第46話 希望の灯火

ひたり。


額に水滴があたってカイルは目を覚ました。

仰向けで硬い地面に放り出されていたようで、おしりの辺りがジンジンと痛んだ。


ここはどこだろう。


カイルは痛む臀部でんぶをさすって起き上がると、四つん這いになった。

パラパラと湿った土が背中から崩れ落ちる。


うめき声をあげながら顔を上げると、そこはヒヤリと暗い、そして狭い空間だった。


かろうじて見える光源といえば、まばらな燭台に備えられたロウソクの灯り。

それは橙色にゆらめき、腐食しかけの木材で補強された土壁を、でこぼこに照らしていた。


一度でも見たことがあれば、この空間が地下であることはひと目で分かったはずだ。


しかし少年は地下室というものを一度も見たことはなかった。


(どうして窓がないんだろう?)


故に、少年がこの場所に最初に抱いた疑問はそれだった。


とは言え、少年は眼前の太い木組みのおりに、ここが牢屋であることを嫌でも理解させられる。

檻は新しく作られたもののようで、壁と天井に沿って伸びている木材と比べると明るく硬質さを伺える色をしていた。


カイルはいったん檻から離れ、一緒に居たはずの司祭の姿を探した。


しかし、どこにも彼の姿は見つからない。


そうなるとカイルは、何故自分がこのような場所に閉じ込められているのかが分からなかった。

覚えているのは、放火犯を探すために司祭と共に教会に向かったことだけだ。


カイルは、自分の記憶がおぼろげなことに首を傾げる。


(どうしよう……)


同時に、自分がひとりであることを意識した途端に不安が湧き上がり、このままではいけないと慌てた彼は、飛びゆくように眼の前の檻を握った。


「―――ふんっ」


少年は万力を込めて檻を引くが、当然のように檻はびくともしない。

その後も檻を揺すってみたり、身体を背後に倒すようにして引っ張ってみたり、逆に体当たるように押し込んでみたりしたが、そのどれもが徒労に終わる。


息の上がったカイルはへたり込むように地べたに座り込んだ。

湿った土のひやりとした感触は、彼の臀部に染み渡るようだった。


それがなんとなく気持ちが悪く、カイルは腰を浮かせてその下に手を入れる。


手の平にじっとりとした土の感覚が拡がった。


(……穴を掘るのはどうだろう?)


彼がそれに思い至ったのは、お尻の下の指を動かしていた時に、地面が少しずつ削れている事に気付いたからだ。


それは、檻を壊すよりは余程やりようがあるように思えた。


「……よし」


少年は今にも泣き出してしまいたいくらいには気が滅入っていたが、穴を掘り始めると自然とそれに集中していた。


檻から出るために地面を掘る。

あまりにも無謀な試みではあるが、何もしないよりは何かをした方が、気が紛れるというものだ。


とは言え、子ども一人が抜けられる規模だとしても、穴を掘るということがそもそも重労働だ。その上、カイルはその為の道具もなしにそれを行っている。


カイルはしばらく手で地面を掻いていたが、ヒリヒリと指先や手の縁が痛み始め、爪先に入り込んだ土が指を圧迫する感覚が強くなっていくにつれて、これも現実的ではないということに気づき始めた。


確かにこの牢屋の地面は素手で掘れないこともなかったが、決して柔らかい訳でもない。


自分が掘り進めた手のひら程の大きさの穴を見つめ、カイルは唇を噛んだ。


目頭に熱いものが込み上げてきた丁度その時、カイルは物音を聞きつける。

上の方で何か重いものが持ち上がるような音と、規則的で土を踏みしめる重い音だ。

カイルにはそれが階段を下る音だと分かった。


(誰か来る……)


カイルの期待も束の間、その合間から聞こえる気怠げな唸り声は、彼を助けに来た者が発するものとは思えなかった。


カイルは咄嗟に穴の上に突っ伏して狸寝入りの体勢をとると、耳を澄ませてその声の正体を探ろうとする。


ふたりの足音が檻の前にやって来て止まったかと思うと、聞き覚えのある声がカイルの耳に届いた。


「起きてください、少年」


それを聞いて、カイルは思わず顔を上げた。

自分を助けに来てくれたのだという淡い期待が、彼の胸中でもう一度再燃したことは言うまでもない。


「……司祭さま?」


カイルが予想した通り、そこに居たのは司祭だった。

しかし一人ではなく、その隣には暗がりでも分かるほどに顔を赤くした髭もじゃで筋骨隆々な大男がいた。


少し離れた位置にいるというのに強烈な酒気がカイルの鼻をくすぐった。


「……司祭さま、助けてください。ここはどこなのですか?」


カイルが懇願すると、司祭の男は「それはできないのですよ」と下卑げびた笑いを浮かべた。


カイルはそれを見て息を呑む。


「これは傑作だなぁ、今になってもお前を司祭だと・・・・・・・思い込んでやがる!」


がなり声を上げたのは司祭の隣にいた酔っぱらいの男だった。


指が震えるらしく、男はブルブルと震える手で酒瓶の栓を飛ばすと、それを一気にあおった。


ゴクリと男の喉元が動くのがカイルの目に映る。


「子どもは、そういうものでしょう。未熟で未完、自分の知っているものが全てと思い込む。それ故に判断の穴が大きい」


司祭が言うと、酔っぱらい男はそれをハンと鼻で笑う。


「どういうこと……司祭さま、隣の人は?」


カイルは事態を飲み込みきれずに司祭に訊ねるが、その問いに答えたのは酔っ払い男だった。


「まだ分からんか。お前は騙されたんだよ、俺の部下にな!」


男はガラガラと酒焼けした汚い笑い声を上げ、また酒瓶をあおると、しゃがみ込んで檻越しの少年に顔を近づける。


そして酒臭い熱の籠もった息を吹きかけた。


「―――……ここにはお前の味方は一人も居ないというわけだ」


その時の男の鋭い目は、酔っぱらいのそれとは思えぬ程の迫力で、カイルは怯んで仰け反るように後退あどじさる。


「―――……はぁーん、穴を掘っていたのか」


カイルはそれを聞いて、血の気が引いていくのを感じた。


仰け反る拍子に覆い隠していた穴があらわになってしまったのだ。


心臓が早鐘を打つように鼓動し、息は浅く早くなる。


しかし男はくつくつと笑って立ち上がると、司祭の男の肩にもたれかかるように手を置いた。


「しかし面白いものだな、子は親に似ないこともあるらしい。このガキの方がよっぽど奴らより気概があるじゃないか」


肩に手を置かれた司祭は、それに笑い返しつつも「どうでしょうね」とそれをやんわりと否定する。


彼ら・・は、子を助けるため・・・・・・・・自ら死を選び・・・・・・ました。それは気概を見せたと言えるのでは?」


「ははぁ、そうだったな。確かに、それくらいは評価してやらねば、こちらが狭量というものか」


カイルは、二人の物言いが引っかかって見上げるようにして彼らを見る。

薄い光源の元で見上げた彼らの顔は影になってほとんど輪郭も見えないが、そこに浮かんでいる酷薄な笑みだけははっきりと認識できた。


「なんだ、まだ分からんか?」


子どもとは難儀なものだな、と酔っぱらい男はカイルを嘲笑った。


「喜ぶと良い。お前の家を焼いたのはな、私たち・・・だぞ」

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