第36話 花火大会


 夏休みは予定通り、週に二回フットサル行って、短期講習を受けて、空いた日は菊池たちと遊んだ。

 俺たちはあれからボーリングにはまって、かなり上手くなったと思う。教えてくれたおじいさんは常連だったらしく、スコアが伸びて喜ぶ俺たちにコーラを驕ってくれた。


 初めて菊池の家にも行った。

 菊池には大樹君という中学生の弟がいて、菊池と違って無口だったけど、パズルゲームがやたらと上手くて、俺たちは何度やっても勝てなかった。

 ただ、大樹くんはあまり学校に行けていないらしい。


「最近はちょこちょこ行けてる。まあ教室じゃなくて、個別に見てくれる先生に教わったりだけど」

「そうなんだ」

 ごく明るい口調の菊池に合わせて、出来る限り声のトーンを明るめに設定して頷いた。

「なんかあったの?」

 真っすぐに訊ねる熊田にぎくっとする。

「きっかけはわかんない。学校の先生は人付き合いに無理をしていたのかもって言ってた。いじめかとも思ったけど、家じゃ無口なのに学校では凄く明るいらしくて、友達がたくさん心配して家に来てくれたから、そういうんじゃないみたいだし」

「そうなんだ」

「一時期は部屋からも出なくて、俺がここで友達としゃべってたら壁蹴ってきたりしてたけど、割とすぐ落ち着いてさ、今はああして絡んでくるようになった」

「そっか、良かったな」

 頷く菊池は、いつもとは違うお兄ちゃんの顔だった。

「しかし大樹ゲームめっちゃ上手いな! 次まで練習してくるわ!」

 言った熊田を菊池は驚いた顔で見てから、「ありがとう」と笑顔になった。俺も田中と顔を見合わせて笑った。

 熊田の真っすぐさは、やっぱりいいところだ。

 大樹君が学校にいけなくなった理由は分からないけど、人と関わることは何かのきっかけにはなる。俺の先生みたいに。

「俺もダウンロードすっかな」

 田中が言って、俺も、と思ったが、「俺はまずゲーム機を買わないと」

「いいよー、高瀬がゲーム下手くそでちょっと嬉しい。そのままでいて欲しい」

 菊池が俺の膝をぽんと叩いた。

「なんで?」

「できないこともちゃんとあんだなって思って」

 うんうんと熊田も田中も頷いている。

 できないことなんてたくさんあるのにと思いつつ、確かに俺のゲームレベルは一桁に等しかった。

 恐らくゲームをやってる人には感覚で分かるような操作も、俺にはそんな事ができることすら思いつかない。とにかくボタンが多すぎる。

「今時ゲームもやらないなんて」

「ゲームアプリのひとつやふたつ、みんな入ってるぞ」

「俺の親だってやってる」

 次々に責められて、苦笑いをするしかなかった。

 父さんは知らないけど、母さんはパズルゲームをやっていた気がする。

 先生はやってるかな。

 休みが明けたら先生に聞こうと思っていることが溜まっていた。でもほとんど大した話じゃなくて、些末過ぎていくつかは忘れてしまった。きっとこれも忘れてしまうだろう。

「そういや終末どうする?」

 熊田の言葉で今日の目的を思い出した。


 今週の金土日はお祭りがある。神社から川までたくさんの出店が並び、お隣の都会の花火大会には敵わないけど、打ち上げ花火はなかなか見ごたえがあって、熊田が楽しみにしていた。

「高瀬、フットサルどうだった?」

「試合は昼からだったけど四時前には出られると思う」

「じゃあ試合見に行こうぜ! そのまま花火行けばよくね?」

 菊池の提案に「いいな!」と二人が頷いた。

「え、見に来るの?」

「だめなん?」

「いや、駄目じゃないけど」

 答えたものの、口籠ってしまった。

「試合終わって行くの疲れる?」

 田中が気を遣ってくれている。

「いやそうじゃなくて、あの、汗臭いかも……」

 恐る恐る言うと、三人が笑った。



「試合の後ご飯行こうと思ったのに」

 金曜日に明日の試合後の話をすると、萩原さんが悲しい顔をした。

「えっ! 明日だったんですか?!」

 しまった、約束はこっちの方が早かった。でも日取りは聞いていなかった。

「あー高瀬、火曜日来なかったから知らなかったよね」

 小塚先輩が「ごめんごめん」と慌てる俺を落ち着けてくれた。

「予約してたっけ?」

「いやいつものとこだから。そっか、どうしようかな」

 川崎さんが考えるようにして、俺はただ謝った。

「明日はB-DUSHが来られないから、来週にしようかって話もあったんだ、だからちゃんと連絡出来てなかったんだよ、ごめんな」

「じゃあ俺らも花火見に行くー?」

 萩原さんがうきうきして、鈴木さんが「ええ?」と眉を寄せた。

「また来週で考えるわ、予定空けといてよ」

 俺はたくさん頷いた。

「彼女と行くの?」

 小塚先輩にニヤッとされて、今度は首をたくさん横に振る。

「男友達です。試合を見に来てくれるみたいで、そのまま」

「お、友達が来るのかー、ボール集めてやる」

 鈴木さんが足元にあったボールを蹴ってよこした。

「はなびはなび~」

 まだ駄々をこねている萩原さんに、「本当に俺らも行くの?」と小塚先輩が何とも言えない顔をした。

「俺は興味ないかな」とそっけない鈴木さんに、萩原さんが「なんでだよ!」と怒った。

「この三人で花火見てもね」

 小塚先輩がやれやれと首を振る。

「お、女の子連れてこようか? 春道」

 鈴木さんが萩原さんと肩を組んでニヤッと笑う。

「いいよねー二人は美人の彼女が居てー」

 え。

 俺は密かに驚いた。鈴木さんはともかく、萩原さんにも彼女が! と失礼な事で。

 どんな人だろう、変わった人なんだろうか。

 萩原さんが変わってるから、しっかりしてる人なのかも。そして美人。

 俺はかなり興味が湧いて、試合に連れてこないかなと期待した。




 翌日、相手は何度か対戦したことのある二チームで、お馴染みのB-DUSHさんは都合が合わず、来なかった。


「あっちは高校生かな」

 ネットで分けられた隣のコートを見る森さんに、「もう少し若くない?」「うん、中学生っぽい」と、鈴木さんと小塚先輩が否定する。

「森さん、もう若い子の見分けつかなくなってるね!」

「うっ」

 萩原さんが笑ってざっくり森さんを刺した。

「高瀬の友達は?」

 小塚先輩に言われて客席を見渡す。

「もうすぐ着くってメール来てましたけど、まだみたいです」


 それから先輩とアップをして、鈴木さんとリフティング対決をしていると、「高瀬ー!」とでかい声で呼ばれた。

「熊田声がでかい」

 振り向く前に笑ってしまった。

「来てくれてありがと!」

 上から身を乗り出す三人に手を振る。

「きてくれてありがとー!」

 小塚先輩がアイドルみたいな口ぶりで言って、鈴木さんと萩原さんもやってきて、三人に手を振った。

 三人はぎょっとした顔になって、手を引っ込めて頭をぺこぺこと下げていた。


 試合は勝利した。

 いいパスが通ったし、いいゴールも決まった。いつもよりちゃんと張りきって試合に臨んで、結果も出たから嬉しかった。

 ボールを集めてもらったお陰でゴールも多かったけど、膝に手を付く姿を見せずに済んだのが一番ホッとした。


 鈴木さんが車で会場の近くに俺たちを降ろしてくれ、萩原さんが名残惜しそうに俺たちと行きたがったが、小塚先輩に窘められてしぶしぶ手を振って車は去っていった。

 時刻は五時半を過ぎたところで、空はまだ明るく蒸し暑い。花火は七時半からだ。


「やー高瀬うまかったな!」

「まだ言ってる」

 菊池は酔っぱらいのおじさんみたいに何度も俺を褒めた。

「まあでもほんと上手かったよ、フットサルも初めて見たけど面白かった。展開が早くて」

 田中にも言われて照れくさい。

「次は田中の柔道も見に行こうぜー!」

 熊田がにーっと笑って、俺も乗ろう思ったら、「ぜってえいやだ」と断られてしまった。



 人の流れに乗って歩いていくと、出店のエリアに着いた。

 ソースの焼けるいい匂いが漂って、呼び込みやBGMがかかって、お祭りらしい賑わいだ。

 とりあえずなにか食べるかということになって、二手に別れて調達してくることになった。

 熊田とお好み焼きと焼きそばを買って、いつも飲みたくなるラムネを買った。

 熊田が「たこ焼きも食べる」と列に並んだのを少し離れた所で待った。


 植栽を囲む岩の上に買ったものを置いて、ラムネを開ける。

 青いプラスチックの飲み口に唇を当てて一口飲む。ビー玉がチリと音を立てて、久しぶりの香りと炭酸を味わった。

 最近は年中スーパーに売っているけど、あれにはなぜか興味が湧かない。お祭りの雰囲気で飲むラムネだけが俺の琴線に触れるみたいだ。


 ビンと一緒に煽った視線の先に、先生がいた。

 先生はスーツの上を脱いだ格好で、ブルーのシャツの袖をまくって腕章を付けているところだった。

 見回りかな。

 ここよりも一段高い遊歩道に立つ先生は、隣の同じ腕章の小柄な男性と幾つか言葉を交わして、その人は先に歩き出した。

 働いてる先生を見るのは中学ぶりだ。休み中あんなに先生の声が聞きたかったのに、いざこうして出くわしてみると、妙に落ち着いて観察している。とは言え、会えたのは嬉しい。

 気付いてくれないかな。

 膝の高さの岩に登ってみる。

 背の高い先生は人混みの中でもよく目立つ。大抵の男女が顔よりも下だ。

 先生の右手が髪をかき上げて、その仕草が少しだけ胸をぎゅっとさせた。

 辺りは喧騒に満ちている。


「せんせーーーーーっ!!!」


「うわっ! びっくりした!」


 叫んだ俺の後ろで、いつの間にか戻ってきていた熊田が声を上げた。

 人が見たけど気にならなかった。

 聞こえたかどうかは分からなかったけど、先生がこっちを向いて、あっと手を上げると、気付いた先生が歯を見せて笑った。

 嬉しくて、でも気付いてもらうと恥ずかしくて、上げた手をひっこめた。

「先生って?」

「中学の時の先生」

 熊田が横に登ってきて、「どこ」と言いながら俺の手を取って上に持ち上げると、「せんせーーーーーっ!!!」とばかでかい声で叫んだ。

 笑っていると、先生も向こうで笑っている。

「あの背の高い人?」

「そう」

 視線がさっきよりも多く長く刺さったけど、熊田と半分こなので気にならなかった。

「会いに行く?」

「え?」

 簡単に言われて驚いた。

 辺りを見回してみたけど、先生のところに行くには、向こうから出店通りを出て、さらに行き交う人の波を突っ切らなくてはならない。

「いい、見回り中みたいだし」

 視線を戻すと、先生の周りに中学生らしい女子が数名集まっていた。

「お、先生モテるね」

 熊田がからかって、持っていたラムネが冷たくて、持つ手を変えた。

「ほんとだね」


 先生は今も生徒の話を聞いてあげてるのかな。

 俺だけの先生じゃないって分かってたけど、ああして囲まれてるのを見ると、ちょっとだけ寂しい。

 先生は今もたくさんの生徒の先生で、仕事があって、家庭があって、色んなことを考えて生活している。

 俺はこうして友達ができて、趣味もできて、それは全部先生が話を聞いてくれたからだ。

 川から風が吹き上がって、辺りに涼を与えて抜けていく。

 たくさんの人の流れが、俺と先生の場所をきちんと区別しているようだった。

 右に行く人、左に行く人、それぞれの人生の流れの中で、顔も見ずにすれ違う人たち。

 俺と先生の人生も、今は並んでいるように感じられるけど同じじゃない。先生には先生の人生がある。

 突然、そんな理解がすっと頭に降りてきた。


「戻ろ」

「おう」

 熊田が石から飛び降りて、俺も続こうとすると、先生が手を上げた。

 なんだろう。

 指が耳を指して、それから俺に向けられた。

「?」

 声が聞こえたって言いたいのかな。

 女の子たちが先生の視線を追ってこっちを見た。

「行かないの?」

 熊田に呼ばれて、俺は曖昧に首を傾げつつ先生に手を振って、石から飛び降りた。


 歩いてるとスマホが鳴った。

『今日電話していい?』

 先生からのメッセージで、やっとさっきのモーションの意味を理解した。

 嬉しがる唇にラムネを押し当てて、『うん』と送り返して、スマホを鞄にいれてチャックを閉めた。



 待ち合わせ場所に着くと、菊池が串に刺さった飴掛けのいちごを齧っていた。

「田中は?」

「激混みトイレに並んでるー」

「さっき高瀬がめちゃくちゃ大声で叫んでうけた」

「どういうこと?」

 ぴかぴかした唇の菊池の視線が熊田から俺に移る。

「中学の時の先生がいたんだ」

「あー」

「高瀬ってあんなでかい声出るんだな」

 思い出したように熊田が笑った。

 田中にも同じことを言われたなと思って、「一応運動部だったからね」と同じ言い訳をした。



 戻った田中と適当な場所に座ってお腹を満たし、花火を待った。

 去年は花火を見なかった。お祭りにも来なかった。

 遠くで鳴っている花火の音を自室で聞きながら、俺はあのとき何を考えていただろう。きっと明るくない未来を案じていたんだろうな。


 一発目の大きい花火がパッと夜空に開いて、辺りから歓声が上がった。


「でっかー!!」

 最近スマホを新しくした熊田が花火を写している。

「スゲー綺麗に写ってるな!」

 みんなで覗き込んでいると、次の花火が上がった。

「花火と撮ろうぜ!」

 菊池が言って、みんなで花火に背を向けた。

 カメラの位置を決めて、並んで花火が上がるのを待っていると、思ったよりも間があって笑ってしまう。

 菊池が熊田の構えているスマホをビデオモードにして録画ボタンを押した。

「ビデオかよ!」

 画面の中の田中が笑う。

「上がるぞ~」

 菊池が左右に揺れて、パッと四人の頭上に花火が上がり、辺りが赤く染まった。

「ドーーーーン!」

 熊田の大声にゲラゲラ笑って、また空を見上げる。

「俺、シャワーみたいになる花火が好き」

 唐突に菊池が好きな花火を発表した。

「シャワーじゃなくて柳の木だと思うよ」

「マジか! ありがとう高瀬」

「シャワーはないわ」

「ないな」

「もう覚えたから! 柳の木な!」

 慌てる菊池を三人で笑った。


 友達と花火を見てる。ずっと一人かと思ってたのに。

 花火には鎮魂の意味があるらしい。寂しい俺、成仏してくれ。


 矢継ぎ早に花火が上がり、少し間が開いて、提供が変わるアナウンスが流れた。


「カップルいっぱいいるなー」

 辺りを見渡して嘆く熊田に、「お前が彼女欲しいと思ってるから目につくだけだと思うぞ」と、田中がかき氷の残りをすすった。

「いやー俺も目につくよー。そろそろ本格的に考えないとなー」

 熊田に同意した菊池が、膝を抱えてゆらゆらと揺れた。

「考えるって何を?」

「脱童貞の道筋だよ」

 真面目な顔の菊池に、思わず笑ってしまった。

「お前はモテるからいいよな!」

 どつかれて微妙な気持ちに落とされる。

「俺だって童貞だよ」

「ホントかよ!」

 不貞腐れたように菊池が口を尖らせた。

 疑われていたのか。

 空を見上げ、「彼女が欲しい!」と流れ星に願うように言った菊池に、これもまた青春だなと感動しつつ、一緒に夜空を見上げた。

「彼女できたら何したい?」

 落ちながらキラキラと瞬く花火に胸を打たれながら訊ねた。

「何って?」

 驚いた声が返ってきて、三人が揃って俺を見ていた。

「え、童貞を卒業したいから欲しいわけじゃないでしょ?」

「えっ」

 不自然に目を逸らした三人は、銘々に何かを誤魔化すような音を漏らして夜空を見上げた。

「……セックスがしたいんだ」

「ハッキリ言うな!」

 菊池にショルダーアタックをくらう。

「興味が尽きない年頃だろ俺たちは!!」

「しょうがないよ、本能」

「うんまあしょうがないよな」

 田中までもが同意して、俺はふーんと唸った。

 もちろん俺にも性欲はあるけど、恋人が欲しい一番の目当てが童貞を捨てることなのは嫌だ。

 言うのはちょっと憚られるけど、俺は恋愛に強い憧れがある。

 学校で嫌でも目に入るカップルが、見えるところや見えない所で経験している全てが羨ましい。

 性的な話は全然聞きたくないけど、田中のキスの話はめちゃくちゃキュンとなったし、できたら三人にもそういうやつを聞かせてもらいたい。

 孝一だとダメージがデカ過ぎるけど、自分が体験できない世界を知りたいとは思う。


「高瀬はやりたくないの?」

 相変わらず真っすぐな熊田に、菊池が横で顔を覆った。

「好きな人となら」

「まあそりゃ好きな子とが良いけど」

「好みならいい?」

「思わずうんって言いそうになるくらいには興味がある」

「そっか」

 三人も甲田や枝野たちみたいに、早く可愛い子と性体験がしたいのかな。

 不明瞭な相手を想像してする自慰でさえ不快に感じる俺は、やっぱり普通じゃないのかも。

 年頃の男はもっと性欲に支配されるものなのかな。先生に聞いたらなんて言うんだろう。

 そういえば俺も先生の声でいってしまったんだった。あれも後悔はしてるけど、気持ちは良かった。

 うーん、性欲って恐ろしいものなのかも。


 大きな花火が上がって、また歓声が上がる。遅れた爆発音が一帯の空気を震わせた。

 甲田と一緒に映ってた女の子も、楽しそうにしてたな。

「女の子も処女を捨てたいから彼氏が欲しいと思ってるのかな」

 落ち際に赤から青に変わった花火を見上げながら言うと、また三人が俺を見た。

「なに?」

「いやー……女の子にはそう思っていて欲しくない、というか……」

 菊池はとても言いにくそうに眉を寄せて呟いた。

「セックスに興味があって好み同士なら、お互い様だし問題ないんじゃないの?」

 菊池が悲しい表情になった。

「ごめんなさい、俺のことが好きな子としたいです」

「それはそうなるよな!」

 熊田が菊池の肩を叩いた。

 なんだ、やっぱり好きが必要なんだ。

 なんで男はやりたいなんてことはあっさり言うのに、好きな人が欲しいって言えないのかな。女の子はよく「恋したい」って言うのに。

「高瀬って本当に童貞なの?」

 熊田に改めて聞かれて、「そうだよ」と頷く。

「じゃあ何を待ってるの?」

「待ってるって?」

「だって全部断るから。付き合ってみないと好きにもなれないじゃん」

「それは──」

 困ったな、嘘を吐かなきゃいけない。

「さあ、何を待ってるのかな」

「何だそれ」

 俺は適切な表情の形成に失敗して、仕方なく夜空を見上げた。

 前方に座っていた家族連れの男の子がトイレに行きたいと言い、父親が面倒な声をあげて立ち上がった。

 踏みつけられた草の香りが漂って、残ったお母さんと小さい女の子が、上がった花火に手を打って喜んでいる。


 三人と俺の人生の流れも、そのうち逸れていく。

 いずれそれぞれに恋人ができて、童貞を卒業して、セックスは花火に願うものではなくなって、将来と呼ばれる辺りに辿り着く頃、一向になにも変わらない俺は、なにか問題でもあるんだろうとか思われて、そっと距離を置かれるんだろうな。

 人は納得したい生き物。分からない部分のある人間を心から信用はできない。

 俺は嘘吐きを極めるか、思い切ってカミングアウトするか、どちらの勇気も出ないまま、こうして不信感が積み重なって、友情が終わる不安を抱えて生きるんだ。


「もう気にしなくていいだろ」


 俺と熊田の視線が田中に取られた。菊池は俺を見ていた。

 無言の俺たちの上に大きな花火が上がって、熊田も何かに気がついたように俺を見た。

 ああ、田中たちはそんな風に考えていたんだ、俺がバレンタインの事をまだ気にしてるって。

 確かにゲイじゃなかったとしても、あんなことのあった後に恋人を作るのは勇気がいったかもな。

「もう、気にしてないよ」

 こんな風に解釈してくれる優しい友達に、俺はこれからも嘘を吐かなくちゃいけない。

「ならいいけど」

 連続して打ちあがる花火の光が、シャワーみたいに顔に降り注いできた。その光の中を縫って上がった一際大きな花火が、辺りを真昼のように照らした。

 あー、俺も爆発して消えてしまいたいな。

 みんなに見上げられて、歓声を上げられてさ。

 涙が滲みそうになって、目を瞑って先生の姿を思い出す。

 早く先生の声が聞きたい。嘘のない場所で息がしたい。今すぐ走り出したいくらいだ。

「よし、まずは好きな子を見つける!」

 見ると、菊池がむっと怒ったような顔で花火を見上げている。

「まあ初めからそうだったよな」

 田中が笑って、「ぐっと現実的になった気がする」と、熊田も頷いた。

「好きな子としてね」

 そっと願いを託すように言うと、三人は揃って「はい」と頷いて、また四人で夜空見上げた。

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