第6話
林間学校から帰ってきてからというもの、期末テストに追われた俺たち。生徒は慌ただしく学校生活を送る。
先生たちの噂話で小耳に挟んだのだが、林間学校を抜け先に帰宅した黄牙がずっと学校に来ていない様子らしい。高橋先生は相変わらずで、別棟に入り浸っている。
テストが終わったら高橋先生に話でも聞きに行こう。そう思っていたのだが、補習やらで全然話せずついに1学期終業式を迎えてしまった。
夏休みは別棟掃除か…。
気は重いが、別棟に自由に入れるチャンス!高橋先生とも接触できるだろうし、いい機会だ!と、炎は職員室の扉を開き「すみません!高橋先生いますか?」と他の先生に尋ねる。
「高橋先生…ね。多分まだ別棟の美術室にいると思うわ。」
たまたま職員室にいた保健室の青山先生が丁寧に教えてくれて「わかりました。」こちらも丁寧にお辞儀する。
職員室を後にして、別棟に向かう。もしかしたら会えるかも、なんて期待しながら。
長い渡り廊下を抜けると、木造の別棟入り口が出迎える。ミシミシ軋む重い扉をあけ「高橋先生いますか?1組の金子炎です。鍵を受け取りに来ました。」と、大きな声で話すが返答がない。
仕方がないのでひとまず5組までやってくると、高橋が壁にもたれかかるようにして床に座っていた。
「高橋先生?だ、大丈夫ですか?」
肩を摩り、何度か声をかけるとハッと目が覚めた高橋先生と目が合う。いつもの灰色の瞳だ。
「炎…。な、なんだ。なんの用だ。」
炎を突き飛ばし、ズボンの埃を叩く。
「なんだよ、せんせから呼び出したんじゃないですか。別棟掃除で鍵を預かりに来ました。」
「ああ…。そうだったか。」
すっかり忘れていたのか、思い出して机の上に置いてある鍵に手をかけるがめまいだろうか、フラッと倒れるように椅子に勢いよく腰を下ろす。
「せんせ!大丈夫ですか?青山先生呼んで…。」
硬い手で腕を掴まれ、高橋に睨まれる。が、その眼差しは弱く苦しそうだ。
「いや、いい。これ、鍵だ。無くすなよ。」
手渡された鍵は真新しい。作ったばかりの合鍵だろうか、使われている形跡はなさそう。
「先生…。本当にどうしたんですか?体調…。」
「俺に構うな。もう帰ってくれ。」
そう言うと、弱い力で炎を突き飛ばす。炎は心配そうに振り向き「職員室に行って一応話しておきます。」とだけ伝えて教室の扉を閉める。
あんな弱った高橋先生、初めて見た。青山先生はまだいるだろうか、話しておかねば。
***
桃は部屋のカーテンを開け日差しを浴びる。眩しい1日が始まったばかりだ。
蝉が忙しなく鳴く夏、出来事というのは突然やってくる。
窓の外に見覚えのある姿が目に入った。あの姿は河野先生!夏休みを利用して河野先生がわたしの家を訪ねてきたのだ。
「桃ちゃん、久しぶり。」
本当に河野先生だ!久しぶりで感極まる。
「先生!お久しぶりです!両親に用ですよね?ごめんなさい、今日仕事で…。」
と言うが河野は「桃ちゃんに会いにきたんだ。」と笑って見せた。
腕時計を確認して話を続ける。
「少しだけでいいんだ。話しでもどうかな?近くのあのカフェで…。」
「わたしも話したいことあります!」と桃は即答する。
「先生、待っててください。着替えて行きます。」
桃は開けた窓を閉め、急いで着替える。この前買ったばかりのワンピースを片手に取るが、着慣れた方にしよう。
鏡の前に立ち、軽く髪の毛を整え「ん、大丈夫っ!」リップをして元気に笑顔を作る。
「お待たせしました!行きましょう!」
「じゃあ行こうか。」
玄関の戸締まりをして歩き出し、無言で駅前まで歩き目的地に到着した。
目の前を歩く河野先生の背中を見て緊張する。
「いらっしゃいませー。」
まだ開店したばかりか客はまばらだった。
席につき注文する。河野先生はアイスコーヒー、桃はオレンジジュースを頼んだ。
「先生、こっちに戻ってきたんですか?」
髪の毛を耳にかけながら聞いてみる。河野先生はこちらを見ないでカバンの中で何かを探している。
「お待たせしましたぁ。」
店員の気怠そうな声と共に注文した飲み物がテーブルに置かれる。
ストローを差し一口飲んで、先生の顔をしっかり見たら顔色がとても悪そうだった。
「…先生、どうしたんですか?体調悪そうです…。」
暑さのせい?額から汗が滴り落ちテーブルにポタポタ落ちている。
「桃ちゃん。ごめんね…。岡先生から聞いて一時的に帰ってきたんだ。もう今日帰るよ。」
先生がカバンの中から写真を取り出しテーブルに並べた。高橋先生と黄牙の写真だ。
「俺ね、昔みなと中学校で研修したんだよ。知ってた?…知らないよね。」
首を横に振り知らないジェスチャーをする。
「その時に担当になったクラスが岡先生のクラスで、公私共にお世話になったんだ、すごーくね。」
写真を桃によく見えるように並べる。
「でもね、いじめってどこにでもあるんだね。生徒からじゃなく先生から言葉の暴力を受けたんだ。結構キツくてね。そういう言葉が悪い人なんだ、って割り切らないとって何度か言われたけど俺…こんな性格だし割り切れなくて全部真に受けちゃって。そんな見た目だから、とか、男のくせにはよく言われたな。」
遠い昔の事の様に思えたがまだ数年前の話。自分にとっては懐かしい気にもなる。
「…研修はいろいろあって最後まで出来なかったんだけどね。」
ようやく先生がアイスコーヒーに手を伸ばし飲み始める。
コップの周りに水滴がたくさんついてそれをナプキンで拭き取り始めた。
「高橋先生なんだ。」
二口目は一気に飲み干す。
「言葉の暴力をしていた先生、高橋先生なんだ。俺の顔みるといつもひどい事言って。それが一ヶ月、結構きつかったよ。でもね、岡先生がいたから救われたんだ、本当に。」
先生は少し嬉しそうに口元を緩め笑ったように見えたがまた真顔に戻る。
「岡先生に聞いたよ。黄牙を引き取って父親代わりしてくれてるんだってね。なんの運命だろう。俺と高橋先生は赤い糸で繋がってるのかな?あ、店員さん!アイスコーヒーのおかわりお願いします。」
「はぁーい。」
店員はあくびをしながら気怠そうに返答して厨房の奥へ消えていく。
河野先生は写真を1枚手に取り桃の目の前に置いた。
「黄牙、最近学校で怪我して病院にいるって聞いて。別棟の階段手すりが壊れて階段から落ちたって話しか聞いてなくて。今日病院に行くか迷って君の家に行ったんだ。」
「お待たせしました、アイスコーヒーです。」
先程と違う店員が2杯目のアイスコーヒーをテーブルに置く。河野先生はストローも刺さず飲み出した。
「桃ちゃん、俺ね。また転勤になって、今より遠いところに行くんだ。本当は今日黄牙会いたかったけどやっぱり勇気が出ない…。桃ちゃん、もう学校で黄牙に会ったかい?」
「組が違うのですれ違ったり位ですが…まだちゃんと話せてなくて…。」
河野先生が腕を組み考え込んでからメモ書きを改めて桃に渡した。
「これ、入院先。俺の代わりに会ってきてくれるかな。喜ぶよ、黄牙。」
ここから近い病院。電車で一駅の駅前にある大きな大学病院だ。
「俺は黄牙に父親らしいこと何もしてやれなかった。失格だよね。もし会いたくなったら会いに行ってくれないかな?」
桃は河野先生を真っ直ぐ見て頷く。
「はい、会ってきます。わたしもゆっくり話したかったので。今日は会えて嬉しかったです。」
河野先生はやっと笑顔で笑ってくれた。その笑顔があまりにも無邪気に笑うので桃も釣られて笑顔になる。
「ありがとうございましたぁー。」
店員の怠そうな声を背後にお互い別々の道を歩み歩き始め、途中で歩みを止めた。
「桃ちゃん、今日は会えて嬉しかった。意気地が無い俺を許してほしい。」
「そんなこと…。わたしも会えて嬉しかったです。」
河野先生は振り返らないで右手で手を振りホテルがある方向へ歩き出す。
心の中で「また会えますように。」と思いながら、自宅へ歩き出した。
***
みなと中学校、別棟。
高橋先生に借りた真新しい鍵で入り口の扉を開く。
毎回別棟に入るたびに軋むので、今回こそは軋みに負けないように、いつも踏まない部分の床に片足を付け踏んでみる。
ギシ…
木造だからだろうか、軋みの音が怖い。更に朝なのにほんのり薄暗い。
入り口すぐの全体の電源を入れ用具室に向かう。
林間学校で突然高橋先生に俺たちの謎を教えてやる!なんて言われて無惨に負けていつまでか分からない別棟掃除をやされている。
この棟は5組の生徒でもほとんど定時制スタイルで通っている生徒が多いのか、なかなか出入りが少ない。本当に5組に生徒っているのか?不思議だ。
先に教室の掃除先にするか…と5組に入りほうきで床を掃く。…思った以上に綺麗だ。と、いうか見渡すと酷い汚れもなく掃除をしたばかりの印象を受ける。
そういえば、高橋先生体調良くなったのかな。ぼんやり考えながらカーテンを開くと、眩しい日差しが教室を照りつける。
運動部の練習声が聞こえてきて心地よい。陸上部の掛け声が聞こえてくる。毎回歌って走る練習してる、って部員から聞いた事あるけど本当だったんだ。同じクラスの陸上部員から以前聞いたけど、碓井先生って足がものすごく早くて、美声でしょっちゅう歌って走ってるって。担当は1学年だから関わりないけど、今度早く走るコツを教えてもらおう、と楽しそうな歌声にワクワクしてしまう。
椅子を窓側に置き窓の手すりに腕を置く。頭を突っ伏し瞳を閉じる。
…会いたいな。
遠くから運動部の叫ぶ声、本棟から吹奏楽の音色が心地よく響く。いつの間にか眠ってしまった。
やばいっ!寝てしまった!
慌てて辺りを見回す。まだお昼過ぎか?生徒の笑い声が本棟から聞こえてきてホッと胸を撫で下ろす。掃除しなければ、と床に放置されていたほうきを手に取り掃き掃除を再開した時、廊下から人の声が聞こえてきた。
「ちょっと!パパ、またあの子の身体を傷つけたの?」
高橋と娘の由香だ。言い争いをしている。身体に傷?なんの話だろう。ドアを少し開けて覗き見をする。
「おいおい、大袈裟だろ。ちょっと蹴ったら骨折したんだぜ?あいつの身体が弱いだけだろ。」
高橋は笑いながらタバコに手を伸ばす。由香が制止し、タバコの箱はこちらまで飛んできた。
「今日、お見舞い行ってきたわよ。あの子健気ね。高橋先生は悪くない、って一点張りよ。」
聞く気がない、といった感じの高橋は怠そうな声を上げながらこちらに向かってくる。まずい、バレないように隠れなきゃ!
「あの子見つけたとき、シャワー室で血を流して倒れてたんだから!もう少しで…。」
由香の声は震え、高橋を睨む。
開けたドアの隙間から高橋の手が見える。
「…はぁ。お前なぁ。」
呆れてる顔だ。タバコを一本取り出し火を着け咥える。
「俺よりあいつの肩持つのか?あいつはお前の何でもないんだぞ?俺が家族なんだぞ?」
由香は「そういう事じゃ無いでしょう!」と半ば呆れまた口調を強くして言葉を続ける。
「暴力で人を支配するなんて…パパはそんな人じゃない。」
返答が無い。少し沈黙が流れた後高橋が口を開く。
「どうしたの、本当に。あの子に一体何してるの?」
「お前に迷惑はかけないさ。わかってるだろ?俺の目的。」
由香の頭を撫で優しい顔を見せる。
倒れていた時の高橋先生だ。
由香が言う『あの子』は黄牙だろう。病院で入院している?高橋に暴力されている?今すぐにでも高橋を殴りに行きたいが我慢する。
由香の言う通りだ。暴力を暴力で解決してはいけない。
二人が別棟から出ていく行く姿を見送り、炎はノートを手に取り乱雑に破った切れ端に何かを書き始めた。
由香と別れ、別棟の美術室に入る。
随分長い事話していたのか、外が暗くなっていた。
電気を付け、タバコを1本手に取り火をつけ口に咥える。至福の時間だ。
最近、黄牙を病院送りにしてしまったせいで力が出ず何もかもうまくいかない。屈辱なのはあの金子炎に心配され、青山に看病された事か…。あの日は酷く体調不良で終業式で助かったのに。
あいつの病室に行く事はない。俺は父親でもなんでもない、他人だ。息子の『振り』させていれば、何かと都合がいいだけだ。あいつが勝手に怪我したんだ。俺は悪くない。
一瞬脳裏に笑顔の黄牙の顔が浮かんで、何故か胸が苦しくなる。そんな顔で俺を見るな。
壁を力一杯殴る。拳に血が滲み痺れその場に座り込む。
「俺は……。」
そう呟いて意識を失った。
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