第2話 確かめる


 軽い深呼吸をひとつして弘佑は教室のドアを開け、進学クラスとは思えない騒がしさ中に入っていく。クラスメイトに軽い挨拶をしながら自席につくと、後ろから勢いよく肩を組まれて少しよろめいた。犯人はこのクラスの人気者だ。

 「おっす!え……お前、目どうしたんだよ、パンッパンじゃん!」

 弘佑の腫れた目を見て爆笑する声を聞いて、クラスの男子がわらわらと弘佑の周りに集まる。その中心で弘佑は「聞いてよ」とわざとらしく困ったように笑った。

 「恋空って知ってる?あれマジ泣けるから!お前らも見たらこうなるから!」

 それを聞いて男子たちは一斉に笑って、「恋愛映画で泣いたのお前」「乙女じゃん」と好き勝手に弘佑をいじる。弘佑は「いやマジなんだって!」とわざとムキになったように演じて、道化役に徹する。一通りいじられ続け腫れた目についての話題が落ち着いたところで、弘佑は秋人のいる席へ歩いて行って机を挟んで正面にしゃがんだ。

 「ごめん!スケッチブック、俺もカフェに忘れてきた!」

 顔の前で手を合わせギュッと目を瞑りながら、全力で申し訳なさをアピールしながら秋人に謝った。秋人は少し黙った後にカバンからスケッチブックを取り出し、弘佑はそれを見てギョッとして秋人の周りをうろちょろしながら「なんで」を連発する。

 「変なこと頼んでごめん。もう大丈夫。」

 弘佑はそのひとことで、事情は分からずとも安心して笑った。すると教室の端から先程肩を組んできた人気者に呼ばれて弘佑はその声の方に小走りで向かった。そして先程と同じように、そして普段と同じようにおどけていじられて笑った。

 昼休みになれば人通りが少ない廊下で、秋人と昼飯を食べる。最初は秋人だけが知っている穴場だったが、弘佑もここで食事をとるようになった。騒がしい生徒たちの笑い声が遠くに聞こえる中で、弘佑と秋人は基本的にスマホを見てあまり話さない。たまに面白い動画を弘佑が見つけた時に、秋人に見せるくらいだ。でもこの時間が、弘佑にとっては心地いい時間だった。笑わなくていいし気を使わなくていい時間が、弘佑にとっては必要なものだった。

 「そういえば、昨日なんでスケッチブック忘れた?弘佑って、そういうのちゃんとするタイプじゃん。」

 珍しく秋人から話しかけられた。しかも聞かれた内容は昨日に関することで、弘佑は狼狽えた。その様子を見たせいか、秋人は「責めてないけど」と付け加えた。

 弘佑が目を腫らした理由は恋愛映画を見たからではなく、俊亮に言われたことと自分の言動を思い出して泣いたせいだった。勝手に失礼な物言いをしてきた俊亮が悪いはずなのに、心を見透かされたような言葉に委縮した。そして思い出すたびに自分の嫌いな部分を再確認させられた気がして、自己嫌悪に陥っていた。これ以上俊亮に図星をつかれたくなくて、乱暴な言葉を年上に放ってしまったことも強く後悔している。

 「まぁなんか、変なのに絡まれてさぁ。俺ってそういうの引き寄せるからかな?」

 弘佑はクラスメイトと話すときのように、わざとらしく困って笑う。秋人は納得していない様子ではあったが、「ふうん」と言ってそれ以上何も聞いてこなかった。

 やっと放課後を迎えて、弘佑は疲弊しきっていた。昨日のダメージが残っている中でクラスメイトを誤魔化し、秋人にも触れてほしくない話題を突かれて精神的にへとへとの状態だった。カバンが異常に思く感じて、普段の倍くらいは酷い猫背で駅までの道を歩く。

 「ねぇ。」

 頭の上から聞き覚えのある声が聞こえた。できれば覚えていたくない声。恐る恐る顔を上げると、そこには俊亮が立っていた。弘佑は強いストレスを感じて思いきり顔をしかめる。俊亮はゆっくりと近づいてきて「今時間ある?」と尋ねた。

 「ないです。」

 「そっか、じゃあ手短に話す。」

 最初から話すつもりなら聞くなよ。そう心の中でツッコミを入れながら、早く終わることを期待して弘佑は足を止めた。俊亮は持っていたビニール袋からアイスティーが入ったペットボトルを弘佑に渡して、ガードレールに腰掛けた。

 「昨日のこと、謝りたくてさ。あのあと陽ちゃんにめっちゃ怒られて、しばらくカフェ出禁になったんだよ。それで自分のしたことガチ反省した。」

 俊亮から思いもよらない単語が飛び出して、弘佑は勢いよく顔を上げて俊亮を見た。店員や店長と仲良さそうで、てっきり常連だと思っていたのに、出禁にされることもあるのか。弘佑は自分が怒って店を飛び出したせいだと気付いて、逆に謝った。

 「え……ご、ごめんなさい。俺がキレたせいですよね。」

 「いや、元はと言えば俺が嫌な気持ちにさせたのが悪いし。ごめんね。それ、一応お詫びのつもり。」

 弘佑が受け取ったアイスティーを指さして、俊亮は微笑んだ。

 「弘佑くんのこと好き勝手言っちゃったけどさ、すごく後悔した。よく考えたら大人って皆そうやって生きてるじゃんね。だから余計なこと言ってごめん。」

 「俺も、怒って出て行ってごめんなさい。」

 俊亮は「いいよ」と昨日とは違う柔らかい笑顔で笑って、弘佑の頭をくしゃっと撫でた。弘佑はそれが擽ったいからなのか、それとも俊亮の言葉に安心したのかわからないが、嬉しくて勝手に笑みがこぼれた。

 「また、会ってもいいですか?」

 弘佑の提案に目を丸くして「俺って男にもモテるの?」と俊亮がつぶやく。先程まで浮かべていた弘佑の笑みは消え、眉をひそめて俊亮を見る。さっきの言葉を取り消そうか迷ったが、こうやって素直な反応ができたのも久々だし、やめておこう。

 連絡先を交換して、俊亮とは解散した。さっきよりも軽い足取りで電車に乗り込み、スマホを開くと変な目をした魚のスタンプが送られていた。


 俊亮と連絡先を交換してから二週間。弘佑は一日一回俊亮とメッセージのやり取りを続けていた。弘佑としてはもう少し話したい気持ちはあるが、大学生はきっと忙しいのかもしれないと思って律義に返信を待っていた。

 「今度の日曜空いてる?」

 珍しく俊亮から送られたメッセージが疑問形で終わった。いつもは「学校頑張れよ」とか「バイト頑張れ」くらいしか送られてこない。それはそれで日々の活力になるから嬉しいけど、今回は遊びに誘ってくれている。弘佑はすぐに返信した。

 待ち合わせはテーマパークの最寄り駅から二、三駅手前にある乗換駅だった。改札前で俊亮を待つ間、弘佑は何度かチャットアプリを開くが「もうすぐ着く」と送られてきたところで止まったままだ。

 「よっ。」

 俊亮の声が聞こえてやっと来たと思って顔を上げると、某有名カフェのフラペチーノを二つ持っていた。まさかそれのために待たされたのか。自由人だとは思っていたが、テーマパーク内でも飲み物なんて買えるのに、本当に読めない人だ。でもちょっと嬉しい気がする。

 「待ち合わせ時間すぎてますよ。」

 「電車はまだ来てないじゃん。焦らないで、ほら。」

 「まぁ、でも、ありがとうございます。」

 フラペチーノを受け取って、電車に乗った。テーマパークに着けば俊亮は興奮した様子で弘佑の手をぐいぐい引いた。俊亮は自分から絶叫マシンに乗りたいと言ったくせに安全ベルトを装着してから「怖い怖い」と騒いだり、コーヒーカップを全力で回しておいて終わったら酔いでグロッキーになったりする。本当に自由でよくわからない男だ。

 でも弘佑の疲れをいち早く察知してベンチを探したり、弘佑がどんなに呆れていても受け入れて笑って楽しい空気に変えてくれる。弘佑は振り回されながらもなんだかんだで楽しんでいた。

 「疲れた~。てか腹減った!なんか食おうよ。」

 日も落ちかけた頃、適当に入ったレストランでバーガーを頼んでテラス席に座る。今日の出来事を振り返って話が弾んで、気が付けばもうすっかり暗くなっていた。話題は俊亮の大学生活の話になって、弘佑がテーマパークに誘われた理由も明らかになった。

 「つまり女の子に振られて、行く予定だったここのペアチケットが余ったから俺を誘ったんですか。」

 「そお。いやマジで助かったよ。」

 「あはは……そりゃどーも。」

 まさか振られた相手の代わりだったとは。弘佑は呆れ返って苦笑いしかでなかった。しかしタダで楽しめた事には間違いないので、弘佑は俊亮を振った女性には感謝することにした。

 「逆に、弘佑はどうなんだよ。」

 「俺っすか?」

 「うん。今でこそ怒ったり困ったり普通の反応してくれてるけど、カフェで話していた時は作り物みたいだったじゃん。やっぱり学校でも同じなのかなーって。」

 弘佑は少し考えてから話し始めた。学校ではいじられキャラで通していること、そうすることでクラスに馴染もうとしていること、秋人と昼休みを過ごすときは心地が良くて仲良くしていることをすべて話した。

 「転勤族だったから、多分いつの間にか処世術がついたんですよね。転校を繰り返していくとわかるんですよ、どうやったら仲間に入れてくれるか。」

 弘佑は自分のしていることが好きではなかった。独りぼっちやよそ者の自分を見る周りの目が怖いくせに、引っ込み思案な自分を偽って笑うことに疲れている。それどころか家では一人反省会を開く頻度も上がっていた。いっそ誰とも関わらない方がいいのかもしれないとまで考えていた。

 俊亮が「大人はみんなやっている」と言ってくれたおかげで、弘佑は自分の行動をそこまで嫌わなくてもいいと思えるようになった。こうやって自分のことを話せるのも俊亮が初めてで、だんだんと重くのしかかっていた「笑わなければ」というプレッシャーが俊亮の前では溶けてなくなっていく。それが不思議な感覚で、嬉しくもあった。

 「そっか。」

 俊亮はそれだけ言って弘佑の顔に手を伸ばした。弘佑が反射的にぎゅっと目を瞑ると、目の下を優しく撫でられた感覚がした。目を開けると俊亮の柔らかい笑顔が見えた。何をされたのか聞く前に遠くの方で大きな音が聞こえる。

 「あ、花火だ。」

 「マジじゃん!行こうぜ!」

 トレーをもって俊亮は早歩きでレストランを出て行き、弘佑はそれに慌ててついていく。そして店を出た瞬間、花火ショーが見える場所まで二人で走り出した。

 「綺麗っすねぇ。」

 「本当はかわいい子と見る予定だったのになぁ。」

 「すんませんね、野郎の俺で。」

 文句を言い合っているうちに花火ショーが終わった。決してロマンチックな雰囲気ではなかったが、弘佑はこうして楽しむのも悪くないと思えた。

 

 「弘佑、次降りるよ。」

 肩を揺らされて目を開ける。帰り道の電車に揺られているうちに眠ってしまったようだった。いつの間にか弘佑の家の最寄り駅まであと一駅になっている。もう誰もいない駅に降り立った瞬間、どっと疲労を感じた。

 「弘佑ん家まで送るから。」

 歩き出す俊亮の腕を掴んで引き留める。まだ眠気が残っていたが、弘佑はずっと感じていた違和感を今確かめたかった。待ち合わせた時、テーマパークで遊んでいる時、レストランで話していた時に弘佑の中で俊亮に対して言葉にできない気持ちが生まれていた。思えば駅で謝られた時や今だって、俊亮が少しでも離れると胸が締め付けられる感覚がする。

 弘佑も完全に初心なわけではない。「それ」の正体がもし弘佑の予想するものだったら、どうしたらいいんだろうと考えていた。相手は男で、女の子にモテる人で、女性が恋愛対象だ。だから自分の気持ちが分かったところで叶わない。だとしても、今はとにかく確かめるしかないと思った。

 「俊亮さん。」

 「ん?」

 「キス、してくれませんか。」

 弘佑の申し出に俊亮は鳩が豆鉄砲で打たれたような顔をする。そしてしばらく考えた後で、首を振った。

 「今日楽しすぎたんだよ。弘佑もよく寝て学校行けば落ち着くから。」

 「わかってますよ。気の迷いなのかどうか俺も今わからないから。」

 きっと弘佑が高校生で、普段は接することが少ない大学生相手だし、気の迷いだろうと俊亮が思うのも仕方ない。弘佑も気の迷いのせいだと思いたかった。だからこその頼みだった。

 「気の迷いだって俺も確信したいんです、だからお願いしてます。大丈夫、万が一俊亮さんが好きだってわかっても、困るようなことしませんから。」

 俊亮の腕を掴む手が震える。弘佑は自分のビビり具合に笑えてしまう。でも今を逃してモヤモヤするのはもっと嫌だった。俊亮はそれでも渋っているようで、困り果てて天を仰ぐ。

 「大丈夫です。今までみたいに軽いノリでいいんですよ。俊亮さんに何の責任ありません。」

 「あぁもうわかった!歯ァ食いしばれよ!」

 キスする奴のセリフじゃないなと思いながら、弘佑は覚悟を決める為に小さく息を吐いた。俊亮の手が弘佑の頬に添えられる。弘佑が俊亮から目が離せないでいると、「目瞑れよ」とデコピンされた。ぎゅっと目を瞑って弘佑はその時を待っていると、俊亮の息遣いを近くに感じて柔らかい感覚が唇に触れた。

 唇が離れた瞬間、弘佑は無意識に止めていた息を大きく吸った。弘佑の頭にポンと俊亮の手が乗せられて、弘佑が顔を上げる。

 「帰るぞ。」

 「はい。」

 その会話を合図に、弘佑の家へと歩き出した。

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