第43話 新しい火種
メナの元を激情にまかせて飛び出してしまったカイルは、夕暮れの山道をぐずりながら歩いていた。
日暮れの黄色の光は木漏れ日となって少年の涙粒を宝石のように煌めかせている。
木々の間を歩いていると、少年の嗚咽に合わせて近くの樹木の鳥が飛び去った。
彼はそれを近く感じる
どうしてあんな事をしてしまったのだろう。
幾度も自問を繰り返し、その胸のうちに渦巻く寂寞に涙を落とす。
しかし、神がそんな少年を見かねたわけではないだろうが、しばらく歩いていると、向かう先に人影が見えることにカイルは気づいた。
彼は泣いていたことを知られないよう、頬を伝う涙を腕でゴシゴシと拭って気を引き締めた。
避けていくには山道は狭く、山道を外れることの危険性は流石に彼も知っていた。
「―――……おや、こんなところに少年が一人で」
男は小太りで、どことなく
カイルはその村で見かけたことのない男に警戒するも、彼のような格好をした人間が村に居たことを思い出した。
「―――……司祭さま?」
少年に訊ねられ、男はニヤリと笑みを浮かべ、頷いた。
「えぇ、先日到着しましてね。はじめましてです、少年。―――……どうしてこんなところに、危ないですよ」
司祭は村で、かなり尊重されていた。
人々の救いとなる貴石の教えを説く彼らの存在は、村人にとっての精神的支柱であり、争い事を治める実践的な機能だった。
これまでの人生でそれを知っていたカイルが自然と彼に気を許していたことは、別段不思議なことではないだろう。
そして皮肉なことに、あれだけ警戒していたビレトの言葉もその一助となっていたのである。
「火事について調べてて……」
「―――……ああ、あのお宅の」
司祭は少し考える素振りを見せたあと、納得したように頷いて少年の前にしゃがみ込んだ。
「もう安心してください。私が来たからにはきちんと調べますから」
(―――……そうか、司祭さまが来たということはもう、
胸が締まるような窮屈さとその後にやってきた寂しさを押し殺し、カイルは頷いた。
「―――……ありがとう、司祭さま」
それを聞き、司祭の男は満足気に頷き返して立ち上がった。
そして道の先を眺めて言う。
「―――……ところで少年。火事について調べていた、とのことですが、この先には一体何が?」
カイルは、司祭が知らずにここに来ているということに疑問を覚えて首を傾げるが、村に来たばかりならばそういうこともあるだろうと納得して教えてあげることにした。
「保管庫? があるよ。危ないものを置いておくための場所だって」
少年が教えると、司祭は「なるほど?」と興味深げな声を発する。
「―――……少年は、一人でここまで?」
「ううん、手伝ってくれてた人がいたんだけど……ケンカしちゃった」
「そうなんですねぇ……」
司祭の男は、ふんふんと何事か考えていたようだが、不意にカイルの方に向き直って、再び「よっこらせ」と、しゃがみ込んだ。
「―――……少年は、火事が放火だと考えていて、それで調べているのでは?」
「分かるの?」
「えぇ、私は神さまのおかげで色々なことが分かるのです」
「すごいね」
「そうでしょう」
それからしばらく無言の時間が続き、カイルは俯き気味に立っていたが、司祭の男がふいに「ところで」と話を切り出した。
「少年は、喧嘩をしたと言いましたね、仲直り、したくないですか?」
カイルはぱっと顔を上げ、司祭の顔を覗き込んだ。
流石は「司祭さま」だ。
その細められた
わざとらしいまでの朗らかな笑みを見ながら、彼は思った。
「―――……どうして分かったの?」
「悩みを訊くのが我々の仕事ですからね。大丈夫、私にまかせてください」
カイルはそれを聞いて、少し心が軽くなったことを感じた。
道を見失って彷徨っている中で、踏み均された通り道を見つけた、そんな気分だ。
「どうすればいいの?」
「そうですねぇ……」
小太りな司祭はずっとしゃがんだままでいることに限界を感じたのか、立ち上がって腰を回した。
「どうして喧嘩をしてしまったのか、教えてくれますか?」
「―――……火事の犯人探しをしていたんだけど。なんか僕、急に嫌な気持ちになって、それで嫌なことたくさん言って、逃げて来ちゃった」
「何か嫌なことを言われたのですか?」
「ううん。でも
「―――……お姫さま、というのは?」
「村長と……誰か分からないけど、黒い人がそう言ってた。『全てを失った姫』なんだって。綺麗な銀髪のお姉さん……」
その時、カイルは司祭が驚きで固まったのを見た。
腰に手を当てたまま、時が止められたかのようだった。
しかしそんな中、表情の固まった司祭の目だけがギョロリとカイルに向き、彼と目が合うと正面に向き直る。
そして彼は目を閉じて眉根にシワを寄せた。
「なるほど、それでは……」
そう言って再び動き出した頃には、彼の表情は元の朗らかなものに戻っていた。
「先に火事の原因を見つけてあげる、というのはどうでしょう?」
「そんなことできるの?」
「ええ。私は司祭ですから、大方の目星は付けていますよ」
男は、そう言ってカイルに背を向けると山道を下って行く。
慌てて小走りで追いついたカイルは、男の背中に声をかけた。
「―――……どこに行くの?」
「私は
「やだ、僕も連れて行って」
「ふむ。どうしても、と言うのなら……一緒に頑張りましょうか」
「うん」
カイルは半ば強引に司祭に同行を許可させた。
そうすればきっと、この胸の中のもやもやも消えてくれるだろう、そんな期待が沸き上がった。
そして気づけば少年の顔には明るい微笑みが浮かび、それを赤き斜陽が照らしていた。
その光を生んだ群青の空に滲んだ赤い色はまるで、夜闇に炎が燃えているかのようだった。
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