◇7 【過去】皇女フィオネと兄ルーク

 天気のいい朝だ。木々がキラキラと輝いているように見える。テセウスは窓を大きく開けて、息を吸った。清々しくて、気持ちがいい。


「あ、」


 見下ろした先──庭園に黒髪の頭が見えた。兄だった。珍しいこともあるのだなあと目を凝らしてみると、その隣には金髪の少女。フィオネだ。

 春の花が咲き誇る庭園で、二人は顔を近づけて笑っていた。


 ──なんだか、見てはいけないものを見てしまったような気が、した。


 シャッとテセウスはカーテンを閉めた。それから、考える。どうして見てはいけないという風に思ったのだろう。ルークとフィオネは誰もが正式に認める婚約者だ。二人が結婚することはこの国にもフィオネの国にも利益があることで、それは祝うべきことなのだ。そして、国の利益として結びついた二人とは言え、いや、だからこそ、二人が仲良くしていることは本当にめでたいことだ。


 なのに、モヤぁと胸に広がるものは何なのだろう。


 ──フィオネに恋しているのだろうか。

 

 テセウスはこっそりと読んだ書物の内容を思い出していた。民──それも若い女性の間で流行っているという書物をルークが「これ見ろよ。ウケる」と投げて寄越したものだった。話の内容は、金髪の光輝く髪を持った美しい王子がただの町娘に一目惚れをして、周囲の反対を押し切って娘と結婚するというものだった。途中で王子と娘は引き離されながらも、逢引きを重ねるのだった。


 こんなもの読んでいると知られたら母に怒られる──!

 

 そう思いながらも刺激的な内容に心が惹かれ、テセウスは最後まで読んでしまった。

 ちなみにルークに本をくれた理由を聞くと、「え? あれどう見てもお前のこと好きな娘が書いてんだろ」と笑っていた。「気付かずに最後まで読んだのかよ」とも言われ、テセウスは赤面した。


 テセウスはそんなことを思い出しながら、このモヤモヤはフィオネへの恋なのか、と思ってみる。

 だが、あまりしっくりこない。

 フィオネは確かに美しい少女だ。そこにいるだけでぱっと目を引く華やかさがある。だけれど──自分がその隣にいるのはどうしても想像がつかないのだ。


 部屋を出ると母に会った。


「おはよう」

「おはようございます、母さん」


 母──アイリーンは重々しく喋る。「お」「は」「よ」「う」と一言ずつ喋るのだ。つんとした高い鼻、真っ直ぐな金髪はテセウスとよく似ている。母はとても背が高い人だから──テセウスもきっと背が高くなるのだろう。


「ルークは?」

「兄さんは庭園でフィオネ様とお話しておりました」

「あら、そう」


 アイリーンはぴくりと眉を動かしたものの、さして気にもしていない声色で相槌を打った。


「私はフィオネ様とあなたの方がお似合いだと思うけどね」


 アイリーンはそう言いながら窓の外を見た。いつのまにかルークとフィオネは庭園を出て、城に戻ろうとしているらしい。


「見てごらん。あの禍々しい黒髪」


 ──母とルークは仲が悪い。


 なぜなら、ルークは母が産んだ子ではないからだ。つまり、ルークとテセウスも腹違いの兄弟なのである。


 視線の先でルークとフィオネは微笑みながら歩いている。フィオネがつまずきそうになって、ルークは手を差し出した。フィオネは目を伏せ、恥ずかしそうに笑っている。


 その楽しそうな様子を見て、テセウスはああ良かったと思うのだ。


 政略結婚の結末は──多くの場合不幸に終わる。

 父・ミダスと母・アイリーンもそのうちの一組だとテセウスは思っている。


 かつてミダスには愛する女がいた。しかし、その娘は王と結婚するような身分の娘ではなかった。娘はそれを分かっていたのか、ミダスの前から姿を消した。


 よくある話だ。町娘たちがこぞって読むような悲劇的な恋愛の話。

  

 その後、ミダスは貴族の娘アイリーンと結婚する。しかし、子どもはなかなか授からなかった。そんなとき、ミダスの愛した娘が実はミダスとの子どもを授かっていたとミダスは知る。──待望の王の器。ミダスはその息子を城に呼び寄せ、我が子とする。それがルークだった。


 その三年後、ミダスとアイリーンの間に子どもができてしまう。──それがテセウスだった。


 町娘たちは悲恋を好むという。けれど、その犠牲になった人のことを考えたことはあるのだろうか。


 テセウスは能面のように白い顔をした母の顔を見上げ、そんなことを思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る