第50話 静謐たらぬ光輝

全身を拘束されて身動きのとれない中、メナは馬車の揺れで全身を打ちつけられるにまかせて、ただ耐え忍んでいた。

悠久とも思えるような時間を痛みに耐えながら、メナは闇の中でその時を待った。


そして、ついに馬車が止まった時、メナはすでに疲労困憊としていた。


馬車が止まってからしばらくして、メナは乱暴に肩に掛けられる。

頭に血がのぼって馬車の中でぶつけた頭こぶが痛んだ。


その後しばらく歩いている振動と音が続いたが、響いてきたがなり声と同時に、メナは地面に横たえられた。


「―――……早く出せ!」


「少々お待ちを」


メナは袋が開いたことを空気が入り込む感覚で感じ取った。


そして肩を掴まれて持ち上げられ、同時に反対側から袋が引かれ、引っこ抜かれるような形でメナは久方ぶりに外界へと身をさらす。


ずっと袋の中にいて汗蒸した服が外気に触れて冷えた。


「立て!」


足の拘束を解かれたメナは背後から小突かれてそれに従う。


そして後頭部にヒヤリと冷たい金属を感じた途端、引き裂かれた目隠しと口当ての布が地面に落ちて、メナは思わず目を固く瞑った。


暗順応しきった瞳には、夜半の淡い照明ですら陽光のように感じられた。


「―――……ようこそ、アタナティスの姫君?」


メナが光に慣れ始めた丁度そのころ、ガラガラと汚い声で呼びかけられる。


幾度か目を瞬いた後、メナは眼の前の存在の姿を確認する。


肩幅が広い中年以上の男で、あまり身辺に気を遣っているようには見えず薄汚れていて、しかし太っているようにも見えるその体格はその実、顔立ちと、それに伴った威容から練り込まれた筋肉から成るものなのだということが分かるものだった。


広いが古ぼけた朽木の家屋に、特別にこしらえたのであろう地味なだん

それを取り囲むように六人ほどの男たちが胡座あぐらをかいて座っている。


そしてその中心、正面の壇上に座るこの男こそがカイル少年の両親の命を奪い、あろうことか少年をさらってメナを誘き出した張本人―――ヒエラーゾであることをメナは確信する。


「―――……わたしに何用ですか、ヒエラーゾ」


メナは挑むように彼を睨めつけて、その反応を伺った。

ヒエラーゾは興味深げに酷薄な笑みを浮かべ、メナの前に歩み寄った。


濃い酒と不潔な体臭がメナの鼻を突いて、顔をしかめる。


「存外、気丈なものだな。アタナティス王家は卑劣な腰抜けとばかり思っていたが……」


「何を見てきたのかは知りませんが、卑劣はそちらでしょう。子どもを巻き込んでまですることですか、これが」


ヒエラーゾはそれを鼻で笑い、メナから顔を離した。


「―――……子どもを巻き込んでまで、ね。どの口がそれを言うんだ?」


席に戻ったヒエラーゾはメナを冷たい瞳で見下ろした。

そこに宿っているのは明確な侮蔑ぶべつ、いや、怨讐おんしゅうとでも言うべき何かだった。


メナはその瞳にどこか見覚えがあるような気がしたが、今は関係ないと、ひとまず脇に追いやり、彼の言葉の意味を考える。


メナは首を傾げた。


彼の言葉をそのまま受け取るならば、王族が子どもを巻き込んだ「何か」をしたという事になるが、メナはそれに全く身に覚えがない。


(知らぬうちにそういった法を立てていた? ―――……いや、それにしては……)


メナには彼の言葉は、王族が意図的にそれを行った、という文脈に思えた。


「―――……何のことを言っているのですか?」


メナの問いに、ヒエラーゾは怒鳴る。


「知らんとは言わせんぞ。お前ら貴石の民は、我々山の民イカコに何をした!」


メナはそれを受けて考えるが、しかし納得のいく答えが何も思いつかない。


確かに山の民は貴石の民―――つまりはアタナティスの侵略によって取り込まれた氏族の一つだ。


その際には双方に多くの血が流れたと聞いているが、それは双方に共通することであり、どうにもそれが彼の恨みの原因と考えるには釈然としない。


それに、その戦いが起きたのはもう何十年と前の話・・・・・・・である。


「―――山の民への侵攻作戦への是非をわたしに量ることはできませんが……少なくともわたしは、侵攻作戦に婦女子を狙った作戦があったなど聞いたことがありません」


ヒエラーゾはそれを聞き、怪訝けげんな顔をする。


「―――……成る程、お前は・・・本当に・・・知らん・・・のだな・・・


メナが怪訝な思いでヒエラーゾを見つめると、彼は嫌な笑いを浮かべてメナの前に立った。


「然らば―――……」


そして唐突に毛髪を捕まれ、メナは痛みに小さく悲鳴を上げる。


ほとんどくっつきそうなほど顔を突き合わせた至近距離で彼は静かに言う。


「……お前は何も知らないまま、死ね」


そして投げ飛ばすようにメナを突き放したヒエラーゾは振り返り、座している男たちとは別に彼の背後に控えていた部下に何かの指示を出した。

それはメナを殺すための合図なのだろう、周囲が俄に騒然とざわめき立った。


メナは、ヒエラーゾが掲げた腕と肩の隙間から彼女を蔑視べっしする翡翠ひすいの瞳を見て、思い出した。


(―――……あぁ、彼女・・か)


因果なものである。


従者を奪い、自分を痛めつけたあの女性、その父親が今度は自分の命を奪おうとしている。


お互いが王家に対して良い印象を抱いておらず、ニコイはメナの従者の命を奪い、ヒエラーゾは今に彼女自身の命を断とうとしている。


だが、彼と彼女とでは決定的な違いがある。


「……」


ヒエラーゾは部下から使い込まれた木こり用の斧を受け取り、笑った。

狂気にまみれた、破綻者の笑い。


しかし、周囲の部下を含め、彼らからはどこかホッとしたように朗らかな空気感さえ感じられた。


「安心しな。うんと苦しめて殺してやる」


ヒエラーゾは斧をぶらりと構え、メナの前に立つ。


「―――……これでやっと、皆に顔向け出来る・・・・・・・・というものだ」


メナは彼のことが恐ろしいと思うのと同時に、哀れにも思えた。


(どうしてこうも―――……)


得体の知れない妄執・・に囚われて突き進む、悲哀の男。


メナは知っている。


彼の知る事実・・の先には何もない。


―――妄執という光に目が眩んだ彼が、それに気づくことはないだろう。


ヒエラーゾが斧を振り上げたその時、メナは彼の眼を見つめた。

その翡翠の虹彩に挟まれた瞳、その奥の闇を見通そうとした。


しかし、そこには何も見えなかった。


あるのは狂気を湛えた光の照り返しだけだ。

闇を照らす妄執と狂気の光輝、その内に在る彼やその周囲は、何も見えていない。


その瞬間、その場所は異様なほどに静かで、王族メナ復讐者ヒエラーゾ以外に見えているものなど、何も・・なかった・・・・


「―――……できることなら、あなたの本当の望み・・を知りたいところでしたが」


ヒエラーゾの斧が振り下ろされる直前、メナは呟いて瞳を閉じた。

これ以上、彼女では彼らに何かを見出す事はできない、そう悟ったからだ。


そしてメナは、その時を待つ。


彼女に不安はなかった。

自分の身体を覆う、粒子のような黒い結晶の流れを視線の端に捉えていたからだ。


「死ね、忌々しい侵略者の血筋の娘!」


ヒエラーゾの叫びと周囲のどよめき、斧が振り下ろされる風切り音と、その直後に金属がぶつかる歯にしみるような音が、広くはない家屋に響き渡った。


メナが目を開けるのと同時に、ヒエラーゾは自分の一撃を防いだそれ・・を見て、激昂して叫んだ。


「……貴様ぁ!」


それに応えるように、しかしヒエラーゾには見向きもせず、揺らぐ空間の隙間から「黒き男レァ」は姿を見せた。


彼女よりも背の高いレァは、メナを覗き込むように少しかがみ込んでメナに問うた。


「―――……そろそろ頃合いだろう、銀灰の姫。どうだ、満足のいく結果は得られたか?」

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