第39話 学校祭1
学校祭のクラス出店は、メイクと仮装のお店になった。
「店名は、フォトジェニックスペース! ロリポップメイクアップ! になりましたー!!」
盛り上がる女子の中、男子がやれやれと椅子に背を預けた。
その場でメイクや飾り付けをして記念写真を撮る、写真館的なコンセプトらしい。
「長い名前だなあー」
後ろから熊田が呟く。
席替えがあって、菊池と田中とは離れて、俺と熊田は窓際の後ろという特等席に前後で並んでいた。
「飲食よりは楽そうだね、メイクは女子がやってくれるみたいだし」
去年は飲食をやって、接客が意外と大変だったことを思い出す。
「そうだな。俺たちは内装と装飾のアイテム作りかあ」
「うちらがアイデア出すからバンバン作って!」
隣の席の大川さんがニヤッと笑った。前の席の片瀬さんとノートにアイデアをまとめているらしい。
「学校祭っぽいフレームとか欲しいよな、日付入りでさ」
「あ、それいいね熊田!」
「やろうやろう!」
大川さんが手を叩いて熊田のアイデアをノートに書きこんだ。
それから毎日がうきうきした雰囲気に包まれていった。
校内が少しずつ飾り付けられて、部活の無い俺は、放課後も暗くなるまで準備をした。
久しぶりにたくさんの人と会話をした。ごくごく普通の会話だ。
初めは少し意識されている気がしたけど、準備が進むにつれて違和感は取れていったと思う。もしくは俺の違和感が。
何度か森崎さんを見かけた。特徴的な笑い声が聞こえて、俺は心からホッとした。松島さんもどこかで笑ってくれているといいんだけど。
「はーい! もうすぐ時間なので片づけに入ってくださーい」
実行委員の桜田さんの掛け声で作業が切り上げられた。
装飾品も映えコーナーも順調に仕上がってきている。
猫耳カチューシャだのバカでかいサングラスだのを段ボールに入れていると、新田さんが俺に手招きをした。
「なに?」
「この脚立、ちょっと重いけど任せていい?」
「いいよ、どこに持っていけばいい?」
「一階の工作室の横の青い扉のとこ」
「分かった」
脚立を受け取ると、新田さんがジッとこちらを見てくる。何だろうと思って、「一人で持てるよ?」と、あてずっぽうに答えると、にこっと笑った新田さんは、「お願い」と頷いた。
壁にぶつけないように階段を下りて、右手突き当りの工作室を目指す。
玄関側にはひと気を感じるが、教室のない第三校舎側はひっそりとして薄暗かった。
準備室と書かれた青いドアを開けると、サーっと風が抜けてきた。奥から女の子の声がして、誰かいるんだと思った。
電気が付いていなくて不思議に思ったけど、グラウンドの照明が入り込んでいて、歩けないほどの暗闇ではない。俺はそのまま棚に挟まれた通路を両手で脚立を抱えて進んだ。
「お前かよ」
声に顔を向けた瞬間、毛が逆立つほどの衝撃を受けた。
雑然と置かれた備品に囲まれて、ぽっかりと空いた床に甲田が座っていた。
シャツの前がはだけ、ズボンのチャックが下りて、青い下着が見えている。
「なに……してたの」
息が止まったままそう言って、甲田の格好と、さっきの女の子の声を思い出して慌てて頭を振った。
「いややっぱりいい! 全然知りたくない!」
窓が大きく開いている。カーテンが揺れて、人影はない。
「ちょっとエロいことしてただけだよ」
甲田がくすくす笑って俺を見上げた。
慎重に息を吐いて、並んだ脚立の横に持ってきた脚立を立てかけた。
「ちゃんと窓閉めて」
速まる心臓が動揺を知らせている。踵を返して出て行こうとする俺を甲田が引き留めた。
「待てよ童貞くん」
恐る恐る振り向くと、甲田は胸をはだけたまま両手を後ろについてニヤニヤとこちらを眺めている。
無視して行けばよかったのに、やっぱり腹が立ってきて、動揺を見せないようゆっくり呼吸して甲田の方へ行く。
「おっ」という顔を無視して、開いていた窓を閉めて施錠した。
揺れていたカーテンが動力を失ってふわっと肩にかかる。甲田の肌を思い出してカーテンを引いた。
薄暗くなった室内が、何か恐ろしい事の前触れのように静かになった。
早くここから出なくちゃ。
振り返って甲田を見下ろす。
「出ないと迷惑が掛かるよ」
「別にどうでもいい」
甲田は伸びた髪をかき上げて、くっくっと肩を揺らしている。
何が可笑しいんだろう。
はだけたシャツから乳首が見えて、思わず眉間に皺が寄ってしまった。
「ピアス、なんでそんなに開けるの」
目をそらした先のピアスを見て、つい聞いてしまった。
ピアスが数えきれないほど増えていた。耳の縁を殆ど埋めるようにシルバーのピアスがならんでいる。
甲田は急にそんなことを聞いた俺を伸びた髪の隙間から見て、「イライラすると開けたくなるんだよ」と、ベーっと舌を出した。そこにもピアスが付いていた。
「それって病院案件じゃない?」
「うるせえな」
「痛々しいよ」
止せばいいのに言葉が勝手に出てくる。甲田の舌打ちが部屋に響いた。
「お前はなんでいつもそんななんだ?」
「そんなって?」
「突っかかってくるだろ! 嫌いなら無視しろよ!」
「先に突っかかってくるのはそっちだから!」
言い返したけど、自分でも変だと思っている。理由は分からないけど、甲田を見ているとどうしても負かしたくなる。こいつの存在を許したくなくなる。攻撃的な自分に、自分が一番驚いている。
こんなにムカムカするのに、目のやり場のない格好に動揺もしている。あー、やっぱり早く立ち去ればよかった。
「なんで?」
急に甲田のトーンが変わった。
「は?」
「嫌いなら無視するだろ」
俺は喧嘩中の猫みたいに視線を逸らさないようジッとした。
「嫌いだから無視しないんだよ。むかつくから言い返したい。無視は無関心だろ」
黙って少し傷付いたような顔で俯く甲田に、言った俺も傷付いた。
自分が面と向かった相手に嫌いだと言える人間だったことがショックだった。そして自分は、この男に関心があるらしい。
「無関心か、そうかもな」
呟くようになった声に、自分の勢いが勝ってしまった感じがして居心地が悪い。
負かしたいと思っていたのに、いざそんな態度になられると後悔が湧いてくる。
なんだよ、急におとなしくなるなよ。
妙な間が開いて、静寂が俺を試すように囲んだ。
どんどん気持ちは落ち着かなくなっていくのに、それを悟られたくないから身じろぎもできない。
何でこんなことになっているんだ。脚立を置きにきただけなのに。
内心で惑っていると、小さく頭を上げた甲田の目がうるっと光って俺を捉えた。
蛇のような黒っぽい目に見えて、少し怯んだ。
「俺は、よく無視される」
唐突な告白だった。
俺は態勢を急には変えられずに、「は?」と強く返す。
「父親とか……兄さん、とか」
甲田はゆっくり俺の様子を窺うように言う。
家族から無視されているのか? 父親にまで? 一体どういう話なんだ。
「学校じゃ、周りなんて気にしないくせに」
「必要な話でもだよ。来月の懇談とか……学校で金が要る時も、あるだろ」
妙な間を作りながら、甲田は話を続ける。
「無視されてどうするの」
「勝手に持っていくさ」
「家庭内でも窃盗って成立するらしいよ」
「連絡は入れるよ、持っていくってな」
何なんだこの話は、どう返したらいいんだよ。
気持ちの置き場所を見失って、床に伸びる二つの影が重なっているのを見る。
「変な家だね」
「変なんだよ」
「理由は?」
「俺が母さんの浮気してできた子だから」
「……は?」
前かがみになって詰まった息を全て吐き出した。
なんだよ!! 何を言い出すんだよこいつは!!
「重たい話を急にしてくるなよ! 心の準備とかいるからさ!」
「うるせえなぁいちいち」
甲田はズボンのチャックを上げながら口を尖らせる。
「それって、いつ分かったの」
「中二」
俺が孝一でああなった時と同じ。思春期真っただ中。
「……それで、どうなったの」
興味から聞いてしまうのを止められない俺を甲田はチラッと見て、ベルトを締めながら思い出すような間を取って、ゆっくり、まるで怖い話をするように語った。
「地獄みたいな雰囲気。俺のことを急に存在しちゃいけない人間、みたいな目で見る。昨日まで、仲良く遊んでたのに」
完全に怖い話だ。
なんなんだよ! 嫌だ同情なんかしたくない! でも想像するとあまりにも居た堪れない。
「お前はわかるだろ? 自分を見てくるあの目、黙ってるのに強く何かを言ってる」
バレンタインの事を言っているのは分かったが、俺には分からない。数は多かったけど、家族だった人に向けられる恐怖とはきっと全然違う。
「その、お母さんは?」
「実家に帰ったよ」
「え、甲田を残して?!」
頷く甲田に、信じられない気持ちになる。
「一人でどうしたの」
「いい子にしたさ、大人しく勉強して」
両手を広げて見せた甲田から思わず視線を逸らした。孝一を思い出したからだ。
信じられない。こんな奴の話から孝一を連想してしまった。
「そしたら、母さんが離婚してた。それで、男といた。俺の実の父親。俺も来いって言われて、頭がおかしいのかと思った」
甲田はまた変な区切りを付けながら言って、それからくすくすと笑った。
何が笑えるのか分からない。なにひとつ理解できないのに、細い指がひとつずつ止めていくシャツのボタンを見ながら、辻褄が合う感覚になった。
甲田の言動全てが理解できなくて清々していたのに、突然理解できない環境要因が現れて、それならばそうかもしれないと腑に落ちそうになる。
「行くも地獄、残るも地獄」
甲田はなぜか楽し気にそう言って、近くにあった鞄を引き寄せ、煙草を取り出した。
ギョッとして、慌ててそれを取り上げた。
「返せよ」
「それで女の子と遊びまくってんの?」
言いながらゆっくり距離を取って、窓に背中を預けた。甲田の眉が片方だけ上がる。
「言われると違うって言いたくなるな」
「やめなよそんな理由なら」
「簡単に言うよなあ」
てっきり好きで遊んでるんだと思っていた。童貞を馬鹿にしてくるメンタリティのやつだし、全然違和感がなかった。でも違うなら、言いたくないけど言ってあげなきゃいけない。嫌すぎるけど、多分俺は今その立場にある。
「甲田は、悪くない」
黒い目が俺を見ている。面白そうな面持ちで。俺はどうしても悔しい気持ちになる。
「素行が悪いだけだよ」
苦し紛れに付け足すと、甲田がやっぱりと言うように息を吐いた。
「ほんと一言余計だな」
改めて見ると甲田は酷く痩せていて、一年の頃よりも小さくなったように見える。
「変な薬とかはやってないよな?」
「やってねえよ」
奪い取った煙草を見るとにわかには信じられなかったが、確かめるすべはない。
突然、「あー」と気の抜けた声を出して甲田が床に寝転がった。
「時々ガキみたいだって思うよ俺だって。でもピアスは開けちゃうし、セックスすると気がまぎれる」
「気持ちがいいから?」
「そう。それに、最中は俺だけを見てくれる」
「……」
俺にはこいつの気持ちは分からない。自分を見てもらいたいという欲求は今のところなかった。多分一生分の注目をつい最近まで浴びていたから。
でも甲田が言っているのはそういう意味じゃない。求められる視線だ。
今に慣れたら、俺もそれが欲しくなるんだろうか。刹那的なものじゃなくて、いつか終わりが来るとしても、それまでは恒久的だと信じて見つめられたいって。
握ったタバコが手の中で潰れて、乾いた香りが漂った。
でも俺がそれを望んでも、相手は都合よく現れない。今のところそんな気配すらない。そんな状態が続いたら、いずれそんなのは不可能なんだと気が付いて、誰でもいいから抱かれたいと思うんだろうか。相手を選べる甲田とは違って、もっと安全ではないような場所で。
きっと凄く怖いだろうな、でもそれ以上に寂しいんだろうな。
久しぶりに繋がれたマイナス方向へ落ちる思考回路が見せた景色に、競り合おうとしていた自分の立ち位置は、簡単に甲田よりも落ちていった。
学校祭の準備をサボって女の子と触れ合える甲田とは違う。
「いいんじゃない、相手もしたいなら」
甲田はそれができるんだ。好きにしたらいい。俺には関係ないことだ。
「無理やりはしねえよ」
はあ、先生の声が聴きたい。俺の代わりにこいつに言ってやって欲しい。でもそれはできないから、俺が言ってやらなくちゃ。関係ないのに。
「甲田は悪くない」
甲田は何も言わなかった。だから俺はもう一度言った。
「甲田は何も悪くないよ」
「わかってる」
「わかってても傷付くだろ」
だから今がこうなんだろ? 孝一はこうじゃなかったけど、極端と言えばそうだった。だから分かってはやれる。言わないけど。
「話を聞くよ」
「おまえが?」
鼻が笑って、黒い目が細められる。
「こんな話をする相手が他にいるならいいけど」
二年になって、甲田が一人でいるところを一、二度見かけた。つるんでた枝野と田丸とはクラスが離れたようだし、通知がうるさくて枝野達のフォローは外したが、思えば甲田のSNSは最近更新されてない。甲田を置いて逃げて行った『エロいこと』をしてた女子が誰かは知らないけど、友達ではないだろう。
「おまえやっぱりむかつくな」
甲田は立ち上がると、鞄を掴んで準備室を出ていった。
ドアが閉まる音が、俺をようやく緊張から解放した。
詰まった息を吐いて、自分も準備室から出た。
「あ、いた」
出ると新田さんが居た。
「新田さん、どうしたの?」
「ちょっと遅かったから。甲田となんかあった?」
玄関に向かって歩く後ろ姿を振り返りながら、新田さんがそっと言った。
俺は何と言おうか迷って、ふと思い出して手の中の煙草を新田さんに見せた。
「あらら、そういうことか。一緒に先生のところ行ってあげる」
「……甲田のだってことは言わなくてもいい?」
新田さんはまつ毛を瞬かせて、「そうしたいなら」と頷いた。俺も頷いて、二人で職員室に煙草を届けた。
夜になって、『電話していい?』と先生にメッセージを送ると、すぐに電話が来た。
「どうしたの?」
「俺が掛けたのに」
「気にしないんだよ」
先生の存在が毎日の生きる糧になる。特に今日みたいな日は。
身体の力がようやく抜けていく。ベッドに横になって、甲田の話をした。
「なかなか重たい話だね」
「うん、久しぶりに自分以外のことで落ちた」
仰向けで天井の白を眺める。
甲田のことは嫌いだ。友達ですらないのに、あの境遇を言葉にすると胸が重たくなった。
「高瀬はなんて言ってあげたの?」
「甲田は悪くないって」
「優しいね」
褒め言葉を素直に受け取る気にもなれない。
「嫌いだって言ったけどね」
「素直にそう言ったから話してくれたのかも。悪くないって言葉にも信憑性が出たと思うよ。煙草も、取り上げてくれてありがとう」
煙草を届けた時の溝口先生の顔が浮かんだ。怒りよりも悲しみだった。
「タバコが甲田のだって言ったら、学校が介入して問題を認識してくれるかなとか思ったんだけど、暴力とかじゃないし、家庭のことは学校には関係がないのかなって思って。それに、話したところで父親側にも母親側にも甲田の居場所はない気がして」
まるで孝一の家庭みたいだ。孝一とは似ても似つかないけど。
「学校が関係ないなんてことはないよ。ただその年齢だと、本人の意思が重要になってくるだろうね」
「本人の意思か」
きっと余計なことと思われるだろう。
「でも高瀬に話したってことは、何か変化を望んでるんだとは思うよ」
痛々しいピアス、痩せた身体。上げてもいない腰が重たく感じる。
「俺、何かしなきゃいけない?」
「そうしたいの?」
優しい声に聞かれて、つい口がとんがった。
「分かんない。でも、知っちゃったから」
「優しいね」
「凄く嫌なんだ、気持ちとしては」
とんがった口がさらに曲がった。嫌いなのに興味があって、放っておくのも気が咎める。なんなんだよ腹立つ。
「俺が会ってみようか?」
思ってもみない言葉に、思わず起き上がってしまった。
「な、何で?!」
「全然専門じゃないけど、一応大人だから」
「え? は?」
ひどくうろたえてしまった。そんなつもりで先生に相談したわけじゃない。
「やだよ!」
「やだ?」
先生は笑って繰り返した。俺はわなわなとなった。
「先生をアイツには会わせたくない!」
「俺じゃ頼りにならない?」
「そうじゃない、そうじゃなくて……」
心臓がドキドキする、なんてこと言い出すんだよ。とにかく嫌だ絶対に!
「そうじゃなくて?」
「先生は――」
俺の先生だから。ダメだ、これはちょっと言えない。それに先生は奥さんのものだ。また長電話している、ごめんなさい。
「なに?」
続きを促されて、喉から言葉を絞りだす。
「俺が、もう少し声かけられるか、試してみる」
全然言いたくなかったこんなことは。がっかりしてベッドに倒れた。
「あんまりきついこと言わないようにね」
クスクス笑いの先生が俺を嗜めてくる。この人絶対こうなることが分かってた。
「それは、向こう次第だよ」
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