◇13 【過去】王国の悲劇

 少し歩くと、道幅が狭くなる。こじんまりとした店ばかりになってきた。


「あのお店の人に聞いてみましょうよ」


 フィオネが指差したのはパン屋。たしかに美味しそうな匂いではあるが。

 

「どうしてさっきから食べ物ばっかり……もしかしてお腹空いてる?」

「これには理由があるの。ルーク様はたぶん町の人と交流してたはずだわ。町の人と自然に話せたり町の噂話がある場所。そう、それはご飯屋さんなのよ!」


 ドヤァと決め顔で名推理をしたフィオネはそれから「決してお腹が空いているとかそういう訳ではないわ、でも美味しそうね」と早口で呟いた。


 とりあえず入ってみることにした。フィオネが果実を練りこんだパンを頼み、テセウスは蜂蜜がかけられているパンを頼む。


「すみません、ここに黒髪の男性って来ませんでしたか?」

「黒髪ィ?」


 傍にいた常連客は眉を顰め、「いや、黒髪は見てねぇな」と言う。「俺も見たことない」と別の男が言う。


「そもそも、黒髪自体がこの国には少ない」

「ですよね」


 だから、ルークは「悪魔の子」と言われていたのだ。

 

 他の客にも聞いてみたが、どうやら手掛かりはなさそうだ。

 店を出てから、「どうしよう。もっと他の店の人に聞いてみるべきか」とテセウスはフィオネに話しかけた。──つもりだったが、横にフィオネがいない。

 あれ、と辺りを見回すと、遠くの方にフィオネがいる。誰かと話しているようだ。そちらに近づき、テセウスはぎょっとする。

 何年も洗っていないようなぐしゃぐしゃの髪の男とフィオネが喋っている。男はボロ雑巾でも着ているかのような薄汚れた衣服を身にまとっている。

 近づいただけで腐りかけの匂いがしそうでテセウスは足を止めてしまった。話を終えたフィオネがこちらに駆け寄ってくる。


「あの人は毎日ここで暮らしているみたいだから、話聞いてみたの」

「路上で」

「そう。黒髪の人は見てないって」


 「あの人にも聞いてみようかな」とフィオネがまた走っていく。その姿を見て、テセウスは「すごいな」と呟いた。そして、「すみません!」と道を行く人に声を掛けた。


 やはり黒髪の男は見ていないらしい。肩を落とし、「フィオネはどこだ」と辺りを見回す。少し先にいるのはフィオネと若い男二人組。だが、どうやら距離がおかしい。


「きみ、綺麗な顔してるじゃん。その布取ってみてよ」

「嫌です、離して」

「いーから、はやく取れって」

「その手、離してください」

 

 髪をまとめているスカーフに一人の男が触れている。嫌がっているフィオネの顔は真っ青だ。二、三歩、フィオネが後ずさりしたが、逃がさないとでも言うように別の男が後ろに立った。

 エメラルド色がうるうる潤んで、今にも零れ落ちそうだった。

 「フィオネ!」とテセウスは叫んだ。叫ぶことに慣れていないからか、声が少ししゃがれた。


 手を伸ばす。その手に、フィオネの手が重なった。──ぱしり、 と音がする。

 フィオネの手を、体を、力の限り、ぐいと引き寄せた。


「走ろ!」

「うん!」


「おいガキ、待てよ」

 

 そんな怒声が聞こえたか知るものか!

 テセウスは走る。麻でできた茶色の半ズボンで、装飾の一つもついていない軽い靴で。小さな店が近づいてはまた遠ざかって、びゅんびゅん景色が切り替わる。フィオネもなかなか体力があるようで、荒い息を吐きながらも着いてくる。


 途中でちらりと後ろを見た。男はいない。

 

 ハア、ハア、ハア。立ち止まった瞬間にどっと汗が噴き出した。ずいぶんと思い切ったことをしたと思う。だけど、なぜか爽快感がある。だって──兄さんなら、こうした。


「最ッ高!」


 フィオネが高らかに叫んだ。真っ青だった顔は、桃色に輝いていた。そっちの顔の方が、全然いい。


「あいつら、びっくりしてた!


 ──テセウス、ありがとね」


 にっこりとフィオネが笑った。笑いながら、手を丸めて、握りこぶしをこちらに差し出した。


「ん?」


 テセウスはその手を真似してみる。「こうするの」とフィオネがその手を取った。──フィオネとテセウスは握りこぶしをこつん、と合わせたのだった。


 それから、フィオネが首をくるりと回した。

 

「それにしても、ここ、どこ?」


 いつのまにか商店街を抜けていた。しんとした気配が漂う黒々とした森の入り口だ。緑の草の上に石碑がぽつんと立っている。

 テセウスは石の上に刻まれた文字を口に出した。


「ダルクを忘れるな」

 

 声にしてみれば、胸に迫るものがある。指先でその文字をなぞってみた。

 ここに刻まれているのは悲しみの歴史だ。決して許されない過ちをこの国は犯した。テセウスは王子として、未来の国王として、この罪を背負わなければいけなかった。


「ダルクって?」

「ダルク族。かつてこの国にいた少数民族だ。迫害され、虐殺されて、もういない」


 フィオネが唾を飲み込んだ。


「なぜ?」

「先々代の王の時代、大火災が起きたんだ。畑や街が燃え、人が大勢死んだ。その火事を起こしたのはダルク族だと言われた。ダルク族は魔術を持っていると言われていて、その魔術を使ったからこんなに人が死んだんだと」


 人というのは弱い生き物だ。

 自分の身で背負いきれない悲しみやどうしようもない怒りを、どこかにぶつけようとする。そして、それは大抵の場合自分より弱いものにぶつけられる。


「民衆はダルク族を殺した。一人残らず。空っぽになったダルク族の家で魔術の痕跡を探したが、そんなものは一つも見当たらなかったそうだ」


 テセウスは視線を落とした。

 根拠のない噂を信じて、人が人を殺す。教科書を読んで初めて知ったとき、胸を刺されたような痛みがあった。

 こんな状況の中で王は何をしていたのだろうか。国が止めれば、こんなことにはならなかったんじゃないか。そんな怒りもあった。


 教科書にも歴史書にも、かつての悲劇はさらりと淡白に書かれているだけだ。まるで、犯した過ちから目を背けるように。

 この石碑だって、こんな目立たない場所に立っている。





「僕は、そんなことが二度と起こらないような国を作りたいと思うよ」




  

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