◆4 古傷

 ルークは水を浴びながら、体の汚れを落としていた。バスタオルを腰に巻いて、浴室から出ようとしたとき、「主、お着換えをここに置いておきますね」とアンバーがやってきた。

 ばったり。

 半裸のルークと着替えを持ってきたアンバーが鉢合わせる。


 「ひ、あ、は、すみません、主……!」

 

 アンバーは跳ねるように後ろに下がり、乙女のように両手で顔を隠した。その瞬発力を見てハッハッとルークは思わず笑ってしまった。七三分けの髪やぴしりとしたスーツ姿からは想像できないが、アンバーは戦わせるとものすごく強いのだとルークは知っている。かつて良くない方向にしか使われていなかったその俊敏さが、こんなところに現れるとは。


「着替えを持ってきてくれたんだろ? ありがとな」


「はい……」


 そこでアンバーは恐る恐る──とても言いづらそうに言葉を発した。


「先ほど見えてしまったのですが……なんですか、それは」


 ルークの体は均整の取れた美しい体だった。細見に見える彼だが、がっしりと筋肉がついている。彼の体を見た乙女はほぉとため息を漏らすだろう。アンバーは乙女ではないが、見惚れそうになった。それぐらい綺麗で、彫刻のような裸体だった。


 ただひとつ──青黒い痣が何個もあることを除いては。痣は肩から腰の付け根までびっしりとあり、白い肌を毒々しく彩っている。痣の他にも切り傷のような赤い線が背中に走っている。


「ただの古傷だよ」


 ルークは何も気にしていない風に笑った。白い歯がきらりと輝く──いつもは安心するその表情がすこし苦しかった。洗ったばかりの黒々とした髪の毛からぽた、ぽたと水滴が落ちている。その音がやけに鮮明に聞こえた。

 何にも説明しない彼の近くにいると、アンバーは時折ひどく不安になる。時折ひどく悲しくなる。傍にいても、まるで役に立っていないと言われているようで。


「痛くはないのでしょうか」


 ルークは「どうだろな」と笑った。痛くはない──とは言わなかった。それが答えを表しているようで、アンバーは悲しくなった。


「そんな顔すんなよ」


 ぽん、ぽん、と頭を触れられた。アンバーの心臓がぎゅんと掴まれたような衝撃が走る。


  ──主が、頭を撫でて……?


 固まったアンバーを見て、ルークはふと手を止めた。自分の手をまじまじと見て、過去を思い出すような、懐かしむような、そんな表情になった。あんなにやさしい主の表情をアンバーは初めて見た。


 


 

「ああごめん、──つい、昔の癖で」





 アンバーは叫びたくなった。

 主、あなたは何を抱えているのですか。何を思い出しているのですか。それは、その古傷と何か関係があるのですか。


 あなたの抱えているものをほんの少しでもいいから、私に見せてはくれませんか。私に背負わせてはくれませんか。


 私はあなたの役に立ちたいのです。

 

 だって、あなたは私を救ってくれた人だから。


 嵐のような──それにしては熱いものが胸の中で吹き荒れる。

 それでも、アンバーは胸の中の想いを吐き出すことはしなかった。懐かしそうに微笑んでいる彼の邪魔をせぬよう、気配を消しながらその場を後にしたのだった。

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