第7話
以前、河野先生に教えてもらった黄牙の入院の事。
夏休みが終わる前にお見舞いに行こうと桃は電車に乗り、少し歩くと大きな大学病院が見えてきた。『金子大学病院』、この周辺って金子って多いんだろうか?と笑ってしまう。河野先生に教えてもらったメモ書きを見て、受付に声をかける。
案内してもらい部屋の前まできた。個室だ、高まる鼓動を抑えながら扉を叩く。
コンコン。
「はい。」
中から黄牙の声が聞こえる。大丈夫、上手く話せる。伏せた顔を上げ扉を開けると、ベッドに座り頭は包帯で巻かれ左目が眼帯で覆われ、右腕をギブスで固められた痛々しい黄牙の姿が目に飛び込む。
「…久しぶり。元気してた?」
みるみるうちに黄牙の顔が真っ赤になって、布団を頭から被り姿が見えなくなってしまった。
「もっ…桃…!!な、なんでこの場所が…。」
「…岡先生に教えてもらったの。林間学校終わってからずっと学校来てなかったから、気になって。」
桃は布団を頭から被る黄牙を抱きしめた。河野先生から教わった事は伏せて。
「久しぶり。ずっと話したかったんだから。」
黄牙は両目に涙を溜めて言う。久しぶり、と。
ー…ずっとずっとわたしは炎の事が好き。
初めて意識したときはいつかって?生まれた時からわたしの運命の人だと思った。
わたしが先に生まれ、その後に炎、黄牙と生まれた。家も近所で同じ時期に生まれたということもありすぐに家族ぐるみの付き合いになった。仲良し3人組、って近所に言われて何をするにも一緒でずっと仲良し幼馴染だと思っていた。
炎は元気な男の子で、毎日身体のどこかしらを怪我して帰ってくるやんちゃ少年。いじめられる黄牙をわたしと一緒に守る、勇敢な男の子。
「桃が好き。僕と付き合ってほしい。」
その日は突然訪れた。黄牙に先に告白されてしまった。
まさか、彼がわたしの事を好きだなんて言うと思わなくて…。
黄牙のことは大好きだけど、恋愛対象として見たことがなかった。言いにくいけど断らなければ。
「ごめん、黄牙。わたしはね…。」
黄牙の赤い瞳に吸い込まれそう。
「僕の目を見て。付き合って…。」
じっと目を見つめられる。次第にぼーっと何も考えられなくなって気がついたら「はい。」と答えていた。
その日から黄牙と付き合う事になったのだ。
それが彼との思い出。
付き合ってからは、炎の事を忘れてしまい2人だけで過ごす事が増えた。お互いの家を行き来して勉強会をしたり、少し遠出してデートしたり。帰り際には必ずキスをしてくれた。
黄牙の瞳を見ていると何もかも忘れられて、不思議な感覚になる。
炎に付き合っている事がバレるまで、二人で甘い時間を過ごした。
ー…
「長期入院って聞いて心配だったけど、順調に回復してそうで良かった。ちょっとだけ安心した。」
桃はホッと胸を撫で下ろす。
「林間学校で近くにいたのに話しかけてくれないし、別棟怖くて挨拶遅れちゃってごめんね。わたし、炎と黄牙とやり直したくてみなと中学校にきたよ。」
黄牙を真っ直ぐ見つめて話すが、中々目が合わない。
「また昔みたいに幼馴染で…3人仲良く幼馴染に戻りたい。今度はその…恋愛とか…そういうのは…。」
「桃はあくまで3人で、なんだね。」
ようやく話してくれた、と思ったら棘がある言葉だった。寂しそうな表情を浮かべる。
「もう昔みたいに戻るのは無理だよ。」
桃は黙ってしまい何も言えなくなってしまったのを察したのか、黄牙は優しく諭す。
「桃は僕の事、一人の男として見てくれないもんね。」
「黄牙は…わたしの事、本当は好きじゃ…。」
知っていた。
洗脳され、好きだと勘違いしていた事。わたしは一体何しに…黄牙を傷つけるためにこの学校に…会いに来たんじゃない。
「黄牙は炎の事…。」
言いかけて、黄牙の寂しそうな瞳と目が合う。
少しだけ頭が痛い。
「ごめんね。もう昔には戻れないんだ。ごめん、桃。」
桃の瞳から涙がボロボロと溢れ止まらない。困った黄牙が慰めてくれるが、気にせずワンワンと声を出して泣いてしまった。
「ひっく…んっ…わたし、戻りたい、仲良しだったあの頃に。黄牙と…んんっ…炎と…ひっく…3人仲良し幼馴染で…っ。」
「うんうん…。」と黙って桃の手を握り優しく聞いてくれる彼の姿に、桃は甘えて弱音を吐いてしまった。
黄牙を困らせてしまった。
少し休んでくる、と伝え病室を出る。
女子トイレに入り、鏡で自分の顔を見ると目元は真っ赤に腫れていた。あんなに泣いたら困るに決まってる。わたしの無茶な希望だってわかってるのに、あんなに駄々をこねてしまい恥ずかしい。
軽く化粧を直し、人が少ないロビーの椅子に腰掛ける。
黄牙の言った通りだ。もう元には戻れない。でも、昔みたいに幼馴染として一緒に過ごしたいと願うのは罪な事なのだろうか。反省しなきゃ、と両目を開けたらそこには見知った男子が見えた。
「桃さん?」
制服の上に白衣を着た海だ。難しそうな本を数冊抱え桃の顔を覗き込んでいる。
「海?!えっ、どうしたの?」
海は白衣を脱いでいつもの学生服姿に戻ると白衣をソファにかけどこかに消えすぐ戻ってきた。
「これ、綺麗なタオルを濡らしてきました。目の上に置いて少し休憩してください。」
…腫れた目を見て用意してくれた優しさで胸がいっぱいになる。
「ありがとう。助かる。」
濡れたタオルを言われた通り目の上に置く。冷えて気持ちが良い。
「…どうしてここに?身内が入院されてるんです?」
「こっちのセリフよ!何でここに海がいるの?白衣なんて着ちゃって。」
タオルを外し質問したら即答で「ここ、わたしの両親が経営する病院ですよ。」と、満面の笑みで誇らしそうに話す。
「え?」
「金子大学病院、ここわたしの両親の病院です。」
ああ、金子!
***
他人が嫌いな理由はただ一つ。母親の愛情が大嫌いで、何でも期待された。
厳格な父は、海の育児を母親に任せ仕事に生きている人だ。
これはまだ海が、みなと中学校に来る前の話である。
「絶対に次の模試は1位を取るのよ、2位は許しませんからね?」
母親の圧力が怖くて常に成績上位をキープする。上位ではない、1位の座を常にキープする。
成績優秀、容姿端麗。誰も私に勝てない。
私の両親はどちらも有名大学を卒業しており、姉、私も有名な学校に通いこの『金子大学病院』を継ぐことが決まっている。
中学校は市内で一番有名な私立みなと中学校を狙っている。この学校は特別クラスがあり、成績優秀な生徒を集めて高校受験を楽に進める事ができるクラスがあるのだ。
そのクラスの担任は市内でもトップクラスの先生なのだから、更に安泰だ、と母親が力説していたのを思い出す。
塾に通い毎日勉強、勉強、勉強。友達を作らずにまた勉強。体育の授業は役に立たないからと親から言われているので一人座って勉強、勉強、勉強。
そのおかげで私立の受験も見事首席トップで華々しく中学デビューを果たした。
入学式新入生代表の挨拶にも選ばれ、周りから「すごい!」「すごい!」と喝采を浴びる。
このまま特別学級に入ればもう高校受験楽勝だ。学校へも登校しなくていいので、家で勉強できる。通学というロスタイムを軽減できるのは素晴らしい。
しかし、希望していた特別クラスへの編入を断られ通常クラスになってしまった。何のためにこの学校に来たのだ!と親は激昂だ。
「すみません、海くんは主席トップとしてこの学校のお手本になるよう通常クラスで…。」
岡が海の親をなだめるが、両親は納得いかないようだ。私も少し納得行っていないが、勉強できるのは変わらないではないか。
金子大学病院を経営する両親に恥じぬよう、常に1位キープで精一杯頑張ります。
はい、私の華麗なる私立中学校デビューが始まりました。
新入生代表の、と言われクラス委員長も任される。クラスなんて1年間だけの箱。嫌味を言われたって、他人に何を言われたって2年になったら別れる人たち。カバンを隠されても、参考書が破られても、何も言わなかった。
友達なんていらない。信用は自分がしてればいいんです。
…はぁ、かったるい!
すみませんね、失礼します。改めて自己紹介しますね、金子海です。あ、知ってます?
この中学校に入るまでずっと勉強漬けの毎日だったので、友達なんていませんでした。頭はいいので先生には気に入られ、同性のクラスメイトからは嫌われていました。
入学してすぐ同じクラスメイトの女性全員から告白され、あ、今鼻で笑いました?いつからかファンクラブなんてものがこっそりひっそりと設立されたようです。が、私、女性が大の苦手でして。冒頭でも話してますが、母親の歪んだ愛情がトラウマで女の人が苦手です。他人に期待するバカな母親。ああ、その期待を超えた私ですが?
当時は別のクラスだった委員長にも嫌な態度を取っていたと思います。今も女性は嫌いですが、委員長のモブ子さんには少し慣れた、かもしれないと言うと彼女はすぐ調子に乗るので控えておきます。
さて、何の話してましたっけ?ああ、そうですね、友達がいなくて男子生徒から嫉みの対象になりました。勉強も出来て女性にも嫌なのにモテてしまう美貌ですから。
あなた達も勉強をもっとすればいいのに。
私は1位をキープするために日々努力を怠っていませんよ。学校での授業は単位のため、塾は通わずみなと中学校の特別クラスのオプションであるオンラインで、担任を持たない先生の授業があるのでそれを利用しています。みなと高校の授業内容を少し見れたり、臨時の大学生のアルバイトもいたりするので、塾に通うよりこちらの方が楽しいですよ。この学校はハイクラスな勉強ができて楽しいです。
常に1位、1位、1位!1位を取った時の快感は誰にも分からないですよね、1位になったことがないのだから。
そんな勉強だけが友達!な、私の前に彼は突然と現れたのです。金子炎。
転校初日から馴れ馴れしく、同じ金子だから仲良く、なんて言ってましたっけ?本当、うざい存在でした。
でも、彼も苦労し努力する姿を見て感銘を受け『この人なら友達になってもいのかな。』と思ってしまい今に至ります。
今思えば、大切な親友炎さんに出会えたから1組でよかった、と心から思います。
…何の話してましたっけ、あ、両親の話ですか。
両親は私の親友、炎さんのことよく思っておらず毛嫌いして「もう仲良くなるな。」と言っているのがムカつくくらいです。夏休みこうして病院にいるのは単に勉強になるから、お父さんのことは嫌いではないので将来のために。
家族なんてそんなもんですよ。
***
桃は、売店でお菓子などを買い黄牙の病室に戻る。
黄牙は「おかえり。」と優しく迎え入れてくれた。優しい笑顔だ、嬉しくて大好きな笑顔に胸が苦しくなる。
その日の夜。
海も黄牙に挨拶しようと、家の手伝いを終え勉強道具を持って病室に向かうがもぬけの殻だったと言われた。
どこに行ってしまったのだろうか…。
***
夏休み真っ最中!
みなと中学校が用意する男子寮で自由快適に過ごす緑は少し暇を持て余していた。
蝉が忙しなく鳴いている。
「…なんや、暇やな。」
至れり尽くせりな生活なので(この学校はどこから援助受けているのか本当不思議なくらい潤ってると思う…。)飽きてしまう。
「炎はんは今日も別棟掃除やろぉ、海はんは病院やろ。…んんーっ暇やなぁ。」
ベッドに横になりながら足をジタバタ。新作のたこ焼きも開発したいが、こんなに暑いとやる気が出ない。と、言ってエアコンを付けると身体に悪いしな。部屋で特に何もせず過ごしていた時だった。
プルルル…プルルル
部屋に備え付けられている電話が部屋中に鳴り響く。
「何や何や!今でるで!はい、緑です。誰や?」
あーもしもし?と聞き覚えのある声が聞こえる。
「あーっ!緑くん!ボクだよ、ボク!小林真鶴です。夏休みだから会いにきたよ!今、フロントにいるんだけど!」
懐かしい声に脳内が思い出に包まれて行く。
真鶴お兄ちゃん!
Tシャツに短パンというラフな格好だったが、受話器を置いたと同時に部屋を飛び出しフロントに向かう。
大好きな大好きなお兄ちゃんがきた!
エレベーターなんて使ってる場合じゃない!勢いよく部屋を飛び出し階段を駆け降りる。
目と目が合う。
真っ直ぐ顔を見て真鶴は笑う。
「緑くん!久しぶり!やっと会えた!」
大きなスイカを持ち上げにっこり笑う彼に涙が溢れてくる。
「お兄ちゃーーーーーん!!!!」
勢いよく抱きついたらスイカでお腹を強打したけど嬉しくて痛みなんか感じなかった。
暇な1日がキラキラ輝き出した!
「へぇ!ここがあの有名な私立みなと中学校かぁ。すごいね、寮も豪華で学校も広いし、大阪で通ってた学校とは偉い違いだねぇ。すごいや。」
学校へ移動して、青山先生の許可を貰い保健室で談笑中。スイカは職員室で冷やしてもらっている。
「小林くんは1年先輩なのね?にしても、背が大きいのねぇ。先生びっくりしちゃったわ!」
青山先生が冷えた麦茶をコップに注ぎながら話す。
確かに、背は中学3年とは思えない大きさである。背の順で並ぶと毎回後ろ。
顔はとにかく可愛い系で女ウケもいいのだが…声が低く顔に似合わず体育会系なので叫ぶと野太い。
そのギャップなのか、友達は多くバカなことしてはよく先生に怒られている。
剣道部に入っており去年の大会では優勝に導いたエースである。今年はぎりぎりで優勝を逃し涙の準優勝で部活人生に幕を閉じた。
「お兄ちゃんのご両親は元気かいな?畳屋は儲かってるんか?」
「うん、元気元気っ!実はね!」
カバンから折り畳まれた紙を取り出し、机の上に広げた。青山先生が麦茶を口に含みながら覗き込み興味津々だ。
緑も身を乗り出し読んでみる。
「何々〜。えっ!横浜に初出店?」
「えっへへー♪儲かってるから緑くんがいるこの横浜でお店やらないか、って父さんが!高校3年間行ったらそのまま父さんのとこで弟子入りして、横浜店を任される事になったよ!」
胸を張りえっへん!と話す真鶴。
「すごいのね。畳屋なんて渋い職業がまたすごいわ。実家のも小林さんに頼もうかしら?」
青山先生は本気で悩みチラシを何枚か手に取り、真剣に読んでいる。
「すごいやん!!前から家業継ぎたいって言ってたもんなぁ!お兄ちゃんさすがやで!」
わいのお兄ちゃんは本当にすごいな、勉強もできて部活もしっかり結果出して。
「緑くんはやらないの?たこ焼き屋さん。緑くんのお父さんが好きだった、たこ焼きで世界一のお店を作るんや〜!って言ってたじゃん?もう諦めちゃった?」
真鶴が首を傾げながら質問した。
そうや、父さんがたこ焼き好きで父さんが家にいるときは毎回たこ焼き作ってくれたんだったな。その器具持ってきたやんか。すっかり忘れとった。
「りょーくー!俺もスイカ食べたい〜〜!」
保健室に入ってきたのは別棟掃除を終えてぐったりした炎だ。
Tシャツが汚れ、真面目に別棟掃除をしている姿がなんか可愛くてプッと吹き出してしまった。
「あっ!何だよ緑!顔になんか付いてる??あれっ?緑と同じ制服…。」
炎は真鶴を指差しながら麦茶が入るヤカンに手を伸ばすと「ちゃんと手を洗いなさい!」と、青山先生に手を叩かれ叱られた。
「緑くんのお友達だねっ!ボクは真鶴、緑くんのお兄さんです!えへ!なんてね!君たちのいっこ上だからお兄ちゃん!よろしくね!」
えっへん!と胸を張り、炎と笑い合う。大好きな友達とお兄ちゃんが話してる光景。なんて幸せなんだろうか!
「わい、決めたわ!」
緑は立ち上がり大声を上げる。その光景をキョトンと見つめる3人。
「わい、たこ焼き屋作るで!海外にも出す!んでな!離婚して離れてしまった父さんに食べてもらうんや!決めたで!!!!」
「おー。夢見つけたのか!偉い偉い!」
目の前に切ったスイカを持つ昂先生が見えた。
「スイカ、切ってきたぞ!冷えてるぞ〜!」
炎が真っ先にスイカに手を伸ばし、また青山先生に叱られている。
「緑、応援してるぜ。お店出したら呼べよ?お兄さんと一緒に食べに行くよっ!ほら、食べようぜ!昂先生に全部食べられるっ!」
鼻を啜りながら炎は緑に向い合って応援の言葉を述べた。
真鶴が炎と昂の喧嘩を見ながら野太い声で笑う。
緑は最近の自分を心の底から後悔していた。
真鶴が来るまでは堕落していたし、たこ焼きの事など頭になかったのだから。
部屋に戻ったらまずは器具出して洗って食材買いに…とわくわくしている自分がいた。
「緑くん、何だか楽しそうだね。」
真鶴が笑い疲れてくったくたな表情を見せる。
「楽しいで!いつもお兄ちゃんのおかげなんや。感謝やで。わい、頑張るさかい!」
ピースサインを両手で作って見せる。炎は口元にスイカの種をつけて嬉しそうに目を輝かせている。
「本当に楽しみにしてるからね!」
真鶴は満面の笑みで笑った。
***
別棟にある旧美術室に高橋はいた。
夏休みはこっちの美術室が落ち着く、と毎日のように来てデッサンをしている。
炎に別棟掃除を任せたのには理由がある。黄牙の本当の顔を見せるため、だ。
あいつは人を洗脳する力が優秀で、俺や新聞部を上手く利用してやがる。この学校を乗っ取り俺が校長になるためにあいつを利用してるが中々上手くいかない。ま、上手くいきすぎても岡に不審がられるだけだからな。ゆっくり、ゆっくり。
そこで、幼馴染の炎を使いその気にさせてどん底にドン!としたいわけ!立ち直れなくなるまで叩き潰してやる。
元々この学校のやり方にイラついてたし。
5組担任の美術部顧問でもあるのだが、あいつら勉強以外やる気ない。
美術の時間も基本的なことはわかるが、応用が利かないので本当にやりづらい奴らが揃って正直ウザい。
そもそも何故5組はエリート揃いになったのか?
理由は簡単。
ここ私立みなと中学校は頭がいい生徒が多いと評判の学校でる。
元々、少し変わった私立中学校で勉強に力を入れている学校だったので、何かエリートに特化したクラスを作りたいと、市からの、校長からのアドバイスだったのだ。
数年前に学校の方針が変わり、5組にエリートを集め定時制制度を導入して授業が面倒臭いと思っている生徒に、ネットから1日の課題を提出する事によって、出席日数をしっかりと与えるという意味で始まったこの制度。
俺はこの中学校の職員の中でダントツ頭がいい。美術以外も教えるからな、結構勉強した。
当時の俺は真面目だった。と、いうより普通の先生だったかもしれない。
生徒からの評判は中の下で、情に熱いかと言われたらそんなにで生徒とそんなに距離が近いほどでもなかった。
そういう先生は人気がないのも分かるし、俺はいたら頼りになる?そんなレベルだった。
そんな俺だったのもあり、「職員会議で5組担任は高橋先生にしましょう。」なんてすぐ決まったりした。
担任持つと忙しくなる、ってのはクラスによってだと思う。
本当に暇だった。
クラスに誰も来ないのだから当然で、俺は不満を募らせていった。
それから数年、俺はずっとなすりつけられた5組から離れられず、誰もいない教室で他のクラスの授業準備をする時間が増えていった。
隣の4組は歌ばかり歌ってうるさいし、何より岡が担任の1組にいる海。エリートなのに通常クラスで毎日登校してやがる。
あいつが俺になすりつけたんだ。高橋先生なら5組で上手くやっていける、と。気に入らない。
イライラを募らせ、つまらない生活を送っていた時連絡があった。
昔、この学校で先生研修をしていた河野の息子がこの学校に転入してくる、と。
岡が一任していると聞いて、俺は真っ先に河野にコンタクトをしようと決めた。
そういやあの河野って奴、研修時代は岡と仲良しだったよなぁ。俺はあいつに先生は向いてないと、心にもないことを言ったのを思い出す。俺が追い出した。
『女顔で生徒からキャアキャア言われて嬉しいですか?』とか『鈍臭い。』とか。
岡がその後励ましていたのも無性に腹が立つ !研修のくせに高待遇だったのも気に入らなかった。
そんな河野の息子、そりゃあナヨナヨした奴なんだろうと内心思っていた。
連絡があった日、米村が電話対応していたので無理矢理俺は電話を代わった。
「もしもし、岡先生ですか?」
でた、女声。河野先生を思い出しムカついてきた。
「お前が河野か?」
「はい。あの、岡先生と話したいんですが。」
岡の信頼を潰すなら、こいつを5組に編入させて俺が岡より先に面倒を見ればいいんじゃねーか。
「自己紹介が遅れたな。俺は高橋、高橋徹だ。5組の担任で定時制クラスでもあるからお前にピッタリだと思って電話変わってもらったんだ。すまない。」
受話器越しにもわかる不安な声。
岡を頼ってきたこいつに何があったかは知らないが、とにかく岡の面子を潰そうと必死だった。
「岡先生には俺から話つけておく。俺と一度話そう。学校で待ってる。」
返答を聞かないまま電話を切った。
米村が「勝手に何するんですか!」と怒っていたが関係ない。
思えば奴の明るい未来を奪った瞬間だった。
***
「あの…。僕、河野黄牙と言います。お父さ…河野先生が以前この学校でお世話になっていて、この学校を頼るように言われました。」
別棟の旧美術室に彼を呼びつけた。
オレンジ色の髪で真新しい包帯姿だ。左側の顔は若干腫れており、それを隠すように包帯で覆われている。
右腕は骨折だろうか、ギブスで固定され姿を見るのも痛々しいほどだった。
あらかた話は聞いた。
「これ、気になりますよね。親友と…ちょっとあって大怪我しちゃって今日まで入院してました。さっき退院してこの学校に電話したんです。」
なるほどね。若くて友達とここまでの大喧嘩ってなると…。
「…女か?」
奴の顔が曇っていく。中学生の悩みなんてこんなもんだろ。しかし…。
「ひどい怪我だな。いつ治るんだ?」
黄牙の包帯まみれの腕に触れた瞬間、記憶が薄れその場に軽くふらついた。
「っな…なんだ?俺今どうなった…。」
奴が困った顔でこちらを見ている。なんなんだ、こいつ。
足に力が入らなくなり椅子に腰掛ける。脂汗が額に流れる。
「先生…大丈夫ですか?」
口元を押さえ謝っている。
「俺に何した?」
まだ頭がぼうっとしている。少しズキズキしている。
「…ごめんなさい。急に触られてびっくりしちゃって…。僕、小さい頃から他人を支配する事ができて…見つめたり触ったりすると意識飛ばしたりその気にさせたりできるんです。」
痛む頭を抑えながら理解しようと考えるが追いつかない。
…要するに超能力?高揚していく気持ちが徐々に湧き出した。これは使える。
「幼馴染に好きな子がいて付き合えたのもこの力のおかげで…。だから少し負い目もあって炎だけが悪くないから…。」
「おい。俺にその力を分けることはできるのか?俺を洗脳させてその気になれば分け与えることできるんじゃないか?どうだ?」
垂れ目の目がまんまるになる。
「俺は岡が嫌いだ。この学校をお前のその力を使ってめちゃくちゃにしてほしい。俺はその力を使い岡に復讐して新しい学校の校長になる。今のこの学校のやり方には飽き飽きしてるんだ、どうだ?お前も岡が憎いだろ?」
一度、河野の顔を確認するが俯いて表情は確認できなかった。黄牙の両腕を取り左右に身体を揺さぶる。
「お前の親父を他所へ追いやったのは岡なんだ。」
河野と目が合う。
ー…欲しい。
「岡は今担任持ってるんだが、ひどい有様なんだ。お前の親父…河野先生を酷くいじめてな。この別棟の階段から突き落としたのに…校長との癒着で無かったことになった。河野先生に悪事がバレてひどい事何度も見たぜ。」
ー…欲しい欲しい。こいつの力が。
「岡と校長がこの学校にいる限り、河野先生の行方はわからない。な、奴らを追い出そう。そのためにお前が必要なんだ。」
河野の目から大粒の涙が溢れ、うっすら赤く光る。
「幼馴染…その、炎って奴が憎いんだよな?そいつを見返そうぜ。お父さんの居場所見つけ出して、炎を同じ目に遭わせればいいんだ。家族が離れる辛さを…!」
欲しい。こいつの力が欲しい!!!!目が合ったまま、何かを決意した表情だった。
「…僕、どうしたらいいんですか?」
かかった!
高橋は黄牙の整った顔に触れる。ふっくらとした頬、長いまつ毛に触れたくなる唇。近寄ると甘い匂いがした。
「お前ならそうだな。その顔は使えるな。初心な生徒捕まえて色恋しまくれ。」
頬を撫でるとビクッと身体を震わせ、こちらを見る。
「校内中に噂作って5組はやばいクラスだから近寄りたくない、って知らしめてくれ。生徒の心の隙間に入るんだ。」
黄牙の顎を掴み見つめ合う。
クラクラして段々と記憶が薄れていく。こいつの瞳が欲しい!
「うっ…。」
立ちくらみがしてその場に崩れ落ちた。目が痛い。
「僕、その岡先生の話が本当なら許せないです…。」
黄牙の両目が赤く濃くなっていく。その瞳の奥の悲しみが入り込んでくる。…大好きな親友と別れた事も相当ショックなのだろう。
「お前が欲しい。俺に協力してくれたら知ってる事、全部話してやる。」
しばらく考え込んで黄牙はこくりと頷いた。そしてまた見つめ合うと猛烈な頭痛に襲われその場に座り込んだ。
黄牙は上手く行けたか心配になって高橋の肩を抱く。
「先生、僕上手くやれましたか?これから僕どうしたらいいですか?」
床に座り込み高橋の顔を覗き込む黄牙。
まだ朦朧とするが目が欲しい。素晴らしい力を手に入れたぞ!!!
「…お前は俺が面倒見てやる。お前を今日から俺の息子として扱ってやる。まずは5組を別棟に移したい。手伝ってくれ。」
黄牙が頷く。
この学校を壊すという利害関係が見事に一致し、二人は見つめ合った。
それからはトトントン拍子に事が進む。
俺も気が大きくなり生徒に悪態を付く事が楽しくて仕方なかった。
気に入らない奴にチョーク投げて怪我させる事ができる喜びは、俺にしかわからないんだろうな。
学年主任や役員に怒鳴りつけられたがこの目で威圧すれば簡単さ。
黄牙がこの学校に来てからすぐいじめは始まった。全身包帯だらけな姿も注目の的で『前の学校で暴力沙汰を起こして退学になった』とかまぁ憶測な噂が飛び交う飛び交う。ある時、本当に奴に惚れたのか、男子生徒が盛大に暴れてくれたのもあって生徒から陰湿ないじめが続き、ついに5組は別棟に移動になった。
『5組の河野くんって誰にでも抱きついたりするんだって。』
女子の間で最初は広まっていった。別棟に足を踏み入れると誘惑され男女関係なく色恋される、と。
思春期真っ只中のこいつらには刺激が強い上に記憶に鮮明に残りやすい。
そうそう、有る事無い事言いまくれ!益々5組の印象悪くなって俺は嬉しいぞ、よくやった!
別棟を半ば占拠し、悠々自適で次の作戦を考えていた頃。
炎、桃、この二人が黄牙を追ってこの学校にやってきた。
こいつらは知ってるんだろうか?
炎なんかアホだから知ったらショック受けるんだろうな、その気持ちを利用すればいい。
あいつは黄牙に謝罪しにこの学校に来た。なら、謝らせないように甘い誘惑をちらつかせて洗脳漬けにしたら俺たちのために動くか?思考回路壊して裏切ったら…壊れるだろうか。
窓の外を見ると、炎と黄牙が何やら話している。
…あいつらを上手く飴と鞭で使い分けるか。禁煙の旧美術室の倉庫でタバコを蒸しながら考える。
この目が俺の盾になり、どうやったら全部終わらす事ができるのか、考えるだけでワクワクしてタバコの数も増えていった。
別棟入り口から軋む音がする。誰か来たようだ。ようやくきたか、と椅子から身体を浮かす。
旧美術室の扉が開く。
「あの…高橋先生?何ですか、話って。」
新聞部の部長だ。夏休み中だが呼び出した。彼女は今5組の犬だ。最大限に力を使っている。
「おー。きたか、まぁ座れ。」
タバコの火を消し、部長を座らせ自身も目の周りに座る。
「何ですか?夏休み中に別棟に呼び出して…。5組のスクープですか?それなら黄牙くんから…。」
部長はメモを取り出すと、じっと高橋を見る。
「あいつの話なんか小言だ、小言。。それよりも大スクープだ。」
不協和音の吹奏楽の練習が聞こえてきた。相変わらず下手な演奏に耳が痛くなる。
俺は早くこの学校を壊したくて仕方ないんだ。
***
明日から学校が始まる。
黄牙は真新しい包帯に包まれ、いつものように別棟にある5組に向かう。
綺麗に整えられた教室、掃除が行き届いており炎が掃除してくれたのかな、とぼんやり考える。
カバンの中から新聞部部長に貰ったばかりの学級新聞号外を手に取り、机の上に広げる。
「お父さん。僕、これで良いのかな。」
椅子に座り、机の中に教科書を入れると紙切れが床に落ちた。
汚い字、でもこの字は…。
涙が止まらない。紙切れは涙で滲み読めなくなってしまった。
そう、明日から2学期が始まるのだ。
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