098-逃避行(前編)

そして。

ついに妾が旅立つ日がやって来た。


「現在、Noa-Tunの基地であるこの場所は、主席ノーザン・ライツの帰還のため厳戒態勢となっている。基地の上部に位置するこの部屋から、俺が見つからないようにお前を脱出艇のある場所まで誘導する...いいな?」

「は...はい」


妾は頷く。

別れの時は近い。


「行くぞ」

「はい!」


そして、妾たちは居住区画らしいその場所を駆け抜ける。

扉の前に立つと、シン殿は言った。


「ここから先は、警備兵が彷徨っている。だからこそ、俺が合図したら物陰に隠れるんだ」

「は、はい」


まるで騎士物語の逃避行のようで、妾は命の危機と同時に不思議な高揚感を味わっていた。

扉を抜けた妾たちは、壁伝いに慎重に進む。

足音すら聞き分けているようなシン殿の顔は凛々しく、猛々しさを隠しきれぬ英雄の顔つきであった。


「よし、行こう」

「はいっ」


妾が見惚れているうちに索敵が終わったのか、シン殿は手を差し出してくれる。

急いでいるが、疲れやすい妾を気遣ってくれているのだろう。


『皇族なのですから、この程度で疲れるのはおかしいことです』


そう言い放った騎士を思い出す。

皇族侮辱罪で処刑してやったが、妾にはあらゆる事が出来て当たり前じゃった。

神の正統な血を引き継ぐ、宇宙を治めるに相応しい皇女。

妾はそんな、張子の虎のような役割を求められていた。


「急がなくていい、お前のペースでゆっくりと行こう」


容易い女と思ってもらっても構わぬ。

物心ついてから初めてかけられた、下心なく優しい言葉に騙されて、それの何が悪いのじゃ?


「俺のマントの中へ」


その内、エレベーターホールへと着いた。

流石に中の監視カメラだけは誤魔化せないようで、妾はシン殿のマントの中へ隠れた。


「......」


特に意識しておらんかったが...やはり、マントの中に入るとシン殿の香りが強まるような気がする。

我ながら中々気持ちの悪いことを言っているのじゃが、抑えられぬよ、この気持ちは。


「!」


その時、エレベーターに人が乗って来た。


「ーーーーーーーーーーー」

「ーーーーー」

「ーーーーーー、ーーーー」


妾は、その会話を聞く事が出来ない。

シン殿たちが使う言語は、オルトス語でも、ヴァンデッタ語でもないからだ。

その内、乗って来た男は降りて行った。

そして、次の階でエレベーターが止まる。


「着いたのですか?」

「いいや、まだだ。中央エレベーターが使えない以上、六回はエレベーターを乗り継ぐ必要がある」


そんなにも大きいのかと、妾は驚く。

基地というよりは、最早要塞ではないかと。


「我慢してくれ。これでも連邦の最終防衛ラインなんだ」

「か、構いません」


長い方がシン殿と長くいられる。

見つかって殺される可能性もあるが、そうなれば妾はそこまでだったという事じゃ。


「ここから先は人通りも多い。主要道を避けて移動するぞ」

「わかりました」


妾たちは、外周部に沿って移動し続ける。

それにしても広い基地じゃ...妾は段々と疲れ始めていた。


「少し休むか? 大丈夫だ、俺が索敵する」

「ありがとうございます...」


妾は、シン殿が胸ポケットから出したタブレットを受け取る。

口の中で噛み砕くと、レモン水らしき液体が口内を満たす。

どういう原理かは分からぬが、水を圧縮したタブレットのようじゃった。

それを飲んで暫く休憩をとった。


「もうすぐエレベーターだな」


再び歩き始めた妾たちは、着実に次のエレベーターに近づいていた。

だが、その時。


「隠れろ!」


シン殿がそっと叫ぶ。

それを聞いた妾は、慌ててゴミ箱らしきものの陰に隠れた。


「ーーーー!」

「ーーー、ーーーー?」

「ーーー」

「行ったようだ」


そこで初めて、妾はここが敵地であることを思い出した。

同時に、死は最も近しい場所であるとも。


「向かおう、次の層へ」

「はい!」


そして妾たちは、エレベーターに乗り込むのだった。

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