第47話 灯火が照らすもの

目の前の男の言葉を聞いたカイルは、飛びかからん勢いで檻を掴んだ。


今こそ復讐を果たすべきなのだと自分を奮い立たせ、憎き宿敵を睨みつける。


「お前が……!」


そこまで言って、少年はその後の言葉にきゅうして固まってしまった。

言いたいことは腹のうちで数多に渦巻いているというのに、それらは何故か一つの流れにはまとまらず、故にはっきりとした形にもならなかった。


今の彼の胸中を満たしていたのは「燃えるような怒り」ではなく、それらを巻き込んで溢れ出す「冷たい失望」だったのだ。


「―――……どうして、そんなことをしたの?」


カイルがなんとか口にしたその言葉は乾ききった枯れ草のようにか細く、弱い。


少年の腕は檻を伝って力なく下がり、彼はいつの間にか地面にへたり込んでいた。


「どうして、どうしてときたか。スルケのせがれ、お前がそれを知ったところでどうなる。それが私達の役に立つか? 立たないだろうとも」


酔っ払いの男は酒を一口あおってから、演説でもするかのように腕を広げ、声高に叫んだ。

随分と酔いは回っているようだが、本人はおろか偽司祭もそれを気にする様子はない。


気づけば男の腕の震えは止まっていた。


「……まぁあ、丁度退屈していたところだ。お前はしっかり働いてくれそうだし、褒美の一つくらいくれてやってもいい。……そうは思わないか、ヒルマよ」


男はまた偽司祭の肩に手を置き、ヒルマと呼ばれた偽司祭はそれに頷いた。


「構わないのでは? 今更彼に話して困ることもないでしょうし」


「……なんだ、意外だな。お前はいつもなら苦言を呈する役目だろうに。お前も最後の仕事にはしゃいでいると見える」


ヒルマがニヤリと笑ったのを見て、男はくつくつと喉で笑う。

そして彼は少年の前に顔を突き合わせるようにして、ドカリと地面に腰掛けた。


「私達はな、お前の父親と古くからの知り合いだった。同じ氏族に生まれたのだから当然といえば当然だ」


カイルは男が思っていたよりも静かに話し始めたのに面食らって、その顔をまじまじと見つめた。


彼の目はカイルを見ているようでいて、その実どこにも焦点があっていない様子だった。

まるで遠い昔を懐かしむような茫洋とした遠くを見つめる瞳だ。


それは酒の影響なのか、しかし彼の口は饒舌じょうぜつで、次々と話を紡いだ。


彼の部下と思しきヒルマも牢屋の向かいにある土壁により掛かるようにして立ち、彼の話を聞いていた。


「―――……分かるか、私達は遠き日々の末に再会したのだよ。これが運命でなくして何だというのだ」


男が語る父の像は、少年の持つそれとはあまりにかけ離れていた。


しかし同時に、あの堅物な父にもそのような過去があったのだと思うと、それが少し面白くもあり、同時にそれが父を殺した宿敵の口から語られることがもどかしくもあった。


「―――……もう分かったよ。父さんとお前たちは仲が良かったんでしょ」


しばらく黙って話を聞いていたカイルだったが、ついには男の思い出話を聞くことに耐えかねてそれを遮った。


男は眉根を上げて少年を睨むが、すぐに嘲笑うような笑みを浮かべる。


「話してもらう立場だと理解してねぇようだが……まぁいいだろう、今は気分がいい」


話しつつ、男は立ち上がってカイルを見下ろすように立った。


それはあたかも、これから話す内容がこれまでのそれとはガラリと変わるのだということを暗に示しているかのようにも思えた。


「お前の父親と再会したころ、私達はある材料を大量に仕入れる必要があった」


彼はそう言って懐に手を入れると、一つの丸い何かを取り出した。

カイルはそれに見覚えがあった。


父が一度だけ見せてくれた手の平にすっぽり収まる小さな採石用の道具。


「それは……」


「こいつは『火薬アービカ』。効率よく敵を殺す・・・・ための武器・・だ」


カイルはそれを聞いて絶句する。


それは彼が父に教わった「火薬アービカ」の用法とはあまりに異なっていたからだ。


「これがあるのとないのとでは、戦略に大きな差ができる。こいつはこんなちっぽけななりで威力は抜群ばつぐんだ。人ひとりを殺すなんてわけねぇ……その上、これの凄いところはな、戦えない奴・・・・・でも人を殺せるってところだ、何せ投げりゃいい」


カイルは男がその手に持っている「火薬アービカ」が急に恐ろしいものに見えてきて、気づけば目も逸らせずに檻から遠ざかるように尻込みしていた。


男は少年のその様子に気づいたのか「ハン」と笑ってしゃがむと、少年の前にそれを突き出した。


「安心しな、お前に使うたぁねぇよ。これを作るのは簡単じゃねぇんだ」


しかし警戒をとくことはできず、カイルの視線は火薬と男の顔の間を交互に行き交った。


「―――……ほれ、ボォン」


カイルがなんとか姿勢を立て直したところに、男が手の平のそれを投げ入れるように振った。


警戒していたカイルはその瞬間に背中を丸めてうずくまるが、聞こえてきたのは爆発音ではなく、男たちの笑い声だった。


「―――……あぁ、面白い。言ってんのにな、使わねぇってよ」


男はひとしきり笑った後、そんな事を言う。


しかし少年にとってはそんな言葉が信用出来るはずもない。

全身に悪寒が走るほどに心臓は早鐘をうち、臓腑が締め付けられるような感覚に耐えきれずに、カイルは吐いた。


何度も嘔吐えずく少年の姿を見た二人は「きたねぇなぁ」と顔をしかめるのみで、涙と涎、それに胃液でベタベタな彼のことなど微塵も気にしていないようだった。


「おいヒルマ、後で片付けさせとけ」


「はい。分かってますよ」


「―――……さて、これを作る材料が必要だったという話だが、それを解決してくれたのがお前の父親だ。奴ら・・に拾われ、潜伏していた私達がこいつの材料を手に入れるのは至難の業だった。さっきも言ったが、運命だと思ったよ……まあ、結果から言えばそれは勘違いだった訳だが」


男は吐き捨てるように言うと、火薬アービカを懐に戻した。


「……アイツは急に私達との約束を反故にしやがった」


カイルはもうすでに悚然しょうぜんとしきって自分の吐瀉物の横に横たわっていて、男の話に取り合う気力もなかった。


だが、不思議と意識は冴えていて、いつも以上に話しの内容が頭に染み込むような感覚があった。

それは男の言葉から生存に役立つものを見つけ出そうとする生存本能が為すものだったのだろうか。


確実に言えるのは、男はもはやカイルが話を聞いているかどうかなど、そんな事を気にしていなかったということだ。


男は話しているうちに完全に出来上がったようで、聞いてもいないことを大声で喚き続ける。


「私達の理念をさず、あろうことかその妨げになろうとするとは何事かと思ったが……蓋を開ければ下らぬものよ」


男の話は酒をあおる度に途切れ、そしてその度に彼は饒舌になっていく。

あるいはそれは、彼にとっての話の準備だったのか。


いずれにせよカイルは、彼が次に口にした言葉で、事件の核心に近づいて来ていることを直感した。


「スルケには病気の妻と、一人のガキがいたわけだ」


男はそう言って少年を一瞥いちべつする。


カイルは偶然その瞳と目が合うが、そこに浮かんでいたのは先程までの嘲笑とは違っていることに気づいた。


だが、カイルにはその正体を見定めるだけの人生経験もなければ、考えられるだけの時間もなく、その間にも男は自然に、しかし素早くカイルから目を背けた。


「忌々しい、あと一歩のところで邪魔が入ったわけだからな。だが、それが分かれば話は早い。アイツはもう私達に協力することはないばかりか、私達の計画・・を聞いてもいた。となればもうアイツは邪魔なだけだ、消してしまえばいい。―――……アイツの最期さいごを聞きたいか?」


カイルは何も言わなかった。言う気力もなかった。


しかし男が勝手に話を続けるであろうことは、分かっていた。


「私はな、アイツに提案した」


男の言葉がおぞましく、カイルは耳を塞いだ。

結局その努力は虚しく散り、塞いだ上からでも男の大声はカイルの耳に入り込んだ。


「『お前が逃げなければせがれは見逃してやろう』ってな。燃え盛る家から逃げ延びることができたなら、お前は殺さないという賭けをやった・・・・・・んだ」


カイルは瞼から新しい涙が筋を残して地面に染み入っていくのを肌で感じつつ、両親がなぜあの炎に包まれた家から出てこなかったのか、その理由を理解した。


二人は自分たちの命と引き換えに、カイルが生き残る道を選んでくれたのだ。


「結果はお前も知る通り、奴らの勝ち・・・・・だった。お前は上手く生き残った。だがまあ、滑稽なことだよなぁ。命を賭けて生かしたガキは今、ここにいる・・・・・


嗚咽を漏らすカイルに向かって話し続ける男の姿は、もはや正気の沙汰とは思えないものだった。


「分かるか、無駄だったんだ・・・・・・・。奴らは私という、より大きな力・・・・・・に目を付けられた時点で最終的な勝利・・・・・・など得られるはずがなかった。それでも奴らは儚い希望にすがった、まあ、人ってのは・・・・・・そういうもの・・・・・・かも知れねぇ・・・・・・な」


男はそのとき何故か顔をしかめ、それを振り払うように酒をあおった。

しかし酒瓶で隠れていた顔が見えたときにはその表情は消え、代わりに見下したような笑みが戻っていた。


「おいガキ、笑え、笑えよ。こんな滑稽な話があるか、これを滑稽と言わずして何と言う?」


カイルは今や男の話が理解できなかった。


話の内容が抽象的なこともあったが、そもそも理解する気力すらも残されていなかったからだ。


両親の命が理不尽に・・・・奪われたことは分かる。

だが、その理不尽に至る理由・・・・・・・・など、少年には砂漠を舞う砂塵の一粒ほどの意味もなかったのだ。


奪われ、孤立し、踏みにじられた。


少年にとっては、それが「全て」だった。


男はカイルの前にしゃがみ込む。しかしカイルが何の反応を見せない様子を見るとチッと舌打ちをして立ち上がった。


その直後に男の半身は大きく揺らぎ、情けないうめき声を上げてよろめいた。

倒れることはなかったが、ヒルマがそれに駆け寄って「さすがに飲みすぎた」と男をいさめる。


意外にも男は「……そうかもな」とそれを認め、支えられながらもカイルに向き直った。


「―――……一応な、私はお前に感謝している。お前が生き残ってくれたからこそ私はこいつをあの村に派遣したし、そのお陰で・・・・・『残りの王族メナ』の居場所を掴めた・・・・・・・んだからな。全く、どこかの誰かが図面をひいてる・・・・・・・・・・んじゃねぇか・・・・・・ってくらい、トントン拍子さ」


狭い地下牢にくつくつと男の乾いた笑い声が響く。


「だからこそ、私はお前に選択肢をやろうと思っている」


カイルは彼の言葉の意味の理解を拒んでいる。

耳を塞ぎ、目を瞑り、それでもそれらは彼の頭に響いてくる。


「お前が私の言う事を聞くのなら、お前の命は・・・・・助けてやろう。色々と働いてくれた礼だ。だが約束を破れば皆揃って死ぬ。お前も、あの村の全部もな。お前の両親は前者を選んだ、例え結果として無駄であったとしてもだ」


突然顔に冷たい液体をかけられて、カイルが思わず目を開けた。


「……さぁ、お前はどちらを選ぶ?」


カイルに酒瓶の中身を振りかけた男の狂気をはらんだ瞳が見えた。

赤黒く充血した白目の中心に浮かぶ明るい翡翠ひすい色の若葉を思わせる輝き、その美しさが尚更に不気味さをひき立てた。


そしてそれを見た時、気づけばカイルの口元は、何一つ笑えることなど有りはしないのに、笑うようにつり上がっていた。

対して身体は怒りに戦慄わなないて、地面を掴む指には血が滲んだ。


しかし、彼にできたのは正味その程度のことだけだった。


(……なんだよ。放火犯が分かったところで、何もできないじゃないか)


彼は宿敵を眼の前にして何をすることもできない矮小わいしょうな子どもでしかなく、それはきっと、強大な存在を前に道を選ぶことすら・・・・・・・・許されていない・・・・・・・ということだった。


家族を焼かれた少年の炎が照らしていたのは、その「真実」への道筋だったのだ。


彼は、こんな「真実」を「理想のぞ」んでなどいなかった。


カイルはあの日の火事が人為的なものであると信じていた・・・・・

それを解き明かすことで、自分の中でくすぶって消えない火を消すことが出来ると、そう思っていた・・・・・


しかし今、少年はこの男を眼の前にして気がついてしまった。

彼が追い続けた犯人・・その動機・・・・など、彼にとってはどうでもいい事・・・・・・・だった。


カイルの「理想」は犯人を見つけること・・・・・・・・・などではなかった・・・・・・・・のだ。

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