第54話 閑古鳥の夢をみるfh

夢幻を操る金眼の女。


あの蠱惑こわく的な声を最後に聞いてから、どれくらいの時間が経っただろうか。

仮設された天幕の内で座り、瞑目していたニコイは重たいため息を吐いた。


―――ヒエラーゾの居場所を伝える。


ニコイにはエノのそんな言葉の真偽が未だ図れず、迷いの最中にいた。


来ないのであればそれでもいい。

むしろ、来ない方が良い・・・・・・・のかも知れない。


ここからは自分たちで居場所を絞り出せば良いのだから。


そんな思いが強まるにつれて、ニコイの迷いも強くなっていく。


(このままここで待機していても良いのだろうか……)


「……迷っていても仕方がないな」


ニコイは立ち上がり、天幕の外へと出る。

雲に陰って月すら見えぬ、うるし塗りの空の下。


オクホダイ北西部の森中から見る空は、それに加えて葉の茂った重たい樹冠が視界を覆って、暗い。


「……火よフレマト


彼女の水の法アタラ起音インティによって、腰に下げた小さなカンテラに橙色の光が灯った。


ニコイの水の法アタラの操術は精鋭揃いの戦団の中にあって、それでも図抜けたものだ。

唯一、物体の操術に関する分野ではフークーに旗が挙がるが、それ意外の部分では総合的にニコイが優れていた。


だが代わりに、ニコイは石の法ニュトスに関してはからっきしだった。

いままでそれについて困った事も、悩んだこともない。


しかし彼女はその意味について、考えざるを・・・・・得ない・・・岐路・・に立たされているのではないかと感じていた。


石の法ニュトス理想の形・・・・


もしそれが事実なのだとすれば、ニコイは未だ「理想」が形を成していないと言えるのではないだろうか。


(あの黒の男レァは否定したが……)


しばらく思考にふけって淡い輝きを眺めていたニコイだったが、近づいてくる足音に気づいて顔を上げた。


父親が生きていることを彼女たちが隠していたことを知ってからは、何となく彼女から距離を置くように動いていたニコイだったが、半身のごとく共にいた存在を切り捨てることなど出来るはずもなく、彼女はその方へ顔を向けた。


その足音の主は、しとやかに頭を下げた。


「ニコイさま、どうかなさいましたか?」


「―――……叔母上」


ニコイが呟くように言うと、彼女は小さくため息のような吐息を漏らす。


「フークーとお呼びくださいと何度も言っております」


ニコイは周囲を見渡し、その場に自分たちしか居ない事を再確認して苦笑する。


「威厳を示すべき相手もない状況で、ですか?」


「振る舞いというものは滲み出るもの、即応的に示せば良いというものでもありませんよ」


伏し目がちで立っているフークーは、そう言ってニコイをいさめた。

ニコイはそれが否定できず、「降参だ」と肩をすくめて首を横に振る。


「常在戦場。忘れていた訳ではないよ、フークー」


「それは良かった」


ニコイにはその時、フークーが小さく微笑んだのが見えた。

ニコイはそれにつられ、はにかんだ。


(あれだけ憎く感じたのにな……)


そしてフークーがいつもの無表情に戻った頃、ニコイは彼女に問いかけた。


「―――ところでフークー。何かあったのか? 見張りの指揮を任せていたはずだが」


「はい、それなのですが……」



「情報は鮮度。急がないと無駄になる、そうは思わない?」


唐突にフークーの背後の空間が歪み、金眼の女が現れた。

ニコイはそれを見て大体の成り行きを察してため息をつく。


(……愉快犯め)


「貴様、わざと兵に見つかってからここに来たな」


「あら、よく分かったわね? 正解よ」


フークーは二人の様子に微かに表情を動かしたが、流石にニコイの副官、彼女がニコイの待ち人であることを察したようだった。


「……お知り合いでしたか、でしたら見張りに事情の説明がいりますね」


「あぁ、すまない。頼む」


フークーは頷き、来た道を振り返った。

ニコイはしばらくその背中を見送り、見張りの団員たちに話し始めたのを確認してから、エノの方に振り返った。


「―――……来た、ということは見つかったのだな?」


「えぇ、バッチリ」


「正直、来るとは思っていなかった」


「……疑っていたの?」


「当然だ。『居場所を探るから待機していろ』なんて、他人に言われて信用できるはずがない」


ニコイが言うと、エノはくすくすと笑う。


「でも、アナタはここに居るわ?」


「まさにわらにもすがる思い、というやつだ。我々には後がないのだからな」


ニコイは自身の境遇を思い、それを鼻で笑った。


しかしエノは、それを笑わなかった。


先程の笑顔の残滓は残っているが、先程のような嘲笑の色はない。


「本当に?」


「―――……どういう意味だ?」


ニコイは問い返すも、彼女は「ごめんなさい。いまは関係なかったわね」と話を一方的に打ち切ってしまった。


「分かっているでしょうけど、私はあなたのお父さんの居場所を掴んだから来たわ。そしてアナタたちをここに待機させたのにも意味がある」


「逃げられると?」


「そうね、時間がかかればかかるほど、足止めを・・・・しておく必要・・・・・・がなくなる・・・・・から。追うのなら、すぐに追った方がいい」


ニコイはエノと自分の目的・・が一致していないことを知っている。


ニコイが望むのが、山の民イカコにとって不利益となる存在である「ヒエラーゾを排除する」ことなのに対し、あくまでもエノが望んでいるのは、ソチとの間に交わされた「約定の報酬」だ。


それが彼女にどのような利をもたらすのかは分からない。


だが、それが自分たちの当面の目的に反する訳でもないことも理解していた。

彼女の提案を断る理由は、理屈としては存在しない。


―――……ただ一つ、ニコイ自身の抱える葛藤を除いて。


「……」


「迷っている時間はないわよ?」


目を伏せて押し黙ったニコイに、エノは容赦ようしゃなく選択を迫る。


しかしニコイはここに来てまだ、選択を下せずにいた。


ニコイは息を吸って空を仰ぐ。


漆黒の空は何も映さず、彼女はそのしるべのない寂寞せきばくとした空間に飲み込まれそうな錯覚を覚える。


それはまるで、自分の父親探しに似ていた。


(―――……あぁ、そうか。だから私は、この女エノに来て欲しくなかったのか)


不意に、彼女は自分の本心に気づき、納得する。


ヒエラーゾを見つけることは彼女にとっては「憧れていた父親を殺すこと」と同意義だ。


そしてエノはその道標、夜闇に金色に輝く絶望の一番星だ。


(……探しているうちは少なくとも、殺さずには済む、そういうことか)


そう思うと、ニコイは急に自分が情けないものに思えてきた。


こうまでも、自分は自分の感情に振り回されてしまっている。


結局は分かったつもりになっているだけで、本質的には感情に振り回される視野の狭い若造に過ぎないのかも知れない。


ニコイは今回のきっかけとなった山連会マーウィナーヴィラでの出来事を思い出し、奥歯を噛む。


(私もあの男イゾワールと変わらない、ということなのだろうな)


「―――……前も言ったけれど」


苦悩するニコイに向けて、エノがポツリと呟いた。


「ヒエラーゾはもう絶対に助からない、アナタがどう動こうともね。だったら、最期に娘として会ってあげるのは、優しさじゃないかしら?」


「……結果として殺すことになってもか?」


「それは知らないわ、私はアナタの父親ヒエラーゾじゃないもの」


ニコイは釈然としないまま目を閉じ、黙り込む。


確かにエノやニコイは、ヒエラーゾではない。

何を思うかは彼次第である、それは確かだ。


しかしだからといって、進んで死を望む存在がどこにいるというのか。


「……分からない」


「それなら、殺すかどうかは会ってから決めればいい、アナタが父親に会うかどうかは殺すかどうかとは別の問題、でしょ? ……これは老婆心だけれど、多分アナタ、ここで逃げれば後悔するわ」


「……」


ニコイは応えなかった。


後悔するかどうかは自分が決める。


そんな言葉が頭を過るが、何かが引っかかって口から出てこない。


「……悪いけど、これ以上は待てないわ。アナタが行かないのなら、別の経路を使うしかない」


そう言って、エノはふところから巻かれた羊皮紙を取り出した。


そこには山の民イカコを象徴する狼の印章が記されている。

それが示す意味は明白だった。


そして同時に、エノは本当にニコイの事を気遣っていたのだと知る。


「―――……なるほどな。それは、どちらにせよ・・・・・・父は死ぬ・・・・訳だ・・。私の選択など、元より必要なかったのか」


ニコイはそれを見てほぞを固めた。


「ならばイマ・エノ。イカコ・ナウク・ニコイの名の下に依頼する。父の……ヒエラーゾのもとへ案内してくれまいか」


ニコイはエノの案内に従って戦団を動かし始めた。


例えそれが絶望を示す道標なのだとしても、どこかには連れて行ってくれる。


ニコイには不思議とそれだけは信じられた。

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