第49話 偽心

カトチトァ村の村長、ビレトは決して善人という訳ではない。


目的のために人を騙すことはあったし、必要であれば害することだってあった。


確かに彼には人並みの道徳心と優しさはある。

子どもや知り合いが危機に陥れば心を痛めるし、そもそもそんな目にあってもらいたくないとも思っている。


だが、それはそれだ。

彼は規則や道徳よりも、彼自身が望むことを優先して生きてきた。


そして今回も、彼はそうするのだ。


オクホダイ領の西端に存在するカトチトァ、そこよりも少し北寄りの場所にある廃墟群、その枯れた小川に架けられた小さな石造りの橋の側に、彼は来ていた。


深夜の白い月明かりに照らされた、打ち捨てられたかつての村の跡。


それを見た時、彼の心に遠い望郷の思いが頭を過ぎり、しかしそれが叶わぬものと知っている彼は、振り払うように頭を振った。


彼の脇に横たえられた大きな麻袋は、本来ならば収穫した穀物を入れるためのもので、丁度ひと一人が入り切る程の大きさである。


それは時折、呼吸をするように上下しており、そこに穀物が入っていないことは一目瞭然だった。


端を縄できつく結ばれた袋に向けて、ビレトは袋の中身に向けて語りかけた。


「悪いな、姫さま・・・。あいつを助けるためとはいえ、こんな目に合わせてよ」


袋から返事がないことは分かっていた。

彼女の両手両足は結びつけていたし、口に布も噛ませているので話せるわけもない。


ビレトは抵抗の余地などないように抜かりなく彼女を拘束していた。


「まぁでも仕方ねぇよな。あんたがやろうとしたことを考えればこれくらいは安いだろうさ」


麻袋が身じろぎしたように見えてビレトはそれを一瞥いちべつするが、すぐに目を逸らした。


静寂の夜闇を踏み荒らすような馬の蹄の音と、それに引かれる馬車の車輪が軋む音がキリキリと響いているのが聞こえたからだ。


ビレトは小橋の向こうからやってくるその黒い影を待ち受けて、彼らとの人質交換に備えて深呼吸をした。


それから間もなく、馬車はやって来る。


それはいわゆる穀物や織物を運ぶような貨物用のものではなく、屋根のついたやや縦長の箱のような作りで、中が見えないようにする意図があるのか、窓には古臭い麻布を貼り付けたように垂れ幕がかかっていた。


その秘密主義的な馬車の様相に負けず劣らず、馬を操る御者も顔を完全に覆うようなねずみ色の外套と口当てをしており、見えるのはギラギラとした両の双眸そうぼうのみだ。


「―――……条件通り、一人で来たか」


御者の男は馬車を小突いて背後の仲間に報せると、馬車から降りてビレトの前に立った。


「ひとりじゃねぇさ」


ビレトが言うと、男は明からさまに警戒して腰にさした剣に手を当てる。


「何だと?」


「おいおい、勘違いしねぇでくれ。ちゃんと人質も連れてきたって言ってるんだ」


ビレトが脇に転がっている麻袋を指差すと、男は馬車から降りてきた同じような格好の仲間二人に合図を出した。


しかし、ビレトはそれを遮る。


「ちょっと待て、カイルのやつはどこだ。人質交換だろ?」


「……面倒なジジイだな」


後から出てきた御者の仲間がビレトに詰め寄ろうとするのを、腕を上げて止め、御者の男は顎でしゃくって馬車を指した。


「持ってきてやれ」


それを受け、詰め寄ろうとしたのとは別の男が馬車に戻って行った。


「……ご老人。今回は俺が折れたが、態度には気を付けたほうが身のためだ。長生きはしたいだろう?」


男が少年を連れてくるのを待つ間、御者の男がビレトに言った。


「生憎と、言葉選びが苦手でね。勘弁してくれんか」


男が淡く失笑したのと時を同じくして、猿轡さるぐつわと目隠しをされ、腕を縄で繋がれた少年の姿がビレトの目に入った。


「―――……カイル!」


ビレトの声に、哀れな少年はビクリと肩を震わせた。


男は立ち止まったカイルの肩を押し、歩くように促すと、御者の男の前で立ち止まらせる。


「主導権はこちらだ。先にアタナティスの姫君を差し出せ」


少年の前に立ち塞がるようにして立った御者の男は、冷たくビレトに言い放つ。


ビレトは無言で男を見、その後に少年が立っている姿を見る。

細かい傷はあるようだが、少年に目立った外傷はないように見えた。


彼らに幼気いたいけな少年を甚振いたぶるような趣味が無かったことにひとまず安堵しつつ、ビレトはどうにか少年を先に手元に戻せないかを考えた。


「こちらはジジイ一人で、アンタらは三人だ。人質を渡した瞬間に約束を反故にすることだってあり得る。どうせアンタらなら俺から無理やり奪うことなんて造作もないだろう……先に返しちゃくれないか?」


「ダメだ。確かにここに居るのはお前一人だが、どこかに仲間が潜伏している可能性だってあるだろう。その袋の中身が偽物なことだってあり得る。見かけ上の戦力に慢心するのは場末ばすえのチンピラだけで十分だ」


「―――……む」


想像以上に論理的な受け応えに、ビレトは誘拐犯たちの印象を変えることを余儀なくされた。


御者の男自身が言ったように、彼らはただのごろつき・・・・ではないのだろう。

もしもそれ・・ならば、ここまで理屈立った行動は取らない。


「あんたら、もともと兵隊・・か何かか?」


ビレトは問うが、彼らは応えなかった。


先程ビレトに突っかかろうとした男までもが、黙して彼の様子を見ている。

彼には、その無表情な彼らの放つその空気が、どこか苦渋に満ちているように見えた。


「―――……わかったよ」


ビレトは彼らから応えがないかしばらく待ったが、微動だにもしない彼らの様子を見て根負けする。


麻袋を屈んで抱え上げ、肩にかけるようにして持つと、男たちの前に移動する。

麻袋を伝ってその中身の柔らかな熱が肩に伝わるように感じて、少し気持ちが悪かった。


「さぁ、カイルを返してくれ」


「確認が先だ」


彼らに袋を渡すと、御者の男が他のふたりに指示を出して袋を開けさせた。


袋を開けてすぐに目に入ったのは、透き通るような銀色の頭髪。

そしてその乱れた長髪の下に、目隠しと布を噛まされた綺麗な顔立ちがあった。


「―――……偽造ではないな?」


男は頭髪を触って指に色移りがないかを確認していたが、ビレトに振り返って問う。


「少なくとも、俺が知る限りではそれが姫さまであることに間違いはねぇよ」


「……そうか」


御者の男は指示を出して袋を縛り直すと、それを馬車の方に運んでいく。

代わりに少年を繋いだ縄を受け取った男はビレトに歩み寄り、言った。


「今や落ち目とはいえ、子どものために王族を売る。大した覚悟だな?」


それが探りであると察したビレトは、しかしそれを誤魔化す必要もなく、そのままの気持ちを答える。


「そりゃぁ罪悪感くらいはあるさ、命からがら逃げてきた娘っ子。王族とはいえ人には違いねぇからな……だが、積み上げてきた時間ってのは、よっぽど大事なものだぜ?」


男は苦笑して、少年を強引に彼に引き、渡した。


「違いない。では、せめてその選択を後悔しないようにな。ご老人」


ビレトはカイルの繋がれた縄を受とり、すぐさま彼の身体を抱きとめた。


「―――……後悔なんぞしねぇよ。無辜むこの命を救えるんだ」


男はビレトの様子をしばらく見つめていたが、何も起こらないと見るやきびすを返した。


「待て、最期に聞かせてくれ。どうしてあんたらは姫さまを狙っている?」


男は一度立ち止まり、しかしまた歩き始めた。


(―――……話すわきゃねぇか)


ビレトは諦めかけたその時、男は馬車に乗る直前に口を開いた。


「簡単な話だ、ご老人。これは復讐だ。全てを奪われた我々にできる最期の望みだ。否定してくれるなよ」


そして彼は馬車に乗り込むと、仲間に一言二言の確認をして、ビレトの前を翻るように走り去る。


その馬車の音が遠ざかって行くのを聞き、しばらくしてから、ビレトはホッと息を吐き出した。


「カイル、大丈夫か」


ビレトは手始めに彼の目隠しを外した。


カイルはしばらく目を瞬いていたが、ビレトの顔を見るやその腕の中で身を捩って暴れ出した。


「……っ、おぃどうした、落ち着け」


そしてなんとか猿轡を外すと、少年は二回ほど咳き込んでから、ビレトをなじるように叫んだ。


「―――……どうしてお姫さまを渡しちゃったの!」


ビレトはその時、彼の瞳をしっかりと見つめてニヤリと笑った。

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