて、洗脳されていく様を見て少し怖くて…でもどうしようもなくて。そんな事を繰り返していたら5組を別棟に移すことなんて簡単だった。

生徒を洗脳させ、僕にいじめをするように仕向けさせれば先生たちは移動するしかないと思ったから。

別棟に来てからは高橋先生の独裁で、僕への暴力が増えて毎日毎日辛かった。

僕はひたすら言われた通りに生徒を洗脳して、別棟に寄り付かせないように頑張った。でも全然、高橋先生からお父さんの事は聞けなくて何ヶ月も経った。

いつの間にかお父さんの事を忘れ、高橋先生といる時間が増えて気になり出した。

暴力もあったけれど、ずっと怖い人じゃなかったんだよ、高橋先生は。

高橋先生が荒れてる時は暴力酷くて、何度も骨折したし、何度も出血した。

裏切られたと勝手に思い込んで、僕の力を利用した高橋先生。

自我がたまにあるのか、優しい顔で僕を見る時があって本当のお父さんだったら…と何度も思った。

僕が救ってあげたい。次こそは本当の家族になりたい。心からそう願ってしまった。


   ***


河野先生の怪我で研修が途中で終わる事になり、先生が担当していた3組では随分と悲しまれた。

残り少なかったので、河野先生の送別会なども企画されていたのに、こんなことになってしまい悲しんでいる生徒が続出で対応した先生たちも残念がっていた。

「河野先生、何で別棟なんかに…。高橋先生に落とされたとかじゃないですよね?」

英語担当の森先生は怪しむように岡に質問する。

「まさか。事故だろうう。」

不自然な怪我に生徒も先生も不審がっており対応に苦労した。

あれから落ち着いた頃を見計らって、病院に見舞いに行った時に聞いた話だ。


「因果応報ですよ。笑っちゃいます。人を呪わば穴二つ、ってよく言うじゃないですか。階段を降りる際に不注意でよろけてしまって…高橋先生に腕を掴んで助けてもらったのに。払いのけて落ちました。僕、高橋先生の事嫌いです。もう報いは受けたので会いません。」


高橋先生を陥れるための河野先生の最後の嫌がらせだった。

河野先生の退院後は全力でサポートし、何とか身体も後遺症が残らず歩けるまでに回復した。

私生活では離婚をし、息子は幼馴染と大喧嘩をして入院。そんな事があり「もう一度勉強して、先生をやり直したい。」と言うので地方の学校を紹介し行ってもらうことにした。最初の転勤地は北海道のとある地方で1年の臨時教師をして、その後は四国で小中学校の先生をしている。

子供達が可愛いので卒業を見届けたい、と本人の強い希望でそのまま居てもらう事が決まった。

サポートしてくれる先生方も優しい方々ばかりで傷ついた心はすぐ癒えた。

「叶うならばまた岡先生と一緒に大好きなみなと中学校で働きたい。」と言っていたが、意見は決裂してその希望は一生叶う事はない。

そんな河野先生に電話をしたのは久しぶりだった。

夏休みに息子さんの情報を伝えて、一度こちらに来てくれたみたいだが、桃くんとだけ会って帰ってしまったらしい。意気地が無いから今は会えない、と聞いた。

初めから状況を説明し「高橋先生の強い洗脳は黄牙の力ではなく、元嫁の黄実への強い嫉妬かもしれない。」と言う。それに重ねて「岡先生が5組の責任を押し付けたような形になって尚更。」と。近々手紙を送るので黄牙に渡してほしいと頼まれた。そちらには行けないけれど、いつかまた必ず会いに行く、と言い通話は切れた。

後日、送られてきた手紙は高橋先生の実の娘である由香くんに託すのだが、しっかり渡してくれたのか少し不安だった。

高橋先生を5組に無理矢理押し付けた訳ではない。

優秀な先生が担任になれば生徒のやる気も出るだろうと思っただけなんだ。

私はその時に河野くんとしっかり話をすればよかったのだ。何故、高橋先生に託してしまったのか。

河野先生の息子さんだと知って、罪滅ぼしだと勝手に思い込み任せてしまった。

私を憎む気持ちは十分理解している。河野先生の事件以来用件がない限り話をしなくなった。

全部私のエゴだ。相手を思いやりすぎてこれをしたら喜ぶ、嬉しだろう、と。結局私は他人事だったのだ。高橋先生に向き合おうとしなかった。ずっと仲が良かった昂先生に、もっと踏み込んで話をすれば良かったんだ。知ろうとしなかったのは私自身。

子供の黄牙くんを巻き込んでしまった、私の責任だ。


   ***


別棟 旧美術室。

高橋はタバコを咥え、俺たちが到着すると煙をこちらに向けて吐き出した。

「遅かったな。待ちくたびれたぜ。」

炎、桃、黄牙は3人揃って旧美術室の扉を開けると高橋がニヤニヤと3人を眺める。

「相変わらず仲が良いんだなぁ。あんだけされてよく一緒に居れるな。」

炎との事を言ってるのだろうか。高橋はまだタバコを口に咥えたまま炎たちに近づく。

「高橋先生。」

黄牙は高橋の袖を手で掴み手紙を見せる。

「これ、僕のお父さんからの手紙です。高橋先生が恋焦がれた僕のお母さんから高橋先生に…。」「やめろ!」

言葉を遮り手紙を払い捨てた。炎は床に落ちた手紙を手に取り中身を取り出して話し出す。

「お前さ、自分が愛されてないって思ってるだろ。」

炎の言葉に「は?俺が?バカか!」と返答するが気分が悪いのか、青ざめている。

「初恋には彼氏がいて、好きになった相手に逃げられ、先生になったら勝手に将来を決められ…。辛かったよな。俺だったらお前と同じになるよ。そんな時に他人を支配できる力が目の前にあったら使う…。」「違う!!」

高橋は炎の胸ぐらを掴み何度も「違う違う違う!」と言い続ける。

「お前らに…俺の…。俺の何がわかるって言うんだよ。お前なんかにわからない!」

「高橋は…高橋先生は勘違いしてたんですよ、全部。」

黄実のクシャクシャになった手紙を高橋に見せる。

「このキャラクター…。黄実ちゃんが好きだったアニメキャラクター…。」

猫の形をしたロボットのイラストが描かれた封筒を手にし、掴んでいた胸ぐらを離すとフラフラと歩きながらそのうち床に座り込んだ。

「これ…。」

高橋は震える手で手紙を見つめる。

炎がその手紙の差出人の名前を伝えようと口を開いた瞬間、背後から「黄実ちゃんからですよ、高橋先生。」と岡が答える。

岡先生は高橋先生をじっと見つめ、目線を外さないようにする。

「私は高橋先生に大変な事をした。聞いて欲しい。」

「岡…。お前が俺の人生めちゃくちゃにしたんだ。俺は純粋に担任を持って大好きな美術を…。」

まだ震えが止まらないが、岡を見た途端怒りが込み上げてくる。どうして5組専属にして遠ざけたのか。そもそも教育実習生の担当にしたのか。

「すまなかった。本当にあの時は高橋先生に頼り切っていて市の見本になるようにと、それしか見えなかった私のエゴだ。生徒への指導も的確で、他の教科の知識も豊富で。市から申し出があったとき、高橋先生なら喜ぶと…勝手に思ってしまったんだ。」

岡は深々と頭を下げまだ続ける。

「河野先生への対応を見て、私が間違っていたと気づくまでかなり時間が経ってしまった。全て良かれと思っていた私の勝手な思い込みだ。報いは受ける。何でも受け入れる。申し訳なかった。」

「…俺が優秀だったから?5組の専属担任に?岡のエゴ…。」

黄実の手紙を握ったまま岡を見つめる。俺は一体何に怒っていたのだろうか。散々河野をいじめ怪我をさせた。学校に寄付したり生徒から慕われる岡が憎い。この学校から岡を追放させ、俺が校長になり自分のものにしようと企んだ。

そんな時に河野の息子が俺の前に現れた。手に入れることができて嬉しくて、本当にこの学校を乗っ取れると思った。

この力がなかったら俺はずっとこの学校で鬱憤だけが溜まり岡に何をしていたのだろうか。

震える手で封を開け便箋を広げると一言だけ記されていた。


『ごめんなさい。』


記憶が一気に蘇る。

自分一人で盛り上がり、自分一人で憎み恨んで当時彼氏であった河野先生に八つ当たりした。厄介な市からの通達で、新しく定時制クラスを導入すると言った身勝手な岡が決め手で、俺は俺の気持ちが保てなくなった。

大学時代の彼女に望まない妊娠をさせ、出来た愛娘の由香には辛い思いたくさんさせた。

そして…黄牙にも。散々暴力で支配し力を利用した。

結局は自分自身の醜い嫉妬だったのだ。


黄牙は座り込む高橋の側に寄り添い抱きしめる。

「高橋先生。僕、本当の高橋先生の子供になりたい。僕が高橋先生を…パパを愛してあげる。だから戻ってきて。」

高橋を優しく見つめる。

もう黄牙の瞳は赤くはない。青く澄み、キラキラと宝石のように光る。

その中に自分がユラユラと映って、とても美しかった。


ー高橋先生へ。

研修時代は生意気な態度ですみませんでした。と、言ってもおあいこですか。

知らなかったとは言え、黄実を好きでいてくれてありがとうございました。正直、びっくりしました。そんな繋がりがあったのですね。

最初に見た先生の印象は怖くて、ずっと怖い印象は拭えませんでした。初対面であそこまで悪口を言う先生が本当に怖かったですが。正直、最後に会った高橋先生が一番怖かったです。突き落とされた、と証言したのにずっと教師続けて憎かったです。自分は自分にショックを受けてしばらく廃人でした。

もう何とも思っていません、因果応報だと思ってますから。

私はあれから北海道に転勤し1年の臨時教師をして、今は四国で小中学校の先生をしています。四国は良いところですよ。先生同士のいじめもなく、生徒同士も大変仲が良く生死に関わる喧嘩もありません。

精神的にようやく落ち着いてきました。

黄牙をよろしくお願いします。岡先生ではなく高橋先生に、是非。お願いしたいです。私はもう黄牙の父親失格だと思っているので会う資格がないですよね。

あなたに出会って人生が全て狂いました。

さようなら。

                                              河野努ー

目が覚めたら由香の部屋にいた。

室内を見回すと由香と黄牙が何やら話しながら料理?をしている。

「ばか弟っ!違うわよ!あと持ち方危なっかしいわね、こうよ、こう!」

「うっ、うるさいな。怒鳴らないでよ。先生が起きちゃ…あっ。」

黄牙と目が合い、気まずくて咄嗟に目を逸らしてしまった。由香が「パパもばかよね。」と頭を左右に振る。

「あたし、パパの背中見てかっこいい!ってずっと尊敬してるのよ、今も。だからパパと同じ先生目指して頑張ってるんだから。それなのに。力に溺れるなんて、ばか。」

そう言うとまた黄牙の手際の悪さに怒鳴る。

包丁を置き、絆創膏だらけの指を絡ませ黄牙はモジモジとこちらを見ている。

「あの…高橋先生。僕…。」

なるべく目を合わせないよう、高橋は顔を背けて「何だ。」とだけ答える。

「僕を高橋家の養子に入れてください。」

…は?

びっくりして何度見してしまった。…正気か?何も考えずベッドから身体を起こしたら、頭痛が酷く痛むがそんな事はどうでもいい。

「おい、どういう事だ。説明しろっ!いいか、お前は河野の息子で本当の家族だろ。俺はお前を物のように扱い、何度も病院送りにしただろ。そんな俺と…。」

「僕、あの日。公園で話したあの日。悲しい目をした高橋先生を見て。ああ、僕この人の事ほっとけないな、って思ったの。」

暴力は何度も受けた。だけど、それ以上に優しい事もたくさんあった。

高橋先生はとても優しく、黄牙に笑いかけたあの日。守ってあげたくて胸が苦しくて。

青く海のように揺れる瞳が、波のようにユラユラしてそのうち涙になって頬を伝う。

「僕が高橋先生に出会わなければ。僕が力を分け与えなきゃ。今頃もっと仲良くなって自慢の息子になれてたかな、って。」

「俺は…。」

「僕、もう高橋先生の言いなりにならない。5組も本棟に戻してもらう。それと。」

黄牙は養子縁組の書類を机の上に置き「僕、本気だよ。」と笑顔で言った。

「僕、家事もやる。勉強も今まで通り頑張る。高校入ってバイトもする。だから…。」

いつから決めていたのだろうか。

黄牙は由香と顔を合わせ高橋の手を握る。

「わ、わかった。話はわかった。いや…わかってないけどもう良い。」

頭が痛い。

「本当?僕、怪我なんて、骨折なんてへっちゃらだよ!痛かったけど、火傷に比べたらマシだもんっ!僕、自分の身体の痛みは何でも耐えられそう!」

自身の両腕の包帯を見せながら「ねっ!」とにっこり笑う。…本当のこいつはこんなに明るく自信家?なのか。でも本当に…いいのだろうか。俺は河野から全てを奪うことになるんだぞ。

「河野に…お前のお父さんに申し訳が…。」「もういいの。お父さんとはもう別々の道を歩むから。僕はパパとお姉さんと新しい道を歩みたい。」

真剣な眼差しで見つめられ動けなくなる。これは力の影響なのか、自分の心が洗われたからなのか。

「もういいの。全部知れたから。僕の気持ちもスッキリした。だから、僕はパパともっと仲良くしたい。新しい家族としてよろしくお願いします。」

黄牙は頭を下げ、にっこりと笑う。

「じゃあ、あたしも。改めてよろしくね。未来のみなと中学校養護教論よ。弟ができるなんて嬉しいじゃない、ね、パパ。今度はちゃんとあのお弁当屋さんに挨拶に行きましょ。」

痛む頭を抱え「おい。」と、高橋がぶっきらぼうに呼び止める。黄牙と由香がキョトンとした顔で高橋を見る。

「俺は…まだ洗脳が完全に解けていない。お前たちには迷惑をかけると思う。」

「うん。」

由香が少し笑いながら二人を見つめお鍋に火をつける。今日は新しい家族ができる日だ。走馬灯のように自分の人生を振り返る。パパがようやく報われるのだろうか。

「そんな俺でも…いいのか?河野の家族を壊した俺が…。」

黄牙は高橋の手を優しく包み込む。

「全部わかった上で、だよ。僕が愛を教えてあげる!」

鍋の蓋がグラグラと音を立て沸騰している。部屋中に広がる匂いにお腹が空いてきた。

由香は、自身の人生を思い返す。お母さんがいないけどパパがいたから楽しかった。そりゃ寂しい時もあったけれど。だからあたしは黄牙が寂しくならないよう、人生の道に迷わないように。お姉さんとして側に居てやろうと思う。

高橋は涙を流しながらずっと「ごめん。」と謝り泣いている。

黄牙と由香はそんな高橋を見て3人仲良く抱き合った。


   ***


時は少し戻り、幼馴染3人がまだ幼い幼稚園の頃。

3人は生まれた時から仲良しでどこ行くのも何をするのも一緒だった。

誰にでも優しい炎はみんなの憧れでヒーローで、桃も弱い人の味方で女の子人気がすごかった。そんな二人に比べて黄牙はウジウジして、いつも桃の後ろに隠れて自分の意見を言えない子供だった。

いつも何も言えなくて、時間をかけ答えを出そうとすると、相手は飽きてしまうのか友達は炎と桃しかいなかった。

『黄牙くんって「えっとえっと」しか言わないんだもん!』

同じ組の園児たちが噂をしているのが聞こえる。恥ずかしくて悔しくて、大好きなくまのぬいぐるみを抱き教室の隅に座っていると桃が話しかけてくれる。気にしなくていいんだよ、って言葉に救われる。

あんなに他人と仲良く遊べる炎が羨ましくて、真似してサッカーをしてみるがボールを上手く蹴れなくていつも笑われ者。でも、炎は笑わずに優しく助けてくれる。黄牙がいじめられていると、真っ先に助けてくれる。

そんな二人が大好き。

ある日。

いつものように帰宅しようと準備をしていたら、炎と桃が違う子と、その両親について行く姿が見えた。

「あっ…。えっと…あの…。」

勇気を出して二人を追いかけ、震える声を絞り出すと苦手な子が「炎くんと桃ちゃんと今からぼくん家で遊ぶの!河野くんは呼んでないよ!」そう言って黄牙の肩を突き放す。

「………。」

押された肩が痛むのと同時に、身体に電流が流れたように目が痛む。どうしてそんな事が簡単に言えるの?どうしてそんな事するの?今起こってる事は真実なの?見たくない、見たくない。

「こら!河野くん、ごめんね。」

両親が面倒くさそうに黄牙をあしらう。炎と桃は気まずそうに、今にも泣き出しそうな黄牙にかけ寄ると「おばさん、ごめんなさい。また今度遊びに行きます。な、桃。」と嫌味なく言う。

「うん、そうしよ…。」

桃が言いかけた時には、何が起こったのかわからない状況で。

黄牙を突き飛ばした園児が、急に走り出し道路に飛び出す。両親が慌てて駆け寄る。トラックの急ブレーキと母親の叫び声を鮮明に脳裏に焼きつく。

先生達大人が慌ただしく校庭に集まってくる。桃も泣き出してしまって、炎はそんな桃の手を優しく握っている。

何もかも見たくない。

逃げるようにみんなから離れ、トイレに逃げ込むと鏡に映る自分の目が赤く光っていた。

「なに…これ。びょうき…?」

鏡に映った自分をまじまじと見つめる。二人が違う子に取られそうになって、見たくない、って願ったらあの子は怪我した。

急に自分が怖くなって、吐き気を催す。自分があの子を?怪我させようと…?

これが不思議な力の始まり。

二人に言えない秘密ができてしまった。


ー…


僕は桃の事が好き。でも、桃は炎の事が好き。僕が退けば二人はいずれ付き合うのかな。でも…誰かのものになってしまうのがとても怖かった。だって僕も…。


それから時は流れ、小学5年生になったある日。

「河野って女みたいな顔だよな!」

クラスメイトの男子達の、黄牙の容姿いじめが始まった。高学年になると誰が好きだとか嫌いだとか、差別的ないじめが増えてくる。

「本当は女なんじゃねーの?」

男子達は黄牙に群がり、女なんじゃないかと服を脱がそうとする。他のクラスメイト達は見て見ぬふりで助けようともしない。

「やめてよ!」

「うるせー!おれたちが見てやるよ!」

男子達の手が服に伸びてきた時、横から炎の手で阻止される。

「寄ってたかって弱いものいじめかよ、カッコ悪いな。」

そう言って黄牙を抱き寄せ「お前ら、先生に言うからな!」そう付け足した。

「なっ…なんだよ!お前、河野の事好きなんだろ?うわーっ!こいつら男同士でできてるよ!」

からかう野次の声が聞こえないくらい、炎の心臓の音が大きい。抱き締められる腕の力が強くて、離れる事ができなかった。

この時、炎の事が好きだと気付いてしまったから。桃に取られてしまう事が辛かったから。


ずっと容姿いじめは続いたが、この件以降炎とは疎遠になった。なんとなく気まずくて口も聞いていない。

できてるよ、なんて言われたし仕方ない。炎は桃が好き。桃も炎が好き。これでいいのだ。そう自分を納得させようと思っていたのだが。

小学校6年生に上がって、また事件は起こる。

「河野くん、あんたって男が好きなの?」

今度は女子に囲まれ「キモい!」と連呼され続ける。黄牙はまた始まったと無視を決め込むが「あたし、炎くんが好きなの。離れてくんない?」そう言って睨まれる。

「…僕に関係あるの?」

「キモいから言ってんの。あんた、キモいよ。」

その言葉を皮切りに、聞いていた男子たちも会話に加わる。

「河野、くんってかわいい顔してるもんなぁ。炎に抱かれて嬉しそうな顔おれ見たぜ!」

顔が真っ赤になる。何も知らない部外者に恋心を踏みにじられ悔しい。

「ちょっと男子!また黄牙の悪口言ってるの?先生に言うからね!」

学級委員の桃が一人立ちはだかる。

「出た出たっ!幼馴染の金子桃だっ!こいつが男じゃねーの?」

ゲラゲラと男子たちは笑い桃を侮辱する。そんな態度にも屈せずズンズンと距離を詰める。

「あんた達!見た目でしか人を判断できないの?あーあ、かわいそう!」

桃は腕を組み、男子達を見下ろすように言うと悔しいのか、男子達は結束して桃をいじめようとターゲットを変える。

「な、何よ!」

「お前、あれなんだろ?炎の事好きなんだろ〜?」

みるみるうちに桃の顔が真っ赤になり、涙目に変わって行く。その姿を見て楽しくなってきたのか男子達は悪口を止めようとしない。

「何よ、今その話関係ないでしょ!」

「あーあ!顔真っ赤じゃん!好きなんだ!炎もこんな女に好かれてかわいそうだよなぁ!」

男子の一人が桃の肩を触れようとした時だった。黄牙がその腕を掴み男子を睨む。

「僕の悪口はいいけど…。桃の悪口は許さないから。」

「な…な…何だよ、女顔!強がんなよ!キモいんだよ!」

「誰かを好きになる気持ちをバカにしないで。」

クラスがザワザワと騒ぎだし、もう一人の学級委員が「先生を呼んでくる!」と走って教室を出て行った。その入れ違いで炎が教室に戻ってきてクラス内の状況を把握する。

一人のクラスメイトが炎のそばに寄ってきて助けを求めてきた。

「あっ!炎くんっ!桃ちゃんと河野くんが絡まれちゃって助けてほしい!」

炎はだるそうに頭をかき、騒いでいる中心までやってきた。

「炎っ!こいつらひどいのよ!黄牙をいじめるからわたしが注意したんだけど…。」

桃は悪態をつく男子達を睨み腕を組む。他のクラスメイトたちが「そうだよ!桃ちゃん強い!」「黄牙くん可哀想。」と一致団結して騒ぎ出す。

炎は気まずそうに小さくため息を吐き黄牙を見つめる。久々にお互いの顔を見たのに。

「もういいから。止めなって。おまえが勝てる相手じゃないだろ。」

「えっ…。」

「おまえは俺の後ろで…。」

口から出る言葉は言葉足らずで、相手に伝わらない。黄牙の瞳から大粒の涙が溢れ出すのを見て、はっとする。

我慢していた涙がついに溢れてしまった。黄牙はその場から逃げ出す。

「ばかッ!なんて事言ったの!わたしの事庇ってくれたの!」

一瞬の出来事に炎は状況を把握できていないのか、叩かれた頬を抑え「は…?」としか答えられなかった。

「炎は!どうして他人の気持ちを考えられないの?どうしてあんなひどい事が言えるの?炎なんか嫌いよッ!」

…なんでそんな事言われなきゃいけないんだよ。桃をあいつが庇った…?

桃は半泣きで、そのまま教室から出て行ってしまった。二人が教室から出て行ってバツが悪いのか悪態をついていた男子生徒達も大人しく教室を出て行く。

どうして素直に言葉で言えないんだろう。そう思いながら、ズキズキと痛む頬に手を触れた。


時は流れ中学生になった。

炎と黄牙は口を聞く事が減り、お互い無視をする事が増えた。

中学に入り、黄牙とは別々のクラスになって少し安堵。そんなある日、また中学に入ってまで黄牙の容姿いじめが始まったらしい。

あれ以来気まずくて一言も喋っていない。でも、今度は俺があいつを助けなきゃ。そう思い黄牙がいるクラスにやってきた。

「河野くんって炎くんと幼馴染なの?あいつに聞いたんだけど。」

女子が指差したあいつとは小学生の頃黄牙をいじめていた奴だ。まだ懲りずにいじめてたのか。

「そうだけど…。炎関係あるの?」

女生徒と男が目を合わせ笑いだす。その光景を見て黄牙は深くため息をついた。

「うっざ!呼び捨て?いい気にならない方がいいんじゃない?あんた男のくせにキモいんだけど。」

「…僕に構わなきゃいいのに…。」

「あんたさぁ、男のくせに…男が好きなわけ?」

教室中がシン…と静まり返る。炎は硬直してその場から動けなくなる。

「炎くんの事、ずっと好きだった、って聞いたんだけどォ?キモくない?好きな人にひどい事言われてから口聞かなかったんでしょ?何とか言いなさいよ。黄牙くーん?」

俯いていた顔を上げ女生徒を睨み見つめる。女生徒は黄牙に睨まれ一瞬怯んだ。

「あはは!こいつ図星突かれて黙りやがった!お前、女みたいで気持ち悪いよな。」

男が黄牙の身体を抱き寄せ無理矢理キスをしようと唇を近づける。黄牙は咄嗟に唾を吐くと男を突き飛ばした。

「そうだよ、僕は炎が好き。君が僕を好きなように。だからって君たちに迫害される理由なんてない。好きな気持ちをバカにしないで。僕は…。」

ふと教室の扉付近を見たら炎と目が合った。何か言いたげな顔をしている。そっか、言っちゃったんだ。

「おまえ…。」

ざわつく教室を見渡し瞳を閉じる。またこの力を使うのか。

閉じた瞳をもう一度開くと、吸い込まれそうな青い色から赤い色に変わっていた。見つめられると動けなくる。

黄牙は教室内にいる生徒達一人一人見つめ暗示をかけ洗脳する。


『今起こった事、聞いたことは忘れて。』


もう仲良し友達にすら戻れないなら…。

教室中がざわつく。何してたの?とか、なんでみんなここにいるの?とか。炎も頭を抑え、不思議そうに辺りを見回していた。これでいい。

黄牙はある考えを思いつき、とある計画を立てた。


ある日、桃の家でいつも通り一緒に遊んでいた黄牙と桃。桃の母親からケーキとお茶を受け取り「今日は何しようか。」と桃に提案された直後だった。

「僕、桃が好きなんだ。付き合ってほしい。」

突然の黄牙の告白に戸惑いを隠せないでいると、畳み掛けるように黄牙は続けた。

「僕ね、ずっと桃の事好きだったんだよ。だから付き合ってほしい。桃は僕の事嫌い?」

…どうしよう。桃は炎の事が浮かび答えきれずにいる。

桃は二人より先に生まれた事もあってか、今まで黄牙にはお姉さんのように振る舞ってきた。弟のような感覚だ。

「ごめん、わたし…。」

やっぱり断ろう。わたしはずっと炎が好きで、自分もいつか告白できる日が来るだろうか、と期待していたんだ。だから、この黄牙の勇気を見本にわたしも…。

「だめ…。僕の目を見て。僕の事好きになって。」

桃は黄牙の瞳を直視すると、時間が止まったかのような感覚に陥った。気がついたら桃は黄牙の手を取り顔を頷ける。

「はい…。わたしも黄牙が好きです。」

桃は黄牙の手を取りそっと寄り添う。これでよかったのだ。

…僕は桃の気持ちを知っている。だから、その気持ちを利用した。炎にいつかこののことはバレる。そうなったら喧嘩か…下手したら絶縁か。もう僕の想いは炎に伝わらない。ならいっそ。

そしてこの後、あの事件へと繋がって行くのである。


黄牙への容姿いじめは長年続き、みなと中学校へ転校してきてから事態は大きく変わった。

炎との大喧嘩の末、転校してきたこのみなと中学校。ここで決定的な事件が起きることになる。

初めて黄牙に直接告白してきた男子生徒が現れたのである。

相手は違うクラス。男性で僕から見てもカッコよく、初めはなんでここにきたのかわからなかった。

まだ5組が別棟に移動する前の不穏になる前の事。彼は5組に入ってきて黄牙を見るなりこう言った。

「…変な事言うけど真面目に聞いてほしい。」

男子生徒はゆっくりと口を開き、黄牙を見つめた。

「俺、男なんだけど。お前が…河野が好きなんだ。転校してきた時から一目惚れで…。付き合ってほしい。」

…やっぱり。

「…ありがとう。気持ち、すごく嬉しい。」

男子生徒の顔がパァァと顔が明るくなるが、それは一瞬だった。

「ごめんなさい。」

落胆する男子生徒に優しく答えたつもりだった。

「…好きな奴いるの?」

「ごめんなさい。僕、誰かと付き合うとか今は考えてなくて…。告白してくれた気持ちは素直に嬉しい、ありがとう。」

男子生徒は確かに学年1かっこいいと評判だ。たくさんの女子が告白しても断られ続けていた理由はこういう事か、と納得してしまった。

「そ、そっか…。ご、ごめんな。そうだよな、いきなり男にこんな事言われて嫌だよな。ごめん、変なこと言って。」

高橋の言葉を思い出す。『5組を別棟に移動させたいから変な噂を流せ。』そうか、彼が最初の犠牲になるのか。

「な、なぁ。フラれちゃったけど友達から…。」そう言いかけて黄牙と目が合い動けなくなった。優しく手を包み込むように触れ、顔を近づける。

「ごめんね…。僕の事、5組のひどい噂たくさん流してほしい。この包帯はね、前の学校で暴力沙汰して全身火傷なんだ。ねえ、5組にもう来ないでね。」

そう言い終えると男子生徒はフラフラと歩き出し、5組から姿を消し遠くから大声が聞こえる。

僕の人生、と言ってもまだ少ない人生だけどロクなことがない。僕は高橋先生に出会ってはいけなかった気がする。誰もいない5組の教室を見渡す。

せめてもの『もう5組には来ないでね』という言葉。もう僕の事で傷ついてほしくないから。

僕はこうしてひとりぼっちになった。


…ふと昔の事を考えていた。

あの時、炎にも暗示はかけたのに今こうして隣にいる。

隣で一緒に笑い合える日がまた来るなんて思いもしなかった。

僕は炎が好き。

もう一度、想いを伝える事ができるかもしれない。

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