第40話 学校祭2
先生にああは言ったものの、そもそもA組の俺とF組の甲田はすれ違うこともない。二年になって甲田を見かけたのはほんの二、三回だ。つまり行動を変えないと、あいつとは接点が無い。ずっとそれで平和にやれていたのに、人生って変なものだ。
昼休み、トイレに立ったついでにF組の教室の前を通ってみた。
間近に迫った学校祭の飾りつけでどこもごちゃごちゃとしているが、覗き見る口実にはなるので少し気が楽だ。
見当たらずちょっとだけホッとする。引き返そうとすると、「甲田君ならあっちだよ」と、いつの間にか後ろに居た新田さんに声を掛けられた。
「めちゃくちゃびっくりしたんだけど!!」
「高瀬君ってめちゃくちゃびっくりするんだ」
「するよ! さすがに!」
新田さんの興味深そうな視線を受け取りながら、あっちと言う方に付いていくと、第三校舎の屋上の一番向こうのベンチに、寝っ転がった甲田を見つけた。
木陰で気持ちよさそうに眠っているように見える。
「高瀬君って甲田君と喧嘩してたよね? 和田さんの事で」
女子が何でも知っていることにはもう驚かない。
「まあね」
「なんで気に掛けてるの?」
「え、気に掛けてるって思うのはなんで?」
「だって」
新田さんはピースサインを唇に当てた。煙草の件を言いたいんだろう。
「めんどくさかっただけかもよ?」
俺が眉を上げると、新田さんは口角を上げた。
「そういうタイプじゃないってもうバレてるよ」
え、じゃあどういうタイプに見えてるんだろう。
「ちょっと、話をきいちゃったんだよ」
「なんの?」
「甲田の素行がああな理由」
「へえ、納得できるような話だったんだ」
「まあ、かなり重たかったかな。それを何の気まぐれか俺に話したからさ」
「放っておけないんだ」
笑い交じりに言われて一気に居心地が悪い。
「そんなに積極的に動くつもりはないけど、助けが必要ならね」
「高瀬くんってさあ」
オレンジ色をした唇がつやつやと微笑んでいる。
「何も言わないでいいよ」
首を横に振って止めると、新田さんは顔をくしゃっとして笑った。
「ねえ、私が情報集めてみるからさ、ちょっと時間くれない?」
「え、情報ってどうやって?」
「だいたいSNS。高瀬君って全然スマホいじらないよね」
「あー……ちょっと、付いていけてなくて」
珍しいと笑われて、「じゃ、何か分かったら言うね」と、新田さんは行ってしまった。
俺は新田さんがSNSで何をどうするのか全く想像がつかないまま、ドアの向こうで寝っ転がる甲田を一瞥して教室に帰った。
学校祭が始まった。晴れ曇りでひどく眩しい。
こういう日の方が日焼けしやすいらしく、女子が日焼け止めを回しあっていた。
九月が半ばを過ぎて、季節は秋に移ったはずだけど、まだ気温は高い。
出店は予想以上に盛況で、うちのクラスから出てくる女子は瞼や頬がキラキラしている。時々男子もキラキラしている。
俺の目には行き交う生徒はみんなキラキラと輝いて見えた。
俺とクラスの数名の男子は、誰かがどこかから借りてきた学ランを着て、鉢巻きと白い手袋を付けて応援団に扮していた。
他にも女子はチアガールの格好をしていたり、なんだかいうアニメのキャラクターになっていたりした。指名があればお客さんの背景として呼ばれるらしい。
「めちゃくちゃ暑いんですけど!!!」
熊田が叫んで、学ランメンバーが文句を言い始めた。
「あんまり需要もないんだよねえ」と片瀬さんが笑う。
「やれって言ったくせに!」
「汗がやばい。脱いでもいいか?」
田中が訴えて、実行委員の桜田さんが、「暑いもんね」と頷いた。
鉢巻きも手袋も脱ぎ捨ててクラスTシャツになった俺たちには、完全に需要がなくなった。
「このままではまずいなあ」
岡本君がむむっと腕を組む。
「別にいくね? 準備は頑張ったし」
熊田はすでに床に座り込んでカフェオレを飲んでいる。
俺はというと、さっきみんなで写した学ランの写真を先生に送っていた。
あれから本当に気軽に先生に連絡をするようになった。
SNSで発信したいことは一つもないけど、先生に聞いてもらいたい話はたくさんあったし、写真もよく撮るようになった。
先生がどう思っているかは分からないけど、「楽しいよ」と言ってくれたから、もうそれを信じることにした。
「あのー」
顔を上げるとブルーのリボンが目に留まった。一年生の女子だ。
「先輩と一緒に写真を撮ってもらうことは可能ですか?」
「え」
「高瀬、お前ってやつは……」
額に手を当てた熊田に、「私は先輩とお願いしたいです」と、連れの子が言って、「えええっ?!」とでかい声が教室に響いた。
「じゃあ撮りまーす」
片瀬さんに言われてぎこちなく笑顔を作る。向こうで田中と岡本君がにやにやしていて辛い。
「ありがとうございました! 待ち受けにします!」
しないでくれと思いながら彼女を見送った。
もう一人の子と熊田は二人で頬っぺたにハートのシールを貼られてツーショットを写している。
「熊田泣いちゃいそうじゃねえか」
なりゆきを見守っていると、写真を撮った二人は幾つか会話をして、スマホを見せ合った。
女の子たちが行ってしまって、熊田が自分でも信じられないという顔で、「連絡先交換した!!」と言って、みんなに歓声を上げさせた。
「向こうから聞かれたの?」
「いや、俺が聞いた!」
「偉いぞ熊田!」
岡本君が熊田の背中をバンバン叩いて、俺もハイタッチで熊田を称えた。
「菊池が帰ってきたら悲鳴を上げるぞ」と田中が笑った。
それは多分そうだろう。でもきっと菊池は喜んでくれる。
「高瀬は?」
「俺は何もないよ」
待ち受けにはされるらしいけど。
「連絡先聞けばよかったのに~」
岡本君が肘でつついてきて、曖昧に首を振ってみせた。
お店のコンセプトもあってか、たくさんのカップルが来た。校内にこんなに交際中の男女がいたなんて知らなかった。
お揃いで頬にシールを貼ったり、メッセージボードを持ったりして、店名のロリポップで装飾された日付入りのフレームに収まっていくカップルが多い。
楽しそうに手を繋いだり頬を寄せ合ったりして、カメラに向ける二人の笑顔は不思議とよく似ていた。
今日という日が二人の思い出の一ページになるんだと思うと単純に羨ましい。
目の当たりにしているからか、急に憧れが強くなってしまった。もちろん同時に孤独感も強くなって、つまりじわじわ落ち込んでいる。
あけ放たれた窓に寄り掛かってそんな事を考えていると、「いいな、羨ましい」
横にいた田中がそっと言った。
「え、俺そんな目で見てた?」
「いいだろ、俺だって思うよ」
田中はすぐ先で顔を寄せ合う二人を見ている。その向こうでは熊田が岡本君と片瀬さんと一緒に、なんてメッセージを送るかを話し合っている。
「田中は、さくらちゃんのことはもういいの?」
声を潜めた俺に、田中は少し驚いたような空気を放ったあと、「まあ、正直言うとまだ思い出す」と白状した。
「そっか」
俺も未だに孝一を思い出す。なんたって俺たちは友人だから、時々連絡が来る。
今のところ変わらず今まで通りのやり取りだけど、孝一から連絡が来るたびに、あの子となにか進展があったのかと思って少しだけ緊張する。そうじゃないとホッとして、ホッとしてしまう自分を何とかしたくなる。
田中みたいに付き合っていた眩しい思い出がある場合、どんな風に感じるものなんだろう。まだ辛さはあるんだろうか。
教室のBGMが最近流行ってる別れの曲に変わって、メイクブースの女子たちが口ずさみ始めた。
「連絡してみたりはしないの?」
引き続きひそめた声で聞くと、田中は「んー」と音を漏らした。
「俺から切り出したしな。それに、もうほとんど納得してるんだ。人として今も全然嫌いじゃないけど、結局状況は変わらないだろ? 今もし復縁できたとしても、やっぱりさくらは忙しいだろうし、あんな風に楽しい思い出は作れないと思う」
「そっか」
やわらかい風が腕や首筋を掠めて教室に入ってきた。
風は教室の色々なものを巻き上げて、ナイロンの紐で作った暖簾を揺らして校内へと抜けていく。
「高瀬の先生が言ってたみたいにさ、毎日を共有できるのが楽しかったし、大事だったんだと思う。それと俺たちは――」
ふっと田中が顔を寄せてきて、「キスはしたけど、あれはしてない」と俺の心臓を飛び跳ねさせた。
目を丸くする俺に気付かず、田中は真っすぐ前を見つめながら続ける。
「それで、関係が進行途中だったから? ただ子どもだったからかな。分かんないけど、距離を乗り越えられなかったのかなって思う。キスはしたけど、まだほとんど友達だったから」
「したいと思ってた?」
「んー、チラっとは考えたけど、充分だった。今ならしてみたいと思ったかもな」
「そっかあ」
まだ二人は若かったから、そこにはたどり着かなかった。
距離ができた二人の関係は終わって、一方で完全に片思いの俺の気持ちはぐずぐずし続けている。
片思いだからレスポンスはそもそも無くて、いつまでも俺だけの気持ちだから、中々消滅してくれない。
「だから、俺もアレには興味はあるけど、まずは好きな人が欲しいと思うよ」
「花火に誓ったもんね」
「そうだな」と田中はくくっと笑った。
田中は好きな人と過ごす特別さを知っている。憧れるだけの俺とは違う。俺はそれが知りたい。相手は見つかりそうにないけど。
「最初のキスって何味だった?」
田中が噴き出すように笑いだして、聞いた俺も笑った。
また顔が寄ってきて少し緊張する。でも興味が勝って耳を澄ませた。
「柔らかくて、冷たかった」
「冷たいの?」
「二人でアイス食べた後にしたから」
至近距離で目が合っていることよりも、感想のリアルさに沸いてしまった。
「いい思い出」
甘酸っぱさに顔をしかめると、田中は恥ずかしそうに笑った。
放課後の騒がしい校内で、掃除や壊れたアイテムの修理なんかをしている中、さりげなく新田さんが俺を呼んだ。
甲田の事だと分かって、二人で人の少ない廊下の隅に行った。
「隊長、情報集めてきました!」
「隊長にしないで」
俺が項垂れると、新田さんはさらにビシッと背筋を伸ばして敬礼した。俺はそれをなだめた。
新田さんのまつ毛が何かの光を跳ね返してキラキラしているのを見ながら情報提供を受ける。
「甲田君、今は学校では一人みたい」
「一人? 友達いないの?」
「うん、いつも一人。まあ本人はあんまり気にしてないみたいで、近寄りがたいし、誰とも関わんないみたい」
「そうなんだ」
きっとそれは甲田の態度のせいなんだろうけど、あの話の後だといい味のする知らせではない。
「一年の時の友達いたじゃない?」
「田丸と枝野?」
「そう。あの二人は他校の女子ゲットして上手くやってるみたいね」
「へー良かったねー」
「どうでもよさそー」
新田さんが肩を揺らす。
「二人はもう全然甲田君と関わってなくて、枝野君はSNSのフォローも外してるくらい」
薄情なものだ。甲田もどうでもいいんだろうけど、でもあんなに一緒に女遊びをしていたのに、あまりにもあっさりしている。
「ただ甲田君、学校にはちゃんと来てるの。さぼる授業もないし、勉強も盛り返してるみたい」
「え、そうなの?」
「近くの席の子が返されたテスト見たらしいけど、全部良かったって。中学の時もけっこう優秀だったらしいよ」
「へえ」
俺は情報にも興味があったけど、新田さんの収集力に感心した。
「それで、今また興味深い情報が入りそうだからもう少し待ってて」
「興味深い情報って?」
これ以上にどんな話があるんだろう。凄く気になる。次回予告だけでも欲しい。
「駄目よ、不確かな情報は流せない。追って報告を待って」
ドラマみたいな言い方に笑ってしまった。
「ありがとう。この情報であいつに何ができるかは全く分からないけど、ただ凄く新田さんの能力には驚いた」
「楽しいでしょ」
「うん、かなり」
「集めるのも楽しいんだ。だから気にしないで待ってて」
新田さんの指示に従って、意味あり気に別々にクラスに戻った。
教室に戻ると菊池が寄ってきて、「新田に何か言われたのか?」とこそっと聞かれた。
ちゃんと見られていたことと、心配そうな眼差しに一瞬戸惑ったけど、前に俺のことで新田さんと菊池が言い合っていたのを思い出して納得した。ついでに胸がほわっとする。
「ううん、ちょっと共通の話題があって。新田さんは面白いね」
菊池は困惑したような顔に変わり、「そうなのか? まあ新田は変わってるよな」と妙な顔で頷いたり首を傾げたりしている。
「大丈夫だよ、ありがとう」
「ならいいけど」
口を曲げた菊池から箒を奪い取ると、集めてあった足元のゴミを塵取りで取ってゴミ箱に捨てた。
「もうゴミ出してきていいかな?」
近くにいた町田さんに確認すると、いいんじゃないと言うので収集場に向かった。
ドアを開けると順番待ちが数人いて、なんと最後尾に甲田が居た。うわっと思って、持っていたゴミ箱を蹴ってしまった。
振り返った甲田が俺に気が付いて目を細めた。反射的に凄く嫌な気持ちになる。でも甲田がゴミ捨てをするところなんて一年の時には見たことがない。さっきの話だと、誰かに頼まれたわけでもないだろう。自発的にここにいるんだと思えば、ニヤッと笑いもぎりぎり飲み込むことができた。
順番待ちが進んでも、俺の後ろには誰も来ない。甲田の前の生徒がドアから出て行って、ごみを捨てる背中が、「よう童貞君」とむかつく挨拶をしてきた。
俺は心の中で対照的な言葉で罵りながら、「どうも」となんでもないように答える。
ごみを捨て終わった甲田は、出て行かずに俺の横に立った。
「何?」
「いいや、見てるだけだけど?」
俺はゴミ箱ごと突き飛ばされるんじゃないかと身体に力を入れた。
「F組って何やってるの」
視線に耐えられず自分から話題を振ってしまった。
「喫茶店」
「へえ」
「お前、一年の女子と写真撮ってたろ」
ぎょ。
「店でスマホ見せ合ってた」
「そ、そう」
なんでよりにもよって甲田に見られるんだよ!
「いいねえ、あんな事があってももてて。ああ、あの子たちは知らないのか」
くすくすと空気が擦られて眉間に皺が寄った。本当に心から嫌な奴だ。
「じゃ、さよなら」
白けてその場を後にしようとしたが、「すげえ微妙な顔で写ってたぞ」と甲田が俺を引き留める。
まだ苛立たせたいのかよ!
「お前ってさ、女嫌いなの?」
「は?」
思わず振り返って甲田の目を見た。
失敗した。目なんか見なきゃよかった。この黒っぽい蛇みたいな目。
甲田は甲田で、俺の瞳の色を確かめるみたいに覗き込んでくる。
心臓が変な風に鳴りだして、よせばいいのに聞き返した。
「なに?」
「お前ってさ、ゲイなの?」
一撃必殺。
多分一瞬死んだと思う。
言葉が喉に突き刺さって、完全に息が止まった。ゴミ箱が手から滑り落ちそうになって呼吸が戻った。
「なに……それ」
ゴミ箱の中に視線を落としたまま、何とか言葉を絞り出す。
心臓がドッドッと暴れて、お腹がきゅうっと縮こまるように痛い。今にも呼吸が怪しくなりそうだ。
過敏になった耳に、また空気が擦れる音が届いてぞくぞくとする。
「まあまあ可愛かったし? 胸もでかかったから、童貞の癖に変な奴だと思ってさ」
「甲田みたいに身体目当てで女の子を見ないから」
「失礼な奴だな、顔も見てるよ」
俺は嫌な物を見る目で甲田を見てやったが、ゲイというワードがあっさり通り過ぎて心底ホッとしていた。でも少し泣きそうなくらい動揺は続いている。これはもう先生の出番だ。
早く立ち去りたくてドアに手を掛けると、「待てよ」と甲田がまだ何か突っかかって来ようとする。ぞわっと恐怖心が湧いたところで、向こうからドアが開いた。
「お、ごめん」
三年生の男子生徒がゴミ箱と一緒に現れて、心から助かったと思った。
「いえ!」と、ドアから抜け出ると、振り返らずにその場を後にした。
甲田にゲイかと聞かれた動揺はかなり尾を引いて、その後は記憶にない。
気が付くとお風呂の中で震えながら膝を抱えていた。心臓はまだ速かった。
『甲田にゲイなのかって聞かれた。めちゃくちゃ怖かった』
お風呂を上がってすぐ先生にメールを送った。多分このメッセージなら電話をくれるはずだ。くれなきゃ困る。
待つつもりでタオルで髪を乾かしていたら直ぐにスマホが鳴って、飛びつくように通話ボタンを押した。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない!! 怖かった!!」
半べそになりながら訴えた。
「なんでそんなこと聞かれたの?」
話したい、話したいけど思い出してまた心臓が早まる。ゆっくり呼吸を繰り返す。
「俺が、一年生の子と一緒に撮った写真を見たみたいで」
「うん」
「誰に告白されても断るからだと思う」
「ああ、一年生の時は五人に告白されたって言ってたもんね」
思い出したように言う先生に、三月の公園でのことが思い出されて、さらに喉が押されたようになった。
「今年は二人だけだよ……」
呟きながら、あの日の夢の中にいるみたいな感覚を思い出す。
孤独と不安に取りつかれた毎日に現れた、綺麗な星空と、桜と、先生。
今思い出しても不思議な気持ちになる。あの時の俺は、先生にどう見えていたんだろう。今更少し気になる。
「写真の子には告白されたの?」
「告白はされてない」
しかめっ面の声はどう聞こえているだろう。
眉間の皺を指先で撫でて伸ばした。
「ゲイかっていうのは、真に迫る感じで言われた?」
「ううん、もしかしてって感じで、からかうみたいに。その後もしつこく聞かれたりはしなかった」
「そうか、じゃあ深い意味は無かったのかもしれないね」
先生の声がそっと高くなった。
「そうだといいなって思ってるけど」
「それでも怖かったよね」
そうなんだ、怖かった。
「うん。凄く唐突だったし、パニックになるかと思った」
「可哀そうに」
優しい声が頭を撫でてもらってるみたいに沁みて、ようやく身体の強張りが解ける感じがする。
「今日、新田さんが甲田のことを教えてくれたんだ」
「例のクラスメイトの子?」
「そう。甲田は二年になってからはずっと一人でいて、でもサボったりはしなくなって、勉強もちゃんとやってるみたい。テストの点数が軒並みいいって」
「どこかにカメラでも付けてる子なの?」
真面目に聞く先生にふっと笑わされて、「何かもっと重要そうな情報がこれから手に入るらしいよ」と追加情報の予告をした。
「気になるね」
「うん。でもなんかもうそんなのどうでもよくなった。もうそばにも行きたくない」
吐き捨てるように言うと、先生は少し間をおいてから頷いた。
「うん、そうだね、高瀬はあまり甲田君には近寄らない方がいいかもしれない」
先生の言葉が気遣いだと分かっているのに、俺には力不足だと言われているように聞こえて悔しい気持ちになってしまった。ややこしい自分が本当に面倒くさい。
「今日、学校祭で色々思うことがあって、先生に話したいことも聞きたいこともあったのに、なんか全部どっか飛んでった」
「学ランの高瀬、久しぶりだった」
「暑くてすぐ脱いだけどね」
「クラスの出し物は写真館だったよね?」
「うん、カップルがたくさん来た。くっついて写真撮って、凄く楽しそうにしてた」
「そうか」
「俺には作れない思い出」
「……」
先生を沈黙させてしまった。だってできないことばっかり目についた。
「熊田もね、一年生の子に一緒に写真撮ってくださいって言われたんだ。それでその子に連絡先聞いて、みんなとなんて送るって相談してた。いいなー青春だなーって。片や俺はゲイの二文字で帰り道の記憶が無い」
「高瀬」
気遣う声に甘えて、身を捨てるようにベッドに横になった。
「乗ってる船が違うって感じがする」
「え?」
自分でも何でそんな事を言ったのか分からなかった。言ってみてから漠然とした気持ちを言葉に寄せて、なんとかイメージにする。
「みんなは世界一周豪華客船。レストランも映画館もプールもついてる。でも俺は漂流船って感じ」
「漂流船……」
「みんなは航路が分かってる。でも俺はどこに流されるかわかんない。レーダーも付いてないし、エンジンもない。やっぱり早く働いて静かに生きた方がいいのかな」
じたばたすると今にも沈みそうだ。どんな風に吹かれても大丈夫なように、孝一みたいに強く帆を張って生きることは俺には難しい。
「俺もそのうち、耳がピアスの穴だらけになるのかもね」
「そんなことにはならない」
慰められて、堪えられなくなった。
「怖いんだ、ほんとはこれからの人生がずっと怖い。フットサルも楽しいし、学校生活もうまくいってる。なのにこんなに簡単に落ち込まされる」
唇を強く指先で摘まんだ。
「俺はまだゲイだってことが理由で傷付けられたことはない。嫌われたり、距離を取られたりしたこともない。それなのに、ただそうだって知られそうになるだけでこんなに怖い。もし友達や親に受け入れてもらえなかったらどんな気持ちになるのか想像もできない」
甲田の姿を思い出す。独りぼっちのアイツは見ていられないのに、目をそらしちゃいけない気がする。
「そうだよね、怖いよね」
先生の声がいつもよりずっと低い。
「いつもみたいに俺がいるよって言ってくれないんだ」
滲む涙が落ちないように天井を見る。
「いるよ、ずっといる。今は隣に居てやりたい」
ギュッと目を瞑ると、涙が押しつぶされてまつ毛に染みていく。
俺には先生がいる、どんな状況の俺にもためらわずに寄り添ってくれる優しい大人。甲田にはなくて、俺にあるもの。
「先生が居て良かった。本当に心から感謝してるから」
「感謝?」
「うん、聞いてもらったらちょっと元気出てきた」
「本当? 空元気じゃない?」
「うん、大丈夫」
無理しているのはバレてるだろうけど、自然に任せていたら一生元気になんてなれない。
「俺がいるよ」
強引に言わせた気がするけど、そんなこと構っていられなかった。さっきは本当に隣に来てもらいたいくらいだった。
「ありがとう、いつも先生の時間取ってごめんなさい」
「いいんだよ、本当に大丈夫?」
「うん、おやすみなさい」
「分かった、おやすみ」
スマホを置いてタオルケットに包まった。ペラペラのそれだけではなんだか心もとない気がして、隣の納戸から布団を引っ張り出して、カバーもかけず、その中に籠って目を瞑った。
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