127-誘拐

数時間前。

ルルはスワロー・エッジに乗り、遊覧飛行に出ていた。

メンテナンスも済み、当分戦闘もないとの事で、拡大を続ける獣人国の周辺を飛んでいたのだ。


「あの人、凄いなぁ...」


ルルはティファナの顔を思い出す。

獣人の中では兎人と比較的弱い種族であるが、それ故の慎重さでまつりごとを推し進め、獣人たちの結束を後押ししつつ、拡大し続ける獣人国の維持を成功させていた。


「そろそろ帰りますか」


ルルは操縦桿を握り締める。

家でシンとネムが待っている、星空より上にある家で。


「人生、何が起きるか分からないですね...」


一年前は人間の侵攻に怯えて、ただ震えて縮こまるしか無かった。

けれど今は、大きな後ろ盾を得た上、自分で空を飛ぶ翼まで与えられた。


「けれど、急激な拡大は...」


戦闘機パイロットとして知識をインストールされ、賢者の仲間入りをしたルル。

彼女の目には、肥大を続ける先にある獣人国の末路がなんとなく見えていた。

その時になっても、きっとシンは助けないだろうという不思議な確信が彼女の中にあった。


「RAFができた以上、獣人にこだわる理由はもっとなくなったから...あの人のことだから、きっと...」


『内紛? 生き残ったやつを捕まえて研究すれば強い兵士が作り放題だ!』などと言い出すのは目に見えていた。

ルルはとっくに慣れきっていたが、


「やはりあの人は神以外の何者でもない...と思う」


人を人とも見ておらず、自分の価値観以外の何をも見ようとしないシンの、超越的な精神構造に、異質なものを覚えてはいた。

人を殺すのは愉悦ではなく手段であり、他所から奪うのは生きるためではなく拡大するためなのである。

ルルには、よく分からなかった。


「...?」


その時。

彼女の目に、あり得ないものが映った。

それは、翼人でもなく、ドローンや戦闘機でもない飛行物体。


「あれは...空飛ぶトカゲ?」


ルルはそれに興味を惹かれ、スワロー・エッジを降下させる。

スワロー・エッジの接近に気づいたのか、それはノータイムで速度を上げた。


「スワロー・エッジの最低スロットルより速い!?」


それはつまり、時速300km以上で飛んでいるという事である。

ただの生物ではない。

ルルはスロットルを少しだけ押し込み、速度を上げてそれを追う。

もう少しで追い縋れるというタイミングで、それは加速しながら上昇し、バレルロールしながら方向転換して逃げ始めた。


「逃がさない...!」


ルルは操縦桿を素早く操作し、スワロー・エッジをその場で360°回転させ、スラスターの最大噴射で速度を一度に上げる。

だが、それでもなお追い付けない。


「これ以上速度を上げると...っ!」


大気圏内では出せる速度は限られる。

あまりにも速度が速すぎると、宇宙物質内を飛ぶことに特化しているスワロー・エッジは衝撃で空中分解しかねないからだ。


「仕方ない、あとでもう一度探査を出すしかないか....」


未知の種族ともなれば、シンは必ず探査を出してくれるだろう。

そう期待して、ルルは引き返そうとして――――襲ってきた衝撃に、前に向けて引っ張られた。


「な、何!?」

《機関異常 燃料燃焼エラー》

「くっ...機関再始動!」


ルルはすぐに機関を再始動させるが、エラーは治らない。

スワロー・エッジはグライダー状態になり、徐々に速度と高度が落ちていく。


「こんな事って...シン様...!」

《脱出を推奨します》


その時、無機質なシステムメッセージがそう告げた。

ルルは一瞬の逡巡の末、命の方が大切だと思い直した。


「脱出レバーは...これか」


スワロー・エッジの脱出レバーは、両腕で引く形になっている。

ピンを外せば、負傷していても片腕で引くことができる。

ルルはスワロー・エッジからベイルアウトし、衝撃吸収ポッドで飛び出した。


「こちらルル、Noa-Tun応答せよ」

『こちらオーロラ。用件をどうぞ』

「機関部に異常が発生したので脱出した。着陸ポイントの座標を送る」

『直ちに回収部隊を発進させます』


ルルは着地の衝撃に備え、慌てて身体を丸めた。

だが、その衝撃が来る前に、空中で脱出ポッドが止まった。


「...まさか!」


ルルのポッドを持った竜は、悠々と南の空へ向けて飛んでいくのであった。

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