第52話 役割fh
暗い夜の打ち捨てられた村。
本来ならば人気のないはずのその廃墟は今や、狂気と暴力で満ちていた。
メナの目には、彼ら全身から放たれる異様な熱気が湯気かの如く渦巻き立ち上り、屋内を満たしている様が見えた。
そこはあたかも、周囲とは隔絶された怨嗟渦巻く世界。
その内に
「……満足のいく結果は得られたか?」
そんな狂気の世界で、メナは背後から現れた黒き男の声を聞き、かがみ込んだ長身の青き瞳を覗き込んだ。
メナは小さく首を横に振る。
「―――……もう彼らにわたしの言葉は通じないでしょう」
ヒエラーゾとその取り巻きの恨みの原因を知ること。
メナの動機であるそれは、提案した当初は少年に真実を伝える為だったが、今やそれは自分事にもなっていた。
彼らが少年の両親の命ばかりか、自分の家族の命を奪ったことをエノから聞いていたからだ。
あの日、死んでいたと思っていた家族が生きていたことにも驚きだった。
それが彼らによって命を奪われたという事実は、憤りを覚えるのに不足はないことだ。
だが、それ以上にメナは疑問だった。
少なくともメナは、それを彼らの口から訊くことができればと、暗く淡い期待を抱いてここまでやってきていたのだ。
それはある種の慈悲、彼女にとっての最大限の
しかし実際に
もはや彼らは元の形など持たない、ただの火だ。
ならば彼らは全てを焼き尽くして止まらないだろう。
「―――……どうしてこうなってしまったのでしょうね」
メナは誰ともなく呟いた。
その呟きを拾い上げる者は狂気の
代わりに聞こえてきたのは、怒りに震えるヒエラーゾの声だった。
「レァ、レァ、レァ、レァ! いつもお前だ、あと一歩のところで、いつも! 我々が何をした、何をしたというのだ『
頭を抱えて掻きむしり、取り乱したように叫ぶ。
メナはそれに嫌悪感にも似た感情を抱く。
それは本能的な感情だ。あれは危険な存在だということが、考えずとも分かるのだ。
そして同時に、それはレァという存在の異常性も浮き立たせていた。
メナは横目で当のレァを見る。
彼の宵色の瞳はただ静かにヒエラーゾのことを見据え、その動向を探っているようだった。
(本当に天災かのような扱いですね……)
メナがそんなことを考えていると、唐突にヒエラーゾの様子が変わった。
「―――……あぁそうか、違うな、違う。逆だ、逆なのだ」
ふつふつと不気味な笑い声を上げながら、ヒエラーゾは周りの部下たちに呼びかけた。
「これは好機だ、祖霊が我々に遣わした復讐の機会だ!」
ヒエラーゾの周りに座っていた彼らも、今やヒエラーゾと同じような目でメナとレァのことを見ている。
「お前ら、『
その時には、彼らは立ち上がっていた。
「今こそあの厄災を打ち破り、宿敵とそれに準じた者どもを滅ぼそうぞ!」
部屋にいるヒエラーゾを除く六人から、わっと
それと同時に周辺が騒がしくなり、どれだけの戦力がこの廃村に潜んでいたのかと驚かされる。
彼らをここまで奮い立たせる狂気、その根源は何なのだろう。
メナは改めて異常に思う。
「―――……あなたは……
武器を構えて吠える彼らを尻目に、メナはレァに訊ねた。
彼はチラリとメナを一瞥し、目線を左上に向けて考える素振りを見せた。
「……さぁな、
真面目に思い出す気がないのか、それともはぐらかしたのか、結局それは分からなかったが、一つだけメナにも分かることがあった。
(
「―――……来るぞ」
メナがぼんやりとしていると、レァの警告が
同時に彼女の頭上で投げられた刃物が弾かれ、足元に落ちた。
メナはそれを見てレァに言う。
「どうせ警戒してもわたしには対処出来ませんよ」
メナは暗にレァに全てを押し付けたのだが、彼は彼で無責任だった。
「言っただけだ」
レァは言下に腕を掲げ、その動きに合わせて黒い結晶が流れを作る。
「
彼が横に腕を振るうと、その黒の流れはメナとレァを取り囲むように流れ、ヒエラーゾとその部下たちを遮る壁として渦巻いた。
その壁は弓矢を容易に弾き、体当たりで無理矢理突破することもできないようだ。
「―――……相変わらずのデタラメか、テネス・レァ! だが、貴様が
黒き渦の外からヒエラーゾの怒声が聞こえ、そんな中でもメナは「音は通すのか」などと変なところに関心を持った。
しかしそんな関心事も、次のヒエラーゾの怒声によってかき消される。
「―――……なぁ、アタナティスの姫よ、出てこい。すぐにあの無知で哀れな
メナはピタリと立ち止まり、壁の向こう側のヒエラーゾの方を振り返った。
「あの男、まさか元より人質交換などするつもりが―――……」
「落ち着け」
血の気の引いたメナに対し、レァが言った。
「仮にそうだとしても、ここから村までは流石に距離がある。
「―――……」
「……それに、俺が何も考えずにお前をあの村に置いたと思うか?」
メナは無言でレァのことを見返し、その瞳に後ろめたい感情が一片もないことを見て取った。
「―――……思えませんね」
単に知り合いの村に預けたのだと、メナは
しかし今、レァという得体の知れない存在がそれを否定したのだ。
エノは嘘ばかりであったが、レァは逆に本当の事しか語らない。
言葉足らずで周りくどい、しかしその言葉に嘘はない。
この短い間に、メナは彼の事をそんな存在と看破していた。
「今回の計画、お前が鍵だ。カレン・メナ」
メナは一つ息を思い切り吸い込んで、大きく吐き出した。
**
「どうしてお姫さまを渡しちゃったの!」
星も隠れた暗い夜闇の中に少年の悲痛な叫びが響いた。
ビレトはそれを聞き、少しばかり笑ってしまう。
カイルが、歳の割に自身だけでなく他者を思いやれる優しい子どもだと思い、感心したのだ。
「―――……大丈夫だ」
「なにが!?」
「あれがアイツらの作戦なのさ。敵の居場所を暴き出し、お前を助けるためのな」
少年はそれを聞いて、少し落ち着いたようだった。
「それでも、心配だよ。僕のせいで、僕の……ねぇ、村長さん」
「―――……どうした?」
ビレトは少年の目線を合わせるためにかがみ込んだ。
「全部、僕が悪いんだ」
「何がだ?」
「
ビレトが眉を上げて先を促すと、少年はポツポツと話し始めた。
「僕が話したんだ、姫さまのこと。司祭さまだと思って、だけど……」
カイルはそこで言葉に詰まった。
ビレトの見ている前で、その口元は震え、次第に弧を描くように下がっていく。
しかしカイルは泣かなかった。
そして堪えるように口を結び、絞り出すように言った。
「僕のせいなんだ、全部。―――……あの時、僕も死んでいれば良かったんだ。そうすれば、お姫さまも村も、危ないことなんてなかった!」
ビレトは目の前の少年がそれを口にしたことが信じられなかった。
本来ならばカイルは、余計なしがらみなど気にせず思うままに生きられる、そんな世界を用意されるべき年頃だ。
だというのに、彼は自身の存在の否定を、死を、望んでしまっている。
こんなことが有り得て良いのか。
自らを粗暴と表するビレトはこの時、思わずカイルのことを抱きしめていた。
普段ならば絶対にこんなことはしないと断言できるその行為は、しかしビレトの良心、真心から涌いでたものだった。
ビレトはこの世に起こる現象の責任を全て、誰かに帰属させることなど出来ないと理解している。
彼自身がかつて
そして、だからこそ、少年に非がないなどという事もなく、ヒエラーゾが全ての元凶と言い切る事も出来ない事も知っている。
しかし―――……
「お前が悪いことなんてねぇ。悪いのは全部、
―――……今目の前で苦しんでいる少年にとって、その現実が
今は向き合えなくとも、いずれは向き合えればよいのだ。
そのための道標として、ビレトのような老いぼれの偏屈な存在がいるのだろう。
抱きしめられたカイルは、驚いたように身動ぎしたが、しばらくして大人しくなり、
「お前には、もっと早く……無理矢理にでも、こうしてやるべきだったのかもな……」
ビレトは泣きじゃくる少年の背中を軽く叩きつつ、肩が少年の涙で濡れていくのを感じて苦笑した。
カイルは声を上げることはなかったが、唸るような嗚咽を何度も漏らした。
しばらくそうして彼は泣き続けたが、ビレトがそう言った途端、彼は慌てたように顔を上げた。
「さぁ、そろそろ戻るか、お前も疲れただろう?」
「―――村長さん」
「ビレトでいい」
「あいつら、帰り道にビレトさんを襲って、それから村を襲うつもりだ……隠れて待ってる」
ビレトはそれを聞いて不敵に笑う。
「ははぁ、なるほど。だからいつまでも俺達を囲って待っていやがるんだな」
カイルはビレトの言葉に驚いたようで「気づいていたの?」と不思議そうに言った。
「あいつら、この事を言わなければ助けてやるって言ったんだ……でも、僕やっぱり、村に迷惑かけたくない」
「ははっ、よく言った」
ビレトはカイルの頭をポポンと叩く。
カイルのその覚悟は称賛に値する。
攫われ、脅され、奪われる。それは恐ろしく、辛いことだろう、しかしそれに打ち勝って、この少年はビレトに脅威を伝えたのだ。
(―――……だが、疑問も残るな。狙いは何だ?)
そもそもまともな戦力を持たない普通の村が、元軍人崩れというヒエラーゾによる襲撃、及び犯行に対抗できるはずがない。
それは仮に少年が話す、話さないに関わらないことだ。
避難する時間すら残さない、ということなら分からないでもないが、そこまで徹底するだけの根拠があるのなら、そもそもカイルに話す必要がない。
(……こっちの反応で
ビレトはカイルへの提案にヒエラーゾという男の倒錯した愉悦を感じ取った。
弱きを
ヒエラーゾがカイルに持ちかけた提案は、どうせ反故にされる。
どうあれヒエラーゾはカイルの命を奪うつもりだ。
ビレトはそう確信した。
しかし、ビレトはそれを甘んじて受け入れるつもりはなかった。
(少なくともここに居る五人程度なら、今の俺でも対処できる。仮に後続が来たとしても、その時にはレァも居るだろう……)
最初からこちらを害する心積もりなら、遠慮する必要もない。
「伊達に『魔獣狩り』を背負わされた訳じゃねぇって、教えてやるとするか」
ビレトは感慨深く呟く。
捨てた名だと思っていた。
忌々しい過去との決別を望んでいた。
しかし今、それは彼の
これは言わば、成長途中の少年の、純粋な願いから生まれた過ち、その尻拭いーーー
「安心しろ、カイル。……俺がちょっと、言って聞かせてやる」
ーーーしかし、そんな小さな過ちの尻拭いすらしてやれず、どうして大人を名乗れようか。
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