第55話 閑古鳥の夢をみるsh

そこは小高い山のふもとに位置する平地にあった。


深い森に囲まれたその村は広く、古の都市の様相を感じさせるが、すでに寂れ、ボロボロの木壁はその場所に人気を感じさせない。


しかしニコイはそこに、言い知れぬ狂気の匂い、殺伐とした喧騒を聞き取った。


「おい、一体なにが起こって……」


ニコイは馬上で、並走していたはずのエノに振り返った。

いつの間にか彼女の姿はどこにもなくなっていた。


「フークー、奴はどこへ?」


ニコイは副官に問うが、フークーも彼女と同じく「わからない」と首を横に振る。


父のもとへの案内は嘘だったのかとニコイの頭を疑問が過ったが、廃村の中心から聞こえてくる喧騒と、風と共に漂ってきた馴染のある硝煙の匂いがそれを否定する。


(……信じる他ないな)


決断してからは、ニコイの動きは迅速だった。


「同士よ、我々は今から氏族に仇なす裏切り者の排除に乗り出す! 相手はかつての戦いの亡霊……我々とにた姿をしているが恐れることはない! 我々の力を見せつけるぞ!」


ニコイの呼びかけと共に背後に控えていた数十の戦士たちからときの声が挙がる。

ニコイはその結果に満足し、廃村の中心に目を向けた。


「ゆくぞ、これは氏族を守る闘いだ!」


ニコイとその戦団は目的を果たすため、その身体を狂気の場に投じた。


ニコイは、これがきっと正しい選択なのだと信じるしかなかった。



**



廃村の中心に近づくにつれて、そこかしこに未だ人が暮らしていると思われる痕跡が残されていることにニコイは気付いた。


簡単に補強された屋根や、塞がれた壁。

一見すると打ち捨てられたようにも見える家屋の中には時折、そうした生活感がある。


(……本当に父上たちはここで生活していたのか。だとしたら何故、何故戻らなかった!?)


ニコイがギリと奥歯を噛み締めて正面を見据えると、松明の火が灯り、フードを被った者らが姿を見せた。


その手には弓や、剣といったあからさまな武器に加え、即席で作られたような槍なども握られている。


「―――……敵だ! 見た目に惑わされるな、相手は一騎当千の強者と思って挑め!」


先陣を切っていたニコイは部下たちに告げたあと、鞍の上に立ち、隣のフークーに呼びかける。


「フークー、指揮は任せる。私は先に行く。コイツを頼む」


「了解」


そしてニコイは馬上で跳躍、跳躍に合わせて「加速ケレテス」を用いて敵の戦士たちの壁を飛び越え、目的地である館へと疾走する。


敵がニコイの事を振り返った様子が彼女の視界の隅に映った。


しかし彼女に追い縋る者は居ない。


すぐに後続との鍔迫り合いが始まったのと、彼女自身の移動速度が群を抜いていたのだ。


そしてニコイは、誰に妨げられる事なく一際大きな屋敷へと走る。


一瞬だけ見えた黒い煌めきが彼女の確信を強めていた。


(あそこにヒエラーゾが居る)


彼女の抱える言い知れない予感は彼女を必要以上に急かし、突き動かしていた。


本来ならば彼女一人が突貫するような真似はしなくとも良いのだ。


いくら敵がかつての戦団の一員とは言え、ニコイの戦団も強い上に数で勝る。

堅実に進めば確実にあの屋敷には近づけるのだ。


それでも彼女がこうして一人で、馬を捨ててまで突貫しているのは、ひとえに父親に会うために他ならない。


そうでなければ対話の時間など、微塵も残らないだろうから。


「―――……邪魔だ!」


ニコイは行き当たりに対面して構えた敵の頭をひざ蹴にして吹き飛ばし、突破する。


そしてその勢いのままに館の扉を回し蹴りで吹き飛ばした。


バラバラと木片が飛び散る中、彼女は奥まった大部屋に消えゆく黒い結晶の一片と、その前に佇む男の後ろ姿を見る。


周囲には倒れ伏した者たちが散乱しているが、あの結晶レァの性質上、死んではいないのだろう。


ニコイが身体に降りかかる木くずやホコリを払い、踏みしめながら近づくと、男は彼女に赤黒い顔を向ける。


「―――……何だお前。私はいま、非常に機嫌が悪い、悪いが言い訳は聞けんぞ」


取り付く島もないとはこの事だろう。

ヒエラーゾはそう言い残し、ニコイに斬り掛かってきた。


「―――っ!」


十歩はあった間合いを一瞬で詰めたヒエラーゾの一撃。

ニコイはそれを何とか抜刀した剣で受け止めた。


(何という……!)


それは彼女がいままで見た誰よりも洗練され、研ぎ澄まされた一撃だった。


「ほう……よく止めたな」


鍔迫りの向かいから漂ってくる彼の呼気は明らかに酒に浸かっているというのに、これを見せられるとそれが幻覚なのではないかと感じるほどだった。


ニコイは弾くように剣を押し返し、距離を取ることを図るが、ヒエラーゾは意外にも素直にそれに乗って跳躍、同時にお互いが距離を取る。


「―――……その格好。お前、山の民イカコか?」


「私は貴方の命を獲りに来ました。その者の正体が貴方に何の関係あるのですか?」


ニコイはヒエラーゾが目に見えて動揺していることに気づいた。


ブツブツと何かを呟き、視線は彷徨さまよって何度も行き来する。


山の民イカコの戦団、だと? いや、しかしそれは……」


しばらく独白を続けていたかと思えば、彼は頭を抑えるようにして手を当て、剣先をニコイに突きつける。


山の民イカコは滅びた……少なくとも兵力など持てないはず。何のつもりか知らんが、私をたばかろうとしているな?」


「―――……何を言っているのです?」


ニコイは呆然とヒエラーゾの事を見る。


自分と良く似た翡翠の瞳は暗く陰っていて、正気を失った者の持つようなギラギラとした光はない。

むしろ、それよりも冷たい、諦めや投げやりのような陰だ。


「……何だ、知らずに来たのか?」


ニコイが戸惑いをあらわにすると、ヒエラーゾは「まぁ、無理もあるまいな」と構えを解いた。


「アタナティスに独立を賭けて蜂起したのが七年前……見たところお前はまだ若い。まだ世間を知るには早い時分だっただろうよ。だがその頃のことだ、我々は敗れ、山のイカコは居場所を失った……」


薄暗い室内に、ヒエラーゾの独白のような声が響く。


「―――……分かるだろう。闘いの敗者は、いつもみじめなものだ……私にも娘がいてな、丁度お前くらいの歳になるはずだった・・・・・。私には、それが無念でならない」


ニコイは彼が話す内容が自分の知る事実と噛み合っていないことを感じ取った。


(父は、七年前の自分たちの敗北が山の民イカコの崩壊に繋がったと……信じている・・・・・?)


何度も口を挟もうとするのだが、口を開いても掛ける言葉が見当たらず、その繰り返しだった。


仮にいま自分が名乗ったところで彼はそれを信じない。

ニコイにはその確信があった。


「―――……お前が何者かは知らねぇが、どうせ我々の王族殺しをとがめるために来たのだろう?」


「……」


「ふん。答えないか、当然だな」


ヒエラーゾは再び武器を構え、ニコイを睨む。


「―――……何人足りとも、我々の復讐の邪魔はさせん」


言下に、彼は剣を投げ捨て、部下の手元にあった手斧を水の法アタラで引き寄せた。


剣ごとニコイをほふるつもりだ。


そして次の瞬間、ニコイの視界から彼の姿が消える。


(はや―――……)


ニコイはほとんど直感で身を捻りトンボを切って、先程まで自分がいた位置に「加速」で威力を増した剣撃を置く。


地面に降り立つ寸前、ヒエラーゾが顔を逸らして剣先を避ける姿が見えた。


着地と同時に地面を蹴り、追撃を防ぐための火薬玉を落とす。

次に地面に降り立った時には、眼の前で小規模な爆発が起こり、土塊が視界を塞ぐ。


壁を背にしたニコイは、硝煙の向こう側を睨むように見つめた。


流石にこの状況でニコイの目を完全に欺いて近接することはできない。


しかしヒエラーゾが彼女に追撃を仕掛けることはなかった。


「―――……その火薬アービカ……使い方……どこで手に入れた?」


抑揚のない声と共に、煙の向こうからヒエラーゾが現れる。


ニコイはその時、ここだと直感する。


「サンガゾの山連会マーウィナーヴィラが開かれる地、霊窟の真下に位置する戦団保有の火薬庫ですよ、父上・・


「―――……」


「……私はイカコ・ナウク・ニコイ。現代の戦団長であり、先代の戦団長の娘。……貴方とネフター・ニニジの娘です」


何も言わないヒエラーゾに、ニコイは畳み掛けた。


例えこれで信じて貰えずとも例え一片であっても疑念が生じれば、話は聞けるのではないかと思ったのだ。


彼女の言葉は絶大だった。

ヒエラーゾはその場に立ちすくみ、目を見開いて右手で自分の髪を鷲掴みにする。


「―――……それは……いや、だが……ならば何故……」


ニコイは取り乱す父の姿を見て、それに言い知れぬ悲しみを覚えた。


彼はいま、思いもしなかった現実に直面し、それを否定する材料を探している。

最近それを体験したニコイには、その気持が痛いほど分かった。


―――そうでなければ前に進めないのだ。


いままで積み上げた全てが誤りであった・・・・・・・と知った時、果たして人はどのような反応を示し、道を選ぶのか。


一番容易なのは現実の否認だろう。


ニコイの言葉を嘘としてしまえば、彼に誤りは生じない。


現実を全て否認するとまではいかずとも、その一部を自分の都合の良いように変えて解釈することも出来るかも知れない。


一部を認めて、しかし大半は認めない。


そうすれば少なくとも、全てが・・・灰燼に帰すことはない。


では一番難しいのは何だろうか。


「――――――――――――……そうか、そういうこと・・・・・・だったか・・・・


思いがけず浮かんだヒエラーゾの笑みに、ニコイは目を見張る。


「はは……」


彼は力の抜けたような乾いた笑い声をあげて地面に身を投げ出した。


それはあまりに自然で、ニコイの目にはそれが罠には映らなかった。


「父上?」


ニコイが思わず駆け寄りしゃがみ込むと、彼は彼女に目を向けて目元を緩めた。


「―――……大きくなったものだなぁ。まさか生きているとは思わなかった」


ニコイはヒエラーゾの目元に涙の粒を見つけ、思わずそれに釣られそうになるのを堪え、彼女がここに来た理由を果たすために息を吸い込んだ。


「父上。生きていたのなら何故、戻らなかったのです?」


ヒエラーゾは笑みを引っ込め、天井に視線を移して茫洋ぼうようとした目で言った。


「戻る意味を失っていたからだ。あの日、ソチさ……ソチが負けを認めたと知った時から、我々は山の民イカコは全て滅びたと信じ込ま・・・・されていた・・・・・……ということなのだろう」


「―――……どういうことです?」


ヒエラーゾは横目でニコイの事を見て、身体を起こした。


正面から見た彼の翡翠の瞳に宿る光は憑き物が落ちたようで、驚くほどに柔らかいものに見えた。


「我々を拾ったのはオクホダイだ。……今にして思えばあの老人ジジイ……あの男にはそういった力・・・・・・があるのやも知れん。とにかく、我々は敗れてからはオクホダイの手引きでこの廃墟に身を寄せることになった。当然だ、他に行く当てもない。なにせ、氏族が滅びたと信じていたのだからな」


ヒエラーゾはかつての自分を省みて、やれやれとでもいう様に首を振った。


「……そしてオクホダイから、王族の外遊の知らせがあった。それは明らかに誘導だったが、私は気にしなかった。結果として復讐は果たせるのだからな……尤も、それは全て徒労だった訳だ」


ニコイは乾いた笑い声を上げる父の姿を見て、なんとも物悲しい気持ちになった。


彼は確かに「氏族」を思って行動をしていたのだ。

結果として山の民にとっての厄の種となってしまったが、その気持ちだけは疑いようがない。


「思えば、王族のあの様は外遊と呼ぶには重々しすぎた……あれは北の牢獄クギュデン・ウィ・カロゾンへの搬送、つまりは反逆が起きたのだな? そしてそれには山の民イカコも噛んでいる―――……お前が来た、と言うことはそういうことなのだろう?」


「その通りです父上」


「あぁ、やはりか……」


酒が抜けてきたのか、それとも別の理由か、ニコイの肩に手を伸ばす彼の腕はブルブルと細かく揺れている。


「―――……ニコイ、お前の目的は私の命か?」


真っ直ぐな目に射抜かれ、ニコイは言葉につまり、ただ頷く。


「そうだろうな……」


不意に彼は首をニコイから背け、背後に現れた人物に向ける。


ほとんど音もなく現れた彼女の姿は血に塗れていたが、それらは全て返り値のようだ。

本人にそれらを特別気にする様子はない。


「―――……驚いた。フークーか」


ヒエラーゾは彼女の名を呼び、フークーはそれに軽く会釈をする。


しかしそれは親しみというよりも単なる反応と言った方が良いのではないかと感じる程に、これといった感情を感じさせなかった。


「フークーが付いているということはニコイ、お前が現代の戦団長というのは嘘ではないらしい。……その歳でたいしたものだ」


「ありがとう……ございます」


少しだけ気恥ずかしく感じたニコイは少し俯き気味に応えると、ヒエラーゾは身体をニコイに寄せ、一気にだきしめた。


「困難な道であったろう、私は誇らしいぞ」


「―――……っ!」


ニコイの目元は思わず緩みかけるが、何とか涙を堪えて彼のことを抱き返す。


ヒエラーゾはしばらくニコイの身体を揺すっていたのだが、不意に声を低めた。


「―――……フークーはソチの懐刀だ。そして現状を考えるとソチは、私たちを売った・・・・・・・……その意味は分かるな?」


そして彼はニコイから身体を離し、フークーに視線を向けた。


「……部下たちはどうなった?」


「そこに伸びている方々が最後でございます」


「そうか。ならば私だけがのうのうと生き延びる訳にもいかんな……」


ニコイはハッと我に帰り、彼に呼びかける。


「―――……父上!」


それに対し、ヒエラーゾはニヤリと笑う。


「―――……お前が生きていたのなら、私にはもう未練はない」


そして彼は懐から火薬玉を取り出し、二人から離れた位置で喉元に当てた。

ニコイはその意味を察し、しかし今の立ち位置からはどうする事もできずに叫ぶ。


「―――……止めてください、父上、お父さん!」




いままで積み上げた全てが誤りであった・・・・・・・と知った時、選ぶことが最も難しい道は自らで全てを捨ててしまうことだろう。


これまでの自分を全て否定して、何もかもを放りだしてしまうこと。

そしてそれは、最も死に近い。


―――……では、ヒエラーゾはどうだったのだろうか。


ヒエラーゾは全てを捨てた訳ではない。


彼の願いは初めから叶っていた・・・・・、そしてその先を少しでも良いものにするために自分を賭けた、それだけの話だ。


理想は闇だ。


満ちているのに沈んでいて見つけられない。


だからこそ、絶望と言う眩しい閃光は、その輪郭を浮かび上がらせる良い起爆剤だ。

それがあって初めて見えてくるものもきっとあるのだ。




ニコイは激しい閃光に目を焼かれ、思わず顔を背ける。


そして再び視線を戻した時、全てを悟った。


―――……ニコイはソチの命令通り・・・・・・・、ヒエラーゾを排除することに成功した。


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